第49話 ある姫君の苦悩


  「――陛下! これは一体どう言うことですか!?」


 殺伐とした空気のロムール城の中に、少女の甲高い声が響く。


 その出所は王の執務室からであり、声の主は他ならぬ、ロムール王国第一王女、″エーリカ・フィン・ロムール″その人であった。

 

 エーリカは、執務机の上に広げられた羊皮紙をバンバンと叩きながら訴える。


 「この文書はなんなんですか!? 私と帝国の第一皇子が婚約!? お兄様を殺しておいて、舌の根も乾かぬうちになんと恥知らずなことを!」


 「……先日、帝国の特使が持ってきたのだ。この婚約話を受け入れるなら、ロムールに攻め込むのは取り止め、以後の国家の存続も許すと言う条件でな」


 「王太子をしいしたその当人が、その国の王女と婚約して後継者に成り代わるなどと、乗っ取りそのものではないですか! ロムールの名だけ残したところで、実態は帝国の傀儡です! ……この話、お受けするつもりではありませんよね?」


 エーリカはまさかとは思いつつも、不安に駆られそう尋ねる。


 この父は人としては善良であり、太平時には民に慕われる良き王なのだが、平和に慣れすぎてか、戦に対し過剰な恐怖を抱いている節があった。


 王太子を殺害された今ですらも、おろおろしたまま戦の決断を先送りにし、軍の指揮は姫であるエーリカが摂っているような有り様であった。


 「実は……迷っておるのだ。このまま帝国と衝突して、民やお前たちの命を危険に晒すより、不自由でも帝国の支配を受け入れた方が良いのかも知れん」


 「なっ、なんと弱気なことを……! 支配を受け入れたところで、帝国が民を幸せにするような統治をするとお思いですか!? あの国の植民地となった国々の悲惨な末路をご存知でしょう? 民は飢えて奴隷にされ、豊かな田畑は奪われ、路上に倒れる者で国は溢れかえるでしょう! 陛下はロムールをこの世の地獄にすることをお望みですか!?」


 「そうではない。そうではないが……」


 ロムール王は、娘の言葉に頭を抱えながら懊悩する。


 実際、戦うにしてもどこまでやれるかと言う問題であった。


 ロムールは大戦以来ここ百年間、対外戦争を経験していない。


 兵も訓練はしているが実戦経験がある者は少数である。それに引き換え帝国は、冷酷で無慈悲な百戦錬磨の兵力が自国の数倍以上の数で揃っている。


 負けたとしても講和で譲歩を引き出せる程度の戦果があげられればいいが、手も足も出ずに負けた場合、それこそただ降伏するよりも悲惨な目に会うことは確実であった。


 もしそうなれば、この楽園のような美しき国ロムールは、歴史から消滅してしまう。それを考えると、王として軽々に開戦を踏み切れなかった。


 「王太子を殺害されて、それでもなお手を取り合おうだなんて考えるのは、それはもはや国ではありません! 体のいい家畜小屋です!」


 エーリカはそう言うと、机にある手紙を開封する用のペーパーナイフを手にもって、喉に押し当てる。


 「もし陛下がその話を受けられると言うのなら……このエーリカ、この場で喉を掻き斬ります。私は、お兄様を殺した奴らに情けを乞うてまで長生きしたいとは思いません」


 「ま、待て! わ、分かった、ならばこの話は断ろう。だが……そうなるともはや開戦は避けられんぞ」


 「私に一軍をお与えください。必ずや思い上がった犬どもの鼻っ柱をへし折ってご覧に入れます。何人たりともこの美しいロムールの大地を穢させません!」


 エーリカは断固とした口調で宣言する。


 それでも迷っていたロムール王であったが、エーリカの意思が強く籠った青い瞳を見るや、がっくりと項垂れた。


 「分かった……。余の方からハルパレオス将軍に通達しておこう。兵五千を率い、帝国と対峙せよ。……だが、少しでも危ないと思ったらすぐに退却するのだぞ」


 「失礼致します」


 その言葉には答えず、エーリカは恭しく礼をしてから王の前を辞す。


 その歩みはたおやかな姫君のものではなく、まるで歴戦の将軍を思わせる力強いものであった。


 そして執務室から離れていく最中、廊下の先に見える正面から、一人の男が歩いてくるのが見えた。


 その男は禿げ上がった頭にでっぷりと肥え、その緑鬼オークのような醜い顔にニタニタと卑しい笑みを浮かべながら、エーリカに近付いて頭を下げる。


 「これはこれは姫殿下……。今日もまことにお麗しい。この″グラッスス″、雨季の陰鬱な天候の折りにも、心が晴れ渡るようでございます」


 「あなたからの世辞は不快なだけです。陛下に何の用ですか?」


 エーリカは冷淡な声で突き放す。


 このグラッススという男は、代々続くロムールの譜代の臣でありながら、帝国と通じていると噂される人物である。


 今まで何度も汚職などの黒い疑惑でやり玉に上げられてきた人物でもあるが、証拠を隠す手管に長けているのか、その都度追求を免れて今日まで外務卿という重職を拝してきた。


 しかしエーリカは、愚鈍で品性下劣なくせに家柄だけでのしあがってきた男と、グラッススのことを心底嫌悪していた。


 「これはこれは……ご挨拶でございますな。本日は陛下にもちろん、平和的なお願いにあがりにきたのでございますよ。帝国と戦うでなく、互いに手を取り合う道もあるのではないか、とね」


 「あなたの言う平和とは、ロムールが帝国に臣従することを指すのでしょう? 先ほど陛下から、帝国の皇子との婚約の話を聞かされましたが、あれもあなたの差し金なのは分かっています」


 エーリカはかま・・をかけて見透かしたように言う。


 実際、外務卿ともなれば帝国側の使節とも良く顔を会わせる立場である。


 外交的な要求に対して、グラッススに事前に知らされて一枚噛んでいた可能性は十分にあった。


 「おお! まさかそのような話があがってこようとは……。ですが、良い話ではないですかな? 帝国の第一皇子エドマン様と言えば、次期皇帝の最有力候補であり、知勇ともに優れていることで評判のお方。婿としてこれ以上の人物はおられますまい」


 「知勇ともに優れた? 小鬼ゴブリンのように残虐の間違いではなくて? 彼の皇子は敵兵のみならず、罪のない女子供まで容赦なく虐殺すると聞いています。特に焼き討ちを好み、燃え盛る人々を見ながら酒を呑むのが趣味だそうですね。ついたあだ名が″火炙りエドマン″……なんと穢らわしい。同じ人間とすら思いたくありません」


 エーリカはそう吐き捨てる。


 「ふーむ、軍事的な戦果というものは、必ずそれを良く思わない者に過剰に悪し様に言い触らされることもありますからなあ。それに、仮にエドマン様がそうであったとしても、味方となればそれは頼もしさの裏返し。それが婚姻という手段によって手に入るのなら、民にとっても良いことと言えるのではないですかな?」


 グラッススはニタニタと笑いながら反論する。


 外務卿を務めるだけはあって、口だけは良く回るというのも、エーリカがこの男に嫌悪を抱く要因の一つであった。


 「帝国が支配した国に対しての統治を見てなお、そんなことが言えるのですか? かの国の統治は苛烈を極めます。そのような下衆がロムールの後継者などになれば、面白半分に民が火炙りにされるでしょう。……それに、既にこの話を断ると陛下は決断されています。あとは私が軍を率いて、侵略者どもを退けるのみ」


 「なんと愚かな! 帝国と戦端を開くおつもりですか? 姫殿下は、このロムールが火の海になることをお望みのようだ」


 グラッススはここにきて、少し焦った様子で声を上げる。


 「こうしてはいられません! 一刻も早く陛下にお考え直し頂けるよう説得せねば。では失礼!」


 そう言って、肥えた腹をユサユサと揺すりながらグラッススはその場を立ち去った。


 「……売国奴め!」


 エーリカはちっ、と吐き捨てるように言ったあと、グラッススとは反対方向に歩いて自室へと戻る。


 「姫様……」


 「ただいま、マリー。大丈夫よ、なんとかなったから……」


 自室では、仲の良い侍女が不安そうな顔で彼女の帰りを待っており、エーリカは疲れを気取られないよう努めて明るい声で言った。


 「でも、少し一人で考えたいことがあるの。悪いけど少しの間外に出ててくれないかしら? また用があったら呼ぶから」


 「……分かりました。どうかゆっくりお休みくださいませ」


 そう言って、マリーと呼ばれた侍女は部屋をあとにする。


 長い付き合いの彼女からすれば、エーリカが今無理をして明るく振る舞っていることなどお見通しであった。


 しかしそれでなお、マリーはエーリカにこれ以上負担をかけてはならないと察して、何も聞かずに部屋を後にする。


 その気遣いが、今のエーリカにはありがたかった。


 「もう嫌……」


 誰にも聞かせたくない弱音を吐きながら、エーリカはベッドの上にぼふん、と身を預ける。


 そして、枕の中に顔を埋めながら、じたばたと足を動かした。


 「なんなのよ、あの汚いイボガエル男! 腹立つ腹立つ腹立つっ! なんで尻尾を出さないの!? あいつが帝国と通じている証拠さえあれば、明日にでも槍を突き立てて磔にしてやるのに!」


 エーリカは年頃の少女らしい可愛げのある動きをしながらも、物騒なことを口にする。


 「お父様もお父様よ! あんな話呑んだら、ロムールは戦わずして奴隷になるのも同じじゃない! 帝国はそんな甘い国じゃないわ! 自ら屈従を呑んだところで、支配の手を緩めることなんてあるわけないのに!」


 ぼふ、ぼふ、と枕を叩きながら、エーリカは積もりに積もった怒りをぶつける。


 これはエーリカが時折行うストレス発散の儀式のようなものであった。


 王族という立場上、他人に容易く愚痴ることも出来ない彼女は、こうして一人のときにベッドに八つ当たりして内に溜め込むのを抑制していたのだ。


 ひとしきり暴れたあと、エーリカはぜえぜえと肩で息をしながらぼふりと枕のなかに顔を埋める。


 「……もし、負けたらどうなるんだろう」


 ふと沸いた疑問に、漠然とした不安が襲いかかる。


 あの国にとっては敗戦国の姫など道具と変わらない。


 統治に利用される裏でひとしきり穢されたあと、下級兵士の慰み者にまでされて、ボロ雑巾のように捨てられるかも知れない。


 帝国からすれば、ロムールの土地さえ手に入れば、エーリカは不要なのだ。


 そして自分だけならまだしも、愛すべき民たちはそれより遥かに過酷な末路をたどることなるだろう。


 もしかして帝国と戦う決断をした自分は、とてつもない過ちを犯してしまったのではないか?


 突如襲いかかるその猛烈な恐怖から、エーリカは震える手で自身の体を抱き締める。


 大人びてはいるが、彼女はまだ十五歳になったばかりだった。


 他所の平和な国の王族なら、まだ蝶よ花よと愛でられて、素敵な殿方との出会いや恋物語を夢見る年頃である。


 国の未来と国民の命を背負うには、まだその肩はあまりにも細く、小さすぎた。


 「助けて……」


 エーリカは誰ともなくそう口にする。


 誰も助けてくれないのは分かっている。だが、見えない誰かにすがりたくなるほど今のエーリカは追い詰められていた。


 ――しかしその時、


 『我らで良ければ、力をお貸ししましょう』


 「……!?」


 突如どこからともなく聞こえてくる謎の声に、エーリカは驚きながらも、すぐに側に置いてある短剣を掴み、ベッドの上で警戒する。


 「……誰!? どこにいるの、姿を表しなさい!」


 するとその声に答えるように、突如部屋の中心にプカプカと浮かぶ、皿のような謎の円盤がエーリカの前に姿を表した。


 


 『――お目にかかれて光栄です、エーリカ・フィン・ロムール姫。私の名は″ゾディアック″。魔性の森の意思を代弁する者です』




 円盤はそう名乗ったあと、まるでエーリカに挨拶でもするかのように、その場でくるりと横に回った。



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