第137話 快進撃


 気絶したゴンズが激しいブーイングの中で引きずられるように運び出されたあと、闘技場内はようやく落ち着きを取り戻す。


 勝者であるミケルが歓声を浴びながら裏に引っ込み、係員が投げ込まれたゴミを急いで片付けて、ようやく次の試合の準備が整った。


 「第二試合!」


 ジャーン、とドラが鳴らされると同時に、場内は再び熱気に包まれる。


 「東の方! ロンダルム拳闘技会所属、自由闘士! 猛牛のジョグ!」


 「うおおおおッ!」


 ミケルが引っ込んだ出口から、入れ替わるように豊富なヒゲを蓄えた、筋骨隆々の大男が入ってくる。


 種族は人間である。奴隷闘士や解放奴隷でもなく、いわゆる腕試し目的の闘士なのだろう。


 そこそこ人気があるらしく、観客からは名前とともに歓声が上がっていた。


 「猛牛のジョグは古株の闘士だな。俺が現役でやってたときから居たやつだ。打たれ強いのが特徴だが、戦績は可もなく不可もなくって所だろう」


 「なるほど」


 ドレヴァスの解説を聞きながら、ダンも次の相手に注目する。


 かつて闘技場を制覇したチャンピオンの解説を横で聞きながら、試合を見るというのはなんとも贅沢な話だとダンは今更ながらに思った。


 「西の方! 無所属、自由闘士! 新人、黒き閃光のイーラ!」


 「…………!」


 そう名前を呼ばれて、反対側の入り口からイーラが入ってくる。


 ダンたちにとっては実質的なメーンイベンターでもある彼女は、衆目に晒されながら、おっかなびっくりといった感じで小さく縮こまっている。


 それを見た観客たちも、明らかに場違いな少女にバカにしたような笑い声を上げる。


 「ひゅー! 可愛い子猫ちゃん、どこから迷い込んできたんだぁ!?」


 「おいおい! 女が入っていい場所じゃねーぞ!」


 「良ければ俺が相手してやろうかぁ!? もっとも場所はベッドの上だがよぉ!」


 下品極まりない罵声を浴びせ掛ける観客たちに、案内役の男が声を張り上げる。


 「……静粛に! 閃光のイーラは、かのグランドチャンピオン、竜麟のドレヴァスの推薦を受けて参戦した! よって我らもここに立つ資格ありと認めた闘士である!」


 「…………!」


 その宣言と同時に、先程まで馬鹿騒ぎしていた観客たちから嘲りが消え、代わりに困惑したようなざわめきが聞こえてくる。


 「竜麟のドレヴァスが、女の闘士を?」


 「馬鹿言え、あんなやせっぽっちの女がどうやって戦おうってんだ」


 「バカバカしい……大方金払って名前を借りただけだろ」


 そう半信半疑ながらも、先程までのバカにしたような雰囲気は鳴りを潜め、ひとまず実力を見極めようとする者が増えてくる。


 そんな中でイーラは、相変わらず緊張した表情のまま、所在なさげにポツンと小さく佇んでいた。


 「ノア、悪いけどさっきの試合で儲かった分で、イーラの投票券を買ってきてくれないかな? 彼女の実力が知れ渡ってない内なら、いい稼ぎになると思うからね」


 「了解しました」


 そう言って席を立とうとするノアに、ドレヴァスも続けて言う。


 「すまねえ、姉さん。俺も金貨二十枚分頼めるか? 少なくともあの嬢ちゃんならジョグ程度には負けねえだろう」


 今度はドレヴァスまでもが賭けに便乗しようとする。


 「あれ? 馬鹿な賭け方はしないんじゃなかったのでは?」


 「ああ、馬鹿な賭け方はな。……だがこれはそうじゃねえ。確実に儲かると分かってて、乗っからねえ方が馬鹿だ」


 そう言って、ドレヴァスも懐から金貨二十枚ほど取り出す。


 「なるほど。じゃあノア、悪いんだけど二人分頼めるかい?」


 「畏まりました」


 ノアは一礼してその場から離れる。


 「しかし……女性闘士というだけでここまで侮られるものなんですね」


 「そりゃな。女は基本的に闘士にならねえ。いたとしても技次第でなんとかなる剣闘の方だけだ。腕力が物を言う拳闘じゃあ女は戦えねえ。拳でヘルメットを叩き割る、あのお嬢ちゃんが異常なのさ」


 ドレヴァスはそう答える。


 しかし、その時――


 「お、おい、あれグランドチャンピオンじゃねえか……!?」


 「客席にチャンピオンがいるぞ!」


 「わざわざ見に来てるってことは……さっきの推薦したってのは、あながち嘘でもねえってことか?」


 「おい、今のうちに買いに行くぞ! あの女が勝つかも知れねえ!」


 そう言って、客席に座っていた観客の中の何人かが慌てて席を立つ。


 ドレヴァスはそれを見て、ちっ、と舌打ちする。


 「……悪いな。これでちょっと倍率オッズが下がるかも知れねえ」


 「まあ良いじゃないですか。お祭りなんですから。皆で楽しみましょう」


 そうこう騒がしくしている内に券売の窓口が閉鎖され、試合の開始時間が迫る。


 審判が向かい合う二人の闘士の間に入り、試合前の注意事項を説明する。


 「目突き、噛みつき、金的、その他見苦しい行為の一切を禁ずる! 以上だ!」


 「……おい、お嬢ちゃん」


 「?」


 審判の言葉を無視して、ジョグはイーラにニヤニヤとした目を向けながら口を開く。


 イーラはと言うと、彼女は未だに西大陸語を話せないため、キョトンと首を傾げていた。


 「悪いことは言わねえからさっさと謝って負けを認めんだな。ここは男の祭典だ。女子供が入ってきていい場所じゃねえ。観客の前に自分の恥ずかしい格好晒したくねえだろう?」


 「あ、うう……えっと……"串焼き一本、たったの、銅貨十枚"……?」


 何を言われているのかもさっぱり分からないイーラは、とりあえずさっき屋台から聞こえてきた売り文句を、そのまま真似てみる。


 それを挑発と捉えたのか、ジョグは額に青筋を立てながら、怒りに顔を歪ませる。


 「この俺を串焼きにしてやるとでも言いてえのか……!? 人が優しくしてりゃつけ上がりやがって。一発で黙らせたあと、舞台の上で裸にひん剥いてやる!」


 「おい! 貴様、いい加減にしろ! ここは神聖な試合の場だ。さっさと開始位置に戻れ!」


 そう審判に言われて、ジョグは渋々後ろに下がる。


 イーラは何故相手を怒らせてしまったのか理解出来ぬまま、自身も後ろに下がる。


 そして互いに開始位置に戻った所で、試合開始のドラが盛大に鳴らされた。


 「試合開始ィ!」


 「女だろうが容赦しねえ! ぶっ潰してやる!」


 「…………!」


 猛牛の二つ名に相応しく、ジョグは開始の合図と同時にイーラに猛然と突進しながら拳を突き出す。


 イーラは迎え撃つ形となり、顔面目掛けて振り下ろされる拳を、半身になって受け流しつつ、ダン仕込のカウンターを合わせる。


 その間わずか0.1秒のやり取りであった。


 「げぴゃッ!?」


 そしてイーラの拳が顔面に突き刺さると、ジョグはまるで潰れたカエルのような悲鳴を上げる。


 そのままストンと膝から崩れ落ち、打たれ強いというジョグはあっさり気持ちよく気絶した。


 「えっ、左を軽く合わせただけなのに……だ、大丈夫ですか?」


 イーラがそう話し掛けるも、ジョグは白目を剥いたまま天を仰いでいる。


 「しょ、勝者、黒き閃光のイーラ!」


 「うおおおお!?」


 そう審判が宣言した瞬間、怒号とも歓声ともつかない、どよめきの声が上がる。


 「なんだ!? 一体何があった!?」


 「分からねえ、一瞬あの女の姿がブレたと思ったら……」


 「インチキだ! なんかやったに違いねえ!」


 「ジョグ! てめえ女に負けるとか何やってんだコラァーー!」


 観客たちの罵声を受けながら、ジョグは係員に引きずられて退場していく。


 ――そして、一人闘技場に残ったイーラは、親指と人差し指を真っすぐ伸ばして、それを空に向ける。


 (勝ち名乗りの時はこうやれってデロスさんに教えてもらいましたけど……これで合ってますよね?)

 

 「あの女、正気か!?」


 「もう一戦やるつもりだぞ!」


 そのイーラの思惑とは裏腹に、観客たちからはざわめく声が聞こえてくる。


 「おいおい……強気だな、お嬢ちゃん。そういう性格には見えなかったが……」


 「あれは一体何なんです?」


 ボソリと零すドレヴァスに、ダンは尋ねる。


 「あれは"相手が弱すぎて物足りねえからもっと強いやつを出せ"、のサインだ。ほとんど使われることはねえが、昔から闘技場にいる奴らは全員知ってる。……さては、デロスの奴が余計な入れ知恵しやがったな?」


 「あれはどう見ても知らずにやってる顔ですよ。イーラは世間知らずなので疑うことを知りませんからね。……まあ良いでしょう。今のところ怪我も全くないようなので、やれるところまでやらせましょうか」


 そうイーラの知らない間に、連戦が決まってしまう。


 「ひ、東の方! 無所属、自由闘士! 墓守のビボス!」


 「ビボス! やっちまえー! その生意気な女の鼻っ柱をへし折っちまえ!」


 「けっへっへっへ……」


 そうして次に出てきたのは、ヒョロリとした長身で、前髪を長く垂らした不気味な男であった。


 中々の人気闘士らしく、観客たちからもぼちぼち声援が飛び交う。


 「墓守のビボスは最近頭角を表してきた奴だな。あの長い腕を使って、間合いの外から叩くのが得意なやつだ。ねちっこい戦い方で、お嬢ちゃんはちっこいから少し相性が悪いかもな」


 「まあその程度で負けるようなやわな娘じゃないので大丈夫ですよ」


 そう二人で会話をしていると、ノアが大きな袋を二つ持って帰って来る。


 「報告します。坊ちゃまが賭けた額は金貨三百五十枚に、ドレヴァス様が賭けた額は、金貨百枚。合計金貨四百五十枚の払い戻しとなりました」


 「よし、せっかくだしこの試合も全額イーラに賭けようかな。悪いけどノア、もう一度行ってきてくれないかな?」


 「すまんが俺も頼む」


 「了解しました」


 再びノアは券売の方に向かっていった。


 「なんだかんだでドレヴァスさんもイーラに賭けてるじゃないですか」


 「そりゃあの速さを見たらな……。あの速さがあれば多少の間合いの長さなんて何の有利にもならねえ。懐に入って一発で終わりだ」


 そうドレヴァスは分析する。


 ダンの目からは速すぎて見えなかったイーラの攻撃だが、ドレヴァスはしっかり目で捉えていたらしい。


 そんな二人の会話を余所に、イーラの二戦目が開始される。


 「試合開始ィ!!」


 (えっ、二戦もやるんですか? 聞いてないような……まあでも、やるからにはきっちりと――)


 (キッヒッヒッヒ……女だてらにどれだけやれるか知りませんが……私にはそんなまやかしは通用しませんよ。いつも通り、相手の間合いの外から――ぐぼぉ!?)


 ビボスは、何か目の前に黒い影が横切った、と気付くと同時に、腹に猛烈な激痛を受けて崩れ落ちる。


 ふと気付くと自分の懐に対戦相手の少女があっさり入り込んでおり、脇腹に深々と拳が突き立っていた。


 ダン仕込みの飛び込んでからの肝臓打ちリバーブローをもろに受けて、細身のビボスは一発で戦意喪失して、すぐに地べたを舐めた。


 「しょ、勝者、黒き閃光のイーラ!」


 「…………!」


 そしてイーラは、また理由も分からず例のポーズで天を指差し観客を煽る。


 観客たちはそれを見て、生意気だと怒号を浴びせ続ける。


 これまで試合をずっと見てきた往年の闘技場のファンたちにとって、突然ポッと出の、しかも女の闘士に歴戦の猛者たちが蹂躙されるのを見て面白いはずもない。


 結果、観客たちのボルテージは上がり、なんとしてもあの女を倒せという機運が盛り上がってきていた。


 「東の方! ロギン拳闘団所属、序列第十八位、自由闘士、鉄拳のアロス!」


 「アロス、ごらぁぁぁ! 女なんぞに舐められてんじゃねえぞォ!!」


 「序列持ちの意地を見せろォ!!」


 「ふっ」


 そう呼ばれて出てきたのは、気障ったらしく髪をかきあげる優男の闘士であった。


 「……序列持ちってなんなんです?」


 気になった単語が聞こえてきたので、ダンはそう尋ねる。


 「闘士の中でも人気実力ともに上位に二十位に君臨する闘士のことだ。あのアロスって奴の実力はどんなものか知らないが……まあ見たところ技巧派ってとこだろう。いけ好かねえが、女には人気が出そうな顔だ」


 ダンはそれにへー、と相槌を打ったあと、試合に目を向ける。


 (えっ、えっ、なんで私だけこんなに立て続けに連戦になってるの? それに観客の人たちが凄く怒ってるような……)


 イーラはオロオロと助けを求めるように後ろを見るも、闘技場の端では、デロスが満面の笑みで親指を立てているだけだった。


 ますます困惑するイーラを余所に、再び開始の合図が鳴らされた。


 「試合開始ィ!」


 「敵を前に余所見とは感心しないね! 美しいお嬢さんとはいえ容赦しないよ! 僕の華麗な連撃を食らえっ!」


 「わっ、ちょっと待ってください!」


 不意打ちを受けて二、三発攻撃を受けるも、イーラは全てガードで切り落とし、お返しに首筋にハイキックをお見舞いする。


 「えい!」


 「おっふ!」


 そう気の抜けるような声を上げると同時に、脳を揺さぶられたアロスはガクンと腰砕けになって昏倒する。


 またしても一発で終わる試合に、観客たちからは怒号と歓声が沸き起こる。


 そのあまりにも興奮した観客の様子に、流石にこれ以上はまずいと判断したのか、デロスが乱入して、混乱するイーラを引きずって退場していく。


 最高潮まで上がった場内のボルテージを背に、訳も分からぬままイーラの鮮烈すぎるデビュー戦が幕を閉じたのであった。

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