第2話 遥かなる意思
――我らはこの宇宙のすべてを知りたかった。
世界の法則にも囚われず、無限の距離を持つこの暗黒の海を、光すら越える速さで自由に航海したかった。
自らの手で星を作り、思いのままの世界をも創造したかった。
始まりの炎の向こう側に行き、宇宙すら作り出した力の秘密を知りたかった。
だが所詮、我々とて限りある矮小な存在。
自分たちの力だけでたどり着ける境地には、この宇宙はあまりに広すぎる。
だから我らアヌの七人の子たちは、ありとあらゆる星に、自らの"種"を撒くことにした。
生命が存在しうる土地に、自らの血を分けた分身を根差し、知恵を与えたゆまぬ文明への歩みを進ませる。
やがて種であった彼らが芽をだし、大樹となって我々と同じ高みにまで辿り着いたとき、パンテオンは無二なる友を得るだろう。
種の子らに知恵を与えるのも、今の我々の知る全てを与えることはない。
最小の知恵から、自分たちで知識を発展させ、自力で我々の領域にたどり着ける者しか、我々の対等な友足り得ない。
与えられるだけの知識をただ享受するだけのものは、決して高みには辿り着けぬ。
この声を聞いているあなたは、我々の高みにまで近付いてきているのだろう。
どうかそのまま進んできてほしい。
その先で我々はあなたを待つ。
アヌの無限の知恵はあなたとともにある。
* * *
「ぐっ……う、あ……」
ビー、と激しくブザーが鳴り響く。
けたたましい船内アラートの音と共に、ダンはようやく目を覚ました。
先ほどまで見ていた夢は何だったのか。
遥か宇宙の彼方から、見知らぬ誰かに語り掛けられるような感覚。
朧げな思考の中で、しかし確かに見た先ほどの不思議な光景を何とか思い出そうとする。
しかし、その時――
『緊急事態発生! 緊急事態発生! 自己診断機能起動開始――』
「なんだ、何が起こったんだ、一体……!」
ノアのその無感情なアナウンスを聞きながらも、未だに状況を理解出来ずに船の床を這いずり回る。
全身が痛い。その上何か、異常に体が重い。
『――現在船内機能の70パーセントが損失。機体下部、動力部損傷、電気系統より火災発生。緊急消火開始、自家発電設備に切り替えます』
船内は先程まで真っ暗だったのが、自家発電に切り替えたことで、船内の明かりが薄っすらと戻る。
――そして、そこでようやく自分の置かれた状況を理解する。
「ま、まずい……!」
ふと見ると、自身の腹には、軍服を突き破って5センチほどの太さの鉄パイプが深々と突き刺さっており、そこからダラダラと銀色の液体が流れ出ていた。
そして、ダンの視界の片隅には、『血中ナノマシン濃度40パーセント以上低下』というエラーメッセージが表示されていた。
ダンのような強化人間の体には、ナチュラルの人間のように赤い血が流れているわけではない。
ナノマシンを大量に含んだ人工血液、通称"シルバーブラッド"が流れており、その名の通り金属製のナノマシンが含まれていることで、銀色になってしまうのだ。
このシルバーブラッドは、ダンの体にある機械の人工臓器を動かす動力となっており、これが大量に失われると、それらの機能を一切停止してしまう。
今のダンは、まさに機械的な死の危機に瀕していた。
(ゆ、輸血……いや、まずは止血を……!)
ダンは、混乱しながらもその電子頭脳で冷静な答えを導き出す。
そして、脳内で『痛覚遮断機能』を検索する。
すると、返ってきたのはエラー信号とともに、『破損』の二文字だけであった。
「くっ……よりにもよって。だが、やるしかない」
そう深呼吸して覚悟を決めたあと、ダンは自らの腹部に刺さっている鉄パイプに手をやる。
そして、次の瞬間――あろうことかそれを抜く方向ではなく、更に突き刺す方向へ無理やり押し込んだのだ。
「ぐ、ううううッ!!」
太い鉄パイプを腹から背中まで貫通させるなど、常人ならショック死するほどの激痛である。
しかしそこは強化人間、痛みなどで死ぬことはない。
そして、背中まで貫通したことで、血液の流れ出る出口が塞がれ、ダンは一応の止血に成功していた。
「くそっ……もう二度とこんなことはごめんだ。早く、人工血液を……」
そう体を引きずるように動かしながら、ダンは船内の医務室に向かう。
そこで、ガラス棚に入っている銀色の液体の入った輸血パックを取り出したあと、あろうことかそれを直接口の中に流し込んだ。
「うぐっ……ぐえっ……」
ナチュラルの常識では考えられない輸血法ではあるが、強化人間はひとまず体内にシルバーブラッドを接種しておけば、あとは勝手に体に吸収されるので、このような方法での輸血は可能であった。
ただ一つ、とてつもなく不味いということを除けば、最短の輸血法と言えた。
「……軍部は、シルバーブラッドの味にもっとこだわるべきだな。緊急事に不味過ぎて飲むのをためらうなんてことになったら話にならないぞ」
そう愚痴をこぼしながら、輸血パックを投げ捨て、ダンは自身の状態を確認する。
視界の隅には、『体内の人工器官の約50パーセントを損傷。機能回復のため、十分後に身体の強制シャットダウンを開始……。48時間後に再起動を開始します』というメッセージが次々と浮かび上がってくる。
体内の損傷が著しい場合、ダンのような強化人間は、電子頭脳からの指令により意識の強制遮断措置が行われる。
体内のナノマシンを損傷部に集約させて、機能を修復することだけに体内のリソースを集中させるためである。
しかし、余りにも損傷が酷くナノマシンの修復すら追いつかない場合は、そのまま永遠に目覚めないこともある。
未だ余談を許さない状況には変わりなかった。
(くそっ……一体何が起きた? 今飲んだシルバーブラッドの分で、修復が間に合ってくれたらいいが……)
そんなことを考えながら、ダンは壁に捕まりながら、よろよろとコックピットを目指す。
意識が残っているうちに、まずここがどこかを確認しなければならない。
ワープ事故か何かに巻き込まれたのだろうということは察せられたが、万が一それで高重力の恒星の近くなどに飛ばされてしまっていた場合、即座に軌道を修正しなければ間に合わなくなってしまう。
「ノア、現在地の座標と、船外カメラの映像をこちらに転送してくれ」
『了解しました』
ノアは最低限の機能は回復できたのか、ダンの命令に答える。
コックピットのモニターにそれが表示された瞬間、ダンは驚きのあまり絶句する。
「なんだこれは……」
モニターに表示された船外の映像には、見たことのない景色が映し出されていた。
そこにあったのは、宇宙空間でも恒星でもブラックホールでもなく、密林だった。
それも、地球の景色とは似ても似つかない、赤やピンクなどの奇妙な色をした植物が生い茂っている。
上空には数メートルはありそうな巨大な怪鳥が、ギエーッ、としわがれた絶叫を上げて飛び回っていた。
座標も見たことがない出鱈目な位置を指し示しており、ダンはその異常事態に頭を抱える。
「ノア……これは、恐竜映画か何かの映像か? 今は船内レクリエーションを楽しんでいる余裕は無いんだが」
『否定します。これは間違いなく、船外カメラの映像であり、現在地の座標は不明です。なお、船外の大気中の酸素濃度は30パーセント超となっており、これは地球史におけるペルム紀、2億5000万年前の環境と酷似しています』
「そんなバカな……。いや、いい。私自身の目で確認する」
ダンはそう言ったあと、外部に繋がるハッチへと体を引きずりながら進んでいく。
ハッチは着地の衝撃で歪んでしまっており、通常の動作では開かなくなってしまっていた。
やむなくダンは、緊急開放用のレバーを引いて外殻だけを飛ばしたあと、内部ハッチを手で慎重に押し開く。
その瞬間――むわりと湿った空気が船内に流れ込み、むせ返るほど青臭さが充満した。
地球におけるアマゾンを思わせるような、豊かな植生から産み出される濃密な植物の臭い。
そして、ダンの目の前には――先程モニターで見たのと遜色ない、原始の世界が広がっていた。
「信じられない……なら私は、ワープ事故に巻き込まれて、過去の地球によく似た、全く別の謎の星に飛ばされてきたということか?」
『はい。また、天体の位置情報から割り出した現在の座標では、地球位置より最低でも20万光年は離れていることが確定しており、帰還の可能性はほぼゼロと思われます』
「……」
ノアに絶望的な事実を突き付けられ、ダンはその場に膝から崩れ落ちる。
ワープ事故に巻き込まれて、とてつもない距離に飛ばされた上に船は半壊、おまけに自身も重傷というかなり絶望的な状況に陥っていることを自覚した。
そして、その余りの衝撃に自身のタイムリミットが迫っていることをすっかり失念していた。
(しまった……! もう、十分経ったのか!)
急激に体から力が抜けていくのを感じながら、ダンは焦りを覚える。
ここはどんな敵性生物がいるかも分からない、未開の惑星である。
もしこんなハッチを全開にしたまま、丸二日もシャットダウンすると、中にどんな猛獣が入ってきて攻撃を加えてくるか分からない。
ダンは、最後の力を振り絞って、どうにか手を伸ばして内部ハッチを閉めることに成功する。
外殻を飛ばしてしまったので、外からでも簡単に入れる状態ではあるが、少なくともレバーを引いて扉を開ける必要があるので、知能の低い獣などには開けることは出来ない。
ひとまずこれで大丈夫か、と安心した途端、ダンの意識は急激に闇の中に落ちていった。
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