第63話 光差す方へ
「へ、へへ……これは姫様、ご機嫌麗しく存じます」
「…………」
そう媚びるような笑みを張り付けるアーサーの顔を、エーリカはヒュッ、と剣先を振って無造作に斬りつける。
「が、ああああッ!? 痛ってえ! このくそ餓鬼! 何しやがる!」
「それがあなたの本来の口調なのでしょう? 無理して貴族の作法など真似しなくても良いのですよ。たとえ豪華な服や肩書、礼儀作法で飾ろうとも、卑しいケダモノの本性は隠しきれるものではありませんから」
「殺すッ!! この餓鬼! 道端の浮浪者に散々に犯させたあとに嬲り殺してやる!!」
アーサーは顔を斜めに真っ直ぐ切り裂かれ、のたうち回りながら聞くに堪えない罵詈雑言を飛ばす。
エーリカはそれを冷たい表情で聞き流しながら言う。
「口でどれほど粋がろうともあなたはもう終わりです。短い夢でしたね、アーサー・ランベイル。—―あなたが仕出かしたことの
そう言うや否や、エーリカはアーサーの太腿に深々と剣を突き立てる。
その顔は先程までの高潔な戦乙女のものではなく、ただ家族を殺された一人の少女としての深い憎しみが宿っていた。
「いぎゃああああッ! クッソおおッ! やめろォ!」
「あなたはこれからロムールで裁きを受ける! さぞや惨めで、無様で、汚い末路をたどることでしょう! あなたは誰に哀れまれることもなく躯を野に晒し、我が兄ジャンへの
そう叫びながら何度もアーサーを突き刺し、斬りつけるエーリカに、他の兵士たちも一切口を挟めずに黙り込む。
死んだ王太子のことを想い涙を流す兵士も居た。
やがてアーサーはぐったりと反応が無くなり、見兼ねたハルパレオスが間に入ると、エーリカはふうふうと肩で息をしながら、ようやくその剣を収めた。
「……気分が晴れぬものですね」
「復讐とは、そのようなものです。……それでも、後に残された者には必要な儀式なのですよ。姫様はご立派にやり遂げました」
ハルパレオスの言葉にエーリカは軽く頷いたあと、兵士たちに命を下す。
「この男を引っ立てなさい! 王太子ジャンを卑劣な手で
「ははっ!」
エーリカの命令に、兵士たちはぐったりとしたアーサーを無理やり引き起こす。
既にアーサーは全身至る所に傷を作り、血まみれで到底まともに動けるようには見えなかった。
急所は避けたとは言え、常人なら事切れてもおかしくないほどの大怪我である。
――しかし、その目がまだ光を失っていないことに、エーリカ含む他の兵士たちも気付いてはいなかった。
「さっさと立てこの罪人がッ! ……うぐっ!」
「!?」
「なっ……!?」
そうアーサーの髪をつかんで無理やり立たせようとした兵士が、突如腹を抑えて崩れ落ちる。
全員が一斉に振り向くとそこには――兵士の腰の剣を奪い、その血に濡れた先端を舐めてニタリと笑みを浮かべている、アーサーの姿があった。
「……随分といいようにやってくれたじゃねえか。テメーのせいで、俺の人生何もかもめちゃくちゃだ! こんな辺境の弱小国なんざ、大人しく俺に滅ぼされて踏み台になってりゃいいのによ!」
「姫様!」
慌ててハルパレオスが割って入るも、怪我人とは思えない鋭さでアーサーが突きを放つ。
アーサーはかなりの使い手らしく、熟練の将であるハルパレオスですらそれを受け切れず、肩口に剣を受けて崩れ落ちた。
――そして、そのままアーサーの剣先はエーリカの眼前にピタリと止まった。
「……形勢逆転だなあ姫様。どうしてやろうか? その可愛らしいお顔に俺と同じ傷をつけてやろうか? それとも鼻を削いで二度と見れない顔にしてやろうか?」
「貴様……!」
「動くんじゃねえ! それ以上近付くと、お前らの大事な姫様が
「…………!」
そうアーサーに凄まれて、周りの騎士たちは悔しそうにしながらも、手を出すことが出来ずに固まる。
しかしエーリカは、その状況においてもなおも怯まず、凛とした佇まいでアーサーを見返す。
「……気に食わねえ。なんでそんなに落ち着いてられるんだ? 泣き叫んで命乞いでもすりゃちょっとは可愛げがあったのによ」
「あなたのような下衆を喜ばせることなど、一切して差し上げるつもりはありません。殺すなら殺せばよいでしょう。そうすれば、あなたは代わりにここにいる我が兵たちに八つ裂きにされるだけです」
「…………!」
そう気丈に言い放つエーリカに、ロムール兵たちは全身から怒気を発しながら剣を構える。
そんな中でも、アーサーはエーリカの頬に剣の腹を押し当てながら、平然と加虐的な笑みを浮かべた。
「くくく……一体どこまでその気丈な態度が保つのか試してみたくもあるが……お前は俺がここから脱出するための大事な人質だ。それまでそのお楽しみは取っておいてやる」
アーサーのその言葉に、エーリカはその背後を見て、ふっと可憐に微笑みながら返した。
「――そう、でも残念ね。私には最強の護衛が付いてるもの。あなたの逃避行には付き合ってはあげられそうにないわ」
そうエーリカが向けた視線の先には、アーサーの背後から躍りかかる黒い影があった。
闇そのものを纏っているかのような、真っ黒い怪しい男。
しかしその男は、エーリカにとってこの戦場で最も信頼できる存在となっていた。
「なっ……!? ぎゃあああっ!」
そしてアーサーは、ガイウスの爪でその頭を呆気なく吹き飛ばされる。
アーサーは潰れた果実のように頭の中身をまき散らし、後に残った胴体部分だけが、ゆらゆらと揺らめいて最期は力なく崩れ落ちる。
曲がりなりにも帝国の将軍にまで上り詰めた男の、なんとも惨めな最期であった。
「……姫よ、あまり勝手な行動を取られるな。貴女の身は私が守れと主より厳命されている。戦場で脆弱な者が好き勝手に走り回るなど、自殺行為でしかないぞ!」
そう駆け寄りながら、世話焼き女房のような説教を垂れるガイウスに、エーリカは思わずくすりと笑う。
「ごめんなさい。どうしてもこれだけは私たちの手でやり遂げたかったのです。最後は結局あなたに取られちゃったけど。でもひとまずは――」
エーリカはそう言うと、高く剣を掲げてこう宣言した。
「この戦……我々の勝利です! 邪悪な帝国は退き、ロムールの平穏は保たれました! あとは大々的に帰還を果たし、我らの勝利を知らしめるのみ!」
「おおおお――――ッ!!」
その瞬間、怒号のような歓声が鳴り響き、全員が剣を掲げながら、それぞれエーリカを称える声を上げる。
「エーリカ姫万歳! ロムールに栄光あれ!」
「我らが麗しき戦乙女!」
そんな中、ハルパレオスが緩んだ気を引き締めるような号令を掛ける。
「……聞けい、お前たち! 戦いの中で傷を負った者は、すぐに自陣に戻り治療を受けろ! 元気な者たちは陣形を再編成して残党狩りを行う! 我らがロムールに、盗賊まがいの下衆どもを根付かせてはならん!」
自身も怪我をしているはずのハルパレオスの快活とした呼びかけに、兵士たちは「おう!」と応じて再び剣を取る。
もはや生きるか死ぬかの戦いから解放され、勝利の凱旋も間近である。疲労の極致にありながら兵士たちの表情は明るかった。
「ハルパレオス、あなたの傷は大丈夫なのですか?」
いつの間にか呼び名に"様"が取れて、一人前の将の顔つきになったエーリカに、ハルパレオスはうむと大きく頷く。
「歳故に不覚は取りましたが、あの程度の傷ならどうということはありませぬわい。幸いながら、先ほど腹を刺された兵士も、致命傷というほどでもない様子。自陣で治療を受ければ問題なく回復するでしょう」
「そう……それで、あなたはこのまま出るのですね?」
「ええ。姫様はそのままごゆるりとお休み下さいませ。……それと、ガイウス殿」
ハルパレオスは、改めてガイウスの方に向き直り頭を下げる。
「……戦場で幾度も姫様の身を救って頂き、感謝の念に堪えませぬ。この老骨はこれから帝国の残党を狩りに行かなければなりません。姫様の守りは貴公にお任せしてもよろしいか?」
「よかろう。それが我が主の意でもある。御身は職務を全うされるがよい」
その言葉に、ハルパレオスは「御免」と言って兵を引き連れてその場を立ち去った。
「主の意、ですか……」
ガイウスの言葉を聞いて、エーリカは少し寂しい思いをしながらそう呟く。
確かにそうだ。ガイウスは、自分の臣下ではなく、ゾディアックから借りた人材でしかなかった。
出会ってからはほんの数時間しか経っていないが、その命を預けて過ごした時間の濃密さから、エーリカはガイウスと信頼関係のようなものが築けたように感じていた。
しかし、この戦が終われば別れが来るのだろう。そのことがとても惜しかった。
しかし、その時――
『おめでとうございます。どうやら本懐を遂げられたようですね』
「……!?」
「ゾディアック!」
以前と同じくして突如として戦場に現れた、あの謎の円盤。そこから聞こえる覚えのある声にエーリカは驚く。
しかしやがて、王国式の最上級の礼儀作法に則ったやり方で、エーリカはそれに深く頭を下げた。
「……この度のご助勢感謝いたしますわ、ゾディアック様。あなたたち魔性の森の力がなければ、私は到底この地から帝国を退けることは出来なかったでしょう」
泥にまみれ返り血を浴びた姿でも、エーリカは気品のある佇まいで礼をする。
『いえいえ、こちらこそ貴女様の活躍を、まるで英雄物語の詩篇のように興味深く観戦させて頂きました。まさかあの気難しいガイウスを味方につけるとは』
ゾディアックはそう言ったあと、傍に控えて片膝をつくガイウスに目を向ける。
『お前も随分と活躍していたな。ここからしっかりと見ていたぞ』
「勝手なことをして申し訳ございません……我が主よ。この咎めはなんなりと」
『何を言う。お前はしっかり役目を果たした。約束通りエーリカ姫には傷を付けず、ジャガラールたち
「は……」
ゾディアックの寛大な言葉に、ガイウスは深く頭を下げる。
エーリカはその光景を、とても信じられない気持ちで見ていた。
彼女からすれば、ガイウスはとんでもなく強大な化け物である。
凄まじい剛腕と高度な魔術まで使いこなし、しかも人間には到底追いつけないような強靭な生命力を持つガイウスを、もし倒そうと思えば一軍に匹敵する戦力が必要となるだろう。
そんな存在を普通に従えている、このゾディアックを名乗る謎の存在が、エーリカには底知れぬものに映っていた。
『……ところで、エーリカ姫』
「!? はい、何でしょう」
急に声を掛けられて驚くも、エーリカは何とか動揺を表に出さずに答える。
『どうやら貴女は戦いの最中でこのガイウスと非常に相性が良いようにお見受けいたしました。もしよろしければ、しばらくガイウスを傍で使ってみる気はありませんか?』
「……よろしいのですか!? そ、それは私たちからすれば願ってもない申し出ではあります!」
エーリカは降って湧いたような話に、思わず声を上擦らせる。
もしガイウスがこれからもロムールの継続的な味方となってくれれば、これ以上に心強いことはない。
また、エーリカ自身も、態度は傲慢ながらもなんだかんだと面倒見のいい、このガイウスという男の人格を気に入っていた。
『ええ。もちろん本人の意思が最優先ではありますが……。これから貴女の身の回りには、敵も味方も大勢増えてくるでしょう。敵対する者の中には、暗殺を企てる不届き者が居ないとも限りません。我々はあなたを戦略上の重要な
ゾディアックはそう言ったあと、ガイウスの方に目を遣る。
『ガイウス、お前の方はどうだ? 私はお前をロムールの駐在大使として派遣し、我々との橋渡し役を担って貰おうと思っている。その際に、姫様からの個人的な願いを聞く分には、私からは何も言わんよ』
「わ、私は……」
ダンの言葉に、ガイウスは珍しく困惑したような顔で迷いを見せていた。
エーリカと共に戦うのは、ガイウスからすれば面倒も多かったが、少なからず楽しんでいた部分もあった。
彼女の血によってこれまでより更に強い力を得て、戦場を駆け巡る充実感は、他に代えがたいものがあった。
しかし、自分たちが歯向かってなお温情をかけてくれたダンを裏切って、二君に仕えるような真似をするのも、流石に気が咎めたのだ。
『私に遠慮をしているなら、気にする必要はないぞ。自分の心に素直に生きればいい。私は魔性の森の全ての者が充実した生を送れることを願っている。そこにはお前も含まれるのだ、ガイウスよ』
「……! はは! このガイウス、ロムール駐在大使として、エーリカ姫の護衛を引き受けたく存じます!」
そう宣言するガイウスに、ゾディアックは頷くように軽く上下したあと、エーリカに向かって言った。
『そういうことですので、どうか使ってやって下さい。定期的に血を与えれば、少なくともこの者はあなたに協力するはずです。血をやらなければ、時折正気を失いますが……その際に飲める血はこちらから定期的に届けさせましょう』
「はい。それであの……あなた様は一体どういう存在なのですか? 実は、ゾディアックは偽名であるというようなことを、ガイウスから伺ったのですが……」
エーリカはそう尋ねる。
このゾディアックという謎めいた超常的存在の正体を、少しでも明らかにしたかったのだ。
しかし、本人からはまたはぐらかすような答えしか返ってこなかった。
『私は一にして十二の総体。魔性の森の全体意思です。私の個人名などに特に意味はありませんよ。ですが……これから先長らく関係を続けていくうちに、私の名を明かす時が来るかもしれません。その時まで、どうか長らくこの友情が続くよう願います』
「……ええ、私も本国に今回の戦いにおける亜人……いえ、異種族の方たちの功績を広め、対等な友好種族として認めるよう働きかけて参ります。今の私の言葉なら全て受け入れられるでしょう。あなた様のご協力には重ね重ね感謝を」
エーリカはそう言うと、傍で二人の会話を待っていた、ジャガラール率いる三千人の
「皆さんが今日この地に助けに来て頂いたこと、一人のロムール国民として決して忘れはしません。願わくばこの勝利が、私たち人間と森の方々との友好の架け橋になりますように」
「…………」
そう気品のある所作で礼をする少女を見て、言葉は分からずとも誠意は伝わったのか、魔性の森の者たちも無言で頷き返す。
そして顔を上げた時――雲間から光が差して、澄み渡る青空が顔を覗かせる。
エーリカはそれを見て、今年の雨期がようやく明けたことを理解した。
――――
次回からエピローグに入ります。
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