第102話 救済


 「君たち、こんなところを歩いていて大丈夫なのか? この辺りに水場はないようだが……」


 船を着陸させて、ハッチを開けると同時にダンは旅人たちの一団に声を掛ける。


 その瞬間――まるで雪崩込むようにダンの足元にその旅人たちが殺到した。


 「イシュベール! 我らが救いの御手!」


 「予言の王だわ……まさか本当に相まみえるなんて……」


 「なんたる光栄な……!」


 そうベタベタと縋り付いてくる旅人たちに、流石にダンもギョっとして後退る。


 どうやら相当追い詰められていたらしく、その顔は脱力して、意識も朦朧としているようだった。


 「これはちょっとまずいな……。水を分けてあげるから皆少し落ち着きなさい! 小さい子供と女性から先に船に乗るように!」


 ダンはそう言って、格納庫に黒妖ダークエルフを誘導する。


 数百人と少し人数が多いが、詰めればなんとか乗れないこともないだろう。


 格納庫は冷房が効いているので、少なくともこの日差しの中に晒すよりもずっといいはずである。


 真水は数トン規模で搭載しているので、彼ら全員に振る舞っても十分な分はあった。


 「水……! 水だ……!」


 「お願いします……! どうかこの子を先に! 先程から意識が戻らないんです!」


 「む、これはまずいな……意識がない子供や具合の悪い者が居たら名乗り出なさい! すぐに治療する!」


 ダンはそう言って乳飲み子を抱えた母親から子供を受け取ると、慌てて救護室に走る。


 しばらくドタバタ難民を収納したり、治療を施していると、ようやく一息つくことが出来た。


 ダンが周囲を見回して誰か残っていないか確認すると、ポツンと一人だけ、灼け付く熱砂の上にへたり込む少女の姿が見えた。


 (……しまった、具合が悪い者を見落としてたか)


 ダンはそう判断して、少女に駆け寄る。


 「大丈夫か? 立てるかな?」


 「…………!」


 そう言って手を差し伸べた、次の瞬間――無言で手を払われる。


 「?」


 一瞬理由が分からなかったが、もしかしたら暑さで錯乱しているのかと思い、もう一度手を取る。すると今度は、その少女がダンの胸ぐらに掴みかかった。


 「なんで、今更……! あなたは、私たちがどんな思いでこれまで生きてきたか、本当に分かっているのかッ!?」


 「…………!?」


 そう涙ながらに訴えかける少女に、ダンは呆気に取られて言葉を失う。


 実際何を責められているのかダンは全く分からなかったが、恐らく相当辛いことがあったのであろう、その少女の剣幕に何も言えなくなっていた。


 「私たちの一族は、ずっとあなた方神々のために尽くしてきたんだ! 先祖の代からずっと! なのにあなたは、今まで何を……!」


 そう自分の胸を叩きながら泣き喚く少女に、ダンは何を言っていいのか分からず困惑する。


 しかし――これまで相当に辛い思いをしてきたであろうことは、そのボロボロの姿を見て想像できた。


 そうである以上、到底突き放すことなど出来なかった。


 「そうか……辛かったな。助けてやれなくてすまなかった。今までよく頑張ってくれたな」


 「う、わああぁぁぁぁぁぁ!」


 そう言って抱き締めてやると、少女はダンの胸に縋り付いて泣き始める。


 そのまま彼女が泣き止むまで、しばらくダンは少女の頭を撫でて落ち着かせた。



 * * *



 「落ち着いたか?」


 そう言って、船の内装を見ながらぼんやりとする少女に、ダンは氷の入ったレモン水を手渡しながら言う。


 外は信じられない程に暑かったが故に、ただの冷たい水がこれ以上ないほどのごちそうに違いなかった。


 他の彼女の同胞たちは、冷房の効いた格納庫で休んでもらっている。


 格納庫には水道が通っており、その使い方も教えてあるのでしばらく放っておいてもなんとかなるだろう。


 そして保護した人々が言うには、この目の前の少女――イーラが、一族を取りまとめているという話だ。


 なので休憩室に招いて、彼女から話を聞いてみようということで、ここに連れてきたのである。


 イーラは椅子に座ったまま、しばらくぼんやりとコップの中の氷水を眺めたあと、その中の水をくぴりと少しだけ口に含む。


 「…………!」


 そして、くわっ、と目を見開いたあと、ごくごくとコップの中を一気に飲み干す。


 「おかわり、どうだい?」


 「…………」


 ダンがそう言ってピッチャーを掲げると、イーラは無言でコップを差し出す。


 そのままダンが注ぎ、イーラが飲み干し、という動作を都合三回繰り返したあとようやく満足したのか、彼女はコップをテーブルに置く。


 ――そして、椅子から降りてダンの前に慌てて跪いた。


 「さ、先ほどは、申し訳ありませんでした! と、尊き御方にまさかあのようなことを! この罰はいかのようにも……!」


 「お、おいおい、やめてくれ。別に気にしちゃいないさ。別に私は尊い訳でもなんでもないしな。君たちもさぞや辛い思いをたくさんしてきたんだろう。取り乱すくらいのことは誰でもあることだ」


 ダンはそう言うと、イーラを半ば無理やり椅子に座らせる。


 そして自身もその対面に座ったあと改めて聞いた。


 「それで? 確認なんだが君たちは代々イナンナの館、天の館エアンナを守護する一族であり、そこから避難してきたということでいいのかな?」


 ダンはあらかじめ避難民たちから聞き出していたことを、改めて聞き直す。


 「はい……我ら黒妖ダークエルフは、旧き神々よりあの地の守り人として任ぜられた一族だったのですが、最近になって急にオアシスの水が干上がってしまいました……。それで、もはやこの場で死を受け入れるか、僅かな可能性にかけて人間の国を目指すかしかなくなった時に、つい思い余って……!」


 イーラは恥じ入るように言ったあと、こう続けた。


 「あ、あの地の守りを放棄して、逃げ出してしまったのです……も、申し訳ありません! この罪は、私だけのものに! 一族の者たちには、どうか寛大なるご処分を!」


 「大丈夫大丈夫!」


 そうして再び土下座しようとするイーラを、ダンは慌てて制止する。


 どうやらイーラは元来かなり真面目な性格らしく、先程ダンにとった態度のことも含めて、とてつもなく後悔しているようであった。


 当然、ダンは咎めるつもりなど欠片もないので、その罪悪感を取り除いてやることにした。


 「むしろ、私の方こそ苦労をかけたね。よく今まで頑張ってくれた。君たち一族の献身には私が報いる。だから、もう辛い思いをしなくていいんだ」


 「あ……ああ……は、はい……!」


 そう言ってダンが頭を撫でてやると、イーラは涙すら浮かべながら、その手を取って頬ずりする。


 随分と情緒不安定な子だな、と困惑するも、それだけ追い詰められていたんだろうと痛ましく思う。


 しばらくそのままイーラの銀色の髪を撫でて落ち着かせたあと、ダンは改めて問い掛けた。


 「ちょうど今から天の館エアンナに向かう途中だったんだが……君たちはどうする? このまま、私の拠点に皆を送り届けてやるから、そこで暮らすかい? そこは水や食料が豊富で、ちゃんと家もある。君たちもきっと気に入るはずだ」


 ダンはイーラたち黒妖ダークエルフ族を白き館エバッバルに連れて行くことを画策する。


 あそこなら少なくとも生きては行ける。


 湿地帯なので水場はどこにでもあるし、暮らしていく分には困らないだろう。


 しかしイーラは首を横に振った。


 「い、いえ、一度は使命を放棄した身ではありますが……もし許されるのならイシュベールと共に行きたいです……! 我が一族の悲願が成就されるのを、この目で見届ける為にも……」


 そう強く懇願するイーラに、ダンも考え込む。


 正直これだけの大人数を抱え込むのは面倒といえば面倒ではある。


 しかし彼女たち黒妖ダークエルフ族は、これまで長い間、来るかも分からない新しき神イシュベールのために、長い間天の館エアンナを守ってきたという種族の因縁もある。


 ダンが天の館エアンナを巡礼するのを見届ける権利はあるだろう。


 「分かった。ならば共に行こう。……ただ、天の館エアンナに向かう前にまずは君たちの問題を解決してからだな」


 「私たちの問題……ですか?」


 イーラはその言葉の意図が理解出来ずに聞き返す。


 「ああ。まずは、その枯渇したオアシスとやらを見てみよう。完全に水源が枯れていたらもうどうしようもないが……もしかしたら復活させることが出来るかもしれないからね」


 「そ、そんなことが出来るのですか!?」


 ダンの言葉に、イーラは興奮気味にテーブルに身を乗り出す。


 「まだ確定ではないが……試してみる価値は十分にある。もし駄目でも君たちの飲水は船の備蓄で賄える。よければ力を貸してくれるかい?」


 「そんな……我らのためにとんでもないことでございます! 一度使命を投げ出した私たちにまでもその温情……我が一身命を賭して、なんとしてもイシュベールのお役に立って見せます!」


 「ただ案内を頼むだけなんだが……」


 その大袈裟なイーラの物言いに、ダンは思わず苦笑を零す。


 もしオアシスを復旧出来る目処がついたら、ついでに黒妖ダークエルフ族の郷を開発するのもいい。


 そう命じたのは自分ではないが、少なくともダンのために彼女たちが苦労してきたのは事実なのだ。


 ならその献身には出来るだけ大きな形で報いてやるのが、アヌンナキの遺産を受け継ぐものの責任として、ダンはそう考えていた。


 

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