第60話 ティグリス川の戦い 心優しき巨人


 一方、ロムール側の南岸とは反対の北岸側では、魔性の森勢力の別動隊が動いていた。


 北岸側は鳥人ハーピィの爆撃で陣地が壊滅したのと、南岸側に主力がほとんど渡ってしまったこともあり、少数の兵力しか残されていなかった。


 そんな閑散とした戦場の中を、ドスドスと音を立てて巨大な人影が歩いていく。


 「うわぁ、やっぱ戦は怖いべえ……。兵隊さん、すんごい殺気立ってるし、オラァ、殺されねえか心配だべよ……」


 そう言って、戦場をおっかなびっくり横切っていくのは、有角タウロ族の長、アダムであった。


 有角タウロ族は全員が身長三メートル以上もある、牛のような角を生やした筋骨隆々の巨人であり、それらが列を成して戦場を歩いているだけで、帝国兵は怯えて近付く事すらままならなかった。


 しかし有角タウロ族自体は非常に温厚で争いを嫌う種族であり、戦場に来ること自体を避けていた。


 それでもここを訪れることになったのは、他ならぬダンからの指示があったからである。


 「首領様のご命令だから仕方ねえけんども……オラァ、あんまりここに長居したくはねえかなあ」


 「ム、大丈夫……アダム、守ル。神様、命令。オーク、絶対ヤリ遂ゲル」


 そう言って重装鎧をつけたままアダムと共に歩くのは、緑鬼オーク族の勇士ドルゴスであった。


 一人の有角タウロ族に付き二十体の緑鬼オーク族の重戦士が付き、その周囲を厳重に守っていた。


 「そりゃあドルゴスさんは頼もしいけんども、オラァ戦の臭い自体が好きでねぇんだ。なんか生臭えし、畑耕してる方がずっと性に合ってるべ」


 「ム、アダム……凄ク強イ、勿体ナイ」


 ドルゴスは本心から言う。


 有角タウロ族は魔性の森の中でも珍しく緑鬼オークに嫌悪感を持たない種族であり、二人は十二支族連合ゾディアック・ユニオン成立以前からの付き合いがあった。


 そんなドルゴスは、アダムの力をよく知っている。


 魔人種と呼ばれる魔性の森の住人の中でも、有角タウロ族は争いを嫌うことからそれほど戦った話は多くない。


 しかし一度怒らせると、素手で大木を引っこ抜き、張り手で地面を割るほどの桁外れの怪力を発揮する。


 その戦闘力は、あるいは魔性の森の種族の中でも最強と言っても良かった。


 「オラァ、そんな戦いの力よりうめえ野菜作る才能が欲しかっただよ。最近天気悪いから、作物の実付きも悪くてなぁ……あ、これだこれだ」


 「うわあああ! こっちに近付いて来たぞぉ!!」


 橋車を守っていた帝国兵たちは、アダムが近付いて来るのを見ただけで戦意を失い、その場から逃げ出す。


 「失礼な人たちだべなあ、オラの顔見て、おっとろしいバケモンみてえに逃げちまって……ん?」


 「お、おい、あんた! 有角タウロ族だろ!? 頼む! 助けてくれ!」


 そうアダムの足元で叫ぶのは、帝国側に捕らえられた者たちで、獣人ライカンの奴隷たちであった。


 橋車を運ぶ労役として連れてこられたのだろう。その姿はボロボロで、首には鎖が繋がれていた。


 「頼む、この鎖が車と繋がれて逃げられないんだ! その辺の兵士から鍵を……」


 「可哀想なごどすんなあ。大丈夫だ、すーぐに外してやっから」


 アダムはそうのんびりした口調で言うと、橋車と奴隷たちを繋ぐ太く頑丈な鎖に手を掛ける。


 ――そして次の瞬間、まるで小枝でもへし折るようにバキッ、と簡単に引き千切ってしまった。


 「て、手で……!?」


 「森の方に逃げれば首領様がなんとかしてくれるべ。捕まらんようにあっちに逃げなあ」


 「す、すまん! 恩に着る!」


 獣人の奴隷たちは、口々に礼を述べながら、森の方に向かって走っていく。


 それを手を振って見送っていると、突如として後方から土煙を上げて接近してくる一団が現れた。


 「おのれ化け物どもめ! 我らの橋に何か細工でもするつもりか!?」


 そう馬を駆って突進してくるのは、帝国側の重装騎兵の一軍であった。


 その数は五十と少数だが、陣形の一糸乱れぬ統率は相当に練度が高いことが見て取れた。


 「我ら蒼鉄騎士団の渾身の突進チャージを受けよ!」


 「うわわぁ! 怖え顔の騎士様が襲ってくるべ!」


 「――ム、大丈夫……! オーク、アダム、守ル……!」


 そう言うとドルゴスたち緑鬼オーク族は、高さ二メートルを超える、鉄板のように分厚いタワーシールドを地面に突き立てて密集する。


 そして、盾にその肉厚の体を寄せるようにしてその足を踏ん張った。


 その姿は、傍から見ればまるで壁のようですらあり、半端な突破力では到底突き崩すことは不可能であった。


 「おのれ小癪な……突き破れェーー!」


 「ヤアァァァァァーーッ!!」


 帝国側の精鋭である蒼鉄騎士団は、ドルゴスたちの陣形にも構わず突進してくる。


 ――そして、接触した瞬間、


 「ムンッ!!」


 「ぐおっ!?」


 ドキャッ! と激しくぶつかって鉄がひしゃげる音と同時に、激しく火花が散らされる。


 馬はいななきを上げながらその場に倒れ、緑鬼オーク族の作り上げた鉄壁の防御の前に折り重なる。


 その上に乗っていた騎士たちは、馬から振り落とされて、そのまま真上に吹き飛んで顔から地面に落下した。


 最も衝撃の強い中心に居たドルゴスは、鉄板の盾は真っ二つに折れてひしゃげるも、騎士団の突撃をその肉体で受け止めて、大地に足を踏みしめてしっかりと生き残っていた。


 「ム……! オーク、防御、破レナイ! 押シ合イ、誰ニモ負ケナイ!!」


 「ドルゴスさん流石だべ! ……そんならオラも、ちょっとは頑張んねえと、な!」


 アダムはそう言うと、「ふんぬ!」と掛け声を上げて、橋車の下に手をやる。


 太い丸太で組み上げられ、その長さが二十メートルを超える橋車は、ただそれだけですさまじい重量を誇る。


 しかしアダムは、どっしりと足を地べたに踏ん張って、橋車を持ち上げようと全身に力を籠める。


 その瞬間――


 「ぬおぉぉぉぉぉ……!」


 重さ十トンはあろうかという橋車を、アダムはなんと腕の力だけで徐々に持ち上げ始める。


 橋の上にはまだ帝国の兵士が乗っており、急に傾いてくる足場に、怯えて必死にしがみついていた。


 「なんだなんだ!?」


 「傾いてるぞ!?」


 「あいつだ! あの化け物をなんとかしろっ!」

 

 しかしアダムはそのまま、ぐっと膝に膝に力を入れて、力任せに橋車をひっくり返してしまった。


 「ふんぬらっ!」


 「うわあああああああッ!?」


 真っ逆さまに振り落とされて増水していた川に落ちた帝国兵は、悲鳴を上げながらそのまま濁流に飲み込まれていく。


 「……なーんつか、ちょっと可哀想だったがなあ?」


 「ム、問題ナイ! アダム、敵倒シタ!」


 少し罪悪感にかられるアダムに、ドルゴスは自信を持って頷く。


 他に対岸に繋がっている橋車も、アダム以外の有角タウロ族によって、ひっくり返されるか、破壊されてその機能をいっぺんに失う。


 有角タウロ族が橋車を壊し、帝国側の軍勢を川で分断することで、向こう岸とこちらの軍勢を各個撃破する狙いがあったのだ。


 捕らわれていた獣人たちも三百名以上に上り、全員解放されて無事魔性の森の中に逃げ込んだ。


 見事任務をやり遂げるも、有角タウロ族たちは勝者ではなく、まるで逃げ帰るようにコソコソと、巨体を縮めながら森の中に退散していった。




 —――――

本日は少し短めです。

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