第78話 降臨せしもの

 

 二日目の夜――子供たちが寝静まったあと、ダンは一人海岸に立っていた。


 全てを飲み込むような暗闇の海に、夜空の星の光が反射して、まるで第二の宇宙のように感じられた。


 しかしその光もさざなみとともにかき消され、ゆらゆらと不安定に揺らめいている。


 そんな中で、ダンは海に向かって声を投げかけた。


 「そこにいるんだろう? ノアのレーダーが君たちを捉えた。初日は警戒すらしていなかったが、二日目はあるいはと思って張っていたかい・・があったよ」


 ダンがそう話しかけるも、海からは穏やかなさざなみの音だけが帰ってくる。


 しかしそのまま待ち続けると、やがて――チャポン、という音とともに、何者かが波間から顔の上半分だけを出した。


 更にその数は一つ二つと増えて、数十の規模となってダンに一斉に視線を向ける。


 そして海面に輝く無数の金色の目を見ながら、ダンはなおも臆することなく言った。


 「先日、ここに財宝を置いていったのは君たちだろう? あれについて感謝を述べたい。あれがあるだけでこの森の多くの者が助かるだろう」


 「......'Ishberl'......onomonuoyumahinareraw, oyetadukayinematonimno...」


 「……ん? 何を言ってるんだ?」


 ダンは、久々に正体不明の言語に当たり困惑する。


 どうやら海で出会った彼らは、喋る口を持っていたらしい。


 どうにかしてコミニュケーションを取りたい所だが、今度は言葉の壁が立ちはだかった。


 どうしたものかと頭を悩ませていた、その時――


 『報告します、船長キャプテン


 突如ノアから通信が入る。


 「どうした?」


 『彼らの言語を解析した結果、使用しているのは"原シュメール語"であるということが判明しました。言語データが本機に存在するため、連結リンクすれば直ちに会話が可能となります』


 「……なるほど、ならすぐに頼む」


 ダンがそう指示すると、すぐに頭の中にシュメール語の言語データが送られてくる。


 実際に会話したわけではないので発音は不安があるが、かつての言語学者たちが定めた発音はそれなりに正確であったらしい。


 先程の一文をすぐに翻訳すると、『イシュベール。我らにとっては不要なもの。御身の為に役立てよ』と表示されていた。


 「そう言ってくれると助かるよ。これでも背負うものが多い身の上でね。先立つ物は何よりありがたい。……しかし"イシュベール"とは一体どういう意味だ? 私は君たちにそう呼ばれるような覚えはないが」


 ダンは同じく原シュメール語でそう応じる。


 彼らの言葉は、一人が話しているにも関わらず、全員から重ねて聞こえてくるような不思議な響きをはらんでおり、ダンを反響室に閉じ込めたような奇妙な感覚に陥らせていた。


 「古き神々の言葉が理解できるとは……やはりあなたはそうなのだな」


 海精アプカルルたちは何かを確信したように頷きあったあと、更に続ける。


 「"イシュベール"とは、到来が予言されたあなたを指す名だ。イシュは新しきもの、ベールはあるじ。二つ重ねて『新しき神』、『新しき主』を意味する言葉となる。あるいは"マルドゥリン"と、そうお呼びするべきか」


 「マルドゥリン? それは一体どういう意味だ?」


 また新しい呼び名が出てきたことに、ダンは困惑しながら尋ねる。


 「その名の真の意味は、我らの父たる古き神々にのみ知らされている。だが、どちらもこの地に訪れる"新しき神"、すなわちあなたを指す言葉に他ならない」


 そう一方的に告げる。


 「その古き神々というのは……"アヌンナキ"のことか? 君たちの父とは……」


 ダンは、彼らが話している言語からそう推察する。


 「……我らは恐れ多くもみだりにその名を語ることをしない。だが、肯定する。我らはあの御方たちの一柱、"エンキ"の子アプカルル。イシュベール、新しき神その人にお目通り願えて光栄に思う」


 海精アプカルルたちはそう言って、更に続けた。


 「あなたが倒したあの怪物……あれは我らの中で"ちからの子"と呼ばれる、エンキの創り出したるもの。本来は我らが父祖のねぐらを守る随獣の一柱でありながら、奴は己が欲望のままに暴走し、長い間この近海を食い荒らしていた。仕留めてくれて感謝する」


 「……待ってくれ。では、あの化け物は、アヌンナキが試験管の中で創り出した人工生命ということか?」


 「その通りだ。……そしてそれは、あれだけではない。この星に住まう全ての生命はことごとくくエンキが生み出した創作物なのだ。人間や亜人と呼ばれる者たち、そしてその他の生き物すらも。ここには全ての生命が時代や環境を超越して共生している……。ここで産み出された我々には実感できぬが、神々と同じ土地から来たあなたなら、その意味が分かるのだろう、新しき神イシュベールよ」


 「…………!」


 海精アプカルルの言葉に、ダンはハッとする。


 確かにこの世界では、地球においての時代や年代を無視して、あらゆる世代に存在した生物が共存している、まるで種のごった煮のような世界である。


 地球で起きた大量絶滅イベントがこちらでは起きなかったから、そのままズルズル生き残ってきたのではと考えていたが、アヌンナキという存在が影で生態系を操作していたというのなら、それも理解出来た。


 そして亜人――人間に獣の耳が生えたり、角が生えたり、蛇や鳥のような体をしたりと、自然ではあり得ない進化を遂げてきた存在。


 それら不自然な存在が全て、エンキという一人の超越者が作り出した創作物クリーチャーであるということなら、どことなく腑に落ちるものがあったのだ。


 「……我らは自らを"ウンサンギガ"、『混ぜ合わされし者』と呼ぶ。最初は妖精が作られ、次に人間が作られ、最後に亜人が作られた。全ての命は海からやってきた。我が父エンキのふところから産まれてきたのだ」


 「……アヌンナキは今どこにいるんだ?」


 ダンはそう尋ねる。


 会話出来るものなら是非聞きたいことがあったのだ。


 何故自分をこの地に呼んだのか、自分に一体何をさせたいのかを。


 「あの御方たちは、全ての宇宙の知識が集まる最果てへとお還りになられた。もはや戻ることはあるまい。……だが、御自らが創り上げたものを、受け継ぐ後継者を自らの故郷に見出された」


 「……それが私という訳か」


 ダンはそう答える。


 「そうだ、新しき神イシュベール、あるいはマルドゥリンと呼ばれる者よ。あなたは古き神々の遺産全てを受け継ぎ、この星全ての支配者となられる権利がある。その善にして公正なる魂を、御方たちはあなたに見出したのだ」


 「……この星にはこの星に住まう人々が居て、それぞれの自我がある。余所者である私が彼らの命運を勝手に支配する権限など無いよ」


 ダンは首を横に振るも、海精アプカルルは尚も言い募る。


 「それは違う。この世界には元々、何もない砂礫の大地があるだけだった。そこに降り立ったアヌンナキが大気を産み出し、雨を降らせてこの地上を潤わしたのだ」


 そして、語り部のような口調で続ける。


 「アヌが天と地を分け隔てる大気を作り、エンリルがそれを操って雨を降らせ、海を作り出した。父祖エンキが全ての生き物の種を撒き、ニンフルサグは地上を作物で満たした。イナンナは竈で鉱物を産み出し、ナンナは月となって潮の満ち引きを司った。ウトゥは太陽として地上を遍く照らし、この世に法と秩序をもたらしたのだ」


 そう一気に語ったあと、こう締めくくった。


 「この地上のありとあらゆる恵みはアヌンナキによってもたらされた。故にその後継者たるあなたは、その全てを手にする権利がある」


 「…………」


 ダンはその言葉を、黙って聞き入る。


 創世神話のような語り口ではあるが、これはアヌンナキが、この星を居住化テラフォーミングしたということなのだろう。


 しかしやはりそれは天地創造というに相応しい功績であろう。結果として、一つの世界、文明が出来ているのだから。


 ダンも多少なりとも居住化テラフォーミングする技術はあるが、この巨大な星ひとつをまるごと開拓するその科学力には圧倒された。


 「……私は元々、元の地球に帰る手掛かりを得るためにアヌンナキの館を巡っているに過ぎない。故に全ての遺産を相続した所で、この地に留まるとは限らないぞ」


 「それでも良い。全ての巡礼を終えし時には、あなたには古き神々の無限の知識が身に宿る。あなたがそれを手に入れてどう使うかは、被造物である我々の意思が及ぶところではない」


 「…………」


 ダンはその言葉に黙り込む。


 自分にとっては実に都合のよい話だが、生憎ダンはそう簡単に割り切れる性分でもなかった。


 被造物、確かにそうなのだろう。


 しかしだからといって、今この星に生きている人々は、誰によって造られ、生み出されたかなんて気にせずに各々の暮らしを営んでいる。


 それぞれが持つ心を無視して、帰還する為に物のように切り捨てて良いものとは到底思えなかった。


 しかし、そんなダンの葛藤も露知らず、海精アプカルルたちは続ける。


 「……次には我が父祖エンキの館を訪ねられよ。水の館エアブズの巡礼を成し遂げられれば、全ての海の一族があなたの元に集うことだろう。我らは新しき神イシュベールの号令がかかる日を心よりお待ちしている」


 「……分かった。善処しよう」


 ダンがそう答えると、海面に出ていた海精アプカルルたちの顔が、一人、また一人と海の中へと沈んで減っていく。


 やがて最後の一人になった時、先程まで話していた種族の長らしき者が言った。


 「……それと、くれぐれも魔法にはお気を付けめされよ」


 「魔法に?」


 ダンはそう聞き返す。


 「そう、あれは外なる力。我らが古き神々とはまた別の、この星を侵略せんと訪れた異界の神々によってもたらされたもの。あなたがあれを身につけることは、その別の神の支配を受け入れるも同然。制して利用することは構わぬ。だがくれぐれもその身に纏おうとは思わぬことだ」


 「肝に銘じておこう」


 ダンがそう答えると、「では」と言って最後の一人も海に沈んでいく。


 後に残されたダンは、真っ暗闇の海を一人眺めながらため息をつく。


 アヌンナキ――正体不明の超文明人。


 現代の地球ですら及ばない圧倒的な科学力を持つ彼らが、一体彼らがどこでダンと関わりを持ち、そして何を見出してここに導いたのか、それが全く掴めなかった。


 しかし来てしまった以上は、帰還の手がかりとなるのは彼らの館しかない。残り六つを巡礼していく他ないのだ。


 全く厄介なことに巻き込まれたものだな、とダンは夜のさざ波の中一人ため息を溢した。

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