第79話 帰還


 ピー、と終了を知らせる音とともに、船内の大型ポンプの音が止まる。


 早朝の時間一人休憩室で待っていた所に、ノアの無機質なアナウンスが響き渡った。


 『全工程終了。本機の貯蔵タンク内に12トンの水酸化ナトリウム溶液、2.5トンの塩素を収納完了しました』


 「……ようやく終わったか。これで帰れるな」


 ダンはコーヒーを啜りながら一息つく。


 食塩水から水酸化ナトリウムを抽出した場合、副産物として塩素も排出される。


 塩素は塩素で別の使い道があるので、貯蔵タンク内に取っておくことにした。


 「ふあぁ……おはよう、ダン」


 「おはようございます、ダン様!」


 だらしなく目覚めてくるシャットとは裏腹に、カイラはピシッと身支度を整えて出てくる。


 相変わらずカイラは優等生だった。


 リラは朝は目覚めてから三十分はグズるのが日課なので、ひとまず起きてきた二人に今日の予定を伝えることにした。


 「おはよう、二人とも。朝食はベーコンエッグとパンだ。それと……今日でこの臨海学校は終わりだ。このまま皆を郷に送り届けることにする。こちらの用事もちょうど終わったしな」


 「えーっ! まだ居ましょうよ! せっかくこれから皆仲良くなって楽しくなるところなのに……」


 そうシャットが不満気にむくれる。


 「ダメダメ。私も帰ってからやることが山積みだからな。いつまでもここで遊んでいるわけにもいかない。また来年連れてきてやるから」


 「シャットちゃん、名残惜しいけど、我慢しましょう? 今度はリラちゃんと一緒にオーガ族の郷にお泊りしに来てください。皆で歓迎しますから」


 カイラがそう言い諭す。


 一体どっちが年長なのか分からないやり取りだが、シャットはそれに大人しく引き下がる。


 「むぅ……カイラがそう言うなら。っていうか、いいわねお互いのお家にお泊り会! カイラも今度あたしたちの家にお泊りしに来てよ? まだまだおしゃべりしたいこといっぱいあるんだから!」


 「はい! 楽しみにしていますね!」


 そう意気投合して、二人は手を合わせてキャッキャとはしゃぐ。


 それを見てダンはゆっくり頷いた。


 「――よし、では帰ろうか。それぞれの家族も心配していることだろう。皆を早く安心させやろう」


 そうして、一行は帰途についた。


 海岸には、来たときと同じ穏やかな海がさざ波の音を響かせていた。


 

 * * *



 カイラには苗と種子を渡したあと、オーガ族の郷を後にした。


 酒造りに関しては、ダンが一から十まで指導するのではなく、作り方だけを教えて、後は自分たちで試行錯誤でやってみなさいという形式を取るつもりである。


 時間は掛かるが、その方がカイラの手柄になるので、後々の為にも都合が良かった。


 そしてバトゥに関しては、郷に帰るや否や、出迎えに来た子供たちに涙ながらにこれまでのことを謝罪するという一幕を見せた。


 その豹変ぶりに他の緑鬼オーク族たちは驚愕していたが、何故かドルゴスだけは


 『流石、神サマ!』


 と一言だけ言い放ってご満悦だった。


 どうやらドルゴスの中で更にダンへの信頼が増したようではあるが、あまり無理難題を押し付けるのもやめてもらいたい所であった。


 その後は、青春ドラマのように友達と涙ながらに抱き合って和解するバトゥたちを背に、緑鬼オークの郷を立ち去った。


 バトゥはもう大丈夫だろう。今の少年の頭の中は、皆の役に立ちたいと、早く勉強がしたいで一杯で、劣等感など何処かに消えてしまったようである。


 昨日もひと足早く夜遅くまで東大陸語の言葉を教えてもらっていたらしく、今朝にはフレキが寝不足でフラフラになっていた。


 ――そして、ようやく白き館エバッバルに帰還を果たしたのである。


 広場の前に船を降ろし、ハッチを開くや否や、住人たちが一斉に出迎えた。


 「「お帰りなさいませ、首領様!」」


 「兄貴っ!」


 その中を抜け出して、いち早くロンゾがダンの前に駆け寄ってくる。


 その顔は何故か誇らしげで、鬱陶しいぐらいキラキラした満面の笑みを浮かべていた。


 その後ろでは、姉妹を出迎えに来たエリヤが苦笑を浮かべていた。


 「兄貴! 俺ついにやったよ! 兄貴があの時俺のケツを叩いてくれたおかげだ!」


 ロンゾは、ダンに飛び掛らんばかりに抱きついてくる。


 「分かった分かった! 引っ付くな暑苦しいから!」


 「そう言うなよ兄貴! 俺は兄貴に一生ついて行くぜ!」


 ベタベタと引っ付いてくるロンゾを無理やり引き剥がしながら、ダンはゲッソリとため息をつく。


 どうやら焚き付けたのが上手く行ったらしい。それは良かったのだが、今やロンゾの頭の中はすっかりピンク色に染まってしまい、輪を掛けて残念な男になっていた。


 腑抜けすぎて、その足をリラが思い切り踏んづけてもまるで意に介していない様子だった。


 ――そして、そんなロンゾの向こう側から、事前に呼んでいた目的の人物が現れる。


 「よう、首領の旦那! 俺っちになんか用があるんだって?」


 そう言って気さくに片手を上げて来たのは、南の獣人ライカンの長、ジャスパーであった。


 付き人であろうか、背後に何人も猿人型の獣人ライカンを引き連れていた。


 ジャスパーには、あの海岸で財宝が見つかった時点で、すぐに白き館エバッバルまで来るようビットアイで連絡を取っていた。


 帰ってくるまで一日ほど時間が空いたので、既にこちらに到着していたのだろう。


 「急に呼び出して悪かったなジャスパーくん」


 「いいよ、あんたお偉いさんなんだから、そんなこと気にしなくてもさ。顎で使ってくれて構わねえよ別に?」


 ジャスパーは戯けたように肩を竦める。


 「うむ、それでだな……君に換金してきて欲しいものがあるんだ。少々大仕事になりそうなんだが引き受けてくれるか?」


 「おお? 随分脅すじゃないの。もしかして海で金銀財宝でも見付けてきたってのか?」


 「そのまさかだ。ちょっと上がってくれ」


 そうジャスパーを船の中に上げる。


 船内の内装が珍しいのか、ジャスパーは口をぽかんと開けながら中を見回す。


 ダンはそんな彼を先導しながら、問題の代物まで連れ歩く。


 ――そして、それを前に見せ付けた。


 「う、おおおお!? なんだこりゃ! マジで言ってるのか旦那ァ!?」


 ジャスパーは目を金貨色に変えながら、本物の金銀財宝を前に絶叫する。


 「マジだよ、ジャスパーくん。君にはこれを換金してきて欲しい。価値があるとは思うんだがなかなか捌くのが大変そうでね。商売慣れした君の力を借りたい」


 「か、価値があるなんてもんじゃねえぜこれは! すっげー古い、歴史的な遺物も混じってるし……」


 目の前の価値すら計り知れない財宝を前に、金貨など見慣れたジャスパーすらゴクリと唾を飲み込む。


 しかしやがて、落ち着きを取り戻したのか、大きく息を吐いてこう言った。


 「ここまでのものとなると、いっぺんに全部は換金は出来ねえ。値崩れして足元を見られるのも癪だ。……それに、そこらの貧乏貴族や商家じゃ到底買い取れねえ。大貴族か大商家クラスのつて・・がいるぞ」


 「一応王族に知り合いがいる。君は今からロムールに向かい、かのお姫様と交渉してきてくれないか? 禁域を抜けるまでは私のドローンが護衛する。ガイウスには私から連絡アポを取っておこう」


 「随分と急だが、分かったよ。こんなデカいヤマを目の前に素通りしちゃあ商人失格だからよ。……だが、いいのかい?」


 「何がだ?」


 急にそう尋ねるジャスパーに、ダンは聞き返す。


 「交渉に向かうと言いつつ、旦那は俺っちがこの財宝持ち逃げするとか考えないのかい? 言っちゃなんだが、この十分の一でも一族で何処かの島を買い取って、自由に暮らすにゃ十分過ぎる額だ。俺たち南の獣人ライカンは人間に溶け込んで暮らすのはそれほど不自由ねえからよ」


 ジャスパーは試すような口調でそう尋ねる。


 確かに南の獣人ライカンは人間にほど近い見た目をしている。


 尻尾はあるようだが、それは服の中に隠してしまえば、少しサル顔の人間、くらいにしか思われないだろう。


 持ち逃げしようと思えば出来るのかも知れない。


 しかしダンは、それに笑いながら答える。


 「君はそんなことはしないだろう。そこまで馬鹿じゃないだろうしね」


 「……どういう意味だい?」


 その挑発的な言葉に、ジャスパーは剣呑な口調で聞き返す。


 「もし持ち逃げするなら、その程度の端金は君にくれてやる。その代わり、二度とこの私の前に顔を出すことは許さん」


 ダンはそう宣言したあと、更に続ける。


 「私はこの魔性の森の交易全般を、商売を生業としてきた君たち南の獣人ライカンに任せようと思っている。これからこの地は大いに繁栄し、循環する富は莫大なものとなるだろう。……しかし、その最前線で腕を振るえる立場にありながら、目の前の小銭に目が眩むような小物に私も用はない。どうかその小銭を握りしめてどことなりへと消えたまえ」


 「…………!」


 ふっ、と笑いながらのその言葉に、ジャスパーは額に青筋を立てながらプルプルと肩を震わせる。


 「言っ、てくれるじゃねえか……! 俺っちだってこれまで商売一本でやってきた矜持ってもんがあるんだ! そんなに言うなら、ガッツリ高値で売り抜けて、ジャンジャン儲けて、旦那の鼻を明かしてやるよ! そんで正攻法であんたより金持ちになってやる!」


 「期待しているよ」


 ダンがそう答えると、ジャスパーは憤慨しながらも、財宝から目ぼしいものを取り出して、自身の背嚢に次々に詰め込んでいく。


 「……ひとまず今回はこれくらいだな。これ以上一気に捌くと足元見られちまう。他に指示はないのかい?」

 

 「そうだな……他にはその金で小麦を50袋ほど購入してきてほしいのと、あと地元の農家と交渉して"麦ワラ"を持てるだけ持ってきて欲しい」


 「ワラ? 何に使うんだい、そんなもん?」


 ダンのその言葉に、ジャスパーは首を傾げる。


 「まあちょっと入り用でね。それで……財宝を売り払った金額と、必要なものを購入した金額の差額の一割が君たちの取り分となる」


 「なるほど、高く売り捌いて、安く買い叩いた分だけ俺らが儲かるって仕組みか。悪くねえ」


 ジャスパーは悪どい笑みを浮かべながら頷く。


 「先方に嫌われても難だし程々にしてくれよ。……ところで、ジャスパーくんは東大陸語は話せるんだよな? あとお金の計算なんかも」


 「おいおい、旦那! あんた俺っちを馬鹿にしてるのか? こう見えて差別のきつい人間の中を行商一本で渡り歩いてきたんだ。土地の言語や金の計算なんかは当然出来るに決まってるさ」


 「なるほど……なら君か、もしくは代理の者でもいいが、私の学校で教師として働いて欲しい。無論、給金は払う。子供たちに計算や商取引の概念を学ばせたいからな」


 その言葉に、ジャスパーは意外そうに肩を竦める。


 「森の連中に金の計算を学ばせろって? ……旦那随分と奇特なことをするんだな。まあそういうことなら俺っちが引き受けよう。行商は別に下の連中に任せられるからな」


 その返事にダンは鷹揚に頷く。


 「なら君には今後、ここに滞在してもらいたい。ロムールとの交易をメインに、私の学校作りにも協力してもらおう。無論、その際の住居は提供する。報酬はその都度応相談ということで」


 「いいぜ。俺たちは元々根無し草みたいなもんだ。寝ぐらがどこでも儲かるなら構いやしねえ」


 そう言ったあと、ジャスパーは更に続ける。


 「ところで首領の旦那……あんた思ったより話の分かる御仁だな。俺っちはどうもお偉いさんってのが好きになれなくてね、人間の貴族の中には、身分をかさに命令だけして、金も出さないような話にならないのが腐るほどいる。そんな中で旦那は随分とまともな方だ」


 「なるほど、褒め言葉として受け取っておこう」


 その明け透けな言葉に、ダンは苦笑交じりに答える。


 亜人でありながら人間の国で行商で生きていくのに、それなりの苦労もあったのだろう。その言葉には苦渋が滲み出ていた。


 「俺たちはこう見えて義理堅いんだ。利益と食い扶持が約束されている限り、南の獣人ライカンは旦那には忠を尽くす。それが商売人の仁義ってもんだ」


 「なるほど……だが私はその分仕事の成果に関しては厳しいぞ。君たちの働きがそれに見合ったものであることを期待する」


 ダンの言葉に、ジャスパーは「まあ見てなって」と答えて、宝を入れた背嚢を背負ってその場を後にする。


 外に出ると、未だに腑抜けた顔のロンゾに、リラとシャットの二人に連携して責められている所であった。


 「卑怯千万……! わたしたちがいない間にお母さんに手を出すなんて……」


 「えっ、何!? ロンゾさん、お母さんに何したの!?」


 「いや、何したって、そんなの言える訳が……いででで! こら、噛むな! 髪を引っ張るな!」


 姉妹二人の連携攻撃を受けてなお、ロンゾの口元はヘラヘラと緩んだままであった。


 「ロンゾ、いつまで遊んでいる! お前に仕事がある! 早く来い!」


 「!? こ、こら離せ! 兄貴が呼んでる!」


 ダンがそう招集することで、初めてロンゾは慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。


 相手の息が整ったのを見計らって、ダンは命令を下す。


 「お前は今から西の戦士たちを率いて、ジャスパーくんの護衛兼荷物持ちとしてロムールまで行って来い。すぐに出られるか?」


 「任せてくれ! 郷の戦士たちもほとんど怪我は治ってるし、準備ばっちりだぜ!」


 ロンゾは自分の胸をドン、と叩きながらそう宣言する。


 「頼むぜぇ、西の兄さん。俺っちは荒事は大の苦手なんだ。向こうについたら一杯奢るからよ」


 「おう! 今の俺は兄貴以外誰にも負ける気がしねえ! 竜の背に乗ったつもりでいてくれ!」


 恐らく大船に乗ったつもりの現地的な言い回しなのだろう。


 自信満々にそう言い放つロンゾに若干不安を覚えるも、人数も多いし大丈夫だろうと任せることにした。


 「では禁域の外までは私がドローンで護衛してやる。そこから先は二人に任せたぞ」


 「おう!」


 「あいよ」


 それぞれの返事を聞きながら、ダンは二人をロムールまで送り出した。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る