第107話 発つ時


 ――歩き続けなさい、マルドゥリン。


 私達の下へ。


 あなたが一人で謎を解こうとする時、真実はむしろあなたから遠ざかっていく。


 本当に大切なものはいつもすぐ傍らにあるもの。


 それに気付いたとき、あなたのイメージが影となって宇宙を形創る。


 人の持つ"想像"はあなたが思うよりも、ずっと大きな力を秘めている。


 それを知るために、あなたは歩き続けなさい。


 マルドゥリン。


 私達の下へ。



――――――――――――――――



 「……あなた達はわざわざ寝込みの私を謎掛けで起こさないと気が済まないのか」


 ダンはベッドから起き上がりながら、くしゃりと髪を掻き上げながら呟く。


 今の頭の中に響く声は何だったのか。


 女性の声だった。凛とした、透き通るような若い女性のもの。


 恐らく、イナンナだろう。


 ダンが天の館エアンナの前でまごついているのを見兼ねて、尻でも叩きに来たのかも知れない。


 一箇所に定住することも許されない、なんとも忙しない話だったが、元よりダンもそろそろ発とうかと考えていた。


 「……潮時だな」


 ダンはそう呟くと同時にベッドから起き上がり、朝焼けが照らす砂漠の地に降り立った。


 

 * * *



 「あともう少し掘れば水が吹き出してくる! 全員巻き込まれないよう気を付けろ!」


 ダンはそう呼びかけながら、そばで工事を見守る黒妖ダークエルフ族の者たちを壁際に誘導する。


 今日はここまで掘り進めたカナートの開通式であった。


 全長五百キロメートルという歴史的な長さの地下水路は、北のカラカラ山から黒妖ダークエルフ族の集落を経由して、南端の海にまで繋がる史上最大のものとなっていた。


 ただ水だけじゃなく、両端に歩道も併設しているので、砂漠を渡るときの安全な地下道としても使用できる。


 坑道内は日中は25℃。夜間は15℃と外に比べてかなりマイルドな気候となっており、砂漠地帯を歩くよりも遥かに快適に過ごすことが出来る。


 これで黒妖ダークエルフ族も、あの陸の孤島に閉じ込められることはなくなったはずだ。


 「よし……じゃあやってくれ、ノア」


 『了解しました』


 全員が壁際に避難したのを確認したあと、ダンはそう告げる。


 ノアから返答が返って来ると同時に、地下水路を掘り進めていた、マルチプルワーカーが、アームの先端を土の壁に突き入れた。


 そして次の瞬間――


 ブシュ!


 と水の吹き出す音と同時に壁が崩れ、チョロチョロと坑道の真ん中の水路に少量の水が流れ始める。


 ノアが更に掘り進めると、内部からの水圧で、一気に壁が崩れ去り、一斉に水路に水が溢れ出す。


 水路の幅は三メートルほどで、深さは一メートルほどになり、ちょっとした小川ほどの水量を湛えていた。


 「おおーーっ!」


 その瞬間、黒妖ダークエルフ族の者たち全員から歓声が上がる。


 彼らにとって水資源は生命そのものである。水源が増えることに喜ばぬはずもない。


 そして、これまでは広大な砂漠によって孤立していた集落が、今後はこの水路の通った地下坑道、"大カナート"によって、人間の国から海まで一直線に繋がるようになったのだ。


 これは、魔性の森の学校に並ぶ、歴史に残る大偉業とも言えたが、黒妖ダークエルフたちはただダンに言われるまま作業していただけなので、いまいちその実感に薄かった。


 「これは人類史上最大の地下通路になるだろう! これで君たちは、人間の国に行くことも出来るし、反対に海に出て漁をすることだって出来る。もはやあの地に縛られることはなくなった!」


 「うおおおお!」


 ダンの言葉に、黒妖ダークエルフたちは盛大な歓声を上げる。


 今やあの集落にもオアシスが戻り、これまでとは違う、作物の多く採れる畑も増えて、決して暮らしづらい場所でさなくなっている。


 だが、だからといってあの集落に閉じ込められて過ごすのと、自由に出入りできて集落に住むことを選ぶのでは大きく意味が違ってくる。


 約四百年に渡り砂漠に閉じ込められていた民が、ようやく外に出る手段を得た瞬間でもあった。


 「これはただの素掘りの坑道だ! このままじゃ、いずれは徐々に崩れ始めたり、どこかで問題が起きることもあるだろう。……だからこれからは、皆が一人ひとりきちんとここを管理して、崩れて塞がったりしないよう、補強して上手く使っていくんだ。そうすれば、この"大カナート"は必ず君たちに大きな財産をもたらすだろう」


 「おおおお!」


 「イシュベール万歳! 我らが予言の王!」


 「新しい時代の幕開けだわ……!」


 そう黒妖ダークエルフ族たちは騒ぎながら、口々にダンに感謝を述べる。


 「……さあ、今日は帰ってから忙しくなりますよ! 男たちは獲物を捌いて火を炊き、女たちは料理を作って、宴席を彩りましょう! イシュベールへの感謝を伝える祭にするのです!」


 イーラがそう号令をかけると、その場にいた全員から大きな歓声が上がる。


 今宵は盛大な宴を催す予定であった。


 もう農作業も集落の復興も一段落つき、坑道を掘るような重労働も残っていない。


 水が枯渇する心配も無くなり、最初の絶望的な状況が嘘のように、黒妖ダークエルフ族たちは明日への希望に満ち溢れていた。



 * * *



 ――夕暮れと同時に、その宴は始まった。


 集落の広場の中心で、貴重な薪を使って火を炊き、それをぐるりと取り囲むように宴席が設けられていた。


 普段は夜には外に出ないのが鉄則だが、骨兵スケルトンは火を炊いていればそれを恐れて近づいてこないらしい。


 故に、夜でも安全に宴を楽しむことが出来た。


 「皆、酒杯を掲げましょう! 我らがイシュベールに!」


 「イシュベールに!」


 そのイーラの号令に合わせて、勢揃いした黒妖ダークエルフ族の年長者たちが、素焼きの陶器で出来た杯を掲げる。


 自分に対しての挨拶なのでダンはそれには参加せず、一段高い座からその光景を見守る。


 そして、乾杯の挨拶が終わったと同時に、ダンの前に大皿の料理が供される。


 目の前には、これまで黒妖ダークエルフ族の胃袋を支えてきた、デーツナツメヤシと、彼らが"オアシス鳥"というそのままの名で呼ぶ、フラミンゴに似た鳥の丸焼きが置かれていた。


 周りにはダンが船から提供したスパイスがふんだんに使われており、表面では脂がバチバチと弾けていた。


 最初はもっとも偉い立場のダンがナイフを入れて一番いいところを食べて、そしてそこから男女関係なく年齢順に食べていく、というのがここのしきたりらしい。


 なのでまず、ダンが食べないことには宴が始まらない。


 ダンはひとまず、目の前の鳥の丸焼きにナイフを突き入れたあと、地球で最もよく食べられている足の部分を切り取る。


 (なんとも食べづらいな……)


 そして、全員の視線を一斉に受けてなんとなく居心地の悪い思いをしながら、脂の滴る脚肉に齧り付いた。


 ダンは、口の中に広がるフラミンゴ肉の淡白な味を確かめながら、うんうん、と軽く頷く。


 思ったよりも悪くない。


 フラミンゴ肉はまずいという話だったが、鶏肉より淡泊で少々癖があるだけで食えないこともない。


 どっちかと言えば赤身で鴨肉に近い感じだ。たたき・・・にしたら美味そうである。


 「美味い! 私はこれでいい。皆に回してやってくれ」


 「はい!」


 ダンがそう答えると、大皿を運んできた若い女性陣たちは、次にダンの隣に座る長老たちのもとに大皿を運んでいく。


 その際に、ウィンクしてきたり、ダンに色目を使ってくる女性たちもいたが、それはイーラが間に入って押し留めた。


 「まったく……みんな軽薄です! イシュベールはそういうのじゃなくて……もっとこう、尊い御方なのですから!」


 「ははは! いいじゃないか。皆宴を楽しんでいる証拠だ。少し前まで死にそうな顔をしていた娘達が、ああいう風に元気を取り戻してきてくれたのは私も嬉しいよ」


 ダンはそう言って、酒杯をあおる。


 口の中にデーツ酒の甘い風味と同時に、強いアルコールの味が喉を焼く。


 デーツはやはり糖度が高いだけに、それに応じた発酵度数も高くなる。


 地球において、一番最初に創られた焼酎はデーツ酒によるものだと言われる説もある。


 ここに蒸留器を持ち込めば、デーツ焼酎を作って行商材にする事もできるだろう。


 (……いかん、考え出すときりがないな。あれもしたいこれもしたいではいつまで経ってもここから動けん。ひとまず厄介事が片付いてから戻ればいいだけの話だ)


 「……イシュベール、どうかなさいましたか?」


 難しい顔で唸るダンを見て、隣に座るイーラがキョトンと首を傾げる。


 「いや……なんでもない。ちょっと考えごとをしていただけだ」


 「? そうですか? あ、では、こちらの料理はいかがでしょうか!? イシュベールに教えられた通りに作ったら、とても美味しい料理ができたんです!」


 そう言って、イーラが器に持って差し出してきたのは、ダンが作り方を教えた、バンバラ豆のチリコンカンと、ソルガム粉を薄く焼いて伸ばしたチャパティだ。


 トマトとスパイスはダンの船からの持ち出しだが、肝心の豆とソルガムに関しては、今回の宴で始めて供されることとなった。


 この集落の女性陣は非常に料理上手なのか、ダンは軽く教えただけなのだが、しっかりと再現出来て実に美味そうだった。


 「うん、いただくよ」


 ダンはそう答えたあと、器を受け取り、チリコンカンの中に二つ折りにしたチャパティを浸す。


 それを口に運んだ瞬間――ピリッとした辛さとトマトの風味、そして栄養の詰まった滋味深い味が広がっていく。


 文句なしで美味しい。


 場所も材料も全く違うのに、従軍時代に官舎で食べていたものとどことなく味が似ていて、里心を刺激される。


 豆というのは、長らく人類の体作りを支えてきた重要作物である。


 畜産が発展する前の人類のタンパク源といえば、豆か昆虫が大半だったからである。


 それに加えて、デーツやマンゴー、パパイヤなどのビタミン類。そしてソルガムやキャッサバなどの主食の穀物が加われば、ほぼ栄養失調や飢餓などが起きる心配もないだろう。


 ダンは豆料理の味を噛み締めながら、ある程度自分の仕事が一段落ついたことを理解した。


 「美味いな、この宴の料理は。実に美味い」


 「本当ですか!? 皆で腕を振るったかいがありました!」


 その言葉に、イーラは満面の笑みを浮かべて嬉しそうにはにかむ。


 ダンはそれに頷いたあと――その場で急に立ち上がる。


 一瞬で全員の視線がそちらに集中する中で、ダンは酒杯を掲げたまま言った。


 「皆に、この場を借りて伝えておきたいことがある。少し聞いてくれるだろうか」


 「…………!」


 そう言われるまでもなく耳を傾けたまま、その場の全員が静まり返る。


 ダンはそれを確認したあと、こう続けた。


 「私は明日、イナンナの館、天の館エアンナに"巡礼"に向かう。ここに来て皆の生活も安定してきた。水源が枯渇することもほぼなくなり、飢える心配もない。挑戦するなら今しかないだろう」


 「お、おお……!」


 「とうとうイシュベールが、あの遺跡に……!」


 ダンの宣言を聞いて、元々遺跡の守り手であった黒妖ダークエルフ族たちは、とうとう一族の悲願が果たされるかと、興奮気味に声を上げる。


 ――しかし、イーラだけは浮かない顔をしていた。


 ダンが遺跡の巡礼を済ませるということはつまり、ここから立ち去るということを理解していたからだ。


 (いずれその時が来ることは理解していたけど……でも……)


 イーラはぎゅっ、と拳を握りしめながらも、堅く口をつぐむ。


 彼女にとってダンは救いの象徴であった。


 神をも呪うような絶望的な渦中において、颯爽と現れた銀色の方舟。


 見たことのない衣装に身を包み、圧倒的な力と知識によって、瞬く間に黒妖ダークエルフの皆の生活を立て直して、希望的な未来までの道筋までも与えてくれた。


 それが恋なのか、それとも崇拝に近い感情なのかイーラにはまだ分からない。


 だが一つだけはっきりしていることは、ダンともっと長く過ごしたい、というその気持ちだけであった。


 「天の館エアンナの巡礼が終われば、私はここを立ち去るだろう。ここで皆と出会い、共に触れ合えたことは私の生涯の宝だ。出来ればずっとここに居たかったが……次の場所では、また君たちと同じように、助けを求めている人々がいるかも知れない」


 「…………!」


 ダンの言葉に、黒妖ダークエルフ族の者たちの中からも、すすり泣きや、嘆く声が上がる。


 しかし、ダンは続けて言った。


 「――だが、これで終わりではない。巡礼の旅が一段落ついた時には、それほど遠くない内に私はまたすぐにここを訪れる。それを楽しみにして、私はこの巡礼の旅を乗り越えていこうと思う。皆、私がいない間にこの集落のことは頼んだぞ!」


 「お、おお! イシュベール万歳!」


 「我らが救い主に永遠の勝利を!」


 「…………」


 ダンの言葉に一斉に盛り上がる一族の者たちを他所に、イーラは一人顔を伏せてぐっ、と黙り込む。


 彼女の複雑な思いを他所に、宴はさらなる盛りを迎えつつあった。

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