第12話 奇跡


 「ほう! これは珍しいな」


 郷の中に入るや否や、ダンは見たことのない物珍しい光景にそう声を漏らす。


 目を引いたのは、ライカン族たちの暮らす住居であった。


 住宅はすべて5メートルほどのそこそこ高い木の上に板を組んで作られ、葉っぱと草で屋根が形作られている。


 出入り口からは一本の縄梯子が垂らされており、どうやらここから出入りするらしい。


 いわゆる"ツリーハウス"である。


 そのトム・ソーヤーのような家がいくつも集まっていることに、ダンは思わず少年心をくすぐられてしまった。


 「何が珍しいの? こんなの普通じゃない。あんたの家の方がよほど珍しいし便利よ」


 「そう。こんなの不便なだけ。登り下りは大変だし、雨季は湿気で蒸し暑い。ダンのお家の方がよほど快適」


 現地人の二人は、そう実感の籠もった声で言う。


 傍目から見たらロマンがあっても、実際に暮らすとなるとなかなか大変らしい。


 とはいえ、あえてこういう生活様式を採っているということは、それなりに事情があるのだろうと察せられた。


 害虫や外敵から身を守るためか、それとも洪水や氾濫がよく起きるのか。


 予想はできるがそれを確かめるような暇はなかった。


 「あそこよ!」


 そう言って、シャットの指差した先には、他のものと同じツリーハウスが佇んでいた。


 しかし、その下にはちょっとした人集りが出来ており、シャットとリラが出ていったことだけではなく、何かしらの騒ぎが起きている様子だった。


 郷の中に人の気配が妙に少なかったのは、ほぼ全員がその場に集まっているからであった。


 「……!? 急いで、何か嫌な予感がする……!」


 「お母さんっ!!」


 その言葉を皮切りに、シャットは弾かれるようにしてその人混みに突っ込んでいく。


 「どいてッ! お母さん! お母さん!?」


 「……!? おい、シャットだ! 皆、シャットが帰ってきたぞ!」


 「道を開けてやれ! 最期にエリヤさんに顔だけでも見せてやるんだ」


 そう言って、集まった人々は沈痛な面持ちでシャットに道を開けてやる。


 シャットは必死に縄梯子を手繰って家にまで上がる。


 「ダン! お願い!」


 『いいだろう。舌を噛むなよ』


 自分も連れて行って、というリラの意図を察して、ダンは短くそう答える。


 「……あ、おい! お前は何者だ!」


 「何か妙なやつが侵入してるぞ!!」


 「背中に乗っているのはリラか!?」


 『悪いがちょっと急ぎなんでね。話は後にしてくれ』


 ダンはそう答えるや否や――ズン、と地面を蹴って高く飛び上がる。


 SACスーツのパワードギアに加えて、背部に内蔵されている"ジェットパック"の浮力のお陰で、5メートルほどの高さを一息で飛び上がる。


 下から聞こえるどよめきを背に、ダンは一気に二人の家に突入した。


 「お母さん、よく効く薬草を採ってきたんだよ!? お母さん、お願いだから目を開けて!」


 家の中では、顔色の悪いライカン族の女性に縋り付きながら、悲鳴のような声を上げるシャットと、その横で沈痛な面持ちで目を伏せる大男の姿があった。


 ダンがリラを下ろしてやると、そのまま彼女も、腰が抜けていたことも忘れて急いで女性の方に駆け寄った。


 「ロンゾおじさん!」


 「あ、ああ! リラか、お前も生きてたんだな、良かった……! これでエリヤさんも安心できる」


 そのロンゾと呼ばれた男は寝不足なのか、疲れた顔で目もすっかり落ちくぼんでいた。


 「私たちのことはどうでもいい! お母さんはどうなってるの!?」


 「エリヤさんは……昨日、お前たちが姿を消してから、倒れて目を覚まさないんだ。もしかしたら、禁域に入ったかもって知ってから心労でな。それでどんどん衰弱していって……」


 「そんな……」


 ロンゾはそう思い詰めたような顔で頭を抱える。


 しかし、ふと顔を上げてダンの方を見やると、その顔が怒りに染まる。


 「……おい! 誰だ貴様は! 怪しい奴め、どこから入ってきた!?」


 そう言って、ロンゾは勢いよくダンに掴みかかる。


 「その人はいいの! 私が呼んだんだから。お母さんを助けてくれる人よ! 乱暴しないで!」


 「こ、こんな怪しいやつが……エリヤさんを……?」


 そうリラに言われて、疑いながらもロンゾはダンから手を離す。


 そのすぐ横では、シャットとリラが母親の手を握って必死に呼びかけていた。


 「お母さん! お母さんっ!!」


 「お母さん、お願い……」


 「…………ん」


 その思いが通じたのか、二人の母親――エリヤは、薄っすらと目を開ける。


 そして、泣きそうな顔で覗き込む、二人の顔を見やった。


 「ああ……森の主様、恵みに感謝いたします。最期にまた二人の顔を見られるなんて……」


 「お、お母さん、あ、あたしね、森の禁域に行って薬草採ってきたんだよ! この薬草を食べれば、きっとすぐ良くなるから……!」


 シャットは震える手で薬草を母親の前に差し出す。


 ダンの背後では、それを見たロンゾがぐすりと鼻をすすっている。。


 「……また、無茶したのね。でも、ありがとう。早速、頂くわね……」


 エリヤが、そう言って手を伸ばそうとした、その時――


 「うっ、ごほっ!」


 突如口元を抑えて、大量の血を吐き戻した。


 「お母さんっ!?」


 「ご、ごめんね……お母さん、もう食べられないかも。せっかく採って来てくれたのに、ごめんね……」


 「や、やだ! お母さん! だ、だったらあたしが小さく刻んであげるから――」


 『その辺にしておけ』


 必死に食い下がるシャットを、ダンが肩を叩いて落ち着かせる。


 「でも……!」


 『もうこの人に噛む力は残っていない。あとは私に任せておけ』


 「…………」


 ダンがそう言うと、シャットは小さくコクリと頷く。


 「出来るの、ダン……!?」


 リラは母親の体を支えながら、期待の籠もった眼差しを向ける。


 『正直なところ……分からんな。薬と体の相性もある。こちらは治せても、体が拒否反応を起こしたらおしまいだ』


 ダンは、変に期待をもたせず、正直なところを言う。


 「あなたは……?」


 母親は、息を荒らげながらも、ダンを見て不思議そうに首を傾げる。


 『こんにちは、お母さん。私はこの二人に連れてこられた……まあ、医者のようなものだと思ってもらって結構です』


 ダンは名乗りながらも、スーツに内蔵されたサーモグラフィーを使って、エリヤのバイタルチェックを行う。


 体表温度38.4℃。脈拍120/min。呼吸数の増加。首筋と腕に複数の青あざの痕あり。血痰の症状あり。


 ――それらの情報を統合して、ダンの視界の隅に診断結果が表示された。


 【急性骨髄性白血病、肺炎、敗血症を併発している可能性あり】


 (免疫の疾患か……治る病気ではあるが、あとはナノマシンが適合するかどうかだけだ)


 「あの……」


 ダンがそんなことを考えていると、エリヤが口を開いた。


 「私は……まだ助かるんでしょうか?」


 『……はっきり言って、五分五分です。あなたの病に効く薬はあります。ただこの薬は、非常に強い薬です。薬が体に合えば、劇的に回復しますが、もし合わなければ……あなたはこの場で死ぬことになる。その覚悟はありますか?』


 「……!?」


 「そ、そんな……」


 ダンの言葉に、その場にいた全員が凍りつく。


 「お、おい! ふざけるな、そんな薬をエリヤさんに使わせてたまるか!」


 ロンゾは再びダンに掴みかかろうとするが、それはリラが身を挺して庇った。


 「なんでそこまでこんな怪しいやつを……!」


 「ダンは、お母さんを助けられる唯一の希望……絶対に手は出させない……!」


 「あ、あたしも……! お母さんが助かるなら……!」


 そう言って、シャットまでもがリラの横に並んで、ロンゾに立ちはだかる。


 それを見ていたエリヤが、ぼそりと口を開く。


 「でも……このまま何もしないでいたら、結局私は死にますよね……?」


 『……はい。確実に』


 ダンは正直に答える。


 それで覚悟が決まったのか、エリヤは言った。


 「なら……お願いします。まだ、死にたくありません。この子たちが大きくなっていく姿をまだ見たいですから」


 『分かりました』


 ダンはそう答えると、SACスーツの医療パックから、カートリッジ型の注射器を取り出す。


 中には銀色の液体が並々と入っており、ダンはキャップを取り外したあと――それをエリヤの首筋に突き立てた。


 「あっ」


 「おい、よせ!」


 ロンゾが必死に声を荒げるも、既に目盛りは半分を通過し、カートリッジ一本分の"シルバーブラッド"を注入した。


 エリヤはとうとう体力の限界が訪れたのか、そのまま目をつむるとスヤスヤと寝入ってしまった。


 ダンは注射器を抜き去ったあと、その空容器を医療パックに放り込んで言った。


 『三分ほど待とう。ナノマシンが全身に行き渡るまで、その程度の時間はかかる』


 「貴様……エリヤさんに何を!」


 そう言って、二人を振り切ってロンゾはダンに殴り掛かる。


 しかし、その拳はダンに片手でやすやすと受け止められる。


 「ぐっ……!」


 『落ち着け。効いているか効いていないかは、三分経てば大体分かる。その結果が出たあとなら私を殴るなりなんなりすればいい』


 ダンがそう言うと、ロンゾはぐっ、と悔しそうに顔を歪めたあと、拳を下ろす。


 そしてその場に、どかっと腰掛けた。


 「もしエリヤさんになんかあったら……ただじゃおかねえ!」


 それとは別に、シャットとリラの二人も慌てて母親に付き添った。


 「お母さん……」


 「大丈夫……ダンがなんとかしてくれたもの。必ず治るわ」


 「うん……」


 シャットはお母さん子なのか、もはやどちらが姉でどちらが妹なのか分からないくらい、グズグズに泣いているところをリラに慰められていた。


 当のダンも、やや緊張した面持ちで状態を見やる。


 この場でもし、彼女たちの母親が拒否反応を起こして亡くなったりしたら、ダンはシャットたちから恨まれてしまうかも知れない。


 現地協力者との関係が破綻する、という打算的な思考以前に、こんな幼い子供たちから母親を奪ってしまうという事実はダンにしても気持ちの良いものではない。


 ――そして、緊張感の中所定の時間が過ぎて、バイタルチェックチェックを行う。


 体表温度36.6℃。脈拍70/min。呼吸数の安定。首筋と腕に複数の青あざの痕あり。


 【ナノマシン適合:病態の安定化開始】


 『……よし!』


 ダンも思わず声を上げる。


 そして、不安げにこちらを見守る一同に満を持して言った。


 『薬は効いたぞ。これでほぼ大丈夫だ。あとは安静にして栄養を取ればきっと良くなる』


 「本当!?」


 「や、やった、お母さん!」


 二人は、喜びのあまり寝ている母親に縋り付く。


 「し、信じられん。本当に良くなったのか?」


 二人とは違って、ロンゾは未だに半信半疑のまま聞き返す。


 『ああ、顔を見てみろ。さっきまでとは違って、かなり血色が良くなっているだろう? ……まあ今は、あの子たちだけの母親だ。そっとしておいてやれ』


 「あ、ああ……」


 ダンの言葉に、ロンゾは曖昧に頷く。


 そう言って、ダンがその場を後にしようとした、その時――


 「郷の中に部外者が入り込んでいると聞いたぞッ!!」


 外から、怒号とともにそんな声が聞こえてきた。

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