第10話 危険地帯
「ここ……!」
ようやく水場に辿り着いたダンは、リラが指し示す向こう側の光景に、思わず『うわっ』と小さく声を漏らした。
なぜならその水場には、先程横切っていった巨大ダンゴムシ、"ギガボール"が飲水を求めてひしめき合っていたからだ。
その他にはフラミンゴのようなカラフルな鳥のような生物も集まって、そこはまさに現地生物のるつぼと化していた。
『こんな状態で採取できるのか?』
「大丈夫……見る限り、危ない魔物はいない。でも、肝心の薬草が見当たらない……」
リラは不安そうに周囲を見渡す。
『確か、背が高くて茎の太い薬草だったか? 私も探すのを手伝おう』
ダンは哨戒機に付近の捜索を当たらせる。
「まさか、こいつらに食べられたんじゃ……!?」
シャットも青い顔になりつつも、ひしめき合うギガボールを押し退けつつ、水場周りを探索する。
しかしその時、
「……あった!」
付近を探していたリラの方から声が上がる。
「ほんと!?」
『どんな見た目だ?』
リラの方に他二人も集まる。
そこは水場の縁にある、木の根元から、ひょろりと一本、先の尖った茎が伸びていた。
「これが、あの伝説の……!?」
「間違いない。長老の家で見た、図鑑の挿絵とそっくり」
(うん? これは……)
興奮する二人をよそに、ダンは微妙な顔をする。
(どう見ても"アスパラガス"だよな?? 別の星だから、似てるだけの別の植物か? いや、芽と胚の構造もそのままだぞ)
ダンは困惑しながらも、喜び勇んで採取する二人を見守る。
確かにアスパラガスは栄養豊富だ。βカロテンやビタミン類も豊富で、疲労回復や血流改善に効果がある。
何よりアルギニンやアスパラギン酸という特有のアミノ酸が豊富に含まれ、栄養ドリンクに使われるくらいの栄養成分がある。
刺激物に体が慣れていない文明の人々なら、生で食べれば強い強壮効果は期待できる。
ただ、重大な病気を治す類のものではないだろう。
「こっちにもあったわよ!」
シャットは声を上げて、さらに採取する。
(いや……結局のところここは地球じゃない。目に見えない、私の知らない薬効があるかも知れない。軽々に決め付けるのはよくないな)
ダンは早々に切り替えてから、自身も捜索に加わろうとする。
その時――
『……!? 上から何か来るぞ!!』
哨戒機が上空に何か大きな影を捉え、ダンの耳元で警報を鳴らす。
「コオアアァァァーーーーッ!!」
その影は雄叫びを上げながら、ダンたちのいる泉に向かって急降下してきた。
「あれは……!?」
二人がそれを視認するまでもなく、盛大な水飛沫を上げて、水辺のど真ん中に着水してきたのだ。
「クアアァァァァァーーッ!!」
「ひ、"飛竜"よ! なんでこんなところに!? 普通地べたまで降りてこないのに……きゃあっ!」
『……!? 危ないッ!』
シャットは悲鳴が混じったような上擦った声で言う。
周囲で水を飲んでいたギガボールたちが、飛竜が降り立った瞬間、即座に丸まってその場から転がって逃げ始めた。
危うくそれに跳ねられる所だったのを、ダンが二人の盾になって寸でのところで庇う。
「シャアアーーッ!」
飛龍は地面に降り立ったあと、威圧するように鎌首をもたげながら、雄叫びを上げて被膜に覆われた両翼を大きく広げる。
(デカいな……! 羽を広げたら十五メートル近くあるんじゃないか?)
ダンは過去の地球を遡っても、考えられない大きさの飛行生物を前にそんな感想を漏らす。
飛竜は翼だけではなく体高もあり、大蛇のように長い首は、縦にすると十メートルはありそうに見えた。
空を飛ぶ生き物としては物理的にありえないサイズだ。
あるいはこの星の濃い酸素濃度が、通常よりも大きなサイズでの飛行を可能にしているのだろうか。
そんな考察をよそに、飛竜は獰猛に牙の生え揃った口を開きながら、木の根っこに引っかかって、逃げ遅れたギガボールの一体に食らいついた。
飛竜は、雄叫びを上げてギガボールの巨体を首の力だけでやすやす持ち上げたあと、あの硬質な甲殻をミシミシと顎の力だけで噛み潰していく。
「…………!」
ギガボールも、ワサワサと足を動かして抵抗しているつもりなのだろうが、飛竜の顎の力の前にはなんの意味もなさない。
最後には、べきりと硬いものをへし折る音とともに、ギガボールは真っ二つに割れて地面に落ちた。
「む、無理……! 飛竜なんて、人間が適う相手じゃないわ! に、逃げて……!」
(顎の噛む力も数トンはありそうだ……これは危険な生き物だな)
真後ろで震え上がるシャットを他所に、ダンは冷静に分析する。
そして飛竜は、今度はこちらに狙いを定め、水飛沫を上げながら猛烈な勢いで突進してくる。
「クウアアアァーーッ!!」
そしてその大きな牙が、ダンたちの直ぐ側まで迫る。
『余計な殺しはあまりしたくないが……こっちには子供もいる。悪く思うなよ』
ダンはニードルガンを相手の顔面に向かって射出した。
「ギャィアアーーーーッ!」
突如、シュパパパ、と気の抜けた音と同時に、飛竜の顔面が弾け飛び、鮮血を撒き散らしながら大きく体をのけぞらせる。
分速25000発の速度で射出される電気針は、分厚い鋼板すら撃ち抜く貫通力を誇る。
必然、飛竜の顔面がどれほど硬い鱗で覆われようと、所詮生き物の体の一部である以上、ニードルガンに破壊出来ない道理はなかった。
「グガアアアーーーーッ!」
それでも、未だ息絶えていないのか、飛竜は顔の右半分が吹き飛んでいるような有様でありながら、ダンを怒りの眼差しで睨みつける。
『……まだ生きてるのか。凄い生命力だな。だが、これ以上苦しまないよう引導を渡してやろう』
ダンはそう言うと、SACスーツの背中から、長い棒状のものをスルリと引き出す。
その手には――刃渡り六十センチほどの、黒い肉厚のナイフが握られていた。
ダンがそれを構えた瞬間――ナイフからビィィィン……と空気が震える音が鳴り響き、青白く光を放つ。
高周波振動ナイフ――通称"ヴァイブロブレード"と呼ばれるそれは、刃物に超音速振動を加えることで通常の数十倍の切れ味を生み出し、鋼鉄を飴やバターのように切り裂くようになる。
先端に重心が乗ったマチェットのような形をしており、高周波振動による切れ味と遠心力も相まって、硬い重量物でも容易く叩き割ることを可能にしていた。
ダンはそれを携えたまま、怒りで喚き散らす飛竜に向かって、SACスーツの身体能力をフルに活かして飛び込んだ。
「キィヤアアーーーー!」
『ではな』
短く別れの言葉を告げたあと、ダンは飛竜に向かって無駄なくコンパクトにナイフを斬り上げる。
チッ、と少しの火花を散らしたあと、ヴァイブロブレードは飛竜の分厚い鱗になんの抵抗もなくずるりと入り込んでいく。
「…………!」
プツン、と決定的な何かを断ち切る感触とともにナイフを振り抜くと、そこには――未だ自分が斬られたことに気付いていない飛竜が、首と胴体が分かたれた状態で、ダンに怒りの眼差しを向けていた。
『任務完了』
ダンが宣言すると同時に、飛竜の生首がドスン、と重たい音を立てて地べたに落ちる。
頭部を失ってすっかり統率を失った身体は、一瞬ビクンと全身を痙攣させたあと、力なくその場に倒れ込んだ。
『……ノア、この生物を"ワイバーン"として現地生物のリストに加えておいてくれ。危険生物の注意書きも忘れずにな』
『承認しました。現地生物"ワイバーン"をリストに登録します』
そうノアとの通信を済ませたあと、ダンはへたり込んでいる二人の元へと向かう。
『大丈夫か? 怪我とかはしていないか?』
「だっ、だだ、大丈夫に決まってるでしょ! あ、ああたしがあんなトカゲごときに怯える訳ないって!」
そう口では強がりながら、シャットはまるで産まれたての子鹿のごとく、膝をガクガクとさせながら立ち上がった。
「こ、腰が……立てないかも」
一方リラは、ペタンと地面に座り込んだままそう泣きそうな顔で言った。
「……!? う、嘘でしょ! どこか怪我したんじゃ……」
「ち、違う。腰が抜けちゃっただけ……怪我はどこにもない」
その言葉を聞いて、ダンはホッと胸を撫で下ろす。
「……もう、びっくりさせないでよ! たかが飛竜が出たぐらいで大げさなのよ、あんたは!」
「む、シャットだって……さっきまで足がガクガクだった。ていうか、一番大騒ぎしてたのはシャット。もう駄目だとか、早く逃げようとか、泣き喚いてた」
「な、泣き喚いてなんてないわよ」
「私はダンが助けてくれるって分かってたけど、シャットは怖くてビービー泣いてた。間違いない」
「泣いてないって!」
そうおもむろに喧嘩を始める二人の間に、ダンは慌てて割って入る。
『まあ落ち着いて……。二人とも、ひとまず無事だったんだからいいじゃないか』
「あんたもあんたよ! 飛竜ぐらいパパッと倒せるなら最初っから言っておきなさいよ! 無駄にドキドキしちゃったじゃない!」
「それはそう。ダンが言葉足らずなのが悪い。普通、飛竜を一人で倒せるだなんて思わない。ダンは自分の力を隠しすぎる」
『そ、そうだな、それは悪かった』
いつの間にか二人に矛先を向けられたダンは、やや釈然としないながらも何故か謝罪する。
まあ仲直りしたのならいいかととりあえず納得した。
「それにしても……信じられないやつね。飛龍なんて、討伐に帝国の軍隊が出てくるような魔物なのに、それを一人で倒しちゃうなんて……」
「ダンなら、それぐらいやると思ってた。さすがにここまで圧倒的とは思わなかったけど……」
そう二人は、目の前に力なく横たわる
『なに、たまたま上手く行っただけさ。どんな強力な相手でも、生き物である以上は、首を落としてしまえばそれまでだからね。それほど大層なことをしたわけでもない』
「いや……その首を落とすのに名うての剣士たちが何人も挑んで命を落としてるのよ! はあ……もういいわ。あんたに何言っても無駄ね」
何かを諦められてしまったダンは、その扱いに軽く苦笑をこぼしながらも答えた。
『まあ私が現地の常識に疎いというのは認めるよ。まあ、今はとりあえず先に進もう。目的の薬草はもう採れただろう?』
「そうね。本当はこの飛竜の素材だって売れば一財産になるんだけど……今はそんなことよりお母さん優先よ。急ぎましょう」
シャットは後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、即座に思考を切り替える。
『リラは私が背負っていこう。このSACスーツなら、多少重量が増えたところで負担にはならない。ましてやリラなら、小鳥が止まっているのと大差ないからな』
「うん……ごめんなさい」
ダンはそう言って、腰を抜かして恥ずかしそうにするリラの頭をぽん、と撫でたあと、その小さな体を担ぎ上げる。
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