第64話 エピローグ:英雄となった少女


 今やロムールは熱狂の渦に包まれていた。


 自国から、新たな英雄が生まれたからである。


 長らく負け知らずだった帝国に、唯一ともいうべき黒星をつけた存在。


 その名も"戦乙女エーリカ"。


 昔からお茶やダンスの作法より、軍略や指揮のことを勉強するのを好む、姫らしからぬ姫として彼女はそれなりに知られていた。


 たまにお忍びで市井に顔を出しては屋台を食べ歩くなど、親しみやすい部分もあり、国民からは"おてんば姫"として大いに愛されていた。


 そんな彼女が、まさかこんな形で大輪の花を咲かすとは誰も予想していなかった。


 今日は戦勝パレードの日である。


 半分以下の兵で一万超の帝国軍を追い払ったという、"ティグリス川の奇跡"というあの戦いの記憶も新しく、そのわずか一週間後に、帝国側のバルバトス要塞を陥落させるという、もう一度の大戦果を上げた。


 実際には、前回のティグリス川の戦いにおいて、バルバトス要塞に滞在していた主力の大半が壊滅しており、攻略はそれほど難しいものではなかった。


 雨期が終わり、ティグリス川が歩いて渡れる浅さになったことも助けとなった。


 エーリカはバルバトス要塞にはわずかな手勢しか残っていないことを炊事の煙の数から見破り、帝国本土から援軍が来ない内に、五倍の兵力をぶつけてさっさと占領してしまったのだ。


 敗戦が余りに予想外であることに対応が遅れたのと、エーリカの軍事的才能の開花により、帝国は約五十年ぶりの失地という大事件によって揺れていた。


 それに引き換えロムールは連日のお祭り騒ぎである。


 皆口々にエーリカとそれに付き従って戦った戦士たちを称え、勝利の味に酔いしれる。


 ――そして、その風景の中に以前とは決定的に違う光景が混じっていた。


 「おお、あんた森の住人だろ? 前の戦いでは随分と活躍したらしいじゃねーか!」


 「…………!」


 街ゆく亜人たちに、気さくに声を掛けるロムールの民衆の姿。


 以前なら確実に見られなかったものである。


 ロムール人にとっては森の住人は迫害の対象ではなかったものの、警戒の対象ではあった。


 『魔性の森に近付くと、森の亜人に食べられる』という言葉は、ロムールに住む者なら一度は幼少時代に母親から聞かされたことがある、脅し文句の定番であった。


 実際には危険生物が多い魔性の森に、子供を近付かせたくないだけで、食べられた前例があったわけではない。


 だが子供の頃からしつけとして刷り込まれて来た先入観は、大人になっても染み付いているものである。


 しかし、あの戦い以降ロムール人の森の住人を見る目は一変した。


 他ならぬ救国の英雄たるエーリカが、演説で強く森の住人たちの功績を知らしめたからである。


 実際に現場で戦った兵士たちの証言もあり、ロムール人にとって森の住人は、警戒すべき危険な隣人から、興味深い変わった友人となっていた。


 「ア、ウ……ワタシタチ、毛皮……売ル……ドコ?」


 「なんだ? 毛皮売りに来たのか? しょうがねえな。買い取り屋に連れてってやるよ」


 荒っぽいが気の良さそうな男が、たどたどしい東大陸語を話す獣人ライカンの一団を道案内する。


 こんな光景が、今や当たり前に見られるようになった。


 以前は人間しか見かけることのなかった街並みに、森の住人たちが混じり始めた頃、凱旋パレードは始まった。


 「来たぞおおおおッ!」


 高らかにファンファーレが響くと同時に歓呼の声が響き、帝国に泡を吹かせた勇者たちが出迎えられる。


 「ピイィィィィ――――ッ!!」


 上空からは、鳥人ハーピィたちが飛び回りながら花びらを振り撒いていく。


 人間だけではありえないその見事な演出に、民衆たちから盛大な歓声が上がる。


 「ハルパレオス将軍! 帝国に三度勝利した名将だ!」


 一番先頭を切ったのは、かつては客将身分だったが、今や大将軍の地位を与えられたハルパレオスであった。


 「……まさか六十を超えて英雄になるとはのう。長生きはするもんだわい」


 そう民衆に手を振り返しながら、ハルパレオスは一人そう呟く。


 周囲はロムールの精鋭で固められ、その頼もしき姿に更に民衆は湧き上がる。


 「おい、あれが魔性の森の軍勢か!?」


 そう民衆が指差した先には、ジャガラール率いる獣人ライカンの部隊と、ゲル=ダ率いる竜騎兵部隊がそれぞれ五十ずつほど参加していた。


 今回の戦闘には参加していなくとも、ティグリス川の戦いにおいて戦功著しいこの二種族に関しては、ロムール側からパレードの参加を打診されていた。


 ジャガラールは豹頭の獣人ライカンであり、その体躯は二メートル近くにもなる。


 そんな者が馬に乗って、周囲を威嚇するように見回す。


 その迫力に、民衆は圧倒され歓声すら出せず、ゴクリと唾を飲み込む。


 「ウム!」


 しかし、その背後から来るゲル=ダ率いる竜騎兵が一斉に高く槍を掲げ、頭上でクルクルと回して見事な槍さばきを披露すると、民衆からは一斉に歓声が上がり拍手が湧き起こる。


 意外にも、蜥蜴人リザードマンたちはサービス精神旺盛であった。


 「姫様だァーーっ!」


 そして、本日の主役であり、英雄とも言える彼女が姿を表すと、民衆はこれまでで一番の歓声を上げる。


 「戦姫エーリカ様ああああ!」


 「我らが戦乙女のお出ましだ!」


 「こっちを見てくれーーっ!」


 もはや民衆は熱狂的なまでに騒ぎ、口々にエーリカの偉大な功績とその美しさを褒め称える。


 エーリカは厳重に近衛に守られながら、背筋を伸ばした凛とした佇まいで、目を瞑ったまま通り過ぎていく。


 一見無愛想だが、その美しくも凛々しい姿に女性すらも魅了し、民衆は聖典の守護天使が降臨したかのような神秘性すら見出す。


 そして、純白の姫騎士のすぐ側には、まさにその正反対とも言える、漆黒のローブを着込んだ、異様な雰囲気の男が付き従っていた。


 「お、おい、なんかあいつヤバくないか……?」


 「ああ……最近姫様が雇い入れた護衛らしい。とにかくべらぼうに強いとか」


 「あ、あんなのを傍に置いておけるなんて、さすがは戦乙女様だ……!」


 ガイウスを傍に侍ることで、エーリカは別の意味でも一目置かれていた。


 民衆は、ガイウスの顔すらも見えていないにも関わらず、被捕食者の本能的にその危険性を察知して、背筋にゾワゾワとしたものを感じていた。


 エーリカや共に戦いを乗り越えた兵士たちはその気配に慣れていても、一般市民にはガイウスはただそこに居るだけで恐怖の対象であった。


 「……姫よ、少しは歓声に応えて手でも振ってやったらどうだ? 皆お前の反応を見たがっているぞ」


 ガイウスは馬を寄せて、楚々として目を瞑るエーリカにそう耳打ちする。


 「これでいいのですよ。今民に必要なのは、親しみやすく愛される姫ではなく、頼もしく神性を纏った"戦姫"です。私は王族として、国民の希望の象徴とならなければなりません」


 「ふっ、それが王族の生き方ということか。難儀なことだな」


 「……あなたこそ、民衆に笑顔でも見せてあげれば如何ですか? あなたの正体も皆は知りたがっていると思いますけど」


 そうエーリカは周りから見えぬよう、くすりと悪戯な笑みを浮かべる。


 「冗談だろう? 私の笑顔など見たら、老人は腰を抜かして子供は泣きわめくだけだ。ただでさえ脆弱な人間は私の気配に敏感だからな」


 「以前は私も近付くだけであなたが恐ろしかったけど……今は平気になりました。どうしてでしょう?」


 その問いにガイウスは答える。


 「あの戦いで、お前は人から"英雄"という別の存在に変わったのだよ。前に戦った勇者を名乗る若造もそうだったが……英雄様の精神構造というのは凡人とは違う。まず恐怖心が壊れてなければそんなものにはなれん」


 「あら、失礼ね。人を異常者みたいに」


 そう二人だけの会話を密かに交わしながら、パレードは過ぎ去っていく。


 民衆はまるで伝説の一幕を見たかのような満足感に包まれ、口々にエーリカの美しさや兵士たちの勇壮さを称える。


 そしてそれを酒の肴にして、再び大通りは賑わいを取り戻すのであった。


 

 * * *



 「くそっ! なんでこんな事に! まさか帝国が負けるとは……!」


 ロムール王国外務卿グラッススは、必死に自身の邸宅で金目のものをかき集める。


 エーリカがティグリス川で奇跡的な勝利を遂げたあと、国内でのグラッススの立場は悪くなる一方であった。


 元々帝国の貴族とも血縁があり、それを利用して甘い汁を散々に吸ってきたグラッススだったが、ここに来て絶対絶命の危機に陥っていた。


 エーリカが国内貴族の身元の洗い直しを行っている――。


 その噂が聞こえてきた瞬間、グラッススは生きた心地がしなかった。


 明確に後ろ暗い事実がありながらも、これまでは上手く証拠を隠し、外務卿という職権も利用してエーリカを遠ざけてきた。


 しかし、今のエーリカは国内で賛美の声を聞かぬ日がないほどの大英雄である。


 その威光はもはや国王をしのぐほどであり、そんな者とまともに権力闘争などすれば、今のグラッススなどあっさり処刑台に連れていかれることは明白だった。


 (あの小娘ェ……! なんという余計なことを……! こうなれば、いち早く帝国の叔父上の元に亡命するしか――)


 そうグラッススが歯噛みをしていた、その時――


 「だ、旦那様!」


 家令を任せている使用人が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。


 「なんだ、騒々しい! 今私は忙しいのだ! くだらん用事なら後にしろッ!」


 「そ、それが……衛兵隊の方たちが、旦那様に用があると……」


 「何!?」


 「――随分と慌てて荷造りしている様子ですね、グラッスス。行き先はどこですか? 生憎、帝国側への道は我が兵が封鎖しておりますが」


 そう使用人を押し退けて、衛兵を引き連れて部屋に入ってきたのは、グラッススが今最も見たくない顔。


 国の英雄であるが、グラッススにとっては政敵でもあるエーリカであった。


 「こ、これは姫様……ご機嫌麗しゅう。し、しかし如何に王族の方と言えど、事前の連絡もなしに訪問とは、些か不躾では……」


 「あらそれは申し訳ありません。汚い鼠が国内から逃げ出さないよう少し急いでおりまして。今日はあなたに二、三確認したいことがあって来たのです」


 エーリカはそう言うと、懐から二、三枚の文書を取り出す。


 「バルバトス要塞にある、アーサー・ランベイルの執務室から出て来ました。国内の証拠は上手く消せても、帝国側はそう上手くは行かなかったようですね? あなたの名で、帝国に我が国への調略をけしかける文書が残っていましたよ。伯爵家の印章付きでね」


 「…………!」


 そうエーリカが広げた文書は、確かに見覚えがあるものだった。


 「し、知らない! そんなもの私は知らないぞ! て、帝国側が私を追い落とすために仕掛けた謀略だ!」


 決定的な証拠を突きつけられても、グラッススはなおも往生際悪く叫ぶ。


 「ふふ、帝国にとって都合のいい人物であるあなたを追い落として、一体彼らにどんな利益があるというのかしら。……まあよいです。元よりここで認めるとは思っていません」


 エーリカはそう言うと、口元の笑みを収めて、無表情で腰の剣を抜いてその先端を突き付ける。


 「あなたが脱税して帝国側に隠し財産を作っていたこと、我が国で禁止されている奴隷売買で私腹を肥やしていたこと。……そして何より、先の戦いで我が軍の後方で火を放ったのが、あなたが雇った私兵であったことも、全て調べは付いています。あとはそれらの事実を一つ一つあなたの口から引きずり出して、関係者を暴き出すだけです。――連れて行きなさい!」


 「ははっ!」


 ピシャンッ、とレイピアを鳴らしながらエーリカが命じると、衛兵たちは即座にグラッススの両脇を固め、その動きを封じる。


 グラッススは手足をジタバタとさせながら、青ざめた顔で叫ぶ。


 「やめろ! 触れるな! この私を誰だと思っているッ!!」


 暴れるグラッススを、衛兵たちは一切気遣うことなく、無言で引きずりながら部屋の外に連れ出した。


 『こんなことが許されるはずがない! 我が家は先々代から仕える重臣だぞ! 私がどれだけこの国に貢献したか分からんのかぁーーッ!』


 そう廊下の向こうで捨て台詞を吐きながら、グラッススは連行されていった。


 エーリカはそれにふう、と軽く息を吐きながら剣を収める。


 その時――


 「人を追い詰めるのが随分と上手くなったじゃないか」


 部屋の隅で壁にもたれ掛かる黒装束の男――ガイウスがボソリと話し掛ける。


 その口元にはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべていた。


 「……人聞きの悪いことを言わないで下さいますか? 私だってこんなことはしたくないのです。国内の膿を出し切るのに必要なことだったのですから」


 その揶揄するような言葉に、エーリカは少しむくれながら抗議する。


 「ですが今は――まるで長年の胸のつかえが取れたような清々しい気分です。今ならあの者の末路に、ほんの欠片ほどは同情できるかも知れませんね?」


 少女はそう言うと、ニコリと花が咲くような可憐な笑みを浮かべた。

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