第83話 蛍石と硫黄


 次に手をつけるのは"制服"であった。


 やはり学校といえば、皆で同じ服に身を包んで登校する、というのがイメージとしてある。


 特にダンの目指す学校はあらゆる種族が通うことを想定したものなので、全員で同じ服という記号に身を包むのは仲間意識を持たせる上で重要な意味を持つ。


 しかし、この魔性の森という最果ての辺境は服飾文化が全く発達していない。


 服といえば毛皮を着込んだり、そこらの麻を手編みで繋ぎ合わせたりと、とにかく粗末なものを着ている印象しかなかった。


 ――しかし、そんな中でも唯一まともな服に身を包んでいる種族が居た。


 耳長エルフ族である。


 彼らは唯一他の種族のように毛皮を使わず、きちんと裁縫されて、なおかつ鮮やかに着色された上等な生地の服を着ていた。


 それを見てダンは、耳長エルフ郷に製糸文化があるのではないかと思い、直接視察に来たのであった。


 「――ようこそ、我らが郷へ。歓迎致します首領様」


 郷の中央に降り立ち、船のハッチから顔を出すや否や、エランケルが頭を下げて出迎える。


 その後ろには大勢の耳長エルフ族の者たちが付き従っていた。


 「出迎えご苦労。……しかしここが耳長エルフ族の郷、"パルムウッドの森"か。随分と美しい場所じゃないか」


 ダンは巨木の根をくり抜いた家々がいくつも立ち並ぶ、幻想的な集落を見て言った。


 まるで絵本の世界のようだが、そこには確かに住人が暮らし、生活の息吹が根付いているのが感じ取れた。


 「パルムウッドとはこの我らが住まう"イエノキ"の別称でございましてな。古来より我ら耳長エルフはこうして、巨木の根の内側を間借りして暮らして来たのでございます」


 「"木の家"ではなく"イエノキ"か。木が主軸とは面白い考え方だな」


 ダンは感心したあと、更に続ける。


 「今日は急に視察などと言って悪かったな。少しお前たちの力を借して貰おうと思っているんだ」


 「ふむ、事前にお聞きしておりました通り、衣服のことでございますな? 無論、我ら耳長エルフは他にはない優れた服飾技術も持っておりますとも。ぜひご覧になって行って下さいませ」


 「うむ、じっくり拝見させてもらおう」


 そう誇らしげに言うエランケルに、ダンは従って郷を見学していく。


 ダンが郷の中を見て回っていると、様々な視線を向けられる。


 外部からの客人というもの自体が珍しいのだろう。ダンが人間であることも相まって、どちらかと言えば不信感や警戒心の籠もったものが多い。


 それも仕方ないことだろう。耳長エルフは元々排他的であるらしく、ほとんど他の種族と交流を持たない。


 ロクジ曰く、前回の会議に顔を出した事自体が相当に珍しいことだったそうだ。


 「まずは一番最初の素材からどうぞ」


 そうエランケルが郷の外れへと誘導する。


 少し進んで人気が少なくなってきたあと、徐々に青臭い葉っぱの匂いが漂い始める。


 深々と緑の葉が生い茂る先に、ついに目的の生き物を見つけることが出来た。


 「やはりこちらにもいたか……!」


 「はい?」


 ダンのそのリアクションに、エランケルは不思議そうに首を傾げる。


 その視線の先にはモシャモシャと、一心不乱に桑の葉を食べる、大きな芋虫の姿があった。


 地球で見たものより二倍以上も大きく、到底同じ生き物とは思えないが、それは明らかに"カイコ"であった。


 「ほう、驚かれないんですね? 以前、外部から迷い込んできた人間にここを見せて意見を求めたところ、おぞましいだの気持ち悪いだのと騒いでまるで話になりませんでしたからな。首領様はどうやら違ったようです」


 「我々の世界にもこの虫の糸を使って作った布がある。シルクと言ってな。光沢といい手触りといい、最上級の生地として扱われていたぞ」


 ダンはそう言って、近くの葉を食んでいた巨大蚕を手の甲に乗せる。


 こうしてみるとなかなか愛嬌のある顔をしている。


 これだけ大きいと、吐く糸の量もかなりのものになるのではないかと思われた。


 「然り! 我らはこの"イトムシ"の糸を編んで作った布を服から敷居、包みに至るまであらゆるものに使用しています。人間どももこれと似たような技術を有しておるようですが、我らの品質には遠く及ばぬでしょう」


 「確かに、ここは気候的にも養蚕に適しているし理に適っているな」


 熱帯雨林の気候故に、この魔性の森はイモムシにとっては天国のような環境だろう。


 実際に桑の葉を食んでいる蚕たちは、健康的でストレスなく過ごし、丸々と太っているように見えた。


 「では次は、ここから糸を精製し、布に編み合わせる工程をご覧頂こう」


 「うむ」


 ダンの反応に満足したのか、エランケルはご満悦になりながら次へと案内する。


 そこから見たのはダンの予想通りの光景であった。


 繭玉を作った蚕を鍋で煮殺して、糸車で製糸していく。


 耳長エルフ族は木工などにも秀でてているようで、ちゃんと効率的な形状の機織り機なども作っており、優れた技術を持つというのは嘘ではなかったらしい。


 その後は、木の実や葉を潰して出来た染料を使って、耳長エルフが好む緑色へと染め上げていく。


 「どうですかな? ここまで見て頂きまして、何かご指摘などは……」


 「いや……特に問題はないな。ちゃんと産業として機能している。若干飼育の方法に改善点は見られたが、ほとんど誤差みたいなものだ。大したものだと思うよ」


 「で、ありましょうとも」


 その答えに満足がいったのか、エランケルはしたり顔で頷く。


 それに苦笑しながらもダンは続けた。


 「一つ提案なんだが……お前はこれを魔性の森全体の産業として起こす気はないか? 今はせいぜい耳長エルフの女性が十人ちょっとで糸車を回しているだけだろう? そうではなく、種族の垣根を超えて百人規模の工場として稼働すれば、魔性の森全体に上質な生地が行き渡り、文化的な服飾産業が根付く。今働いている女性たちは、そのままその工場で技術指導員として従事してもらう形として」


 「この技術は我ら耳長エルフの根幹技術の一つ。おいそれと余所に見せびらかすことはしたくありませんが……」


 エランケルはそう前置きしたあと、続けた。


 「こちらにも何かしらの技術供与があるなら、あるいは」


 「ふむ、どんな技術が欲しいんだ? 場合によっては構わんぞ」


 ダンの言葉に、エランケルは待ってましたとばかりに答える。


 「それは"冷蔵"です、首領様! 我々耳長エルフが長年追い求め、ついぞ叶わなかったものにございます。その一部でも頂ければ……」


 「兵器でないのなら、一部と言わずに全部教えてやる。私もこの魔性の森に冷蔵庫が普及するのは望ましいからな。……しかし、言っておくが冷蔵はかなり高度な技術だ。形だけ真似したからと言っておいそれと実用化出来るような物ではないぞ」


 「…………!」


 ダンの言葉に、エランケルはゴクリと唾を飲み込む。


 「とりあえず今どこまで出来ているんだ。設計図か何かはあるんだろう? ちょっと見せてみろ」


 「……! はっ、ここに!」


 持ち歩いていたのか、エランケルは即座に懐から取り出してダンに手渡す。


 そこにはパピルスのような紙に、図解されたパーツの絵とともに、見たことのない文字でいくつも注釈が成されていた。


 「……この文字は?」


 「はっ、我らが使用する"エルフ文字"にございます。文献を遺失しようと、他の種族に理解出来ぬよう、独自の文字を使用しております」


 「お前たちのその秘密主義はどうにかならんのか……」


 ダンは呆れながらも、設計図の検証を続ける。


 意外にもエランケルが持ってきた設計図はかなり高度なもので、理屈だけなら完成に近い場所までたどり着いていた。


 驚いたことに設計図には気化熱による冷却を取り入れており、確たる科学理論がないにも関わらず、経験則だけでその現象を理解していたようだった。


 「思ったより良く出来てるな。しかし、この中を通る"冷媒"がどうしても作れないんだろう?」


 「……は、恥ずかしながら、このような性質の物体は、この地上のどこを探しても見つからず……」


 「それはそうだろうな。こんな沸点の低いもの、常温下ではとうに気化して空気中に溶け込んでいる。……それとここの材質は?」


 「そこは鉄の管の中を通そうかと」


 「外れだ。ここは銅管を使え。そちらの方が熱伝導性がいい。金、銀、銅、鉛などの金属によって、それぞれ熱の伝わりやすさが違う。銀が最も効率がいいんだが、価格の面から銅管が最適だ」


 「……! はは!」


 ダンがそう言うや否や、エランケルは懐から革のような物を取り出し、木炭でそれに書き付ける。


 どうやらメモ帳代わりらしい。


 この設計図の粗末な紙もそうだが、こう言った知識を残すためにも紙の製造を急がせる必要があった。


 「それとこの中を通す冷媒なら私の船に乗っている。"アンモニア"と言ってな。水と空気から取り出せる物質だ」


 「ほ、本当にございますか!?」


 エランケルはそう身を乗り出す。


 かつて冷媒はほとんどが"フロン"、いわゆるフルオロカーボンに依存していた時代があったが、オゾン層の破壊や二酸化炭素の一万倍近く温室効果があることが分かり、今やすっかり廃れていた。


 そこで復権したのが、かつて最初に発見された冷媒であるアンモニアであった。


 そしてアンモニアは冷媒だけでなく燃料としても使える。燃えてもCO2を排出しないので温室効果もない非常にクリーンなエネルギーなのだ。


 「分けてやってもいいが……この冷媒のガスは毒性があり、また扱いを誤れば爆発する危険性もある。基礎知識のない者においそれと渡すことは出来ん」


 「で、では……」


 「耳長エルフの郷の子供たちを、私の学校に入学させるように。そこで化学薬品の基本的な取り扱いと、危険性についてしっかり教える。それが私が冷媒を分けてやる条件だ」


 「わ、分かりました……しかしその学校、私が入るわけには参りませんか?」


 「お前がここにいなければ誰が郷を纏めるんだ! 子供たちにはちゃんと参考書や道具も持たせてやるからそれを見て勉強してくれ」


 エランケルはその言葉にガックリ項垂れる。


 冷媒もない状態の机上の空論だけで、クーラーや冷蔵庫らしきものの設計図を作っていたのにはダンも驚いた。


 科学者気質なのか、新しい知識にも貪欲なので、どうやらかなり優秀なのは間違いないらしい。


 しかしそれだけに暴走しそうで怖い。少々マッドサイエンティストのが見られるので、適切に管理する必要があるなと感じた。


 「それと、お前たちには学校作りの一環として制服作りを手伝って貰いたい。用意する服の大きさや数などは後回しとして、とりあえず生地を大量に生産しておいてくれ」


 「畏まりました」


 ダンの指示にエランケルは深く頭を下げる。


 その時ふと、エランケルの長い耳に光る、ピアスに付いた青緑の石が目に入った。


 「ところで……お前たち耳長エルフ族がよく身に付けているその緑色の石なんだが……」


 「? "エルフ石"のことですか?」


 エランケルは、自分の長い耳に触れながらそう聞き返す。


 「そうだ。私の見間違いでなければ……それはお前たちの研究にも関わる結構重要な資源だったはずだが、どこで取れたか案内してもらって構わないか?」


 「なんと! すぐにご案内致します! どのような用途があるか教えて頂いても?」


 エランケルはダンを案内する道すがら、あれやこれやと質問する。


 ――そして、目的の場所の前にたどり着いた。


 「ここにございます! エルフ石はここの川で大量に取れるので、私たちは古来より装飾の一部として使用しておりました」


 そうエランケルが指し示す小川の底には、大量の緑色の石が転がっており、その周りで遊んでいた子供たちが、ダンをキョトンとした顔で見ていた。


 「ちょっと邪魔するよ。遊んでいる時にすまないね」


 ダンが子供たちの間に割って入り、川底の石を拾い上げる。


 そして、ライトを照らして中の結晶を透過させた。


 「……間違いない。これは"蛍石フローライト"だな。工業においてはそれなりに重要な素材だな」


 「……! よし、お前たち、川底のこの緑の石をカゴの中に拾い集めろ! いっぱい集めた者にはご褒美に蜂蜜を舐めさせてやるぞ!」


 「ほんと!?」


 「オイラが一番だ!」


 エランケルがそう言うや否や、子供たちは一斉に川底の石に飛びついて我先にと集め始める。


 「おいおい……確かに重要素材ではあるが、そんなすぐに使えるような物ではないぞ? ここから加工する手順があるからな」


 「存じております。しかし先々に必要なものとあれば今のうちに集めておいて損はないでしょう。後になって枯渇してから重要さに気付いたのでは遅いです」


 エランケルはふん、と鼻息荒く語る。


 どうも研究者しての情熱は本物のようである。


 蛍石フローライトはそのままでも、高級なレンズなどにも使えるが、その真価を発揮するのはフッ化水素を取り出してからである。


 フッ化水素は、半導体のエッチングやガラスやレンズのコーティング材、そしてあの悪名高いフロンガスの原料ともなる。


 ――しかし、フッ化水素を手に入れるには、どうしても足りない素材があった。


 「お前が本当にこれを役立てたいと思うなら……今のうちに緑鬼オーク族と仲良くなっておくんだな。このエルフ石を役立てるには、あちらの郷にある"硫黄"から精製する"硫酸"が必須だ。これ単体だとほとんど使い道がないぞ」


 「な、なんですと!? あの醜い連中と……!」


 そう露骨に嫌そうに顔を歪めるエランケルに、ダンはやれやれと肩を竦める。


 「お前たち耳長エルフがどれだけ単体で優れていようと、知を極めるのに孤立主義では限界はあるということだ。この続きは緑鬼オーク族から硫黄を分けてもらってから話してやる。言っておくが、私は仲介せんぞ」


 そう言い残すと、ダンは子供たちが集めたフローライトの籠をちゃっかり持って、その場を立ち去る。


 しかしお互いの郷に蛍石と硫黄があるとは、何とも象徴的だなと、ダンは取り留めもなくそんなことを考えるのであった。

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