学園立志編
第66話 子供たちの未来のために
先の戦いを乗り越えて以降、大陸東部は平穏を取り戻しつつあった。
森の住人たちと戦姫エーリカの活躍により帝国は追い払われ、魔性の森は束の間の安息を得ることが出来た。
平穏な日々に暇を持て余す中で、ふとダンは考えた。
――この先、森に住む異種族たちが、人間たちと対等に渡り合っていくにはどうすればいいか。
戦闘能力は、確かに重要な要素ではある。
相手に手を出せば痛い目に遭うと思わせるだけの武力は持たなければ、永遠に搾取され続けるだけだからだ。
しかし力一辺倒では駄目だ。
魔性の森の住人は確かに個人の武勇が優れている者が多いが、頭数においては人間のそれより圧倒的に劣っている。
軍事力だけを誇示することで周囲に恐怖を与え、しまいに人間全体から敵視され始めたら、魔性の森の勢力はあっさりと数の力で揉み潰されてしまうだろう。
真に必要なのは、力ではなく『知恵』。
相手から恐怖ではなく尊敬を勝ち取り、この種族を滅ぼすよりも共存したほうが良いと思わせるのは、本人が持つ知恵の力である。
その知恵が、この魔性の森では全く育っていないように思えたのだ。
『そうだ、学校を作ろう』
そう思い立つや否や、ダンはすぐに行動に移した。
「――学校、でございますか?」
西の郷の長老であり、今はほとんど隠居したような形となっている、エリシャに早速相談を持ち掛ける。
「ええ、異種族の者たちを帝国に対等な存在と認識させるには、やはり力だけでは駄目です。知識と教養というものがこれから先は要になってきます。学校というのは、それらを全ての子供に平等に教え込むための機関なのですよ」
「なるほど……帝国やロムールなどにも、確かに"士官学校"というものはあります。しかしあれは基本的に貴族の子弟しか入れぬもの。首領様はそれではなく、貧しき子供たちにも全員同じ教育を受けさせたいということですな?」
ほとんど断片的な説明しかダンから受けていないにも関わらず、エリシャは老人とは思えない思考力ですぐにその意図を看破する。
「その通りです。年齢は流石に十八歳以下の子供のみで足切りさせて頂きますが……全ての子供に文字の読み書き、東大陸語、そして基礎教養として四則演算と分数と百分率くらいは覚えて貰おうかと思います」
「シソクエンザン? ブンス? ……というものはよく分かりませんが、なるほど文字の読み書きを覚えるのはとても大事なことと思いますな。文字が読めなければ本を読んで視野を広げることも出来ぬ。わしもそれで若い頃は苦労したものです」
エリシャは実感のこもった口調で頷く。
「ええ。その点、エリシャ殿は文字の読み書きも出来るでしょう? 長老の家には大量の書物も置いていましたし」
「はい。それとエリヤとリラも一応読めますぞ。わしが仕込みましたから。シャットに関してはいつも勉強を嫌がって逃げてしまうので、出来るかどうか分かりませんが……」
「素晴らしい。そこで相談なんですが……エリシャ殿には、私の作る学校の教師として、文字の読み書きと周辺の歴史を子供たちに教えて頂けませんか? あなたなら子供からも慕われていますし、魔性の森においてもかなりの知識人です」
「なんと……確かに、引退した婆にはもってこいの仕事かも知れません。今や暇を持て余す身の上ですからのう。……しかし、わしが出来るのは東大陸語の読み書きまで。人間の本を読むために覚えたものなので、会話などは出来ませんぞ?」
その言葉に、ダンは傍に控えさせていた、ある一人の人物を手招きで呼び寄せる。
その青年は犬のような高く尖った耳に銀髪をなびかせて、非常に美しい顔立ちをしていた。
しかし、その目を引く外見とは裏腹に態度は自信なさげにビクビクとしており、背中を丸めながらダンに近づいてきた。
「会話に関してはここにいる彼に担当して頂こうと思います。彼は"フレキ"くんと言いまして、元は帝国北部の山に住む少数部族の
「フ、フレキです。よろしくお願いたします」
そうペコリと頭を下げるフレキは、アダムたち
保護した労役奴隷にはほとんど教養人がいない中で、ただ一人フレキだけは東大陸語を話すことが出来たのだ。
聞けば捕らえられた時に顔が美形という理由で労役ではなく、パーティの饗応役の奴隷に回されてそれなりの教育を受けたのだという。
しかし仕事初日で貴族の婦人のドレスを踏んづけた挙げ句、頭から酒をぶっかけるという大失態を犯してしまい、結局労役奴隷に戻されたというなかなかに愉快な経歴を持つ青年だった。
「ほう……帝国北部の山というと"シフ族"か? シグヴァルディ殿はご健在かな?」
「あっ、祖父は……五年前に死にました。今の族長は伯父のシグムントですが、人間に襲われて以降、郷がどうなっているかはもう……」
そうフレキは落ち込んだように言う。
「ほう、お知り合いですか?」
ダンはそう尋ねる。
「ええ、彼の祖父とは若い頃共に戦ったことがあります。シフ族は白狼の
「あっあっ、でも、エリシャ様のことはたまに言っておりましたよ。『南の森にえらく強い女戦士がいる。いつか決着をつけたい』と」
その言葉に、エリシャはかかっと喉を鳴らしながら笑う。
「今更こんな婆に何を求めておるのやら。全く最後まで戦バカだったのだな。……おっとすみません。話が逸れてしまいましたな。フレキ殿が会話の教師をされるのなら何も問題はありませぬ。しかし、わしの教え方は平らな石に石灰で文字を書いてそれを暗記させるというもの。教える子供が何人かは分かりませんが、そんな人数分の平らな石など用意できますかな?」
「いえ、それに関してはこちらで"紙"を作れないか模索して見ます。私は製法を知っていますし、上手くすればここら辺りの名産品にもなるでしょう」
ダンはそう答える。
以前、エリシャの家で見た大量の本は、そのほとんどが羊皮紙のような獣の皮で作ったスクロールであった。
パピルスのような質の悪い紙で作った本もあったが、数は少なかったことを見るに高価なのかも知れない。
紙などの基本的なものの製法はノアの
ここには紙の材料となるような木材がいくらでも手に入る。知識さえ伝授すれば、近代的な洋紙を工業生産することも可能かも知れない。
「なんと紙を……! 紙の産地は限られ、その製法は秘中の秘とされておりますぞ。しかし、他ならぬ首領様なら、その製法をご存知としても不思議はありませぬな」
「ええ。学校では紙は無料で配り、使いたいだけ使えるようにしようと思います。子供たちの学力向上には必要な投資ですから」
エリシャはもう言葉もなく、驚いた顔のまま呆然と頷く。
「それと……学校は三年間の全寮制で、食事は朝夕の二回を無償で提供しようと思います。まだこの魔性の森では一日一食もまともに食べられない子供も多いのではないですか?」
「そうですな。まだ貧しき種族なども多いですし……食べられるのは狩りの成果次第で安定しません。しかし、子供ら全ての胃袋を満たそうとすると、それは大量の食料が必要となりますぞ?」
「問題ありません。この付近に大きな畑を作るつもりです。私の船の中には、品種改良した通常より何倍も早く実を付ける野菜や果物の種子が大量にあります。穀物に関しては
ダンはそう言うと、ふと気になったことを尋ねる。
「そう言えば……ここ魔性の森には、通貨のようなものはあるのですか? 皆物々交換でやりくりしているように見えるのですが」
「帝国やロムールの発行している金貨などのことですか? ああいったものは我々はありませんな。小麦が必要なときのみ、郷の代表者がロムールに毛皮を売って、その時得た銀貨や銅貨で買って帰るくらいです。我ら自身で硬貨のやり取りをすることはほとんどありません」
「なるほど……では紙が出来たら通貨も作らなければなりませんね。試験的に生徒に持たせて商取引を学ばせましょう」
そう頭の中で構想を練りながら、ダンは続ける。
「建物に関しては私が作りましょう。既にドローンで仮設住宅も作っていますし……。そういえば、住み心地はどうだ? 不便はないか?」
そう言って、ダンは横で固まっているフレキに尋ねる。
雨期が開けてから、ダンはビットアイではなく、自分の船の建築用ドローンを使って、住処を失った西の
記録や索敵能力、映像や音声に関してはウトゥから譲り受けた"ビットアイ"に能力は劣るものの、建築や修繕など建設に関しては、ダンの船に搭載されたドローンの方が何倍も優れていた。
木材で組み立てた平屋のような建築物を、ダンはわずか三日で五十棟も作り上げてしまったのだ。
「あっ、は、はい! あの、雨露も凌げて、それなりに広いし、快適に過ごさせていただいてます! あ、あんなところに無料で住まわせて頂いて本当によろしいのですか?」
「構わない。どんな毒虫や危険生物がいるかも分からないこの場所で、野宿はさせられないしな。それに、あれはただ木材を組み合わせただけの箱みたいなモノだ。本当は水道やガラス窓なんかも作りたかったんだが、そこまで手が回らなくて悪いと思っている」
「い、いえ、とんでもないです! 自分で住める家があるっていうだけで僕はもう……!」
フレキはそう感激したように身を震わせる。
「まあ、それはこれから居住環境を整えていくとして、最終目標は学校を作ることだ。私は子供たちに最高の学習環境を整えてやりたい。そこに妥協するつもりはない。次世代の才能を育てるために、フレキくんも協力してくれるかい?」
「は、はい! がんばります!」
肩に手を置きながらのダンの言葉に、フレキは緊張しながら頷く。
ともすれば学校作りというのは、いざ本格的に作るとなると街一つ作るに匹敵する巨大事業であるとダンは実感していた。
教科書類に筆記用具、給食に制服、窓ガラスや椅子や机などの家具類、衛生的な環境など、建物抜きでざっと思いつくだけでもこれだけの物が必要になる。
地球ではインフラが整っていた故にそれほど気にはしていなかったが、更にそれを生産して安定して供給する設備を整えるとなると、その手間は膨大なものとなるだろう。
だが同時にやりがいのある仕事だとも感じていた。
子供たちの未来に投資する事業。ダンの船の力を持ってすれば、この未開の地に短時間で世界一の学校を作ることも不可能ではないだろう。
これまで現地人の生活を乱さぬために自重してきたダンだが、ここで初めて自分の能力をフル活用することに決めた。
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