第9話 密林にて


 見知らぬ惑星の植生は地球に比べても非常に豊かで、見たこともない動植物に溢れていた。


 イメージとしては地球におけるアマゾン川流域の環境によく似ているだろうか。


 恐らく季節的ごとに雨季といものもあるのだろう。常に地面がぬかるんでいて、そこかしこに川が氾濫した痕跡もある。


 しかし、それらの事柄より極めつけにダンの目を引いたことは――いちいちすべての虫がデカいことである。


 『うわっ、凄いなこれは……』


 ダンは、地面の上をのそのそと横切っていく、巨大ダンゴムシの群れを見ながらそう漏らした。


 20世紀に流行った、某名作アニメ映画を彷彿とさせる光景である。


 あれほどではないが、ちょっとした大型犬くらいの大きさのダンゴムシが、何匹も群れをなしてノソノソと目の前を横切っていく様は、ダンをしてなかなかにゾッとするものがあった。

 

 「"大玉虫"ね。こいつらはまだ大人しいから可愛いものよ。食べるのだって苔や草とか木の根っことかだし」


 そう言って、シャットは横切る巨大ダンゴムシの背中をコンコン、と拳で叩く。


 「ただ……こいつら坂とか崖とかからたまに転がりながら落ちてくるから、凄く危ない。何年かに一度、それに跳ねられて、死んだり大怪我したりする人もいる」


 『そ、それは確かに危ないだろうな』


 ダンも、シャットに続いてそのダンゴムシの背を軽く叩いてみる。


 SACスーツの拳の保護具に反発して、カン、と硬質な音が返ってくる。


 とても生き物から出る音とは思えないが……どうやらこの生き物の甲殻はセラミック並みの硬度がありそうだった。


 重量も中身がぎっしり詰まっていて、少なくとも四十キロ以上はありそうだ。


 とても昆虫の重さではない。


 こんなものがゴロゴロ転がって来てぶつかりでもしたら、それはもはや交通事故といっても差し支えないだろう。


 『そうだな……この生き物は"ギガボール"と名付けよう。現地生物のリストに登録しておいてくれ』


 『承認しました。個体識別名"ギガボール"を登録します』


 そうノアから通信が返ってくる。


 ダンは現地で見付けた珍しい生物や興味を引かれたものには、宇宙公用語で名前を付けてデータに記録していっている。


 現地生物には現地の言語での名前はあるが、それだとダンには分かりづらいのだ。


 それに、万が一地球に帰還できる目処が立った場合は、ダンの作ったこの現地生物のリストが、地球の生物学会を揺るがす大発見になる。


 そんな密かな野心も込めて、ダンは現地の珍しい生物を逐一記録していくことにした。


 『……ちょっと待て、二人とも。何かが哨戒機ドローンの探知に引っ掛かった。こっちに向かってくるぞ』


 そんな最中、ダンは哨戒機から送られてきた映像を確認して、前を歩く二人にそう声を掛ける。


 「もしかして……竜虫?」


 リラが不安そうに尋ねる。


 『どうやらそのようだ。二時の方向で距離は二百。数は十二匹ほどの群れだな』


 ダンはそう言って、背中に担いでいたライフル銃を手前に構える。


 「十二匹!? ちょっと待ちなさいよ! そんな数の群れに襲われたらひとたまりもないわ! 今すぐ逃げましょう!」


 シャットはかつて自分が噛まれた恐怖を思い出したのか、青白い顔で言う。


 しかし、ダンは首を横に振る。


 『いや……ここで迎撃するべきだ。逃げてバラバラに分散したところを狙われたら、そっちのほうが面倒だ。それにあの程度の数なら逃げるより倒してしまったほうが後腐れがない』


 「何言ってるの! あんたは奴らの恐ろしさを直接見てないからそう言えるのよ! あたしたちの腕や足なんて簡単に噛みちぎるような奴らなのよ!?」


 「……いや、私はダンのこと信じる。ダンが言うなら、きっと何とかできるんだと思うから」


 当然自分に同意すると思っていたのが、予想外のことを言うリラに、シャットは愕然として目を見開く。


 「正気? あんたが先にあたしに言ったんでしょ!? お父さんから奴らには絶対近づくなって」


 「お父さんの言ってたことは正しい。……でも、ダンの言ってることもたぶん正しい。ダンは決して見栄や過信で自分の力を過大に言い触らす人じゃない。ダンが簡単に出来るっていうなら、それは事実なんだと思う。シャットも、これまで散々、ダンの異常な力は見てきたでしょ?」


 「そうだけど……! でも、戦う力があるかどうかまではまだ分からないじゃないの!」


 リラの言葉に、シャットは納得しかけながらも、安易に受け入れられないのか反論する。


 しかしダンは、シャットのそばに行って片膝をつき、優しく言い聞かせるような声で言った。


 『……なあ、シャット。ここは私の判断に任せてはくれないか? 必ず君たちのことは護る。薬草も摘んで、お母さんのところへ無事送り届ける。これは、私の命を懸けてでも成し遂げると約束する。だから、私のことを信じて欲しい』


 「……もう、分かったわよ! そんな風に言われて、嫌だなんて言えるわけないじゃない」


 そうシャットは不満げに頬を膨らませながらも、ダンの言葉に従う。


 ダンはそれに『ありがとう』と苦笑交じりに言ったあと、竜虫ギガネウラの近付いてくる方向を見やる。


 視線の向こうでは、薄暗い森林の向こうから、ブゥン、と低い羽音のような音がこちらに近づいてくるのが聞こえてくる。


 (……後々の信頼関係を築くためにも、ここで私の戦闘力を見せておくか。危なげなく圧倒的に、それで分かりやすく、派手に、だな)


 ダンはそう決めてから、ライフル銃を構えて相手を待つ。


 ダンの持つライフル銃の型式名はグローム・ガバナーM9900。通称『スパルタン・ランス』と呼ばれる、"ニードル・ガン"である。


 太さ0.2mmの極細の電気針を、一分間に25000発という圧倒的な連射速度で射出し、点ではなく面で制圧することを目的とした兵器である。


この射線に入れば、厚さ一センチの鋼板ですら一瞬で穴が空き、生身が受ければその部分だけ抉り取られたように消し飛ぶ。


 元々は小惑星の硬い岩石を砕くための装備ではあるが、ダンもまさか実戦で生物に対して使うことになるとは予想していなかった。


 『あそこの木の陰から出てくるぞ。二人とも、私の後ろに隠れていろ』


 「…………!」


 ダンが指示を出すと、二人は言われた通りにその背に身を隠す。


 哨戒機から贈られてくる映像を元にタイミングを図りながら、ダンはライフル銃の安全装置を外し、引き金に指をかける。


 『そろそろ来るぞ……5……4……3……2……1…………今!』


 そう叫んだ瞬間、ダンは引き金を引き絞る。


 即座に銃口から、プシュッ、と空気の抜けた音が鳴ると同時に――予告の通り射線上に現れた竜虫ギガネウラは、一瞬で弾け飛んだ。


 「…………!?」


 まさしく粉砕、というに相応しい光景が目と鼻の先の距離で繰り広げられ、二人は言葉を失う。


 ダンの撃った場所には、ポッカリとえぐれた森の木々と共に、上からパラパラと巨大トンボの残骸が降ってきていた。


 『次!』


 そして、気を抜く暇もなく、ダンはさらに迎撃を続ける。


 一匹、二匹、三匹と、全く寄せ付ける素振りすらなく、圧倒的な火力で粉砕していく竜虫ギガネウラたちに、後ろで見ていた二人も、にわかに安堵を覚える。


 ――しかし、運のいいことにその針の雨を掻い潜って、一匹だけがダンの直ぐ側にまで接近してきていた。


 『おや? 一匹討ち漏らしたか』


 「ちょ、ちょっと! どーすんのよ!? 近付かれてるじゃない!」


 腕を噛みちぎられた恐怖が蘇ったのか、シャットは悲鳴に近い声を上げる。


 『なに、問題ない。ちょっと大きな音がなるから、耳を塞いでてくれ』


 ダンがそう言うと、二人は頭の上の耳に慌てて手で蓋をする。


 『パワードギア、制限リミッター解除――』


 ダンがそう言うや否や、右腕から拘束具らしき小さなパーツが弾け飛び、SACスーツの表面に肥大化した人工筋肉が浮き上がってビキ、と波打つ。


 既に彼我の距離はなく、今まさに襲いかかろうとしている竜虫ギガネウラに対して、ダンは大きく拳を振りかぶった。


 『"マキシマムインパクト"!』


 そう叫んで拳を振り下ろすや否や、ドン! という爆発音とともに周囲の地面がめくれ上がり、大量の土煙が巻き起こる。


 拳の直撃を受けた竜虫ギガネウラは、凄まじい勢いで吹き飛び、地面をえぐり取りながら衝撃波でバラバラに分解されていく。


 最終的には、ダンの立っている位置から5メートルほどに伸びた縦長のクレーターを形成したあと、土砂に混じって跡形もなく消え去った。


 『……ん? まだいるな』


 ダンはそう無感情に言ったあと、シュパパパ、とニードルガンを未だ巻き上がる土煙の向こう側に向かって打ち続ける。


 ボタボタと地面に何かが落下する音がしばらく続いたあと、土煙が晴れる。


 視界が戻るとそこには――死屍累々と山のように積み重なった、竜虫ギガネウラの大量の死骸があった。


 『……状況終了。パワードギア制限リミッター復旧。クールダウン開始』


 そうダンが言うと同時に、スーツの関節部からプシュッ、と蒸気が吹き出し、肥大化した筋肉が元に戻る。


 しばらく周囲を警戒してなにも居ないのを確認したあと、ダンは後ろで縮こまっている二人に声を掛ける。


 『終わったよ。怪我はないか?』


 「び、びっくりした……! 余りにすごい音で、耳がおかしくなったかと思ったわ」

 

 怪我をした様子はないが、シャットは驚きの余り呆然としている。


 『悪かった。一応、耳は塞ぐように言っていたはずだが……。君たちは種族的に耳が良さそうだからな。そこは配慮が足りなかったかもしれない』


 「まだ耳がキーン、ってしてる……」


 リラはそう青い顔で言ったあと、よろよろと立ち上がってダンの作り出した惨状を改めて見やる。


 「やっぱり思った通り、ダンの力は桁違い……! あんな色んな凄いことが出来て、戦う力だけないなんて逆に不自然。私の考えは間違ってなかった」


 「地竜が暴れたあとでもこうはならないわよ……。ってか、明らかに十二匹よりも多い気がするんだけど」


 感嘆するリラをよそに、シャットは派手に掘り返された地面と、積み重なった死骸の山を前に呆れたように言う。


 『ああ、途中で五匹追加で合流してきたからな。合計で十七匹分はあるだろう』


 「十七!? あんたそれ、周辺の郷の戦士が総出で討伐に来るような数よ! それを一人でやっつけて、しかも無傷って……」


 そう言って、シャットはダンの体をまじまじと見回す。


 「……やっぱりこの鎧が凄いのかしら? 見るからに強そうだものね」


 シャットはよほど欲しいのか、ダンのスーツを見て目を耀かせる。


 「違う。凄いのは鎧じゃなくてそれを使いこなすダン。どんないい鍛冶道具でも、使ってる人間が素人ならいい剣は作れない。ドワーフの名工が使うからこそ意味がある」


 シャットの言葉を、リラが例えを交えて否定する。


 「う……わ、分かったって! た、たしかに、こいつも凄いってのは認めるけどさあ……」


 『ありがとう、リラ。でもいいんだよ、シャットの言う通り、このSACスーツが凄いのは確かだからね』


 フォローも交えつつそう答える。


 ダンは、シャットが自分に対抗意識のようなものを持っていることに薄々感づいてはいた。


 亡くなった父親の代わりに、自分が頼もしい姉であろうと思っているのだろう。


 しかし、自分の妹が予想外に優秀で立つ瀬がないのと、そんな妹が新しく現れたダンという怪しい男に懐き出して、取られたように感じてつい当たりをキツくしてしまっていた。


 自分ではこのままではいけないと思いつつも、まだ未熟な子供故に感情を制御することが出来なかった。


 (年頃の女の子というのは、難しいな。私も人の親にはなったことないからな。こんなことなら結婚の一つでもしておくんだったか?)


 そんなシャットの心の機微にうっすら気付きつつも、ダンはどう距離を詰めていいか測りかねていた。


 記憶と演算能力に長けた電子頭脳であっても、こういった微妙な問題には答えを導き出してくれることはなかった。


 (しかし……私が口を出したら余計にこじれるな。今は目の前の課題タスクに集中すべきだ)


 そう心に決めてから、ダンは二人に尋ねる。


 『……そういえば、まだ例の薬草とやらも見付けてないが、どこら辺りに生えてるか目星はついているのか? 一応哨戒機で周囲を探索しているが、どんな見た目かを言ってくれればすぐに見つけられるかも知れないぞ』


 その言葉に、二人は一度顔を見合わせてからこう答える。


 「実は……大体どの辺りに生えてるかは分かってる。この先まっすぐ行ったところに綺麗な水場があって、そこに生えてる茎の太い、背の高い草が生えてたら、それ」


 「なんでも、その薬草を食べると、どんな病人や寝たきりの老人でもたちどころに元気になって、走り回れるようになるらしいわ! お母さん、ずっと元気なかったから、もうこれしかないって思ったの」


 『…………』


 ダンはその言葉に、厳しい顔で考え込む。


 実際、そんな草一つで元気になるなど、地球では考えられない常識である。


 しかし、ここはダンの全く知らぬ環境の星。先入観を捨て去って考えるなら、あるいはそういうこともあり得るのかも知れない。


 『分かった。ならそこを目指そう。あまりのんびりしてまた危険生物に出会うのも面倒だ。ここから先は少しペースを早めたいんだが……歩けるか?』


 その問いに、二人は自信ありげに頷く。


 「それくらい当たり前よ! 私たちは地元だもの!」


 「むしろ……ダンは大丈夫? 私たちは密林は歩き慣れてる。そんな重そうな装備で早く歩ける?」


 『ははは! これは一本取られたな。なら精々、私が置いていかれないよう頑張ることにしよう』


 ダンたちはそう言うと、揃って密林の奥へと歩き出した。


 周囲からは、未だにキチキチ、ギャアギャアと、現地生物たちの騒がしい生命活動の音が響いていた。


 

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