第48話 帝国の異端児
アウストラシア帝国首都『リンドバーグ』。
大陸北方の小リンド王国が帝国の出発点ではあるが、統治の面を考えてか、首都は大陸中心部付近に居を構えていた。
元はこの地は、"レナクシア皇国"という大国の首都があったが、帝国によって攻め滅ぼされたあとは、都市の名をリンドバーグへと改称して、今は帝国の首都となっていた。
そんな、かつての優美さを残しつつも、今は帝国式の建築に変わった宮殿の中に、ある一人の若者の姿があった。
後ろからは長身の黒髪の侍従を引き連れ、ズンズンと大股で廊下を歩いていく。
その髪は燃えるように赤く、筆で書いたような太い眉とまっすぐな光を湛えた鈍色の瞳が、その者の意思の強さを表しているかのようだった。
"ランドルフ第三皇子"。
映えある帝国の皇族であるが、彼はこの宮殿内では冷や飯を食わされている立場であった。
戦争を旨として巨大化した帝国の皇子でありながら、彼は大多数の主戦派とは反対の立場を取っていたからだ。
しかしそれは、単に戦争反対などと喚き散らかすだけの子供じみた感情論からではない。
国内統治とこれからの自国の将来を憂いてのことであった。
「まったく父上は……一体いつまで戦争ばかりを続けるつもりだ。確かに奴隷の恩恵と植民地からの税収は莫大だが、それにばかり頼った国家運営ではいつか必ず破綻する。帝国は真なる大国へと生まれ変わらなければならんというのに……」
ランドルフは苛立たし気にそう呟く。
「殿下がそう皇帝陛下に言上なされたところで……臆病風に吹かれたとしか思われんでしょうなあ。何故なら我ら、天下の"ヘタレ皇子とその腰巾着"でごさいますから」
侍従とは思えない態度のその男は、おどけたように肩をすくめながら主人に向かって言った。
「フリック! 貴様は口さがないのが玉に瑕だな。その悪癖さえなければ、わざわざ帝国の出涸らし皇子のお付きなどにならず、兄者たちの元で美味い汁を吸えただろうに」
ランドルフはふん、と鼻息を荒くする。
「エドマン殿下やマリウス殿下の元は、層が厚過ぎてガチガチで息苦しいですからねえ。ほどほどにサボれて自由に仕事が出来る、殿下の元が私には一番合ってるようです」
「そんなことを主人に向かって堂々と言い放つ性根はどうかとは思うが……少なくとも我は貴様の仕事ぶりは買っておる。味方が少ない分、時が来れば貴様には十全に働いてもらうつもりだ。それまではせいぜい自由を満喫するといい」
「おお怖い。殿下はここぞというときには人遣いが荒いですからね。どうかお手柔らかに……」
そう軽口を叩きあいながら、二人はある部屋を目指す。
屈強な近衛兵が厳重に監視する、この宮殿の中において、最も重要な人物の座す場所。
「殿下! どうかおやめ下さい! 陛下はただいま謁見中にございます。何卒順番までお待ちいただけますよう……」
「ええい! そんなもの待っていられるか! どうせ順番待ちしたところで父上は我とは理由をつけて会わぬわ! 帝国の未来のため、直接言上しに参ったまでよ!」
そう必死に制止する近衛兵を振り切って、二人は玉座の間へと強引に足を踏み入れたのだ。
「陛下……いや、父上!」
「……なんだ騒々しい」
盛大に大声を上げて玉座の間を突っ切ってくるランドルフに、その最奥に座す者は、うんざりしたような声を上げる。
――皇帝、ラスカリス二世。
未だ即位して二年ほどで日は浅いものの、齢50を超えて立派な髭を蓄えたその見た目は、既に皇帝としての貫禄を十分に兼ね備えていた。
「父上が話を聞いて下さるなら、我はカラカラ山に住まう邪竜の眠りを覚ますほどに騒いでみせましょう! 今日という今日こそは我の話を聞いて頂きますぞ!」
「馬鹿者め……いかに相手が臣下とは言え無礼であろう。今余はサロモン大主教と話をしておったのだぞ」
そう呆れたような口調で指摘され、ランドルフはようやく自分の隣で膝を付いている、壮年の男に目をやる。
「おお、貴公はマーシア伯ではないか! 久しいな! 我の洗礼の儀の時以来か?」
「……は、殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
そうマーシア伯と呼ばれた聖職者風の男――サロモンは、ランドルフに深々と頭を下げる。
この国の教会勢力というのは、ただ単に帝国の侵攻に宗教的正当性を与えるための補完勢力でしかなかった。
表向きは帝国と教会は対等、という体を取ってはいるが、教会の総本山が帝国の首都にあり、トップの大主教が帝国の領地を治めるいち貴族に過ぎないことから、そこには明確に上下関係が存在していた。
「積もる話もあるが、今日は陛下に火急の用事があるのだ! すまぬが順番を譲ってくれぬか?」
「は、そ、それは、私は構いませぬが……」
サロモンは、困惑して助けを求めるように皇帝の方をチラチラと伺う。
「愚か者め! それはお前ごときが決めて良いことではないわ! 衛兵! 何をしている、早くこの狼藉者をつまみ出せ!」
「父上! 聞きましたぞ、また兵を出したとか。今度はロムールですか? 一体どれほど版図を広げれば気が済むのです! このままでは、領土の端まで統治が行き渡らなくなってしまいますぞ!」
「お前と問答をするつもりはない。連れて行け!」
「殿下、お許しを」
皇帝からの命が下されると同時に、近衛兵がランドルフの両側をガッチリ固め、引きずるように連れて行く。
「……父上! 我の言葉にどうか耳をお傾け下さい! 水泡のごとき急激に膨れ上がった国は、また弾けるときも一瞬にございます! 我が国は国内外に敵が多すぎる。今は常勝無敗故に問題は起きていませんが、一度でもどこかに敗北を喫すれば、必ずや大きな綻びが現れ国を危うくします! ここは一度足を止めて、国内を固めるべき時です!」
近衛兵に引き摺られながらも、ランドルフは必死に訴えかける。
「笑止。既に我が国の経済は戦を前提にして回っておる。戦争による金の循環と、植民地からの奴隷と税収がなくばこの国は成り立たん。……それに、負けて綻びが出るなら負けねばよい話よ。敵が立ち塞がるなら叩き潰せば良い。奪い、増やし、広げ、支配する。我らリンドの民はそうしてここまでのし上がってきたのだ。お前にも卑しくもその血が流れているのなら、戦う前から負ける心配などせぬことだな」
「永久に勝ち続ける軍隊など存在しません! もしどこかでつまづきでもしたら、そのつけはきっと莫大なものとなりますぞ! 父上ーー!」
そう声を荒げるも、無情にも玉座の間の扉はバタン、と閉ざされる。
「ええい、離せ! くそっ……」
ランドルフは近衛兵たちの腕を振り払ったあと、苛立たしげに居住まいを正す。
既に目の前の扉は固く閉ざされ、兵士たちにガッチリと固められている。
不意を突こうとも突破するのは不可能であった。
「……くそっ、分からず屋め。今こんな国内にまとまりを欠いた状態で、対外戦争を仕掛けるなど、どれだけ危ういことか分からんわけでもあるまいに……」
「殿下もよくやりますなあ。皇帝陛下を相手にあれだけはっきり物申すなど、怒りを買って廃嫡されてもおかしくありませんぞ」
憤懣やるかたない様子でその場から立ち去るランドルフに、ちゃっかり侍従の男が付き従う。
「……お前、今まで気配を消しておっただろう! 玉座の間では、我の言葉をさり気なく援護するのが侍従の役目であろうが!」
「勘弁して下さい。殿下なら陛下に物申しても、最悪廃嫡で済むかもしれませんが、私などが皇帝陛下のご不興を買えば、その場で首と胴が離れてもおかしくありませんぞ。殿下に何かあれば流石に割って入るつもりではありましたが、それ以上のことはご勘弁願いたいですな」
そう言って肩を竦めるフリックに、ランドルフははあ、とため息交じりに応える。
「あの人にそんなことをする勇気はない。陛下は、自分の後世の評価を非常に気にしておられる。諌めごとを言った皇子や部下をその度に手打ちにしてたら、下手をすれば後世では暴君と言われかねないからな」
「それはそうかも知れませんがね。恐ろしいことには変わりありませんよ。……ところで、これからどうなさるおつもりですか? 陛下はもう以後はまともにお話を聞いてくれないと思いますよ」
フリックは、やれやれといった感じでそう尋ねる。
「ひとまず……国内にいる中立や潜在的な反戦派の貴族たちに会って味方につけるか。我が国では主戦派貴族が圧倒的だが、そのほぼ全員が上二人の兄者を支持しておる。ならば我はその二人とは別路線で攻めるべきだ」
「上お二方の殿下に比べれば、それはまあ小さな勢力になるでしょうなあ」
「仕方あるまい。元々、三男坊である我が継承戦を勝ち抜くには、そう言った小さな手勢から巻き返しを図るしかないのだ。……だが、我はそれほど分の悪い賭けとは思っておらぬぞ」
「……と、言いますと?」
フリックはそう聞き返す。
「帝国は今勝ちすぎておる。仕掛ける戦全てに勝ち、帝国臣民や貴族たちは戦争を仕掛ければ、無条件で他国の土地や奴隷が手に入る甘美なものと思い込んでいる。……しかし、もしそんな状態で我が国がたとえ局地戦であっても負けたりしたらどうなると思う?」
「んー……まあ、兵や資金を供出した貴族はあてが外れたと怒るでしょうねえ。開戦を主導した皇族の方々が槍玉に上がることもあるかも知れません」
眠たい目をしながら、気だるそうにフリックは言う。
「そうだ。戦争するのだって莫大な資金がかかる。その見返りが何もなしどころか、領地を失うような事態になれば、国の屋台骨を揺るがすような事態になりかねん。……それに、我が国は強引な植民地政策によって、国内外に大量の不穏分子を抱えている。もし帝国が負けるような事態になれば、そいつらが一斉に暴れ出しかねん」
「ふーむ、言っていることは分かりますが……それでも我が国の兵士は強いですよ? そうそう負けることはないのでは」
「そう、強い。確かに我が国の兵士は強いが……無敵ではない。有史以来、全ての対外戦争に勝利している国など存在しない。である以上は……」
「――ほう、ランドルフじゃないか。こんなところで何を話している」
そう会話に割り込んで、雄々しい声が浴びせられる。
二人が振り向くとそこには――
「また剣術の稽古から逃げる算段か? 相変わらずお前は、そういうところばかりに知恵が回るからな」
背後に大勢の従者を引き連れて、ニヤニヤとバカにしたように二人を見下ろす金髪の偉丈夫の姿があった。
「……これはエド兄様。何、大したことではありません。二人で今度はどこの色街に繰り出そうか相談しておった所です」
「はっはっは! お前はいいな! 誰にも期待されておらんが故に、自由に遊び呆けても何も言われんのだからな。俺が同じことをすれば、たちどころにこいつらがやってきて、すぐに執務室に閉じ込められてしまうのだ」
そう言って、短く借り揃えた金髪をなびかせながら、エドマンは高笑いをする。
そしてそれに追従するように、エドマンに付き従う従者たちも、クスクスとバカにしたように笑う。
「……それは、兄上は次期皇帝故に仕方ないことでしょう。我のような出涸らし皇子とは格が違います」
「はっはっは! そうは言うが最近は書類ばかりで体が鈍ってきていてな。どうだ、久々にこの兄が弟に剣の稽古でもつけてやろうか? 思えば幼少からお前にはあまり構ってやれなかったからな。たまには兄弟としての時間を過ごすのもよかろう!」
「いえいえ! それには及びませぬ。我などのためにご公務でお忙しい兄上のお手を煩わせるなど……。そのようなことをなさらずとも、十分に兄上の度量の大きさ、情け深さはこの愚弟に伝わっております故」
ランドルフは、引きつった笑顔を浮かべながら固辞する。
こんな継承権で争い合うようなデリケートな間柄で剣の稽古など、事故に見せかけて殺されてもおかしくない。
エドマンは一見すれば、さっぱりした好漢のように見える男だった。
しかし実際には、侵攻した国で女子供だろうと平気で虐殺する、実に帝国の皇子らしい冷酷な一面を併せ持つ。
そんな男が今更兄弟の時間を過ごしたいなどと言ったところで、何か裏があると考えるのが普通である。
(狙いが透けて見えるわ、化け物め)
ランドルフは心の中でそう毒づく。
「くっく……思えばお前はいつもそうだったなあ。嫌なことや、面倒なことからは悪知恵を働かせてコロコロと上手く逃げ回る。もしや皇位までも、そのよく回る口であわよくば掠め取ろうだなんて考えてはおらんだろうなァ?」
「……お戯れを。我のような小物が、畏れ多くも皇帝を僭称するなど、帝国の品位が落ちまする。皇帝は他ならぬ、兄上のような生まれながらに王者の威厳を兼ね備えた方にこそ相応しいでしょう」
もはや殺気すら漂わせるエドマンの威圧を、ランドルフはしれっと受け流しながら答える。
「……ちっ、興が削がれたわ。行くぞ」
「はっ!」
エドマンは舌打ちしながら言うと、侍従を連れてランドルフの横を通り過ぎようとする。
その去り際――
「どちらにせよ俺は、此度の"東征"で玉座を揺るぎなきものとする。貴様の出る幕はない。小人の長生きの秘訣は、自分の分を弁えることと心得よ」
「……ええ、無論分かっておりますよ、兄上」
そう言い残して、エドマンたちはその場から立ち去った。
その背中が見えなくなるまで見送ったあと、ランドルフはちっと舌を鳴らした。
「まったく……兄者の脳みそには中身の代わりに筋肉でも詰まっているのではないか? 戦争戦争と……それ以外能のない人間が次期皇帝とは、我が国の未来を憂えざるを得んわ!」
そう吐き捨てるように言う。
「しかし……実際問題これはまずいのでは。エドマン殿下が皇太子になられたら、私らの立場はますます危うくなりますよ?」
「危ういどころか殺されるわ! あの兄者が、お家騒動の種になるような存在をそのまま生かしておくわけがない。特に我は、国内貴族の強固な後ろ盾が有るわけでもない。……こうなったら、敵国であるロムールが兄者を撃退してくれることを祈るしかないぞ」
「……そう言えば、今回の東征について、少しおかしな噂を聞きましたな」
ランドルフの言葉を受けて、フリックはそう答える。
「ふむ、どんな話だ?」
「何やら、先遣隊として魔性の森に出した兵二百名ほどが、消息を絶っているようです。報告ではただの帰還連絡の不備であって、交戦があったわけではないとのことですが……実際には分かりませんな。もしかしたら、前線がバタついてることを知られたくない故に何かしら隠蔽している可能性もあります」
「ほう! 興味深いが、たった二百ほどでは誤差の範囲だろう。いや……兵士たちの命を軽んじてる訳では無いが、戦況をひっくり返すほどの数とも思えんな」
「はい。なので、一応心に留め置く程度でよろしいかと。もしかしたらエドマン殿下の急所となり得る情報やも知れませんし」
フリックの言葉に、ランドルフはうむ、と頷く。
「覚えておこう。……しかし、実際問題どうする? このまま兄者が東征を上手くまとめてしまえば、立太子されるのは確実。そうなると我は他国に亡命するしか道がなくなるぞ」
「それならそれでよろしいではないですか。
「ほう! それはいいのう。まあ、もしそうなったら、我も帝国の皇子という立場を利用して、亡命先でたっぷり贅沢を楽しんでやるわ!」
ランドルフは、自分の立場の危うさなど気にもしていないかのように、かっか、と闊達に笑う。
「その時は、ぜひとも私めもお供させて頂きたく。仕事から解放され、美味い酒と美しい女性に囲まれた日々など最高ではありませんか」
「わっはっは! お主は相変わらずじゃのう」
主従二人は呑気にバカ話をしながら、宮殿を闊歩する。
後にこの二人が、帝国の実権を掌握することになるなど、今の時点では誰も予想すらしていなかった。
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