第124話 ニンフルサグの試練
自然にできたシンクホールの周りには、蔦や植物の根がいくつも張り巡らされており、やろうと思えば人間でもそこを伝って降りることも可能だっただろう。
しかし、底が見えないほどに深い大穴に挑むのはやはり常人には不可能であり、ダンのような帰還の手段を持ち合わせたものにしか入ろうとすら思わないはずだった。
「いくぞ」
互いに顔を向けて頷きあったあと、ダンは大穴に向かってダイブする。
およそ数百メートルにも及ぶ穴の中にパラシュートも無しに降下するのは、一見すれば自殺のようにしか見えない。
しかし、ジェットパックで落下制動をかけられるダンたちには、どれほどの高さであろうと大した問題ではなかった。
「きゃああああっ!」
ちなみにイーラは、ノアの背中に負ぶわれながら、悲鳴を上げながら落下してきていた。
そして、およそ二十秒ほど自由落下した先――
「!?」
真下に地面が見えたのを確認して、ダンとノアは同時にジェットを噴出して制動を掛ける。
そのままゆっくり地面に降り立つと、イーラはよろよろと歩きだしてそのままその場にへたり込む。
「こ、腰が抜けました……」
「無理もないが……そんなことではこの先連れていけないぞ。あんなただの落下など、比べ物にならないくらい恐ろしい目に会う。立てないようなら上まで送り届けてもいいが……」
「い、いえ……行きます! 足手まといにはなりたくありません!」
イーラはそう強く断言したあと、プルプル震える足に喝を入れて立ち上がる。
ダンはそれにうむ、と頷いたあと、改めて穴の底の中心に目を向ける。
そこにはこれまで通り――腰ほどの高さの砂の台座と、そこから突き出ている鉄柱がある一定の配列で並んでいた。
イーラもどうにか足の感覚を取り戻したあと、一同は揃って台座の方に近づいて行った。
そしてこれまで通り、鉄柱の並びからその星座を推測した。
「これは……南斗六星? いや、射手座か。アルナスル、カウス・アウストラリス、ヌンキ、間違いないな」
ダンはそう特定したあと、鉄柱同士を砂上に描いた線で繋ぎ始める。
「しかし射手座か……あまり先入観を持つべきではないが、印象として飛び道具が来そうだな」
「射手座は、シュメールにおける戦争と狩猟の神、"パピルサグ"がモデルになっています。これまでのパターンから、星座のモデルに準じた兵器が出てくる可能性は高いと推測されます」
「そうか。ということは、あながちただの思い込みというわけでも無さそうだな」
ダンはそう言うやいなや、星座の線を書き終える。
そして次の瞬間――ガコン、という音と同時に鉄柱が沈み、それと同時に、壁の一部がガラリと崩れさる。
その奥には薄暗い、足元が青白い光で照らされた廊下がずっと続いている。
そしてその奥に、開けた広い空間が見えた。
『行こう』
ダンがヘルメットを展開しつつ、そう言って歩き出すと、他二人もそれに続く。
空間の中心にはこれまで通り、小さな石碑がポツンと佇んでいる。
それに近づく前に、ダンはイーラに向かって言った。
「繰り返すようだが、お前は私たちと違って、どんな攻撃でも一発でも受けたら終わりだ。姿を消して後方支援に徹し、絶対に敵の正面に立つな。確信を持てる時以外は攻撃もしなくて構わない。いいな?」
「わ、分かりました」
その答えに頷いたあと、ダンはノアに視線を向ける。
そして、ノアは石碑に近付いて、その表面に薄緑色に光る文字で浮き上がった、シュメール語の文言を読み上げた。
――――――――――――――――
彼の者の名はニンフルサグ
最も深き愛を知る者。
最も深き瞑想を知る者。
神々の貴婦人。
静寂の女王。
あなたがその創造を求むるなら。
あなたがその叡智を求めるなら。
ニンフルサグの前にその光を示せ。
―――――――――――――――――
「シィィィィィ…………ッ!」
――次の瞬間、歯の間から息を吹き出すような音と共に、ギリギリと矢を引くような音が鳴り響く。
『…………!? 跳べッ!』
ダンがそう叫んで、全員一斉に飛び退ると同時に、先程まで三人が立っていた場所に、ビィィィン、と三メートルほどの長い金属の矢が突き立った。
『上か!?』
すかさず天井に銃口を向けた瞬間――ドロリと周囲の風景に溶け込むように消えていく、五メートルほどの大きな人型の何かが見えた。
「
「!?」
ダンがそれを追撃しようとするも、その前にノアに指示を受け、慌てて転がるようにその場から逃げる。
すると次の瞬間――
バン!
と弾けるような音と共に先程突き立った矢が爆発し、周囲に破片をまき散らす。
『ぐっ!』
すぐさま起き上がって同じ場所に銃を向けるも、敵の姿はそこには既にいない。
周りを見ても、先程矢を放った人影などどこにもいない。
完全に静寂が支配する中で、ダンの舌打ちが響いた。
『……さながら闇に潜むスナイパーか。光学迷彩の上に、爆発物まで搭載とは、なんとも慈悲深いことだな』
ダンはそう皮肉を漏らす。
「本機のレーダー上にもなんの反応も映りません。電磁波などを透過する特殊な合金を使用しているようです。ソナーで追跡しますか?」
『いや……ソナーは地上戦では捕捉に時間がかかりすぎて役には立たんだろう。ここは相手の"音"を拾って攻撃しよう』
「音、ですか?」
ノアはそう聞き返す。
『ああ。どんなに精巧な兵器でも、機械である以上かならず何かの駆動音や、関節の擦れる音なんかが聞こえてくるはずだ。それでなくとも相手は弓だ。攻撃の時に、弦を引く音なんかも聞こえてくる可能性がある』
ダンはそう説明したあと、部屋全体に呼び掛けるように言う。
『イーラ、お前も決して音を立てるな! じっと息を殺して相手の音を聞き、私たちがいる場所以外のところから音がしたら、そこに向かって攻撃して、私たちに位置を知らせろ! これに返事もしなくていい』
「…………!」
その言葉に、イーラが闇の向こう側で微かに頷いたような気配が伝わってきた。
イーラは光学迷彩で姿を消してはいるが、ダンたちからは一応生体反応センサーで位置を捕捉している。
同士討ちの危険はない以上、彼女も重要な"耳"の一つだった。
そして静寂に包まれた薄暗いドーム状の室内の中で、これまでとは違う、最も静かな試練が始まった。
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