第105話 可能性の大地


 朝起きると――既にそれなりの大きさの畑がもう出来ていた。


 マルチプルワーカーは外に出していたので、寝ている間にノアがやってくれていたのだろう。


 ダンですらもノアの働きぶりには頭が上がらなかった。


 畑の横には、既に水を通すための水路が掘られており、その上をオアシスから引いた水がチョロチョロと少量ながら流れ出ている。


 その周りには、昨日のうちに襲いかかってきたのであろう、骨兵スケルトンの残骸が、朝日に照らされてカタカタと蠢いては、やがては停止していた。


 「うーむ……私が命令する暇もないな」


 『申し訳ありません。時間効率を重視した結果、本機が耕地を造成するのが最も労力が少ないと判断致しました。元に戻しますか?』


 「いやいや! 元々君に頼むつもりだったから問題はないよ。むしろ良くやってくれた。……それで、彼らの朝食に関してなんだが――」


 『既に準備しています。今朝のメニューは前日の材料の残りを再利用して、鮭と卵の雑炊を人数分用意しております』


 「うむ……か、完璧だな」


 もはや何も言えることはなく、ダンも頷くことしか出来ない。


 以前から優秀ではあったが、最近はノアはダンの考えを先回りして行動しているようなふしがあり、末恐ろしく感じてしまう。


 これも、アヌンナキの館の人工知能を自身のプログラムに組み込んで、演算能力が向上した結果なのかも知れない。


 ノアは学習能力を持つAIなので、この上更に性能が向上する可能性もある。


 相棒が頼もしいのはいいことだが、正直自分が必要ないのではないかという気すらしていた。


 「イシュベール! おはようございます!」


 ダンがそう複雑な気分になっていると、後ろから元気の良い声がかかる。


 イーラが船のハッチから外に出てきたのだ。


 黒妖ダークエルフ族のほとんどは船の格納庫の中で雑魚寝をしてもらっているが、イーラなどの若い女性や、子連れの母親、そして体調の悪い老人などは、それぞれ客室を割り振ってそこに寝てもらっていた。


 男女混合で寝かせてなにか問題が起きたら困ると思っていたのだが、前日はよほど疲れていたのか、消灯した瞬間に皆スイッチが切れたように眠ってしまった。


 そしてイーラは一番最初に目を覚ましたらしい。


 「おはよう。ずいぶん早いじゃないか」


 「はい! こんなにぐっすり眠れたのは久々で……早くイシュベールのお役に立ちたいと思いまして……って、ええ!? もう畑が出来てる!」


 イーラは、目の前の円形に広がっている畑を見て思わず声を上げる。


 そこには既にふかふかに耕された地面と水を通すための水路まで完璧に出来上がっていたからだ。


 畑を円形にするのは、真ん中にスプリンクラーを設置して効率的に水やりをするためである。


 "センターピボット"という人工的な水資源を活用する灌漑かんがい農業の形式であり、乾燥地帯では最も効率の良い農法と言われている。


 最も、今はまだスプリンクラーヘッドも用意出来ておらず、ノアにもセンターピボットをやるなどとは一言も言っていない。


 だが、ダンなら最も効率の良いやり方を選ぶであろうという思考を先読みされた結果、何も言わずとも最適解が用意されていた訳である。


 「全く、優秀な相棒を持って私は嬉しいよ」


 「イシュベール、どうかなさいましたか?」


 そうボソリと呟くダンに、イーラはそう尋ねる。


 「いや、なんでもない。……ところで、この骨の残骸たちは毎回どうしているんだ?」

 

 ダンは、半ば砂に埋もれ始めている骨の残骸を見て、そう尋ねる。


 「え? 別にそのまま、毎回砂に捨てています。特に残しておく理由もありませんので……」


 「なるほど、ではこれは君たちの同胞や家族の死体の成れの果てとか、そういうことはないんだな?」


 「はい。私たちの骨は死んでも動き出したりはしませんので……そうなるのは人間たちだけだと聞いています」


 イーラはそう答える。


 「ふむ、ならこれも使ってしまって構わないか。では、君たちの最初の仕事は、この骨を粉々に砕いて畑に撒くことだ」


 「ええええ!?」


 初っ端からのダンのとんでもない命令に、イーラは思わず声を上げる。


 正直言って耳を疑ってしまうような指示だが、ダンは大真面目な顔で続ける。


 「骨は農業ではとてもいい肥料になる。カルシウムの他、リン酸や窒素も土の養分となる。これをただ捨てる手はないだろう」


 「ひ、人の骨……そ、そんなものを畑に撒いて、本当に大丈夫なのでしょうか? 呪われたりするんじゃ……」


 少し顔を青ざめさせながら、イーラは尋ねる。


 「呪いや魔法がどうかは知らないが……化学的には全く問題はない。呪いもその幽魔アスラ自身が陽の光で消滅したなら大丈夫だろう。骨兵スケルトンの襲撃も、肥料が向こうから寄ってくると考えれば、あながちデメリットばかりとは言えんだろう?」


 「そ、それは……はい、分かりました。イシュベールの御意に従います」


 イーラは若干怯えつつもそう頷く。


 抵抗があるのは分かるが、この過酷な環境下では使えるものは全部使わねば農業は厳しい。


 それにこの骨兵スケルトンの骨は、砂漠の環境でカラカラに乾いて、脂肪分などの不純物が取り除かれていて肥料としては絶好の状態となっている。


 一応中に変なものが混ざっていないか調べはするが、ないなら再利用するほうが理に適っている。


 生命倫理的にはどうかとは思うが、向こうから襲ってきたものをどう利用したところで文句を言われる筋合いはないだろう。


 後は本人たちの生理的嫌悪感の領域になるが――豊作になったあとの農作物を食べれば、そういった先入観もやがては薄れていくはずだ。


 起き上がってくる住人たちを他所に、ダンはこの異星の砂漠の地で、灌漑かんがい農業を実現させるための構図を脳裏に描き始めた。



 * * *



 「よいさぁ!」


 「ほい!」


 威勢のいい掛け声とともに、黒妖ダークエルフ族の男たちはバケツをリレーして、地下坑道の中で崩れた砂礫を運んでいく。


 ダンの考えた、砂漠を南北に縦断する巨大カナートを作るためである。


 そしてその為に、他ならぬダン自身も、坑道の最先端に入って、マルチプルワーカーが掘り進んで後ろに吐き出した砂をスコップで搔いて、バケツに放り込む役目を担っていた。


 士官学校時代に嫌というほどやらされた塹壕堀りを思い出しながら、ダンはひたすらにスコップを振るう。


 その場にいる一番上の立場であるダン自らが陣頭に立って、一番きつい肉体労働に従事していることで、他の者たちのモチベーションにも良い影響を与えていた。


 「よし、いっぱいになったから持って行ってくれ」


 「はは!」


 ダンがそう言ってバケツを差し出すと、男たちは慌ててそれを受け取って、外までリレーして運んでいく。


 「……おい、いいのかよイシュベールにあんなことさせて」


 「でも本人がやるって言ってるしなぁ」


 「こら俺たちも、うかうかしてられねーぞ……」


 そう小声で囁きあいつつ、男性陣は肉体労働に勤しむ。


 その真面目な働きぶりから、日中だけで三キロメートルという、通常ならあり得ない速度で坑道を掘り進めていた。


 しかし、今回掘るカナートは全長五百キロメートルにも及ぶ前人未踏の地下水路である。


 このペースでは終わるのはかなり先となるので、ノアには残業してもらうことになるだろう。


 そして、その頃女性陣はと言うと、地上で骨兵スケルトンの骨を拾い集めて、ゴリゴリとすり鉢で擦っているとこらであった。


 「うええ……気持ち悪い。なんでこんなことしなきゃ駄目なのかしら……」


 「仕方ないでしょ。イシュベールがそう言ったんだから。きっと何か考えがあってのことだわ」


 「その通りです。あの方が間違ったことをなさるはずがありません! 私たちは言われたことをしっかりこなして、あの方を信じて待ちましょう!」


 そうイーラの呼びかけに、女性陣も渋々ながらも従い作業を続行する。


 そしてその後、細かく砕いた骨粉を畑に撒いた後、種を植え付けてその日の作業を終えた。


 センターピボットとは言えど、まだ最初の一歩を踏み出したばかり。スプリンクラーヘッドも出来ておらず、水やりは手で行う必要があった。


 現地人にとってはそれが当たり前で、畑ができただけでも万々歳であったが、ダンはこの程度で済ますつもりはなかった。


 やがて近代的な灌漑かんがい農業の形態が完成すれば、水やりは半自動化され、ここは大規模な穀物生産地にもなり得るだろう。


 ここがだだっ広い砂漠ということは、逆に言えば活用できる土地がいくらでもあるということでもある。


 起伏に飛んだ地形で、なおかつ障害物が異常に多い魔性の森と違って、ここはまっ平らな何も無い土地がひたすらに続いている。


 これを不毛の大地と呼ぶか、"可能性の大地"と呼ぶか。


 それは見るものの認知の違いでしかなかった。

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