第84話 巨人と精油


 学校といえば学問の場だが、人によっては給食と答える者もいるはずである。


 勉強や学校、あるいは先生やクラスメートが嫌いであっても、給食のことを悪く言う者はそれほどいないと、少なくともダンはそんなイメージを抱いていた。


 子供の頃の学校の思い出で、かなりの記憶を占めているのは間違いない。


 自身の学校で良い思い出となるような給食を、ということでダンは、農業に力を入れているという有角タウロ族の郷を訪れたのである。


 「やあ、アダムくん。急に来て悪いね」


 「おお、首領様ぁ! いきなり連絡来てびっくりしただよ。まあ何もねえとこだけんども、ゆっくりしていってくだせえ」


 そう言ってアダムは、人のいい笑顔を浮かべながらダンを郷の中に招き入れる。


 有角タウロ族の郷は魔性の森の東の端にあり、人間の生存圏から最も遠い場所に存在していた。


 だからだろうか、彼らはそのことごとくが三メートルを越す巨体でありながら、ほとんど人間にその存在を知られていなかったようである。


 先のティグリス川の戦いでは有角タウロ族を初めて見た帝国兵たちが、化け物だと騒いで逃げ惑っている姿が散見された。


 しかし彼らの実態は、虫も殺せぬ温厚な優しき巨人であり、農耕をこよなく愛する根っからの働き者でもあった。


 「いやしかしこれは……壮観だな」


 ダンは有角タウロ族の郷に広がる、広大な面積の畑を見てそう感想を漏らす。


 十ヘクタール以上はあるだろうか。


 現地でしか見たことがない不思議な作物や野菜、馴染みある野菜が変形したようなものまで、ありとあらゆる種類のものが所狭しと並んでいた。


 そんな中で、巨体の有角タウロ族たちは、畑にかがみ込んでちまちまと土いじりに勤しんでいる。 


 「なんというか……道具とかは使わないのかい? 全て手で作業しているように見えるんだが……」


 「ああ、野良仕事すんのに、オラたちの体に合う大きさの道具がないんだべ。それに……いちいち道具なんざ使うより、手で掘ったほうが早いしなあ。ちょっと見ててくだせえ」


 アダムはそう言うと、しっかり土の締まった硬い地面に、「ほっ」と軽い掛け声でドスン、と指を突き入れたあと、軽々と土を掘り返す。


 見るとそこには、ボコリと土がえぐり取られ、深さ五十センチほどの穴が空いていた。


 アダムは身長が4メートル近くもあるため、手のサイズ感も常人とは全く違う。


 その手の大きさと化け物じみた腕力も相まって、アダムはまさに生きた起重機のようですらあった。


 「な?」


 「ははは! 豪快だねえ。確かに君には下手な農具は却って邪魔かもしれんな。こんな硬い土をそこまで簡単に耕せるなら農作業も捗るだろう」


 「それが……そうでもないんだぁ。最近あんま作物が上手く育たなくてなあ。……あっ、そう言えば、ちょうどそのことで首領様のお知恵をお借り出来ねえかと思ってた所なんだべ!」


 アダムはダンを遥か頭上から見下ろしながら、手を叩いて思い出したように言った。


 「ほう? 例えばどんな感じにだ? 上手く実を付けないとかか?」


 「口で説明すんより、見てもらったほうが早えかもしんねえ! ちょっとこっちに来てくだせえ」


 そうアダムに誘導されて、ダンは問題の場所へと至る。


 見るとそこには、作物がすっかり枯れ、元気なく土に萎れている畑がいくつも並んでいた。


 「ふーむ……この作物はなんだ?」


 「"オニイチゴ"だあ。上手に実がつくと赤くてウンマイんだけど……最近上手く育てらんなくて、とんと食べてねえんだなあ」


 それを聞いて、ダンは枯れた作物を手で持って、葉やツタの形などを確認する。


 「その作物が分からんので何とも言えんが……ツタの形から恐らくバラ科の植物のように見えるな。水と肥料はちゃんとやってるのか?」


 「貝殻を焼いて砕いたのをやってるだなあ。あと獣の糞を土と混ぜ合わせたのを」


 「ふーむ……ちゃんと肥料は発酵させているのか? そのまま撒いたら寄生虫や根腐れでまともに育たないぞ」


 ダンの質問に、アダムは大きく頷く。


 「もちろんだあ。糞は土と混ぜ合わせて、ちゃーんと日陰で熟成させてるだよ。半年ぐらい熟成させっと、グングン熱くなって肥やしにちょうどよくなるんだべ」


 「そうなると何かの病害か……? どれ」


 ダンはそう言うと、おもむろに土をひとすくい取って、口に含む。


 「わっ! 首領様、そればっちいだよ! 土を食べるだなんて……」


 「大丈夫だ。私には毒も病気も効かない」


 「そういう問題じゃねえと思うんだども……」


 困惑しているアダムを余所に、ダンは土の状態を調べる。


 そして自身の視界に結果が表示されると同時に、ぺっ、と土をその場に吐き出した。


 「……うん、こりゃ土壌の問題だな。アルカリ性に寄り過ぎだ。貝殻をしょっちゅう撒いてただろう?」


 「あるかり? ああ、そういや、どうも作物の育ちが悪いってんで、いつもより多く撒いてたような……。んだども、それ以前からあんまり状態は良くなかったでよ」


 「恐らくそれは"ホウ素"が不足しているからだ。見たまえこれを、葉が成長出来ずに黄色く萎れているだろう? 土壌の状態が悪く、必要な栄養素が足りてない証拠だ」


 ダンはそう言うと、船の中に一旦戻り、大きめの袋を幾つか持ってくる。


 「な、なんだべ、そりゃあ?」


 「ホウ素を含んだ酸性の有機肥料だ。科学的に調合されたもので、他にもリン酸やカリウム、マグネシウムなども豊富に含まれている。私の船のバイオプラントに使われていたものだが、君に特別に分けてあげよう」


 「お、おお……!」


 アダムは、ダンから渡された化学肥料を、まるで宝物でも受け取るように大事に手に取る。


 「しばらく貝殻はやめて、これを少しずつ畑にまきながら土壌を調整していくといい。……それと、君はずっと同じ場所で同じ種類の作物を繰り返し作り続けると、土壌が荒れて作物が育たなくなることは知っているか?」


 「あ、そ、それは知ってるだあ。前に"ヒゲウリ"ばっかりに凝って育ててたら、土がすっかり乾いちまって、そっがらしばらくなーんも育たんくなっちまってえらい苦労しだからなあ。今は一年毎に色んな作物を畑を変えながら作ってるべよ」


 さすが農業に力を入れているだけは合って、連作障害に関してはもう理解出来ているらしい。


 しかし、まだ畑の酸度に関しては概念すら出来ていないようだ。


 「いいか? 畑の土壌に関しては、ただ栄養豊富にすればいいというものではない。その"pH値"というものが重要になってくる」


 「……ぴーえいち?」


 ダンの言葉が理解出来ないのか、アダムはキョトンと首を傾げる。


 「そうだ。まあ平たく言うなら、土が作物を作るのに適している状態か否かを表した指標だ。いくら肥料が必要と言えど、工夫もなく同じものを延々と撒き続ければ、どんどんその土の持つ栄養が偏り、土地が痩せて作物が育たなくなる。pH値というのは、それを分かりやすく数値化したものと思えば良い」


 「…………!」


 心当たりがあるのか、アダムは目を見開いてコクコクと頷く。


 専門的に言えばpH値の説明とは全然違うが、まだ化学の概念が育ってすらいない現地人に、酸だのアルカリだの説明したところで理解出来るわけないので、非常に掻い摘んで説明していた。


 「要は育ちが悪い時は肥料を撒く種類をその都度変えたり、量を増やしたり減らしたり調整しながら、作物の育ちやすい土壌を維持することが大事だということだ。ここまでは理解できたかな?」


 「すっ、げえなあ! まさか首領様が、畑仕事のことまでそんな詳しくご存知とは思わながっだぁ!」


 アダムはとてつもなくデカい図体ながら、子供のようにキラキラと目を輝かせながら言った。


 「私は先人の知恵をそのまま話しているに過ぎないよ。それに、宇宙生活においては農業は最重要課題の一つだからね。それほど意外なことでもないさ」


 ダンはそう答える。


 実際、宇宙生活において食料を供給する農業が機能しなければ、生身においては即、死に繋がる。


 ダンの船にやたらと高性能に品種強化された作物や、種などが大量にストックされているのも、すべては宇宙という不毛の地で農業をすることを想定しているからだ。


 「もっと詳しく知りたければ、この郷の子供たちを私のもとに預けるといい。私が開く学校で改めて、その辺りの知識を有角タウロ族の郷に伝授しよう」


 「わ、分かっただあ。だけど、オラがその学校に通いてえなあ」


 「すまんがそれは無理だな。今回は収容人数の関係で子供のみに限らせてもらってる。大人に関しては教科書を配布したり、誰でも無料で本が読める公共施設を作るつもりだから、それで我慢してくれ」


 「そうだかあ……」


 ダンのその言葉に、アダムは残念そうに引き下がる。


 「今日君たちの郷に来たのは、それについて協力をお願いするためだ。有角タウロ族は農業に大変力を入れていると聞いてな。子供たちに食事を用意するために、ここから食料を供給して欲しい。もちろん君たちが食べる分以外の余剰で構わないんだが……」


 「それは構わねえんだけんども……今は畑の調子があんまよぐねえからなあ。満足な量を育てられるか、あんま自信がねえべ」


 そう言ってアダムは、収穫の芳しくない畑を見回してため息をつく。


 「それに関してだが、私の船の作物の苗や種を分けてやろう。品種強化された私の作物なら、多少土壌が荒れていようと水さえやれば芽を出してくれる。それに関しての肥料や薬品なども支援しよう」


 「ほ、ほんとけえ!? 首領様の育ててる野菜、どんなだか興味あるなあ!」


 アダムはそう言って嬉しそうに顔を綻ばせる。


 ダンは頷きながら続ける。


 「例えば……どんな野菜が良いんだ? 私の持っているものを全部ここに植えるわけにはいかないが、大抵の作物は揃っていると思うぞ」


 「そっだなあ……オラたちよぐ食うから、食いでがある野菜がいいだなあ。大きく育って、いっぱい実をつけるような……。あ、あど! あの宴会のとき食べた、あの赤いソースの麺、あれ美味かったなあ! あれは、どんな野菜使ってるんだべ? 出来ればあれも欲しいんだども……」


 「ふむ、ちょっと待っていなさい」


 ダンは再び船内に戻ったあと、めぼしい種や苗、そしてバイオプラントから赤い実を一つ持って戻ってくる。


 「君が食べたのは"ナポリタン"と言ってね。この野菜から作られたソースが元になっているんだ。食べてみるといい」


 ダンはそう言って、アダムの手に、トマトを一つ乗せる。


 栄養を吸ってパンパンに大きく育った完熟トマトが、アダムの手に乗るとまるでプチトマトのように小さく見える。


 しかしそれを後生大事に受け取ったあと、アダムはしげしげと眺め、口の中に放り込んだ。


 「……! 酸っぱ! でも甘くてうめえだなあ! そうだぁ、これこれ! こんな感じの味だったなあ!」


 「ナポリタンを作るには、そのトマトをさらに潰して茹でて、"ケチャップ"というソースにする工程が必要になる。とりあえずそのトマトを育ててみて、うまく行ってからケチャップの作り方を教えるという形でいいんじゃないか?」


 「もちろんだあ! なんか俄然燃えてきただあ! ガンガン働いて、この畑を作物でいっぱいにしてみせるだよ!」


 「うむ、期待しているよ」


 ダンがそう頷くと、アダムは少し考え込んだあと言った。


 「……なーんが、首領様にここまでしてもらって、なんも返さねえのも、申し訳ねえだ。せっかくだし、オラたちの作物も召し上がって行ってくだせえ」


 「気にしなくていいよ。この種や肥料に関しては、君たち有角タウロ族が、前回の戦いに参加した報酬だ。それに君たちの郷が豊かになるのは私の利益にもなるしね」


 「まあ、そう言わずに! だったらせめてお茶だけでも飲んでってくだせ! すーぐに準備すっから」


 そう一方的に言うと、アダムはドスドスと足音を立てて、近くに生えた高いヤシの木らしき植物に向かっていく。


 そして、その幹をバシーン! と手のひらで張り倒したあと、グワングワン揺れる先端から、ボロボロとヤシの実が落ちてくる。


 それを一つ拾って、満面の笑みでダンの方に持ってきた。


 「首領様〜! ちょうどよく完熟したのがあっただよ!」


 「……豪快だな。それが君らの言う"お茶"か?」


 地球で言うとココナッツに該当するであろうその木の実を見て、ダンはそう判断する。


 「そうだべ。オラたち、この"ココの実"のことをお茶って呼んでるんだで。中に入ってる汁が甘くて美味えんだあ」


 そう言うや否や――アダムはあろうことか、「ほい」と軽い掛け声とともに硬い繊維に覆われたヤングココナッツを親指の力で軽々と引き裂く。


 流石に刃物か何か使うだろうと思っていたダンは、ココナッツをまるで卵のようにパカっと割る姿に度肝を抜かれてしまった。


 「……ははは! 凄い力だな君は! そんなもの、素手で割れるようなものじゃないよ? 普通は鉈とか石とか使うと思うんだがねえ」


 「そうなんだか? オラたち皆こうやって割るからよぐわがんねけども……。それより首領様、どうぞ召し上がってくだせえ! 中に入ってる汁をこう、ぐぐっと!」


 そう言ってなみなみココナッツウォーターで満たされた実を差し出してくるアダムから、ダンは苦笑混じりでそれを受け取る。


 こちらのココナッツは地球のものより一・五倍ほど大きく、通常の人間サイズであるダンが受け取ると、まるで大相撲の盃のようなサイズ感になってしまう。


 「うむ、せっかくだし頂こう」


 しかし好意を無下にするわけにもいかず、ダンは豪快にそれをあおる。


 飲んだ瞬間、地球のものと同じココナッツウォーターの爽やかな味がスッと喉を通り抜ける。


 とはいうものの、正直言ってあまり味はしなかった。


 ココナッツミルクは濃厚だが、ココナッツウォーターには二倍以上に薄めたスポーツドリンクのような薄い味しかしない。


 一リットル以上もある味の薄い水を平らげるのはなかなか大変だが、ダンはどうにか一気に飲み干すことが出来た。


 「……ふう、美味いが飲み辛いなこれは、盛大に溢してしまったぞ」


 「おお、良い飲みっぷりだで! 流石は首領様だ!」


 「ありがとう。ところで……この果肉についてはいつもどうしてるんだ? まさか捨ててる訳じゃないんだろう?」


 「もちろんだで! 作物を捨てるだなんて、そんな勿体ないこと出来ね。これはこうやって……」


 そう言うや否や、アダムは半分になった実の硬い外皮をべりべりと素手で剥がしながら、柔い果肉を器用に露わにしていく。


 「ほれ、こうして綺麗に剥いて食べるんだで」


 「…………」


 まるでライチを剥くかのように簡単に指先でヤシの実の外皮を剥いてしまうアダムに、流石にダンも引いてしまう。


 恐らくその気になれば人間の頭などプチッとイクラのように潰してしまえるのだろう。


 「本当に凄いな……。ちなみにこの果肉を絞って作るココナッツミルクは、油の原料にもなるんだが、ここには"圧搾機"みたいなものはないのかね?」


 「あっさくき? すまねえけんど、オラ難しいことはよぐわがんねえから、道具とかは基本使わねえなあ」


 「そうか……なら早急にガンドールに作らせて持ってくる。君のそのパワーは油圧プレス機並だ。そのまま眠らせておくには惜しい。硬い実を絞れるならチョコレートやアーモンドオイルなんかも作れるだろうし、ここは森の重要拠点になりそうだな……」


 「?」


 ダンに言われたことをよく理解出来ぬまま、アダムはキョトンと首を傾げながら、ココナッツの果肉を頬張るのであった。

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