第65話 エピローグ:ある遊び人皇子の日常


 「わっはっは! まったくもって酒が美味いわ! まさかあの兄者が失脚するとはのう!」


 アウストラシア帝国首都、リンドバーグ。


 その場末にある馴染みの酒場を借り切って、ランドルフはひどくご機嫌で酒をあおっていた。


 先日のティグリス川のまさかの敗北の報は、帝国の皇族として兵の命を憂う気はあれど、ランドルフ個人としては小躍りしたいくらいの吉報であった。


 あれ以来、東征を主導して主戦派の貴族たちを取りまとめていた第一皇子エドマンは、すっかりその立場を失い自室で蟄居を命じられていた。


 帝国は戦争を第一とする国家であり、他が全然駄目でもとりあえず戦争で勝てば有能として評価される。


 ――しかし、その分だけ敗軍の将には厳しい追求が待っている。


 特にエドマンは学問はパッとせず、目立った内政的な成果も上げてはいない。


 しかしひとまず攻め落とした占領地も多く戦上手であるという理由で、それなりの評価を受けていたのだ。

 

 それが今度は戦にまで敗北し始めたら、なんの取り柄もない無能ということになってしまう。


 結果エドマンは元老院から激しい突き上げを食らうことになり、潮が引くように取り巻きが去って派閥が瓦解。


 長男でありながら今やランドルフよりも継承権が下の立場となっていた。


 「随分なご機嫌でございますな殿下」


 唯一の侍従、ぬぼっとした顔の黒髪の男フリックが、無表情にランドルフに問い掛けた。


 「そうだとも! これが笑わずにはいられようか! 兄者がロムールを占領してしまえば、我らの命運はもはやこれまでと、他所の国に亡命するしかなかった所だ。それがまさかロムールがやってくれおった! 三倍の兵力を退けて我が国に逆侵攻してくるとはのう」


 ランドルフは感心したように言うと、またジョッキの中のエールをあおる。


 「自国が敗北して喜ぶのも如何なものかと存じますが……しかし、"戦姫エーリカ"ですか。あのような僻地の姫が、そんな騎士物語のような偉業を成し遂げるとは思いも寄りませんでした」


 フリックは難しい顔で言う。


 ロムール勝利の報は帝国のみならず大陸全土を駆け巡り、その他の国々には希望を与え、帝国内部では物議を醸すこととなっていた。


 「話によると森の亜人たちを味方につけて、援軍として召喚したらしいぞ。……ほらあれ、前に言っておっただろう? 東征軍の先遣隊二百が、魔性の森のどこかで消息を絶ったという話が。やはりあそこには何かがあるのだ」


 「噂では森に急に巨大な塔が現れたとか、戦では炸裂の魔法が込められた耳長エルフの魔道具が猛威を振るったという話もあります。それが本当だとしたら……あそこには侮れない勢力が眠っている可能性が高いですな」


 フリックの推察に、ランドルフは酒を片手にしながらも、理知的な思考を巡らせる。


 「もしそんなものがあるとしたら……間違いなく我らのことを敵視しておるだろうなぁ。我が国の亜人の扱いはいささか常軌を逸しておる。言葉が通じぬとは言え、同じ人の形をした生き物に、よくあのような残酷なことができると辟易するほどだ」


 ランドルフはうげ、と舌を出しながら語る。


 「今回の敗戦は……敵の敵は味方ということで、亜人たちがエーリカ姫に助力した形かもしれません。少なくとも我々だけでも亜人への扱いは見直す必要があるかも知れませんぞ」


 「うむ。我は亜人奴隷など持ってはおらんが……何人か買い取って魔性の森の情報を聞き出す必要があるな。……しかし父上に亜人奴隷政策をやめろなどとは流石に言えぬぞ。あれこそ父上が皇帝になれた目玉政策だからのう。即位自体に疑問を投げかけるようなことになると、流石にこの首が危うくなる」

 

 トントン、と自分の首を手刀で叩きながらランドルフは言った。


 「殿下にも一応そういった良識があったのですね。誰にでも噛み付く狂犬かと」


 「阿呆! 我は咎められぬギリギリの線で諫言をしているのであって、本当に命を懸けておるわけではないわ! ただでさえ父上は今『失地帝』などと陰口を叩かれてピリピリしておる。今は本気で危ない時期じゃ。我は貝のように口を閉ざすぞ」


 ランドルフは情けないことを堂々と言い放つ。


 「まあそれがようございますな。しかし……今回のことで我々に対する風向きは変わりました。そろそろ本格的に動き出す時期やもしれません」


 「うむ。あれだけ主戦派の期待を受けていた兄者が盛大にズッコケたのだ。我、再評価の流れが来るかも知れん。……しかし、帝都でやれることもたかが知れておる。ここにおると今度はマリウス兄に命を狙われるかも知れんしのう」


 「思うに……殿下はご兄弟たちと仲が悪すぎでは? 全員から命を狙われる勢いではありませんか」


 フリックはやれやれと呆れたようにため息をつく。


 「言うな! 我が仲良くしたくとも向こうが敵視してくるのだから仕方なかろう! ……それに、主戦派ばかりのこの国で融和派の我が肩身が狭いのは今に始まったことではない。もっと味方を増やす必要があるぞ」


 「ふむ……ということは各領地のご視察という名目で、融和派や中立派の貴族たちの領地を巡り、派閥に取り込みにかかりますか? 今なら少しは我々の話も聞いてくれることでしょう」


 フリックの提案に、ランドルフは大きく頷く。


 「うむ! それでよい。どうせなら各地の地酒や名産品も巡りたいのう。父上に言えば予算に関しては問題なかろう。向こうもうるさい我が帝都から離れるのは歓迎だろうしの」


 そう旅行するような気楽さで、ランドルフは領内視察の計画を立てる。


 実際に税金を使った旅行でしかないのだが、後にこの領内を見回った際に綴った日記が、『ぼんくら皇子の漫遊紀』として帝国内でベストセラーとなり、紹介された領は旅行者で大いに賑わったという。


――――

これで代理戦争編は終了となります

水曜から新章がはじまります


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