第37話 天浮舟


 —―そして七日目の朝、会合の当日となった。


 ノアの予報通り、前日まで土砂降りだったにもかかわらず、空には薄っすらと晴れ間が広がり、雨足もすっかり収まっていた。


 ダンは雲間から久々の太陽が覗く空を見上げながら、傍に控えるエリシャたちに声をかけた。


 「では、各種族の長を出迎える準備は皆さんにお任せしてよろしいですか?」


 「ええ、無論でございます。ダン様は時間まで、何卒つつがなくご準備のほどを」


 エリシャのその返答に頷くと同時に、ダンは自身の船に向かう。


 会合に関してはほとんど準備は終わったと言っても良かった。


 元々ラースの死と新たに族長となったロンゾの紹介。そしてダンの顔見せだけなのだ。特に新たな資料が必要なほどのことではない。


 帝国とロムールが怪しい動きをしていることに関しては、まだ調査中でありノアの報告待ちだ。


 ――だが、ほぼ開戦は間違いない見ていいだろう。


 断片的な報告がノアから上がってきてはいるが、どうも宴の最中にロムールの王太子が帝国側の誰かに誅殺されてしまったらしい。


 きっかけはつまらない言い争いだという話だが、どんな小国でも自国の王族、それも後継者を殺されてまともでいられるはずがない。


 ロムールに国としての矜持があるのなら、例え敵わぬ相手でも総力戦を挑むはずだ。


 こちらにも影響が出ることは必定だった。


 「厄介なことにならなければいいがな」


 そう縁起の悪いことを呟きながら歩いていると、ふと獣人ライカンたちの方から、おお、と大きな声が上がる。


 振り向くとそこには――ピィピィと甲高い鳴き声を上げながら飛び回る鳥人ハーピィたちと、それを引き連れて地上付近を悠然と飛行する、一際立派な羽根を持つ鳥人ハーピィの姿があった。


 その立派な鳥人は、ダンの姿を認めるや否や、バサリと大きな羽音を立てて方向を変え、こちらへ向かってくる。


 「――失礼、貴殿が我らを招集した、あの白き塔の支配者、"新しき神"その人だとお見受けするが、如何か?」


 「いかにも。私があの塔の持ち主です。神を僭称するにはいささか心許無い程度の存在でしかありませんが」


 肩をすくめながら応えると、その鳥人ハーピィは、バサっと大きく翼をはためかせてその場に降り立ち、ダンの前で跪いた。


 「お初お目にかかる。我が名は鳥人ハーピィの女王"アルタイル"。伝説における新しき神ともなれば、やがては我らが指導者となられるお方。どうか我が忠誠を受け取られよ」


 それを見て付き従っていた鳥人たちは、ピィピィと混乱しながら鳴き声を上げる。


 しかし、その女王にジロリと睨めつけられ、鳥人たちも慌てて地面に降り立って平伏する。


 「……どうか頭を上げて下さい。せっかくの美しい翼が泥で汚れてしまいますよ。私の名はダン、忠誠ではなく、良き隣人として気軽にお付き合い出来れば幸いですね」


 「寛大なるお心遣い痛み入る」


 ダンがそう言って手を差し伸べると、女王はその手を取ってゆっくりと立ち上がる。


 女王の身長は二メートル近くあり、一八〇センチのダンをもってすら見上げるほどである。


 その白地の翼は先端に焦げ茶色の紋様が刻まれており、オオワシの羽根によく似ていた。


 「……意外だ。神というからにはもっととてつもない存在を想像していたのだが、私から見ればあなたはごく普通の人間に見える」


 「伝説というものは得てして尾ひれがついて語られるものですよ。幻滅されましたか?」


 「いや……逆に底知れなくて恐ろしさを感じるな。我ら鳥人ハーピィの中では、優秀な狩人ほど獲物を狩る直前まで爪を隠しておくものだ。きっとあなたもその類なのだろう」


 「なるほど、"能ある鷹は爪を隠す"という奴ですね。ですがご安心下さい。仮に爪があったとしても、それを友好的な隣人に向けるほど血に飢えてはおりません」


 ダンがそう言うと、アルタイルは「その言葉、信じよう」と言ってその場に立ち上がり、バサリと羽根をはためかせる。


 「……どうやら我らは早く着きすぎたらしい。会合の時間が来るまで、この雄大なる白き塔を、空から観察させて頂いてもよろしいだろうか?」


 「ええ、ご随意に。最上階はテラスになっていますから、そこから入っていただいても構いませんよ」


 「お心遣い、痛み入る」


 そう言うや否や、女王は配下の鳥人たちを引き連れて塔の上層へと舞い上がっていく。


 「またねー、かき氷のおじさん!」


 「今日もあのキラキラあるの?」


 「ねえねえ、わたし、今日は違う味がいいの」


 女王の後ろにあの姦しい三人娘が続き、ダンにひと声かけては飛び去っていく。


 ダンはそれを苦笑交じりに見送りながら、自身も会合に向けて準備をするため、船の中に戻るのであった。



 * * *



 時間が正午を過ぎると、塔の麓に徐々に招待した各種族の代表が集まり始める。


 ダンが準備をしている間、エリシャと他の西の獣人ライカンたちが応対する手筈となっており、その対応に追われていた。

 

 ――そんな中、ある一人の男が声を荒げる。

 

 「おい、なんだこれは! この東の長が出向いてやっているというのに、招待した本人が出迎えもねえってどういうことだ!」


 そういきり立つのは、東の獣人ライカンを統べる長、ジャガラールであった。


 ジャガラールは獣人ライカンの中でも獣側の血を色濃く受け継ぎ、その頭は人間のそれではなく、密林の王者であるジャガーの姿をしていた。


 その見た目だけではなく戦闘力も相応にあり、武闘派の東の獣人ライカンを力で纏め上げていたいた。


 「落ち着かれよ、東の長よ。今我が主は来賓の出迎えの準備を整えておられる。そのように騒がれては郷の品位を損なうというものだ」


 「エリシャ殿! あんたのことは戦士として尊敬しているが、今は俺たちの時代だ。郷のことで余計な口出しは止めてもらおう! 大体、新しき神などという年寄しか有難がらぬカビの生えた伝説に、今更忠誠など誓うつもりはない! 今日はその意志を伝えにきただけだ!」


 ジャガラールはそう断言する。


 「あの方は……ダン様は力で無理やり我らに忠誠を強制するようなお方ではない。あなたも実際に話してみれば分かるだろう。だが話す前からそのような無礼な態度では、あの御方の怒りを買うことになるぞ!」


 「ハッハッハ! 面白い……ならばいっそのこと、怒らせてその力とやらを見せてもらおうか! この俺様より強い戦士だというのなら、前言を翻して忠誠を誓ってやってもよいわ!」


 よほど自分の腕に自信があるのか、ジャガラールはそう豪快に笑う。


 「……お前如きじゃ兄貴の相手にはならねえよ。うちの族長ですら手も足も出なかったんだ。出来もしねえことは言うもんじゃねえぜ、ジャガラール」


 黙って聞いていられなかったのか、ロンゾが不機嫌そうに口を挟んでくる。


 「ああ? ……自分たちの郷も守れなかった分際で何いってんだ。人間如きに郷を追われた獣人ライカンの面汚しが! ラースの奴がくたばったのだって、お前ら郷の戦士が不甲斐なかったからじゃねえのか!?」


 そう指摘するジャガラールに、ロンゾはぐっ、と言葉に詰まる。


 実際に、ジャガラールは前々から先代の族長であるラースとは古くからの幼なじみであり、互いに実力を認め合うライバルのような仲でもあった。

 

 そんな友が、人間の手によって殺されたと聞かされ、怒りと悔しさ紛れに周りの者たちに当たり散らしているだけなのだ。


 それが分かっているからこそ、エリシャも強く注意することが出来ないでいた。


 「ぐっ……確かに族長の周りに居た俺たちが不甲斐なかったのは認めよう。だがな、だからと言って東の果てに引き篭もって、ろくに前線に出てこねえようなお前らに言われたかねえんだよッ! お前らこそ人間からコソコソ逃げ回ってる臆病者じゃねえのか!?」


 「なんだと……?」


 ロンゾがそう口にした瞬間、ジャガラールの纏う空気が一変する。

 

 背中の毛を逆立てて、全身から迸るほどの殺気を放つ様はまさしく猛獣であり、歴戦の戦士であるロンゾを持ってしても気圧されるほどである。


 また、それに付き従う東の郷の戦士たちも、侮辱されたことで怒りを露わにした。


 「本当に俺が臆病者かどうか……だったらてめえがその身を以って確かめてみるか……?」


 ジャガラールが、獰猛な笑みを浮かべて腰の得物に手をかけようとした、その時――


 『そこまでだ』


 SACスーツを着込んだダンが、二人の間に割り込む。


 そして、今まさに剣を抜こうとしたジャガラールの手首を掴んで押し留めた。


 「なんだ、てめえは……!」


 『なんだとはご挨拶だな。要望通り出迎えに来てやったじゃないか。カビの生えた私に遊んで欲しかったんだろう?』


 そう言うや否や、ダンはジャガラールの手首をぐっ、と掴んで無理やり捻り上げる。


 「があっ! てめえ、離せ、コラッ!!」


 『ヤンチャなのも結構だが私の領域で刃傷沙汰はやめてもらおう。……それとロンゾ、お前も言い過ぎだ。東の方々に謝罪しろ』


 ダンはジャガラールの手首をパッ、と話したあと、ロンゾにそう命じる。

 

 ロンゾへの口調は、本人たっての希望もあり今は基本は命令口調で話すようになっていた。


 もはや上司部下の関係なのでそちらの方が自然と言えば自然である。


 「す、すまねえ……。兄貴のことを言われて俺もカッ、となっちまった。勘弁してくれ」

 

 ロンゾがそう頭を下げると、東の獣人ライカンたちも幾分溜飲が下がったのか、やや不満げながらも剣を下げる。


 しかしジャガラールだけは、未だにダンの方を憤怒の籠ったまなざしで見つめていた。


 「てめえ、いきなり出てきて仕切りやがって、何のつもりだコラ……!」


 『—―ラース殿が死んだのは私のせいだからな。そのことで西の郷の戦士たちがどうこう責められるのはお門違いだと思ったので、割り込ませてもらったよ。彼の死について文句があるなら私が直接聞こうじゃないか』


 「は!? んだと……ッ!?」


 ダンの言葉に、ジャガラールは一瞬驚きに目を剥くが、その直後に睨みつける。


 「兄貴! だからそれは違うって言ってるじゃねえか!」


 『違わないさ。私が原因の一旦を担ったのは事実だからな。……だからと言ってそれを現場に居なかった者に謝罪するようなつもりもない。どうしても腹に据えかねるというのなら、用事が終わったあとでいくらでも相手をしてやろう。文字通り、血反吐を吐くまで可愛がってやる』


 「野郎……!」


 そう言ってポン、と自身の肩を軽く叩いて歩き去るダンに、ジャガラールは殺意すら籠ったまなざしを向ける。


 元々沸点が低い上に、かつてここまで侮った態度を取られたことのないジャガラールは、一瞬にして頭が怒り一辺倒に塗りつぶされる。


 もはや怒りは殺意へと変わり、全身から発せられる闘気は彼の部下をもってすら怯えさせるほどであった。


 (新しき神だろうとなんだろうと知ったことか……! もしこれで死んだら……所詮はその程度の存在だったということに過ぎん!)


 そう結論付けて、そのまま首を一閃に薙いでやろうと剣に手をかける。


 しかし次の瞬間—―長い間戦いによって培われたジャガラールの直感が、ゾワリと全力で危険信号を発する。


 (…………ッ! な、んだコイツ!?)


 背中を向けて歩いているだけの相手に、どうやってもこれ以上踏み込めない。


 ただ分かることは、もし剣を振りぬいたら――恐らく自分は死ぬ。


 無防備に見える相手の背中から、ジャガラールは明確に死を直感していた。


 実際にそれは正しく、ダンは背後からの不意打ちには自動制御オートメーションで迎撃するよう機能が備わっている。


 よってダンが望むと望まざるに関わらず、ジャガラールが背後から攻撃を加えた瞬間に無意識に反撃してしまう。


 反撃の強弱は攻撃の脅威度にもよるが、明らかに殺意のあった場合、即座に眉間を撃ち抜かれてもおかしくはない。


 そのことをデジタルではなく、アナログの直感で察知したジャガラールもまた、ラースと同じ優れた戦士と言えた。


 そして、背後から向けられる強い視線をあえて無視しながら、ダンは人だかりを抜けて一段高い台の上に登る。


 既に塔の元には招待した種族の代表者が揃い、ダンの言葉を待っていた。


 それらを見下ろしながら、ダンは両手を広げて語り掛けた。


 『皆さんを歓迎します。私の名はダン・タカナシ。暗黒の海を渡りし者、新しき神、いろいろな呼び名がありますが、私もまた、皆さんと同じこの森の一部に過ぎません。今日は森に住まう皆さんと共に色々な知恵を共有し、またより良い関係を築くためにこのような場を設けました。—―ご覧ください』


 ダンがそう言って上部を指さすと、そこには――白銀の天の方舟が、日の光をキラキラと反射して宙に浮かんでいた。


 「うおお!」


 「あ、あれこそが"暗黒の海を渡る船"か……!?」


 「なんと壮大な……!」


 その圧倒的な光景に、集まった各種族の代表者からも、驚愕やため息の漏れる声が聞こえてくる。


 エリシャなどは、まるで宗教体験をしたかのように、涙を流しながら手を合わせてすらいる。


 ダンが来賓を待たせてまで直前に準備していたのは、"船の修理"であった。


 ワープ事故の損壊が酷く、未だにまともに動かすことが出来ない船だが、"反重力テラオンフレーム"とエンジン部の損傷したパーツを、正常な部分と交換することでどうにかだましだまし動かすことが出来た。


 この会合に向けて、代表者たちの度肝を抜くために必死に準備した成果である。連続起動時間は精々一時間が限度だが、それでも心象的な効果はバッチリだった。


 『あれこそが――皆さんを新たな未来へと導く翼です。会合はあの塔の最上階で行います。どうか各種族の代表者一名様のみ、私の後に着いてきて頂きたい』


 そうダンが呼びかけると、代表者たちは未だ船に視線を取られつつも、大人しく後ろを付いてくる。


 (掴みは上々といったところか。さて……あとはどれだけこの場にいる皆から"協力"を取り付けることが出来るかだな)


 ダンは内心で計算しながら、族長たちを引き連れて会合の場へと赴いた。

 

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