第62話 ティグリス川の戦い 兄の仇


 「亜人を傷付けてはなりませんよ! 彼らは味方です! 倒すべきは帝国兵のみ!」


 エーリカはそう指示を出しながら、次々と帝国兵を撃破していく。


 事態はすでに乱戦の様相を呈しており、敵味方入り混じっての判別が難しくなっていた。


 そんな中でエーリカは、ある一人の人物を探し続けていた。


 鎮東将軍"アーサー・ランベイル"。


 帝国側の指揮官であり、魔性の森討伐の壮行パーティの際に、他ならぬ王太子ジャンを殺害した張本人でもある。


 帝国側の将を労うために自国に迎え入れた際にも、ジャンは最大限の礼節を持って彼らを出迎えたはずであった。


 帝国側がロムールを挑発して、開戦の口実を見つけようとしているのは誰の目にも明らかだったからだ。小さな非礼を見つけて難癖を付けて、そこから開戦にこぎつけると言うのが帝国のよくやるやり口であった。


 しかしそのアーサーという下劣な男は、難癖を付ける隙がないと見るや、あろうことか同じパーティに列席していた兄の婚約者に対して、「自分の妾にならないか?」などと口説き始めたのだ。


 一国の王太子の婚約者に対して、考えられないほど無礼な行い。


 それでもその場は何とか怒りを抑えて、兄が割って入って二人を引き離すことでやり過ごした。


 しかしあの男は今度は、酒に酔ったふりをして、まだ成人すら済ませていないエーリカを無理やり寝室に連れ込もうとした。


 エーリカが押し倒されて、ドレスを破かれようとした瞬間――あの穏やかな兄が激怒して、剣を抜いてしまった。


 ――それが悲劇の始まりだった。


 アーサーは先程までの酒に酔ったふりはどこへやら、即座に鋭い剣筋で応戦する。


 兄もそれなりに剣の心得はあるものの、実際に戦場で磨き上げたそれに勝てるはずがなく、首を刺し貫かれてしまった。


 悲鳴が響き渡ると同時に、アーサーは血濡れの剣を掲げながらぬけぬけとこう言い放ったのだ。


 『王太子殿下が乱心めされた故に、我が身を守ったまで! ロムールは我が帝国に対して剣を抜いた! この始末は追って外交筋で通達する故、よく吟味されよ!』


 そして、唖然とする出席者の合間を縫って、アーサーは逃げ帰るような素早さで自領に戻ってしまった。


 (許せない……! あの男だけは……!)


 エーリカの心の中に復讐心の炎が燻る。


 兄は読書が好きで、エーリカとはよく本の話をしていた。


 平和なロムール人らしくのんびりと穏やかな性格だが、民衆の幸福のために努力を惜しまない青年だった。


 国民からの人気も高く、ジャンが治める国はきっと良い国になるだろうと皆が思っていた。


 その幸福な未来を、帝国によって手折られたのだ。


 (八つ裂きにしても飽き足らないわ、アーサー・ランベイル……どこなの!?)


 エーリカは目を皿のようにしながら、乱戦の中を目的の人物を探し続ける。

 

 そんな時、帝国兵を指先で軽く切り刻みながら、傍に侍るガイウスが尋ねた。


 『姫よ、どこかに探し人でもいるのかね?』


 既にその黒い魔獣の姿には大量の返り血がついており、毛皮の色がほんのり赤みがかっていた。

  

 「敵の指揮官を探しているのです。あの男だけは、絶対に逃がすわけには行きません! ですがこの乱戦では……」


 エーリカは敵味方入り混じってゴチャゴチャになった戦場を見て、もどかしそうに歯噛みする。


 『ほう? 敵の指揮官ならば、最も指揮が行き届いている場所にいるというのが定石ではないのかね? 指揮の統率が取れているとは即ち、指揮官の声が直接届いているということでもある。そこの近くにいると考えるのは当然の理であろう』


 ガイウスはそう助言しながら、襲い掛かってきた兵士を腕の一振りで簡単に引き裂いてしまう。


 その絶対的な守りのお陰で、エーリカは戦場でもゆっくり思考し、周囲の状況を俯瞰ふかんすることが出来た。


 (指揮の統率……つまり戦列が未だに崩れてない場所?)


 エーリカは必死に目を凝らして、敵兵の中にその条件に該当する場所を探し続ける。


 ――そして、戦場の端の一部だけ妙に連携が取れて、守りの固い部分があることに気付いた。


 (いた……!)


 エーリカはその整った戦列の中心に、確かにその姿を見つけ出すことが出来た。


 無精髭を生やして目をギラつかせた、下品で卑しい顔をした男。帝国はその実力さえあれば出自は問わず将校になれる国でもある。


 ともすれば元は山賊や海賊の類であっても、戦の実力さえあれば将軍になれるのだ。


 あのアーサー・ランベイルという男もその例に漏れず、元は街道に出現する野盗から成り上がった男であった。


 「――総員、十時の方向に突進! 敵将はあそこにいます! 戦列を乱さず、決して遅れぬよう着いてきなさい!」


 「!? おい、姫様からのお達しだ! 敵将は十時の方向! 陣形を保ったまましっかり着いてこい!」


 エーリカの言葉を、ハルパレオスが復唱して兵士たちに大声で伝える。


 兵士たちは未だに戦意は衰えていないのか、「姫様のために!」と声を揃えて一斉に戦列を組み直す。


 「――では、前進! 頼みましたよ、ガイウス!」


 『任されよう』


 「ヤアアアァァァァァーーッ!」


 再び雄叫びを上げて、ロムール軍は進軍を始める。


 その勢いは破竹と呼んでも相応しく、連戦の疲れなどまるで感じさせなかった。


 それらを横で見ていた魔性の森の軍勢も、戦場に何か変化があったことに気が付く。


 「……!? おい、なんか人間どもの兵士が急に動き出したぞ?」


 「あれは味方だ! ロムールの兵士たちだ」


 「ジャガラール様に報告してこい!」


 郷の若い戦士が、前線で敵兵を切り倒しながら指揮を出す、ジャガラールに急いで報告を上げる。


 ジャガラールはその報告を受けた瞬間、ピンと来るものがあり、すぐにその意図を察した。


 「……ちっ、人間どもに先を越されたか! 全員あっちの方角だ! ロムール軍どもが向かう先に敵の大将がいるぞ! 手柄を横取りされるなァ!」


 「おおおおおおッ!!」


 「我、大将首、モラウ! 最モ偉大ナ勇者、我ラ竜騎兵ッ!」


 その横を同じタイミングで察したゲル=ダ率いる、竜騎兵が駆け抜けていく。


 「トカゲどもが! くそっ、遅れるな! 俺たち獣人ライカンこそが最強の戦士であると証明しろ!」


 ロンゾは吠えながら、戦士たちを引き連れて指揮官の方へとなだれ込む。


 三方向から一斉に攻め込まれた帝国側の本隊は、押し込まれて半ば瓦解しつつあった。


 「お前らこの俺をしっかり守れぇ! 大将が死んだらこの戦ごと何もかもおしまいだぞ!? テメーらが肉壁になってもだ! 左翼陣を撤収させて正面の守りに当たらせろ! 化け物どもをこっちに通すなぁ!!」


 敵国の将、アーサー・ランベイルは、言動は下衆そのものでも指揮自体は的確に行う。


 そこは野盗から戦の才を見込まれ、将軍にまで据えられた人物の面目躍如といった所である。


 今回の戦も、魔性の森から急に訳の分からない新勢力が出てこなければ余裕で勝っていた内容だった。


 第一王子エドマンの信頼を受けたアーサーは、ロムール征服を手土産にさらなる躍進を果たし、ゆくゆくは英雄として貴族に列席される未来まで、あと一歩のところまで来ていたのだ。


 それが、こんな所で森の亜人などというつまらないケダモノ連中に邪魔をされて、全てご破算になってしまう。


 ――許せる訳がない。


 これまで出世のためにどんな汚いことでもやってきた。


 謀略、裏切り、暗殺――最近だとロムールの王太子を無理やり理由を付けて殺害したりもした。


 貧困層出身のアーサーが成り上がるには、そういった汚れ仕事に手を付けるしかなかったのだ。


 そのツケが今ここで回ってきたとでも言うのだろうか、アーサーは今、人生で最大の危機に直面していた。


 「……ふざけんなァ! テメーらはただの俺様の踏み台だろうが! 人畜ごときが、人間様に逆らってんじゃねえ!! 魔砲兵団を前に出せ! 正面の化け物どもに向かって砲撃ィ!!」


 そうアーサーが命令すると同時に、後方からローブを着込んだ一団が歩み出てくる。


 魔砲兵団――帝国の持つ虎の子であり、ただでさえ希少な魔術士を砲撃専門に二百人ほど編成した、高火力範囲攻撃を専門とする部隊であった。


 今回敵があっさりと逃走することを前提として、ロムール本城に対する攻撃を想定して借りてきたのだ。


 しかし本来の運用法では城壁などの建造物を破壊するための部隊であり、まさか平地で敵兵に対して直接打ち込むことになるとは予想もしていなかった。


 「この位置から我々の魔砲を打ち込むとなると、味方にも相応の犠牲が出ることになるが……」


 魔砲兵団の団長らしき男が、アーサーに確認を取るように尋ねる。


 「そんなことはどうだっていいから、さっさと焼き払え! これで奴らの勢いが落ちればそっちの方が有利になるに決まってる! その為なら雑兵の命の百や二百は惜しくねえ!」


 「…………!」


 アーサーはそう平然と言い切る。


 確かに、状況を考えればそう判断せざるを得ない局面ではあるのだろう。


 その判断自体は間違っていなかった。


 しかし、その言動を聞いた兵士たちは面白くあろうはずもない。


 いざとなればただの駒のように冷徹に切り捨てられるのが分かった以上、アーサーの為に命をかけて戦おうという者は誰もいなくなった。


 「分かった……ならば、魔砲兵団、構えッ!」


 その団長らしき男は、魔砲兵たちに号令を掛けて一斉に小杖ワンドを構えさせる。


 ――そして、ジャガラール率いる獣人ライカン族の部隊に対してその先端を向けた。


 『冥界よりいでかそけき者たちの王よ。汝のその赫炎かくえんを以て、我らが敵を討滅さん――』


 「何だ……!?」


 ジャガラールは、長い間戦場に身をおいていた勘から、ゾワリと背筋に嫌な気配を感じ取る。


 しかし撤退を命じるにも、既に敵の戦列の深くまで食い込んで激しい戦闘が発生おり、今更引くことも出来なかった。


 『――劫火葬アポテフロシス


 魔砲兵たちがそう声を揃えた瞬間――周囲に幾何学模様の魔法陣がいくつも構成され、その中心に直径五メートルほどの巨大な火球が現れた。


 高温のあまり周辺の空気が歪み、チリチリと燻りながら宙空を漂っている。



 「放て!」


 

 そして、団長の号令と同時に、その火球は火花を散らして前進を始める。


 時速四十キロほどのゆっくりとした速度だが、ひしめき合った戦場の中においては自由に動けず、範囲の広さも相まって躱し切るのは不可能であった。


 「退けっ! 退けーーっ!」


 ジャガラールが必死に号令をかけるも、もはや火球はどうにもならない所にまで迫っていた。


 しかしその時、


 『—―開け、幽冥の門アスリック・ポルタ


 その呪文が響くと同時に、火球の前にどこからともなく黒い霧がぶわりと広がって、何かを形作り始める。


 それは四角くどす黒い巨大な壁のような形に集まって、火球の前に立ちふさがる様に浮かびあがった。


 ――それは"門"であった。


 ダンテの地獄の門のように、門の表面には緻密で禍々しい装飾が施されて、見た目にもおどろおどろしい威圧感を与える。


 そして門は――中空を漂ったままゆっくりとその扉を開き、その奥に広がる深い闇の中に、周りの空気と一緒に巨大な火球を飲み込んでいく。


 「なんだと!? 我らの劫火葬アポテフロシスが!」


 「あれはまさか"アスラの門"!? 亜人ごときがあの伝説の術を使えるはずが……!」

 

 その信じがたい光景に魔砲兵団の者たちから、驚愕の声が上がる。


 『亜人ごとき、だと? 貴様は魔導に身を置きながら魔術的な格上に対する礼儀を知らんようだな。お前たち人間ごとき・・・が使う魔術など、我々吸血鬼ヴァンプからすればお遊びに過ぎん』


 そう答えたのは、先ほど指先から出した黒い霧で門を召喚したガイウスであった。


 元々息を吸うように魔術を使う吸血鬼ヴァンプという種族には、詠唱という概念自体がそもそもない。


 そして、人間よりも遥かに早く長く生きる故に古い呪文にも精通し、高度な術式を一瞬で組み上げることが出来たのだ。


 『私が前線に出ていなければ、貴様らは今頃消し炭だ。せいぜい感謝することだな』


 「……すまねえ、恩に着る、ガイウス殿」


 ふん、と鼻を鳴らしながら傲慢に告げるガイウスに、ジャガラールは素直に頭を下げる。


 苛立たし気に拳を握りしめるも、それはガイウスに対してではなく、敵の魔術攻撃が飛んできただけで、何も出来ずに戸惑っていた無力な自分に対してだった。


 「ぐっ……!」


 しかしガイウスもそれで力を使い果たしたのか、魔獣の姿が解けて元の人間に戻る。


 そしてその場に片膝をつきながら、エーリカに言った。


 「……姫よ、私はこの通りしばらくは動けぬ。かくなる上はしばしこの場に留まり、この身が回復するまで待つがよい。その間は獣人ライカン蜥蜴人リザードマンの軍勢が敵を押し込んでくれるだろう」


 「ガイウス……あなたはとても良くやってくれました。あの火球が地面に落ちれば私もただでは済まなかったでしょう。私の身を守るという役目、あなたは立派に果たしました。――ここから先は、私の戦いです」


 「……!? 待て! 早まるな! お前にもしものことがあれば、私は主に顔向けできん!」


 剣を抜いて覚悟を決めた横顔を見せるエーリカに、ガイウスは焦って引き留める。


 「ゾディアックには私から最上級の感謝をと伝えておいて下さい。彼と貴方の助力がなくば私はここまでたどり着けなかった。……ここからは、私たちの力だけで兄の仇を討つときです!」


 エーリカはそう言うと、再び剣を高く掲げて兵たちに呼び掛けた。


 「今ので敵の奥の手は枯れました! あれほどの大魔術を再び行使するには、相当な時間が必要なはずです! 今こそ、敵の喉笛を食い千切る絶好の機会!」


 「おおおおッ!!」


 エーリカの宣言と同時に、ロムール兵たちは壁役のガイウスを失ってなお、更に勢いを増す。


 その様はもはや狂信的ですらあり、口々にエーリカを戦女神に例えてその名を叫ぶ。


 「……俺らも遅れるなァ! 今の分も含めて、帝国どもにこれまでのつけ・・をしっかり払わせてやれ!」


 「うおおおおッ!!」


 ジャガラールも怒りで戦士たちを奮いたたせて、再び前進を開始する。


 「……ふざけんなクソったれ! あの野郎、敵ごと俺たちまで焼き殺そうとしてやがったぞ! あんな野郎のためにこれ以上戦えっか!」


 「勝っていい思いが出来るって聞いたから兵士になったんだ! 負け戦なんぞに付き合ってられねえ!」


 「こんな所で死にたくねえよぉ!」


 そう口々に不満を述べながら、帝国兵は次々と戦場を離脱して逃げ始める。


 その勢いはとまらず、最初は前線の下級兵だけだったのが、今はアーサーの周りを守る上等兵すらも逃げ始め、戦線は急激に瓦解し始める。


 「クソがぁ! てめぇら、敵前逃亡は死罪だぞ! さっさと戦列に戻りやがれぇ!」


 「逃げる者は決して追いません! 命が惜しければ、武器を捨てて直ちにこの場から立ち去りなさいっ!」


 エーリカの言葉が更に拍車をかけて、帝国側に大量の逃亡兵を生み出した。


 既に戦いの体は崩れ去り、逃げ惑う帝国兵たちをロムールが矢を射掛けて追い立てる狩りの様相を呈していた。


 「これは……戦線の維持はもう不可能だな。先にお暇させてもらおう。陛下には我々の方から報告しておく」


 そう言うや否や、魔砲兵団は二言三言、呪文のような言葉を唱えたあと、光とともにその場から消え去る。


 "転移魔法"であった。魔砲兵団は非常に貴重な兵士なだけに、万が一負けそうなときには、いつでも戦場から抜けられるよう、緊急脱出手段が用意されていた。


 "転移石"と呼ばれる一種の持ち運びのワープポータルは、古代遺跡からたまに発掘される一回きりの使い捨て道具であり、帝国の国力と言えどそう何度も使うことは出来ない。


 それでも使う価値があるほどには、魔砲兵団は重宝されていた。


 「おい、逃げるな! ……畜生、役立たずどもめ! こうなったらまた野盗からやり直すしか……ぐあっ!」


 逃亡兵のどさくさに紛れて自分も逃げようとしていた矢先、アーサーは何者かに馬から引きずり降ろされる。


 激しく地面に身を打ち付けたアーサーは、うめき声を上げたあと、ゆっくりと顔を上げる。


 そこには――まるで小虫を見るような冷たい目で見下ろすエーリカが、自分の喉元に馬上から剣を突き付けている所であった。

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