第111話 元素合成
「い、たた……」
イーラが起き上がると同時に、全身に軋むような痛みが走った。
記憶が朧げではっきりしない。自分は一体何をやっていたのか。
ぼんやりとした視界が徐々に輪郭を持ち始め、はっきりとしたものに変わった時――イーラはようやく自身の置かれた状況を思い出した。
「………!? まずっ!」
眼前にドン、と佇む、巨大な金属の牛の像を見てイーラはハッとして飛び退る。
そう、確か今は戦闘中だった。
心より敬愛するイシュベールと、少しでも共にありたいという気持ちを抑えきれずに、迷惑なのを承知の上でこっそり遺跡の内部まで着いていった。
そして巨大な鉄の猛牛と戦って、自分は負傷して気を失ったのだ。
しかし、戦闘中にしては周りがずいぶんと静かなことに気付いた。
改めて周りを見回すと、地下とは思えないだだっ広い円形の空間が広がっている。
その真ん中には、中途半端な位置で足を上げたまま、ピクリとも動かなくなった巨大な牛の彫像が佇んでいた。
「…………!」
どうやら倒したらしい――その事実を理解すると同時に、イーラは体の力が抜けたのか、その場にぺたりと尻餅をついた。
「助かった……」
「生存者を確認――脳波、脈拍、呼気ともに異常なし。救護の必要性は認められません」
「!?」
安堵するや否や、突如真後ろから声を掛けられてイーラはビクンと身を竦ませる。
振り向くとそこには、先程ダンと共に戦っていた、見知らぬ少女の姿があった。
ダンがノアのことを皆に紹介している時には、イーラは遺跡の裏に潜んでおり、彼女のことを知ることが出来なかったのだ。
しかし、この少女がダンから全幅の信頼を受けていることぐらいは見て取れた。
歳は自分と同じか、ほんの少し上ぐらい。
肌も白くて、人形のような美貌を持つにも関わらず、自身が敬愛するイシュベールと同等以上の力を持つ。
勝手についてきて叱られた自分などと違って、彼女は明確にダンに必要とされていた。
何一つ勝てる部分がない――それを理解してか、イーラの胸のあたりがズキリと痛んだ。
「あ、あのっ……!」
「…………」
それでも仲良くしようとイーラは話し掛ける。しかしノアはそれに答えずに真っ直ぐどこかへと歩いていく。
イーラが慌てて後を追うと、その視線の先には――片膝をついて休んでいるダンの姿があった。
「……どうも格好悪いところを見られたな。だけど、君も大した怪我が無いようで何よりだ」
「ダン様!」
イーラはダンの元に慌てて駆け寄る。
既にヘルメットは収納しており、素顔を晒している。
一見大した怪我もないように見えるが、この場から動かないということは相当悪いのだろうか?
イーラのその心中を読み取ったかのようにダンは答えた。
「大丈夫だ、私の方も大した負傷じゃない。……ただちょっと打ち所が悪くてな。回復まで時間が掛かる。ほっとけばすぐに治るだろう」
ダンはそう言って苦笑をこぼす。
神経を保護する頚椎の人工骨格を損傷したせいで、一時的に電子頭脳からの信号が途絶えて体が麻痺状態に陥ってしまったのだ。
生身なら命に関わる大怪我だが、ナノマシンによる自己修復機能を持つダンには、少し休めば治る程度の損傷でしかなかった。
「……よし、体の感覚が戻ってきた。すまなかったな、二人とも。手間を掛けさせた」
そう言ってダンは、軽く頭を下げる。
「い、いえ! その、私は大丈夫ですから!」
「問題ありません。本機の作戦行動に支障はありません」
そうお互い別々の返事を返す二人に、ダンは軽く頷いたあと、続けてこう言った。
「それと、イーラ。君の独断専行はとても褒められたものじゃない。そんなろくな装備もない状態でアヌンナキの遺跡に入ってくるだなんて、まともとは思えん。今回生き残れたのはたまたま奇跡が起きただけだ」
「はい……」
そう改めてダンに叱責されて、イーラはしょんぼりと俯く。
「……だが、今回君のその奇跡に助けられた。よくあそこでミサイルを誘爆させてくれた。あれがなければ、私もノアも相当追い詰められた状況だったのは間違いない」
「…………!」
今度は逆に褒められて、イーラはバッと顔を上げて期待に目を輝かせる。
その様はまるで子犬のようであり、尻尾があればブンブンと振っていそうですらあった。
「よく奴の急所に気付いたな。真下からは見えていたのか?」
「は、はい! あの牛が、火を吹く筒? みたいなものを出している時にだけ、お腹の下が開いていたので。ダン様が吹き飛ばされたのを見て、ここしかないと思って……」
イーラはそう当時の状況を説明する。
恐らく小型ミサイルを射出している時だけは、腹の下の装甲が開いて無防備だったのだろう。
しかし、グガルアンナはダンには絶対に正面しか見せなかった。
同じく警戒されていたノアが後ろに回ったとしても、腹の中は晒さなかっただろう。
敵に脅威と見做されていなかったイーラだからこそ、無防備な背後を晒したとするなら、あらゆる偶然が重なった幸運な一撃であったことは間違いなかった。
「とにかく……君のお陰で助かった。だが、もう二度とこんなことはしないでくれ。君は自分を身代わりや囮に使えなどと言っていたが、そんなことを求められても私は困る。君を犠牲にして助かったところで何も嬉しくないぞ」
「は、はい! 申し訳ありません……」
イーラはしょんぼりとしながらも頭を下げる。
しかしダンが自分の身を案じてくれたことで、その口元には密かに笑みが浮かんでいた。
「……さて、ではお決まりの"巡礼"と行こうか。イナンナの遺産はどういうものか……皆の目で確かめよう」
「了解しました」
「は、はい! あ、あの……それで、一つ聞きたいんですが……この女性の方は一体どういう方なんでしょうか?」
イーラはつい気になってそう尋ねる。
何せ戦う前は叱責されたり、武器の使い方を教えられたりで、それどころではなかったのだ。
今ようやく状況が落ち着いて、改めて質問する余裕ができた。
「ああ、そうか。君はあの時いなかったのか。……彼女の名はノアだ。私の部下であり、最も信頼できる相棒だ。実力はさっき見た通りだ」
「本機のことはノアとお呼びください、イーラ」
「は、はい! あの、よろしくお願いします……ノアさん」
イーラはおっかなびっくり頭を下げる。
もしかして、二人は恋人? と思ったが、それは怖くて聞けなかった。
もしそうだとダンに言われたら、自分の想いは全くの無駄になってしまう。
よって、モヤモヤとしたものを抱えつつも、それ以上突っ込むことも出来ずに胸の奥に押し込んだ。
そんな彼女を他所に、ダンたちは部屋の真ん中にある石碑に向かう。
場にそぐわないほどに古びた石碑には、青白い光で文字が浮かび上がっていた。
"己が意に忠実たれ"
それを読み上げると同時に、バキ! と石碑の一部が割れて、中から赤褐色の金属板が出てくる。
「ノア、頼む」
「了解しました」
「…………?」
もはや余計な言葉は不要とばかりに、ダンはノアにそれを委ねる。
前回の巡礼時の打ち合わせで、アヌンナキの遺産はノアが一元で管理し、ダンにはその操作インターフェースだけを共有することに決まっている。
万が一ハッキングされることを警戒して、ダンは直接アヌンナキの遺産に触れることはやめることにしたのだ。
「…………!」
その金属版に触れた瞬間――ノアは目を見開いた姿勢のまま硬直する。
恐らく今、大いなる遺産の膨大な情報量が流れ込んでいるのだろう。
目をカッ開いたまま硬直する人間らしからぬノアの姿に、イーラは恐怖を感じながら後退りする。
しかしやがて、情報の流入が止まったのか、ノアは目を閉じて金属板を拾い上げる。
「――解析終了。悪意のあるプログラムは検出されませんでした。
「うむ、頼む」
「え、ええええ!?」
そう言って、突如顔を寄せ合う二人に、イーラは慌てて悲鳴のような声を上げる。
しかし、イーラが思っているようなことはせず、ダンとノアは額を合わせて、電子頭脳を接続し、情報共有を開始する。
ダンの脳内に、ノアの解析した
イナンナはこの星の天地創造において、鉱物を作り出す役割を担っていた。
それに相応しい機能が
ここでは鉱物を"創る"事ができる。
元々ある鉱物を『採掘』や『精製』するのではなく、"創る"事ができるのだ。
例えばこの付近を覆う砂漠の砂からでも、核融合反応によって"鉄"を創り出すことが出来る。
……だが、そこまでなら現存の核融合炉でも可能な範囲である。
凄まじいのは、ここ
その名も"イナンナの炉"。
古代から人類が追い求めていた、"金を創る"という夢。それがまさに実現していた。
仕組みとしては、球形に覆われた炉の中に人工の極小のブラックホールを創り出して、極限の高密度高圧縮の環境を生み出す。
その中に重元素を取り込んで、金属同士を結合させて"金"を精製するというものだ。
当然、使用するエネルギーも莫大なものとなり、人工ブラックホールを安定させるには反重力フレームなどの高度な技術を要する。
しかしアヌンナキはそれを成し得た。
この地上における建物はただの金属の加工場でしかなく、本体の炉は全長3000メートルを超す球型の巨大人工衛星であり、現在はこの星から離れた静止軌道上を、自転に合わせてぐるぐると徘回っている。
それはまさしくこの星における"金星"であり、イナンナの司る星とも合致していた。
「……信じられんくらい高度な技術だな。まさしく"ブラックホール炉"と言ったところか。名前を登録しておいてくれ」
「了解しました。イナンナの炉を、ブラックホール炉に改称し、本機の機能の一部とします」
ダンの指示に、ノアはそう淡々と答える。
「あ、あの……一体何が?」
イーラは一人だけ置いてきぼりをくらい、所在なさげにそう尋ねる。
しかし仕組みを説明したところで理解できるとは思えず、ダンはお茶を濁すように言った。
「君たちが代々受け継いで守ってきたものは、全ての人類が夢に見て、ついぞ叶わなかったものだ。一族の献身は今成された。これからは金はそれほど貴重なものではなくなるだろうな」
「は、はあ……」
イーラはその説明にいまいち要領を得ず、気のない返事を返す。
しかしそれを他所に、この無限の使い道がある設備を、一体どのようなことに使うべきか、深く思索を巡らせるのであった。
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