第3話 邂逅


 生い茂る密林の中を、素早く動き回りながら駆け抜ける、二つの人影があった。


 その人影は何かから逃げ惑うように密林の合間をジグザグに動きながら、ある場所に向かって突き進んでいた。


 「ハァ……ハァ……なんなのよ、もう! ホントしつこい! いつになったら諦めてくれるのよッ!」


 「シャットがあんなところ通ろうなんて言うから……! 私は少し時間がかかっても遠回りがいいって言った」


 人影の正体は、二人の少女であった。


 しかし、その姿は普通の人のものとは違って、身体に猫科の獣の特徴を兼ね備えていた。


 獣の長く立った耳に、黒い尻尾。手足は、森を歩くために進化したのか、黒い艷やかな毛に覆われ、長く鋭い爪が伸びていた。


 運動能力に優れ、不安定な地面を掴んで人間の走る全速力よりも遥かに速く駆けながら、口喧嘩をする程度の余力は残していた。


 「し、仕方ないでしょ! 今は一刻を争うの。少しでも遅れて、お母さんが手遅れになっちゃったらどうするのよ!」


 「私たちが捕まって死んだら……それこそお母さんも終わり。あれは、お父さんがまだ生きてた頃に、"竜虫"って呼んでた魔物。速い上に小回りも効いて、しかも飛んでくる。見かけたら絶対に近づくなって散々言われてたのに……」


 「うっ……」


 二人は姉妹なのだろう。よく顔が似ているが、少し背の小さい妹らしき少女に詰められて、シャット呼ばれた方は、ばつが悪そうに目をそらす。


 ――そして、その二人の背後からは、ヴヴヴ、と空気を震わせるような音を立てて、羽の生えた生き物の群れが迫ってきていた。


 顔の半分を覆うような大きな複眼に、平べったく長い羽。その見た目は、地球の生き物として当てはめるなら、"トンボ"と似た見た目をしていた。


 しかし、問題はその大きさである。


 そのトンボは一体が1メートルを超えるような巨大な姿をしており、それらが五体、まるでの戦闘機の隊列のように列を組みながら、少女たち目掛けて襲い掛かっていた。



 元来、トンボとは肉食であり獰猛な空のハンターである。



 人間とはサイズ感が違いすぎて脅威とはなり得ないが、同等の大きさの昆虫にとってはトンボは悪夢と言っていい脅威である。


 人間が最も恐れている昆虫のスズメバチでさえ、トンボ目の最大種であるオニヤンマに捕まって捕食されるのだ。


 それが人間とほぼ同サイズになって、機動力を活かして群れで襲ってくるとなると、それはさながら戦闘用ドローンのようですらあった。


 「わ、悪かったわよ……。確かに、考えなしだったのは認めるわ。だったらこの場は、私が引き付けて囮になるから、あんたはさっさと目的の薬草だけ摘んで郷の方に帰りなさい!」


 そうシャットは提案する。


 「バカシャット……そんなこと出来るわけない。私たちのどちらか片方でも欠けたら、お母さんがどれだけ悲しむか分かってるの? 私たち、二人で生き残らなきゃ意味がない。それにあんただけじゃ、あいつらを振り切るのは無理。ドジ踏むに決まってる」


 「う、うう……じゃ、じゃあ、どうすればいいってのよ!」


 グサグサと辛辣な言葉を突きつけられて、シャットはそう声を荒げる。


 「分からない……だけど、あいつらは小回りは効くけど、羽があるから狭い場所は苦手。どこか建物の中にでも逃げ込めば……」


 そう提案するや否や、二人の視界の正面に、奇妙な建造物らしきものが現れる。


 それは銀色の流線型の形を取り、表面はまるで鏡面のように滑らかで、二人にはとても人の手で作ったものとは思えなかった。


 しかし、どこかに激しくぶつけて破損したのか、ところどころ外装が剥がれて剥き出しになっている部分や、火によって焼け焦げている部分なども見えた。


 「なに、あれ……!?」


 「分からない……でも、もうあれに賭けるしかない! そろそろ走るのも限界、それに何か、出入り口っぽいとこもある」


 そう言って指差した先には、ちょうど2メートルほどの長方形の縦穴が地面に接して開いており、そこからは内扉のようなものが見えていた。


 「もうこうなったらなるようになれだわっ! あそこに行けばいいのね!?」


 シャットはそう言って、その縦穴に飛び込んで、出入り口を探す。


 「……どうやって開けるの? これ」


 「代わって!」


 立ち往生するシャットに代わり、妹のほうが扉に向かう。


 そうこうしている間にも、後ろから羽音が迫り、焦りを助長する。


 「これは多分……ここの棒を引っ張って……!」


 「危ないッ! リラに触るな、このっ!」


 とうとう追い付かれたのか、自身の妹――リラに飛び付こうとした巨大トンボを、シャットは即座に叩き落とす。


 しかし、それで殺し切るには至らないのか、トンボはヴヴヴ、と羽を鳴らして旋回しながら、カチカチと顎を鳴らす。


 そして、次の瞬間――


 「!? 開いた!」


 相手が再び襲い掛かろうとした寸前で、リラが扉の開け方を探り当てて、中へと転がり込む。


 「早く、シャット!!」


 「…………!」


 そして、シャットもそれに続いて中へと逃げ込んだ。


 今まさに、ほんの数十センチほどの距離まで肉薄していた巨大トンボは、バシンと勢いよく閉まる扉に挟まれ、ギロチンのように頭部だけをポロリと中に落とす。


 しばらく地面に転がったまま、その複眼に獲物の姿を映し、カチカチと獰猛に顎を打ち鳴らすも、やがて静かにその動きを止めた。


 「ま、間に合った……!」


 そう言って、二人はずるりとその場にへたり込む。


 九死に一生を得た。この奇妙な建造物が安全かどうかはまだ分からないが、少なくともその場でトンボに食われて死ぬことだけは免れたのだ。


 しかし、不思議な建物である。


 ここは熱帯の密林であるにも関わらず、中はほんのりと涼しく、なおかつ驚くほど明るい。


 天井から灯される白い明かりに照らされた室内は、ドワーフの職工の手でも作れないような、滑らかで継ぎ目のない、真っ白な調度品が並んでいた。


 しかし、その時――


 『侵入者を検知しました! 当該対象者は、速やかに当船から退去してください。なお、本勧告に従わない場合は、九十秒後に護衛用ドローンによる強制排除を開始します!』


 「な、何?」


 突如として、ビー、ビー、と鳴り響くアラート音と共にそう船内放送が流れる。


 だが、宇宙公用語など知る由もない原住民の二人にとっては、いきなり大きな音が鳴って、訳の分からない言葉で叫ばれているようにしか理解出来なかった。


 「や、やだ……きゃっ」


 怯えたリラが後ずさると、後ろ足に引っ掛かるようなものがあり、思わずその場に尻もちをついてしまう。


 慌てて見やるとそこには――奇妙な服を着た、人間族の大柄の男が床にうつ伏せで転がっていた。


 「ひっ……」


 死んでいるのだろう。ピクリとも動かず、息をしている様子もない。


 致命傷らしき、腹から背中にかけて貫通して突き出た棒からも、それは明らかだった。


 「この人間が、この建物の所有者だったの……?」


 「リラ」


 「ひっ!」


 突如後ろから声をかけられ、リラはまたしても小さく悲鳴を上げる。


 「な、何、脅かさないでよ……。今、ちょっと考えを纏めてる所だから……えっ、シャット!?」


 振り向くや否や、リラは衝撃的な光景を目にする。


 なんとそこには、皮一枚を残して、ほぼ千切れかけの右の二の腕を抑えながら、真っ青な顔で苦笑を浮かべるシャットの姿があったからだ。


 「あはは……ごめん、私もうダメかも。奴らに噛まれちゃった」


 「な、なんでもっと早く言わないの!? 早く、血を止めなきゃ……死んじゃうでしょ!」


 リラは、どくどくと傷口から流れる血を手で必死に抑えながらそう叫ぶ。


 文明や医療が未開の地において、大量出血を伴う怪我は即座に死に繋がる。


 ましてや、シャットのそれは心臓に近い位置の二の腕で、腕が千切れかけるほどの大怪我である。


 手で抑えた程度ではどうにかなるようなものではなかった。


 「リラ……この傷じゃもう無理だよ。お父さんだって、帝国の兵士に足切られて、それが原因で死んじゃったでしょ?」


 「うるさい! 喋るなバカシャットッ!!」


 シャットの言葉が正しいと理解しつつも、受け入れられぬまま、リラは声を荒らげて傷口を抑えつける。


 「バカなお姉ちゃんでごめんね。でも……リラは賢いから、私がいなくても大丈夫。お母さんのこと、お願いね……」


 「やだ……やだっ、お姉ちゃん! 一人にしないでよぉっ!」


 先程まで冷たくあしらっていたのとは別人のように、リラはシャットに縋り付いて泣き叫ぶ。


 シャットはというと、既にもう意識がないのか、額に油汗を浮かべながら、微かな呼吸を繰り返すだけになっていた。


 船内のアラートは、そんなことも無関係にけたたましく鳴り続け、あとほんの数十秒で、少女たちに向かって無情の鉄槌が振り下ろされようとしていた。


 ――そして、その場のもう一人の人物の指が、ピクリと動いた。

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