第82話 道端外交


 (やっちまった……)


 ジャスパーの頭の中は後悔の念で一杯であった。


 先日のあの姫様との交渉の末、上手く財宝を高く売り付けたまでは良かった。


 その分自分もしっかり分け前をもらって、ホクホク顔で帰還を果たそうか、なんて考えていた矢先であった。


 相手の姫様に勝ち逃げは許さんとばかりにガッチリ肩を掴まれて、そこから延々と粘られてしまったのだ。


 権力者であるエーリカの手を振り払って逃げる訳にもいかず、結局ジャスパーは余計な物まで買って帰る羽目になってしまった。


 それでも商人である以上は損はしてはならぬと思い、交渉して相場よりは安くは手に入れることが出来た。


 小麦は大袋一つで大体金貨一枚。砂糖はざっくり小麦の五倍の値段なので、綿花分の代金は丸々浮いたと考えてよかった。


 しかし全く要望されていない品物なのは変わりないので、あれだけダンに啖呵を切った手前、ジャスパーはどの面を下げて帰っていいか分からなくなっていた。


 「ダセエってもんじゃねーぞこれ……」


 「あら、ジャスパー様。随分と落ち込んでいらっしゃるご様子ですわね? あなたはとても良い買い物をされたのですから、胸を張って帰ればよろしいのではなくて?」


 「原因となった人がどの面下げて言ってんですかねえ……。ってかあんた、なんでこんなところまで付いてきてんです? 一応国の要人でしょうに」


 ジャスパーは馬車の窓から話しかけてくる相手に、ゲンナリとした顔で対応する。もはや相手が王族であることなどお構いなしに、いつもの調子で話していた。


 エーリカは、ジャスパーたちの迎えにゾディアックが来ると聞きつけ、わざわざ衛兵隊を引き連れて魔性の森周辺まで遠出してきたのである。


 すぐ隣とはいえ馬車で一時間程はかかる距離を訪れたのは、もしかしたらゾディアックの正体が掴めるかもと期待してのことであった。


 「あら、私だってゾディアック様にご挨拶差し上げたいわ。あなたたちを迎えに来られるのでしょう?」


 「来ると言っても本人が来られるかどうかなど分からん。あの方はお忙しいのだ。全く……こんな日の高い内に連れ回されて我はいい迷惑だ」


 エーリカの対面に座りながら、ガイウスは差し込む日差しにうんざりしたようにため息をつく。


 何だかんだと文句を言いながらも付き合いがいいガイウスは、今やエーリカの気まぐれに振り回されるのが日課となっていた。


 「貴方だってたまには私のお散歩に付き合ってくれても良いでしょう? いつも夜ばかりじゃ気が滅入ってしまうもの」


 「どこの世界に昼に散歩する吸血鬼ヴァンプがいるというのだ。まだ日の光に耐性のある我ならともかく、下級の者なら灰になっておるところだぞ」


 『――おや? これはまた随分と珍しい取り合わせだ。どういった経緯いきさつでこんなことに?』


 そう会話に割り込むように、頭上から声が掛かる。


 全員一斉に空を見上げるとそこには――いつの間にかふよふよと虚空を、あの謎の円盤が漂っていた。


 「ゾディアック様!?」


 「何だあれは!?」


 「魔物だ! 全員、弓構え!」


 後ろに控えた衛兵たちがにわかにいきり立ち、突如現れた謎の円盤に対して弓を構える。

 

 エーリカは慌てて馬車を降りたあと、衛兵たちに向かってそう叫んだ。


 「おやめなさい! この方は敵ではありません、私の友人です!」


 「ゆ、友人……?」


 「で、ですが姫様、こんな怪しげな……」


 「いいから弓を降ろしなさい! これは命令ですよ!」


 エーリカがそう厳命すると、衛兵たちは渋々といった様子で弓を降ろした。


 ようやく状況が落ち着いたあと、円盤はエーリカの目線の前まで降りて言った。


 『……どうやら急に表れてそちらを驚かせてしまったようですね。申し訳ありません』


 「いいえ、こちらこそ弓を向けてしまい申し訳ありませんでした。あとで皆にはしっかり言い聞かせておきますので」


 そう言って上品に礼をするエーリカに応じるように、円盤はくるりとその場で回転した。


 「……それにしても残念です。今日こそその魔道具の姿ではなく、ゾディアック様のご正体が見れるかと思い、喜び勇んでまいりましたのに」


 エーリカそう言ってガッカリしたようにため息をつく。


 『ははは! 私の正体など知ったところでなんの価値もありませんよ。……ところで、本日はどのような御用向きですか? 昨日は確かジャスパーとの商談を設けていただいたと聞き及んでおりますが、何か不手際でも?』


 「いいえ、それは滞りなく。今日でジャスパー様がお帰りになられるので、お見送りがてら、ゾディアック様とお話が出来れば良いかと思いまして」


 そう言って、エーリカは改めて礼をする。


 『そうでございましたか。それは、遠路はるばるよくおいでになられました。ところで……ガイウスは役立っておりますか? 毎回奴から報告は受けているのですが、姫様の口からもその働きぶりをお聞きしたく思いまして』


 「ええ、それはもう! この間も、我が国内の不逞の輩が放った刺客を簡単に倒してしまいましたから、とても頼もしく思っております。……ですが聞いて下さい! ガイウスったら酷いんです! この間も午後のお茶会に誘ったら、『眠い』とか言って棺桶から全然出てこないのです。付き合いが悪いとは思いませんか?」


 「……お前は我を何だと思ってるんだ? 朝規則正しく起きる吸血鬼ヴァンプなど聞いたことがない。誰かと会うときは昼間でも横に着いてやっているのだから、それで我慢しろ」


 エーリカの言葉に、ガイウスは疲れたように深くため息をつく。その様は、もはやわがまま姫に振り回される、苦労人のようにしか見えなかった。


 『はっはっは! 奴もこう言っておりますし、日中は少し休ませてやってください。その代わり夜間はしっかり働く男ですから。……ああ、そうだガイウス。お前にユリウスから伝言があるぞ』


 「……我にでございますか?」


 突如話を振られて、ガイウスは片膝をついたままそう聞き返す。


 『ああ、"お姫様ばかりに構ってないで、たまにはこっちに顔を見せに来てよ"だそうだ。モテる男は辛いな』


 「全くあの馬鹿……首領様の口を借りて何を言わせておるのだ。今更我が帰ったところで血族を混乱させるだけだろうに……」


 「ユリウス、というのはあなたの弟のことですか?」


 エーリカがそう尋ねる。


 「ああ……体は弱いが知恵もあるし、我より長に向いているのだがな、どうにも兄離れが出来ておらん。我などおらずとも、血族のことは奴なら上手く回せておるだろうに」


 ガイウスはやれやれとため息をつく。


 「あら、ならその弟様も今度お茶会に招待してみればいかがですか? 久しぶりの兄弟の麗しき再会、私もこの目で見たく思いますわ」


 エーリカはキラリと目を輝かせながら言う。


 「馬鹿をいうな。今奴は忙しい。血族の長たるものが軽々しく本拠を離れることなど出来るはずがなかろう」


 『いや……そうでもないぞ。実のところ、吸血鬼ヴァンプの者たちにふる仕事がなくて困っていたところなんだ。日中に皆と混じって労働せよともなかなか言えんしな。なので、お試しに次回のジャスパーくんの商談の際にはユリウスを護衛として同行させてみよう。久々の兄弟水入らずを楽しむと良い』


 「い、いや、そのようなことをしていただくわけには……」


 「ならば決まりですね! 次回の際にはぜひとも弟様をお連れ下さい! とっておきの茶葉を開けてお待ち致しますので」


 エーリカはパン、と手を叩いて一方的にそう宣言する。


 ガックリ項垂れるガイウスを余所に、次回ユリウスが訪問することが勝手に決まってしまった。


 そんな和やかな会話が繰り広げられていた最中、ふとゾディアックが口にする。


 『……ところでジャスパーくん、私が指定したものより随分と荷物が多いようだが?』


 「…………!」


 ぎく、と擬音が聞こえてきそうな動きでジャスパーが固まる。


 だんまりを決め込んでいたところで、十倍近くの量を誤魔化せるはずもなく、円盤は三台も連なる荷馬車の周りをふよふよと漂いながら積荷を検分していく。


 『これは……小麦の袋か。それでこっちのは何が入ってる?』


 「砂糖っす……」


 ジャスパーは消え入りそうな声で言う。


 『ほう。で、これは?』


 「そちらは綿花になりますわね。我が国の産物となっております」


 『ふーむ、なるほど……で? どういうことか説明はしてくれるんだろうね?』


 ダンはジャスパーにそう尋ねる。


 普段と一切変わらない声色なのが、ジャスパーには余計に恐怖を沸き立たせた。


 「いや、その……すいません。油断して、強引に押し切られました……」


 『ほーーん。私の鼻を明かしてやる、だったか? ずいぶんと息巻いていたんだがねえ』


 「うぐっ!」


 そう痛いところを突かれ、ジャスパーは意気消沈する。


 そこから離れたあと、ゾディアックはエーリカの前に戻る。


 『いやあ、なかなかうちの者を虐めていただいたようで……』


 そうエーリカに向かって苦笑交じりの声で言う。


 「そんな、虐めただなんてとんでもございません! 私などジャスパー様に金貨五万枚……我が国の年間予算の一割近くの金額を分捕られたのですから、多少の意趣返しは仕方ないとは思いませんか?」


 『五万!? お前、一体どんな手を使ったんだ?』


 ゾディアックは驚いたように言う。


 この世界の金額の相場については無知だが、明らかに元渡したものより圧倒的に金の含有量が多いのは想像がつく。


 そして、国家予算の一割近くという発言からも、ジャスパーが相当に足元を見たことが見て取れた。


 「い、いやあ、へへへ……」


 「御身がこの者に持たせた宝の中に、歴史的かつ宗教的に非常に重要な遺物が紛れ込んでいました。帝国に対しても牽制に使えるような代物でしたので、その価値は計り知れず、額が跳ね上がってしまったようです」


 ガイウスが代わりにそう解説する。


 「聖教会の教皇の遺物ですわね。これをちらつかせれば、帝国は我が国においそれと攻め込めなくなってしまいます。……あ、もう返せませんわよ? 既に売買は成立しておりますので」


 大事すぎて常に持ち歩いているのか、エーリカは煌びやかな王笏をその腕に抱き込む。


 『いえいえ、そのような重要物が私の手元にあっても持て余すだけ。そちらは姫様のもので間違いありません。……となると、今回の件に関してはお互い様ということにしておきましょうか。まあ小麦は多少多いですが消費できなくはありませんし、砂糖もありがたい。……しかし綿花ですか』


 「どうかなさいましたか?」


 言葉に詰まる相手に、エーリカはキョトンと首傾げる。


 『いえ、綿花はちょうど大量に欲しかったところなのです。貴国にあるのは非常に都合がいい。追加で発注しても?』


 「まあ! それは素晴らしいですわ。今年は神の恵みによりあらゆる作物が豊作となっております。どうぞ好きなだけお持ち下さいませ」


 エーリカは上機嫌で頷く。


 綿花は基本高温多雨の環境によく育ち、乾燥した気候のときにコットンが成熟する。


 長い雨季のあと乾季がやってくるこの土地は、まさに気候の面はドンピシャなので、ないなら育てるつもりだったのだ。


 しかし時間がかかるのでその手間が省けたのは僥倖と言ってよかった。


 『それは結構。では次回の時に追加で五百袋ほど購入させて頂きます』


 「ええ、こちらでもご用意しておきますわ。……ところでつかぬことをお伺いしますが、ゾディアック様は農民からワラなどを買い取って如何なさるおつもりですか? 私どもとしましては、ワラなど家畜の寝床か一箇所にまとめて燃やすぐらいしか使い道がありませんので、小銭でも買い取って頂けるのは有り難いのですが……」


 エーリカは、後部の馬車に山程積まれているワラを見てそう尋ねる。


 帰り道にある農家に交渉して、一山銀貨三枚で買い取ると言ったら、大喜びで積み込んでくれたのだ。


 『それに関してはまだ上手くいくか分かりませんので、秘密とさせて下さい。ですが出来上がった暁には、一番に姫様に試供品をお持ちしますよ。完成すれば画期的なものだと思いますので』


 「まあ! それは楽しみだわ。ゾディアック様の周りはいつも目新しいことばかりで退屈はしなさそうですわね」


 そう言って、エーリカは口元を抑え上品に笑う。


 『さて……あまり女性を長く引き止めてもなんですし、私どもはこれで失礼を。今日はお話しできて大変嬉しく思います。また機会があればお会い致しましょう』


 「あら、私がこのまま進むことは許されませんの? 一度魔性の森の中というのを見てみたかったのですが……」


 『それは……流石におやめください。ここは毒虫や毒蛇、猛獣などが蔓延る大変危険な場所です。衛兵の方々を伴ったとしても、慣れない土地では死者が出ることは必至。好奇心で踏み込んでよい場所ではないとお察しください』


 「むう……仕方ありませんわね」


 ゾディアックにそう言い諭されて、エーリカはむくれたように渋々引き下がる。


 『その代わり……私どもは近々、魔性の森とロムールを繋ぐ安全な交易路を開通したいと考えております。そして、街並みを揃え、来賓を迎える際には、もちろん姫様を最初のお客人としてお招きしますので、それまでどうかお待ち下さい』


 「それは素晴らしいですわ! 約束ですわよ? いくらゾディアック様でも、それを破ったら私怒ってしまいますからね?」


 エーリカはそう言ってぷくっ、と頬を膨らませる。


 帝国軍を自らを兵を率いて打ち破った英雄でありながら、その仕草はまさに年相応の少女そのものであった。


 『はっはっは! それは怖い。ではそうならないよう、精々今からでも準備を頑張ることに致しましょう』


 そう言って談笑する二人の間に、済まなそうに割り込む者が居た。


 「あ、あのー、すいませんがお二方。帰る前にちょっとご相談が……」


 ジャスパーが小さくなりながら言う。


 『ん?』


 「あら、どうされましたか?」


 「いやー……さすがにこの袋の量を森の中担いで渡るのは無理っていうか……馬車もこんな獣道の中には入っていけませんし、どうすんです?」


 ジャスパーのその指摘にエーリカも今気づいたのか、キョトンとして円盤と顔を見合わせる。


 「えーっと……あと一日くらいなら馬車をお貸し出来ますわよ? それ以降となると少し困りますが……」


 エーリカも半ば無理やり買わせた手前ばつが悪いのか、そう譲歩してくる。


 『いえ、問題ありませんよ。そのまま馬車から降ろして頂ければ』


 ゾディアックがそう言うや否や――その後ろからワラワラといくつも同じ円盤が寄ってくる。


 ビットアイの数は現状で三百五十機。それらが全て、今この場に集結しようとしていた。


 「な、なな、なんですかこれは!? こんなにたくさんのゾディアック様が!?」


 エーリカは混乱しながら叫ぶ。


 『ははは! 多く見えますが、これらは全て私という一つの意思で動かしているに過ぎません。こういう力業はスマートではないのであまりやりたくなかったんですが……。ロンゾ! 一機につき一袋を頭の上に乗っけていけ』


 「お、おう、いいのかい? こんな重そうなの乗っけて」


 護衛として着いていたロンゾが、困惑しながらそう尋ねる。


 『重さだけなら十袋同時でも問題ない。だが、バランスが取れないから一つずつだ。早くしろ』


 「わ、分かった」


 そう言ってロンゾがドサリと円盤の上に小麦の袋を乗せると、そのままスイー……と音もなく魔性の森方面に飛び去っていく。


 その様はなんともシュールであり、見ていた人間たちは言葉もなくそれを見守っていた。


 『何をしている、ほら次が来たぞ』


 「お、おう!」


 そう指示を受けるや否や、西の獣人たちは流れ作業のように次々とビットアイの上に袋を乗せていく。


 大量にあった荷物が、大量の謎の円盤によって次々と運ばれていくその奇妙な光景を、エーリカたちロムール人は口をポカンと開けながら見守る。


 そしてあっという間に全てを運び終えたあとに、円盤の内の一機が、エーリカの前に近づいて言った。


 『――では、我らはこれにて。姫様におかれましては、これからも美しく健やかに過ごされますように』


 「え、ええ、ありがとう。あなたたちもお元気で」


 そう挨拶を交わすや否や、円盤は『帰るぞ』とジャスパーたちに声を掛けたあと、皆を率いて森の奥に消えていく。


 「い、一体なんなのあれは……!?」


 エーリカは今見たものが未だに信じられないのか、声を上擦らせながら言う。


 「さあな、あの御方のすることにいちいち驚いてられぬ。あんなものはまだあの御方のお力の一端にすぎんしな」


 「…………!」


 エーリカは、ガイウスのその言葉に戦慄を覚える。


 あんなことが出来るのなら、戦場における兵站の概念がガラッと変わってしまう。


 どんな遠くの場所でも簡単に遠征が出来て、なおかつ永遠に補給を受け続けられる相手と戦うなど、考えるだけでもゾッとする。


 実際に相手がそのつもりがなくとも、それが可能であるというだけで脅威なのだ。


 しかもガイウス曰く、所詮あれも力の一部に過ぎぬという。


 それを聞いてエーリカは、今後とも森の住人たちとの関係を一層強化することに決めた。


 そしてなんとしても、あのゾディアックという謎の存在の正体を突き止めることにしたのであった。






――

二本立てでお送りします🙇

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