第136話 試合観戦
その後、デロスと話し合った結果、あっという間にイーラの試合が決まってしまった。
契約内容は要望通り、奴隷闘士との試合は無し。最初は少額ではあるがファイトマネーも出るらしい。
翌日に即試合が組まれるといった素晴らしいスピード感である。
その日は前座の時間帯で何人かの奴隷闘士が負傷で出られなくなったらしく、その穴埋めとしてイーラのデビュー戦が急遽充てがわれることとなった。
「いやあ、凄い熱気ですね」
次の日、ダンは観客席から全体を見下ろしながら、その熱狂っぷりに感嘆の声を上げる。
前日にノアが西大陸語をほぼ完全に習得したことで、解析データを共有したダンも西大陸語を話せるようになっていた。
電子頭脳の有利な点言えばこういう所だろう。別にダン本人が努力して覚える必要は無いのだ。
たった一日足らずで西大陸語をペラペラ話せるようになったダンとノアに、ドレヴァスは何か不気味なものでも見るかのような目を向けたが、もはや突っ込むのも疲れたのか、何も言われることはなかった。
「今日はどうも後半にデカい試合があるらしい。席もほぼ満席だ。お嬢ちゃんの顔見せにはちょうどいい塩梅じゃねえか?」
「長居するつもりはありませんし、別に有名になりたいわけじゃないんですけどね。まあこれだけ衆目に晒されながら戦うのも、本人には良い経験にはなるでしょう」
ダンがそう言っていると、闘技場の中央にある格子が開き、奥から一人の男が歩み出てくる。
男は僧衣を着込んでおり、明らかに聖職者であることが分かった。
そして、男は両手を広げて高らかにこう宣言する。
「忠実にして敬虔なる神の子らよ! よくぞこの地に参られた! 今日は我らが主神の安息日! どうぞ心行くまま、神前に供される闘いの饗宴を楽しまれよ!」
「まさか……この闘技場を運営しているのは教会なんですか?」
ダンは中央で演説している、僧衣を纏った男を見てドレヴァスに尋ねる。
「それはそうだろう。そもそも拳闘や剣闘を開催しているのも教会だ。これはカミサマの名の下に教会が亜人の奴隷同士を戦わせて、その賭けの胴元で儲ける仕組みだからな」
「…………」
その説明にダンは呆れて言葉を失う。生臭もここに極まれりといったところだ。
仮にも人心救済を掲げた教会が、奴隷制度と暴力と賭博の元締めになっているというのは信じがたいことである。
しかし宗教組織とはそんなものかともダンは思った。
史実の十字軍や宣教師、本願寺や比叡山の腐敗など、宗教というのは力を持つと、神仏の名の下に軍隊よりえげつない事を平気で行う。
イエスやブッダがどれほど崇高な目的で教えを広げても、後世の人間がそれを都合よく捻じ曲げている以上、それはただの支配や集金のシステムでしか無い。
そもそも祈るのに特定の場所や団体に所属する必要すらない。
朝ベッドから起きて日の光に感謝し、出会いや周りの人々に感謝し、日々の食卓に並ぶ自然の恵みに感謝する。
それこそ心が軽くなる本当の祈りであり、特定の教祖や置物など拝む必要は一切ないのだ。
「おい、試合が始まるぞ」
ダンがそんなことを考えていると、ドレヴァスが耳打ちするようにそう伝えてくる。
聖職者の長ったらしい口上が終わり、舞台裏に引っ込むと、ジャーン、と盛大にドラのような楽器が鳴らされる。
「闘士入場ーーッ!!」
どこからともなく響く、その怒号のような声と同時に、闘技場の両側にある鉄製の門が、ギギギ、と軋みながら開かれた。
「東の方! ブラドス拳闘団所属! 黒豹のミケルーー!」
「…………!」
そう盛大に名前を呼ばれると同時に、東の門から一人の
「……あいつは奴隷拳闘士だな。首輪が付いてる。顔付きを見るにそこそこはやりそうだが」
そうドレヴァスが評価した少年を見ると、相手が来るまでの間、身体を温めるためにシャドーボクシングをしている。
動きにはまだまだ無駄が多いが、
「黒豹のミケルの戦績はこれまで十八勝! 今売り出し中の若手拳闘士だ! 投票券の購入はお早めにお願いします!」
「やれーコラーッ!」
「情けねえ試合したらぶっ殺すぞーーッ!」
負けると後が無いミケルにも、観客たちは容赦なく罵声を浴びせ掛ける。
しかし、ミケルはそれに反応することなく、黙々とウォーミングアップを続けていた。
「うん、確かにいい闘士ですね」
「ああ。だが……相手があまり良くねえな」
ドレヴァスがそう呟くと同時に、再び選手の名が読み上げられる。
「西の方! 自由闘士枠、ロギン拳闘団所属、処刑人ゴンズ!」
「ぐわ"ぁぁお"お"ぅッ!!」
そう野獣のような咆哮を上げながら反対側から入ってきたのは、頭を剃り上げて、拳を棘付きのナックルガードで保護した、まるで入道のような大男であった。
「ちっ……胸糞悪いな。若手潰しか」
「いや、あんなのありなんですか? 拳に棘が付いてるとか……それに体重も全然違いますし」
ダンはめちゃくちゃなルールの下で執り行われようとしている拳闘試合を前に、ドレヴァスにそう尋ねる。
「奴隷闘士の装備は厳格に決まってるが、自由闘士の装備は基本なんでもありだ。体のデカさなんざ元々考慮すらされちゃいねえよ。そんな中で十八勝もしているあのガキは若手の中ではかなり強いほうだ。普通は五戦以内に死ぬ」
ドレヴァスは不機嫌そうに言ったあと、こう続ける。
「だから他所の拳闘団が、潰すために送り込んだんだろう。奴隷闘士には、二十勝の壁があってな。二十勝出来る拳闘士は、実力も確かだしジワジワ人気も出始めるから、そうそう簡単に殺されなくなるんだ」
「……二十勝に到達するまでに負けさせて、競合先の若手を始末してしまおうって訳ですか。確かにそれは胸糞が悪いですね」
ダンはそう言ったあと、隣りにいるノアに、体内通信で話しかける。
(ノア、あのミケルって子を勝たせることは出来るか?)
(確約は出来かねます。ですが……あのゴンズという男の目にレーザーを照射し、注意を逸らすことは出来るかと)
ダンはそれに軽く頷いたあと、こう続けた。
(よし……なら、さりげなく席を立って、目立たない場所からゴンズを妨害してくれ。私も人死には見たくない)
(了解しました)
ダンは通信を切ると同時に、ノアに向かって言った。
「ノア、悪いんだけどさ、あのミケルって闘士の投票券を金貨十枚分買ってきてよ! あと、僕とドレヴァスさんに飲み物もお願い」
「畏まりました、坊ちゃま」
ノアはそう言って、席を立つ。
「おい……馬鹿な賭け方はやめとけよ。ゴンズは卑怯者だが、あれでもこの闘技場で五十勝はしてる強豪だ。あの小僧に勝ち目はねえ」
「まあまあ、いいじゃないですか。こういうのは楽しんだもの勝ちですよ。どうせなら勝って欲しい方を応援しましょう」
「……全く、お坊っちゃんは金の価値を分かっちゃいねーな」
ドレヴァスが呆れながら言うのを余所に、闘士たちが闘技場の中央で向かい合う。
そして、審判らしき男の説明を聞いたあと、ジャーン、と盛大にドラが鳴らされた。
「試合開始ーーッ!」
「うおおーー! やれー!」
「ゴンズーー! 負けんじゃねえぞッ! そんなガキぶっ殺せッ!!」
下品な罵声が飛び交う中で、お互いの闘士が拳を交わす。
「ぐる"お"おぉぉぉッ!!」
「…………!」
ゴンズが咆哮を上げながら、無茶苦茶に拳を振り回して突進していく。
技術も何も無い。だが、それでも棘で武装しているゴンズの拳は、当たればただでは済まない凶器であった。
「シッ!」
片やミケルは、そのゴンズの腕を掻い潜って、細かく顔にパンチを入れている。
堅実な戦いぶりだが、二人の体格がまるで違うことと、ゴンズの拳が怖くて今一歩踏み込めないミケルのパンチでは、到底倒すには至らない。
「ぞんな攻撃で、ごの俺様がだおぜるがァッ!!」
「くそっ……!」
ゴンズがガラガラ声でそう叫びながら腕を振り回すと、ミケルは顔を歪ませながら慌てて飛び退る。
見ると、ミケルの右肩からは軽く出血しており、ゴンズの拳が掠めてしまったのが分かった。
「ぶっ潰してやらァァァァッ!!」
そう絶叫すると同時に、ゴンズは腕を振り上げてミケルに迫る。
ミケルもこのままでは埒が明かないと考えたのか、思い切って一歩踏み出し、ゴンズに向かって拳を突き出す。
しかし次の瞬間――
「ぶぁ〜〜ッか! 誰が真正面からやり合うってんだ、よッ!!」
ゴンズはそう言って舌を出すと同時に、ミケルの顔面に含み針のようなものを吹き付ける。
「うっ!」
途端にミケルは怯み、攻撃の動作を停止して無防備な顔面をさらす。
そして、無情にもミケルの顔面に向かって、ゴンズの棘だらけの拳が振り下ろされる。
しかし次の瞬間――
「うぐっ!?」
ゴンズまでもが、目に焼き付くような強烈な光を受けて、思わず怯む。
その隙に体勢を立て直したミケルは、何故か悶絶しているゴンズに困惑しながらも、今が好機と飛び掛かる。
「よくもやってくれたな、このクソ野郎ッ!!」
「や、やべろ、今目がっ……!」
ゴンズは両目を抑えながら慌てて逃げようとするも、必死なミケルがそんな言葉を聞くはずもなく、全体重を乗せてゴンズのこめかみを打ち抜く。
ガスッ! と凄まじい音が鳴り響くと同時に、ゴンズの巨体が大きく揺れる。
「がっ……!?」
「さっさと沈めェーーッ!!」
今度はミケルが絶叫しながら、返す拳でゴンズの顔面を打ち抜く。
次の瞬間――ゴンズの巨体から力が抜け、ぐらりと大きく体が傾く。
そのまま自重で真後ろに倒れ込み、ゴンズは白目を剥いて意識を失う。
場内は一瞬シン、と静まり返ったあと、ミケルが爆発するように勝利の雄叫びを上げた。
「うおぉぉぉぉぉッ!! 勝った、勝ったぞ皆ァ!!」
「しょ、勝者、黒豹のミケル!」
審判がそう宣言すると同時に、場内は怒号と歓声が同時に沸き起こった。
「ゴンズ、ふざけんなコラアァァァッ!!」
「てめえにいくら突っ込んだと思ってんだァ!!」
「来た来た大穴だぁ!」
「よくやったぞガキィ!」
リング内にはゴミが投げ込まれ、ゴンズに対する罵詈雑言が飛び交う。
ミケルは命を長らえたことと、一つの山場を乗り越えたことで涙すら流しながら咆哮を上げる。
そんな騒がしい最中、ノアが涼しい顔で戻って来る。
「お待たせいたしました、坊ちゃま。出店に売っていた果汁と、先程ミケル選手に賭けた分の払い戻しです。金貨八十枚になりました」
「ご苦労さま、ノア。君も一緒に観よう。……あっ、ドレヴァスさん、果汁要ります?」
「……お前ら、もしかして何かやったか?」
蓋のついた飲み物を手渡してくるダンに、ドレヴァスは疑わしげな目を向けながらそう尋ねる。
「まさか。僕はただ試合を楽しんでいただけですよ。それにしてもミケルさんは素晴らしい闘士でした。あれほどの逆境も、確たる技術と勇気があれば跳ね除けられるものなんですね。元気をもらった気分です」
「納得がいかねえ……」
ダンの言葉にも、ドレヴァスはいまいち釈然としない様子で首を傾げる。
あの試合中のゴンズの不可解な動きもさることながら、まるでこうなることが分かっていたかのように落ち着き払った、目の前の得体の知れない子供の不気味さが際立った。
それを余所に、ダンはコップに入った果汁を植物の茎を加工したストローで啜り上げる。
初めて飲む西大陸の独自なフルーツの果汁は、まるで今の気分のように甘酸っぱい爽やかな味がした。
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