第59話 幕間:吸血鬼の王と戦姫


 敵兵と味方が入り混じって争い合う自陣の中を、エーリカはろくな護衛も付けずに颯爽と駆け抜けていく。


 自陣は混迷の様相を極めるも、数の差からどうにか入り込んだ帝国兵を抑え込みつつあった。


 そして奥に進んだ先には、敵兵を切り伏せつつも、兵士たちに陣形を指示する老将の姿があった。


 「ハルパレオス様!」


 エーリカはその名を呼ぶ。


 「姫様!? なぜここに! 本土に帰ったはずでは!」


 「今はそれどころではありません! あれを見て下さい!」


 そうエーリカが指差した先には、森の亜人たちに横っ腹を突かれて、徐々にその戦列を崩しつつある帝国軍の姿があった。


 「今この時こそ、我が軍を再編制し、攻勢をかけるべきです! 森の亜人たちと連携して、二方向から攻め入れば帝国の戦列はたちまち瓦解し、奴らを潰走させることは確実です!」


 エーリカのその提案に、ハルパレオスは困惑した顔で答える。


 「しかし……森の亜人たちは本当に味方なのですか? 敵の敵ではあるのでしょうが、正体の分からぬ連中と連携など取ることが出来ません。後ろから切り付けられでもしたらひとたまりも有りませんからな」


 「いいえ、ハルパレオス様。あれは味方です。森の亜人たちは、我らと連携を取るよう事前に取り決めをした上で、ああして援軍としてやってきてくれたのです」


 エーリカはそう言うと、腰のレイピアを抜き放ち、兵たちに向かってそれを天高く掲げた。


 「皆、聞きなさい! あの亜人たちは我らの味方、援軍です! 彼らと連携を取り、一気呵成に攻め入れば傲慢な帝国を退けることが出来るはずです!」


 「…………!」


 その宣言に、ロムール兵たちはざわつく。


 ロムール人は幼少の頃から、森に住む亜人というのは、人間に対して敵対心を持っていて、人を食べる非常に危険な存在であると言い聞かされていた。


 帝国のように亜人を奴隷として扱う差別心はないが、代わりに触れてはならぬ隣人としての警戒感はあったのだ。


 そんな彼らと連携を取るなど、非常に危険なことなのではないかと感じられた。


 エーリカの命令にも関わらず、兵士たちが躊躇していた、その時――


 「—―あなたがロムールの王女、エーリカ姫でございますかな?」


 突如として、エーリカは誰も居なかったはずの背後から急に声を掛けられ、それと同時にすさまじいプレッシャーを感じ始める。


 その何者かの出現と同時に、そこに居た全員が死神に睨まれたように全身を強張らせ、ぞわりと背筋の毛を逆立てさせる。


 ただ、そこに立っているだけで強く"死"を意識させる存在。


 エーリカが振り向くとそこには――まるで夜の闇そのものを身に纏ったような、漆黒の姿をした不気味な男が立っていた。


 「姫様ッ!」


 ハルパレオスが剣を構え、慌ててエーリカを背後に庇う。


 「何、者ですかあなたは……!」


 エーリカはその後ろから、強烈な重圧に耐えつつ、どうにか言葉を紡ぐ。


 「お初お目にかかる。我が名は"ガイウス"。吸血鬼ヴァンプの種族を統べる者。……今は家督は弟に譲っているがね。我が主より、貴女の身を守るよう仰せつかった。我の気配は強大ゆえに、脆弱なる諸君らには少々威圧的かも知れぬが、敵意はない。どうか警戒せずにお話し頂きたい」


 「我が主……それはゾディアックの事ですか!?」


 エーリカは、思わずハルパレオスを押し退けてそう尋ねる。


 「ゾディアック……? ああ、なるほど。あの方はそう名乗っておられるのか。ならばそうだ。我らはその、ゾディアック様にお仕えしている」


 「どういうことですか……? ゾディアックは本当の名前ではないというの?」


 「姫様、危のうございます! それ以上お近付き召されますな!」


 ハルパレオスは、エーリカを必死に押し留め、目の前の極めて危険な雰囲気を放つ男を最大限警戒する。


 吸血鬼ヴァンプという種族は、以前聞いたことがあった。


 かつて西大陸ネウストリアで猛威を振るって大量の死者を出し、西方教会が『神敵』として認定したほどの人類の脅威である。


 それらを統べる程なので、相当危険で高位な存在なのは間違いなかった。


 そんな者が更に『主』と仰ぐ者が魔性の森にいる。その事実に、ハルパレオスは戦慄した。


 (一体あの場所に、どんな化け物が潜んでいるというのだ……?)


 そう警戒するハルパレオスを他所に、二人は会話を続ける。


 「あの方が名乗られていないのなら、それには何かしらの意図がある。よって私がその真名を勝手に口にすることは出来ん。……それよりも、私は主より貴女の身を最優先で守るよう仰せ付かっている。どうやら我が主は、あなたに死なれると都合が悪いようだ。どうかこの身が傍に侍ることを許されよ」


 「私は……これから戦いに赴く身です。あなたが自ら戦場に向かうこの身を守って下さるというのなら、それを断る理由もありません。どうぞご自由に」


 エーリカがそう言うと、ガイウスは若干渋い顔をする。


 「それは困る。私は貴女を守れとの命令は受けたが、共に戦えなどとは言われてはおらん。貴女をわざわざ死地に赴かせて危険に晒すよりも、この場に留まらせて守った方がよほどいい。貴女はここを動くことなく、大人しく私の保護を受けられよ」


 「ですがそれでは……勤めが果たせません! 私は王族として兵たちを導き、国家に勝利をもたらす義務があるのです!」


 「それは人間側の都合であって私には関係がない。そして貴女がたはこの私に抗せるほどの力はない。……なに、ご安心めされよ。貴女がたが何もせずとも、我が主がロムールに勝利をもたらすだろう。ここでゆっくりと観戦するがよかろう」


 そのガイウスを名乗る吸血鬼の言葉に、エーリカは悔しさから歯噛みする。


 それではダメなのだ。


 ロムールが兵を率いて帝国に勝利したという事実こそが必要なのだ。亜人たちが帝国に勝利し、そのおこぼれでロムールが護られたという形では、そこに明確な上下関係が発生してしまう。


 帝国の脅威が、今度は森の亜人たちの脅威にすげ代わるだけでは意味がない。


 ゾディアックは"対等な同盟者"であると言った。ならば自分たちも、対等である努力はすべきだろう。


 「……では、これではどうですか!?」


 エーリカはそう言うと、あろうことか刀を抜いて、自らの親指に深く傷をつける。


 「……!?」


 「姫様!? 一体何を……!」


 驚愕するハルパレオスを他所に、エーリカは傷付いた親指を突き出しながら言った。


 「あなたは、吸血鬼ヴァンプなのでしょう? 聞いたことがあります。人の生き血を啜り、特に若い乙女のものを好む怪物だとか。……私はまだ十五歳、このロムール王家の高貴な血を引く姫であり、そしてまだ処女でもあります! あなたにとって、これ以上のご馳走はないのではないかしら?」


 「…………!」


 エーリカの突然の暴挙にガイウスは言葉を失うも、その視線はしっかりと、血が滴る指先に釘付けとなっていた。


 「ロムール王家の姫としてあなたに命じます! この血と引き換えに契約し、戦場で私と共に敵を滅ぼしなさい、吸血鬼バケモノ!」


 「く、くく……」


 その宣言に、ガイウスは喉を引き攣らせて笑う。


 「……はははは! たかが人間の分際で、この吸血鬼の君主ロードと対等な取引をしようとはな! 面白い、良いだろう小娘! 貴様のその口車に乗ってやる。早く、その血を寄越せ!」


 「ならば、私に従うのね!?」


 エーリカの言葉に、ガイウスはふん、と鼻を鳴らしながら首を振る。


 「それはまだ分からん。お前の血が私にとって対価に足り得るほど相応しいものであるなら、望み通り力を貸してやる。汚い不味い血を飲ませたりしたら、私は二度とお前の言葉などに耳を傾けん」


 「いいわ……なら、飲みなさい!」


 エーリカは親指を突き出して血を滴らせる。


 ガイウスはその雫を一滴口で受け取ったあと、ゴクリと喉を鳴らして飲み込む。


 そして、じっ、と味わうように目を瞑ったあと、突如としてかっ、と見開いた。


 「これは……なんと清らかな……ぐ、おおお!」


 そう言うや否や、ガイウスは暴走した時と同じ、べきべきと体を変形させて爪の長い人狼の姿を取る。


 「…………!?」


 「ば、化け物め!」


 その突然の変貌に、周りの兵たちは怯えた声を上げる。


 しかし、ガイウスはダンと戦った時のように正気は失っておらず、怪物の姿のまま知能を有していた。


 『はははは! 素晴らしいぞ! 力が湧いてくる! なんという香しく芳醇な血だ! たった一滴でこれほどとはなッ!』


 その変貌したガイウスの更に強まる圧力に、気の弱い兵士は震え上がり、思わず剣を取り落とす。


 歴戦のハルパレオスですらも言葉を失い、ガイウスの前に体を強張らせた。


 「で、では……私と契約するということでよいですね!?」


 そんな中でエーリカだけは、その姿に怯えながらも、恐怖心をおくびにも出さずに堂々とそう尋ねる。


 ガイウスは、じっとその少女の顔を眺めたあと、エーリカの前にニィ、と巨大な犬歯を剥き出しながら笑った。


 『……よかろう! この吸血鬼ヴァンプの君主たる、ガイウスがお前に力を貸してやる。露払いは任せておけ。脆弱なる貴様らは我が後ろに続くがいい!』


 そう言うや否や、ガイウスは身の毛もよだつような凄まじい咆哮を上げる。


 エーリカはそれを聞くや否や馬に乗り上げ、全員の顔を見回して言った。


 「――聞きましたか!? 総員、あの者を先頭に戦列を組みなさい! 時は満ちました。今こそ種族の垣根を超えて団結し、邪悪な帝国を打ち滅ぼす時!」


 そうエーリカが馬上で高く剣を掲げた瞬間、まるで図ったかのように雨が降り止み、雲間から薄っすらと日の光が差し込み始める。


 その掲げた剣先にちょうど光が当たり、反射して青白い輝きを放ち始めた。


 まるで騎士物語の一枚絵のような荘厳な光景に、兵たちはエーリカを神の使いか何かと誤認する。


 「おお……! ひ、姫様があのような、恐ろしい化け物すら味方につけたぞ!」


 「姫騎士……いや、我らが戦姫エーリカ!」


 「ロムール王国万歳!」


 黒い魔獣を従えて、輝く剣を掲げるエーリカは、兵士たちにとって絶対的な勝利の象徴として映った。


 「――総員、あの魔獣を先頭に鋒矢ほうしの陣を組め! 麗しき戦乙女に勝利をもたらすのだ!」


 「「応ッ!」」


 ハルパレオスがそう号令を掛けると同時に、兵士たちは馬に騎乗し、高い練度で素早く陣形を組み上げる。


 自分たちこそが戦姫エーリカの物語の登場人物であると言わんばかりに、兵士たちの顔は使命感に満ち、戦意は最高潮に達していた。


 全ての陣形が組み上がったのを確認したあと、エーリカはしばし瞑目し、高らかに号令しながら剣を振り下ろした。


 「いざ、突撃――――!」


 『グルアアアアァァァァーーッ!!』


 「おおおおおおおおおーーッ!!」


 ガイウスの咆哮と同時に、ロムール軍も声を併せて突進チャージを開始する。


 兵士たちはエーリカに熱狂し、口々に戦乙女を称える声を上げながら、一糸乱れぬ陣形で帝国の戦列に突っ込んでいく。


 エーリカはその熱狂の真っ只中にありながら、冷静に兵を統率して帝国の戦列を正面から引き裂いた。



 * * *



 「う〜む、いつの時代も、若き才能が芽吹く瞬間というのは良いものですなぁ。あのガイウス殿に対等な交渉を持ち掛けるとは……あの人間の姫様も大した肝っ玉です」


 ダンの船内でモニターを監視しながら、ロクジが感心したような声を上げる。


 今、魔性の森勢力の非戦闘員に当たる者たちは、船内のモニターで戦況を監視していた。


 「そうだな。カイラ殿の急成長にも驚いたが……この星の子供たちは実に成長が早い。やはり平和から程遠い世界だからこそなのだろう」


 「私などこの方に比べたら……。あのガイウス様にあそこまで強気に出られるなんて、私では到底考えられません。人間とは凄いものですね」


 同じモニターを見ながら、カイラが感心したように言う。


 「人間にも取るに足らない小者もいれば、英雄と呼ぶに相応しい傑物もいます。あの姫様は間違いなく後者のようですがね。当たりを付けておいて正解でした。彼女なら、今後とも良い交渉相手となり得るでしょう」


 ダンはエーリカを高く評価する。


 「しかし……良いのですか? ガイウス殿は我らの中で、首領様の次に個としての戦闘力が高い人物です。あの様子だと、このままロムールに仕えるなどと言い出しかねません」


 同じく観戦していたエランケルが、憮然とした表情で言う。


 曲がりなりにも参謀を拝命している以上は、戦力の流出は見逃せない事態だった。


 「仮にそうなっても構わんさ。元々私は忠誠を強制するつもりはない。それに……私の"群"としての強さを求める方針では、ガイウスの圧倒的な"個"の強さを活かせない。奴は語学も堪能で、それなりに礼儀作法も心得ている。ロムールの駐在大使に任命しておけば、恩も売れるしあちらとの橋渡し役になるだろう」


 「なるほど……そういうお考えでしたか」


 その言葉に、エランケルは納得したように引き下がる。


 「"戦姫エーリカ"か。彼女の名声が英雄として大々的に広まって行けば、図らずも帝国にくさびを打ち込むことが出来るかも知れんな」


 ダンはモニターの中でガイウスを従え、次々と敵を打ち破るエーリカを見ながら、新たな英雄の誕生を思い描いた。

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