第104話 慰労


 ひとしきり黒妖ダークエルフ族が、オアシスではしゃぐのを見届けたあと、ダンは塞がっていた水路を更に拡張して、そう簡単に詰まらないよう工事を施した。


 元のオアシスに繋がる水路の幅は数十センチしかなく、先程のガイコツ人間のようなものが二、三体もいれば簡単に穴が塞がってしまう。


 今度は一メートル以上に水路を拡張したので、異物程度でそうそう詰まることはないだろう。


 どうやらあのガイコツにはそれなりの知能があるらしく、今回のことも故意でやったことだろうという話だ。


 「そもそも、奴らは何なんだ? 私が前に戦ったことのある幽魔アスラとは、まるで違っていたが……」


 「あれは"荒廃の御子"が率いた軍勢の残党で、骨兵スケルトンという最も下級の兵士です。日中は光を避けて砂の中に潜んでいるのですが……夜間は砂から這い出して襲ってきます。今のはたまたま、水に押し出されて外に出てきたのでしょう」


 イーラのその説明に、ダンは少し考え込む。


 そう言えば、『荒廃の御子クインサ』という幽冥の主アスラ・ロードは、南大陸で猛威を振るったという話を聞いたばかりだった。


 率いたのは不死者の軍勢であり、骨の姿になってなお動き続ける姿は、不死という看板に偽り無しといったところだろう。


 ここにはアヌンナキの遺産もあるが故に、侵攻の最前線だったのかも知れない。


 「私のかなり前の先祖の代には、この地は豊かな緑に包まれていたという言い伝えが残っています。荒廃の御子の軍勢が焼き払ってしまったことで、今やすっかり今の砂漠のようになってしまったそうですが……」


 「そうか……それはさぞ壮絶な光景だっただろうな。ということは、君たちはあれらと数百年もの間戦い続けているのか?」


 「はい。幽魔アスラに旧き神々の遺産を穢させぬために守るのが、我らの勤めです。……ただ、厄介なのは夜間は何度倒しても再生するので、骨を粉々に砕くしかありません。さっきのように昼間なら一度倒せばそのまま死んでくれるのですが……」


 そう物騒なことを言いつつ、イーラは物言わぬ骸と化した、骨兵スケルトンを見て溜息をつく。


 「なるほど……じゃあ、それなりの防衛設備も必要だな。あと、せっかく水場も戻ったことだし、畑も作ってみないか?」


 ダンのその提案に、イーラは意外そうに眉を上げる。


 「は、畑ですか? しかし……ここの気候では、ろくな作物も育ちませんが……」


 「そこはそれぞれ環境に適した作物がある。私の育てた種は特別性だ。水と肥料さえ与えれば、大抵の環境でなら十分育つ」


 ダンはそう言うと、「少し待っていてくれ」と言って、船の中に戻る。


 元々最も過酷な宇宙の環境下で農業することを想定して、遺伝子調整した種である。


 過酷で荒廃した場所とはいえ、ある程度水と日差しがあるのなら、問題なく育つ自信はあった。


 「これでどうだ?」


 ダンは、バイオプラントからいくつか種を見繕って、それを小分けにした容器を手渡す。


 「これは……?」


 「乾燥した酷暑の地でも育つ作物だ。ひとまず、ヤムイモ、パパイヤ、マンゴー、ゴマ、バンバラ豆、ソルガムやキャッサバ、ウチワサボテンなんかの種が入っている」


 「?」


 ダンの示した作物はどれも地球のものであり、イーラには聞き覚えのない物ばかりだった。しかしどれも酷暑下の乾燥した環境に適応し、有用な使い道のある作物ばかりであった。


 中でも、ソルガムは成長が早い上に、アフリカでも育てられるイネ科の穀物として現地では親しまれている。


 スイートソルガムという種からは砂糖やシロップも採れる上に、食べた分以外の廃棄物は発酵させてメタンガスを生成したり、乾燥して木質ペレットにすることでバイオマス燃料にすることも出来る。


 食べる以外でも全方向に役に立つ非常に優秀な作物なのだ。


 またバンバラ豆は、アフリカのサハラ砂漠でも栽培されているもっともこの地に適した作物である。


 肉以外では数少ないタンパク源であり、間違いなく黒妖ダークエルフ族の食卓を支えることだろう。


 色々と使い道のある植物ばかりだが、今はとにかく、砂漠状態を打破するために、緑を増やすという目的が第一であった。


 「どうもこの辺りの地下を流れている水路はかなり水量が多いようだ。ちゃんと掘り起こしさえすれば、水が枯渇する心配はほぼないだろう。あそこの山からの雨水が流れて、まっすぐ海まで繋がっているようだぞ」


 そう言って、ダンは人間の国と砂漠のちょうど境目に位置する、北の山を指さして言った。


 恐らく六千メートル峰に属するかなり高い山である。上部が凍り、頂上が白く扁平なさまは、まるでキリマンジャロを思わせる威風である。


 「あれは"カラカラ山"ですね。邪竜が住むという伝説のある山なんですが、そんな恩恵があったなんて……!」


 イーラは驚いたようにそう答える。


 「あれだけ大きい山なら、流れ出てくる水の量も相当なはずだ。この辺りで田畑を広げるくらいには十分に確保できる。明日から畑を作るから、君たちもそれに協力してくれるか?」


 「……! はい、もちろんです! 我らのためにやって下さっていることに、何もしないだなんてありえません!」


 そう力説するイーラに、ダンは頷いたあと言った。


 「うむ、そう言ってくれると助かるよ。まあ今日のところは皆疲れているだろうし、食事にしてあとはゆっくり休むことにしよう。食料は私の船から供述する」


 「も、申し訳ありません……何から何まで……。もはやろくな食料も残っていないもので……」


 その申し出に、イーラは恥じ入るように言う。


 「気にすることはない。皆を無駄に飢えさせるほうが私も居心地が悪いしな。その代わり、明日からガンガン働いてもらう。その分今日はしっかり英気を養ってくれ」


 「……はい!」


 ダンの言葉に、イーラは目に炎を浮かべんばかりの勢いで返事をする。


 イーラはとても真面目で良い子なのだが、どうもそれ故に突っ走ってしまう癖があるように見受けられた。


 見たところ、彼女は15、6歳くらいで、シャットと同じくらいの年齢だろう。


 もしかしたら二人は良い友達になれるかも知れないな、などと、ダンはそんな取り留めのないことを考えたのだった。



 * * *



 「美味い! なんだ、このスープは!?」


 格納庫の中で、一人ひとりに配膳されたスープを飲んで、ある黒妖ダークエルフ族の男が声を上げる。


 その汁は茶色くどろどろに濁って、一見すればただの腐ったスープにしか見えないが、一口すすれば、豊かな風味とその脂の旨味の深さに、誰しもが感嘆の声を上げた。


 供したのは炊き出しの基本である"とん汁"であった。


 魔性の森で以前に仕留めたイボシシ肉が、冷凍庫の中でカチカチに凍っていたので、それをスライスして大鍋で煮込んだのだ。


 なので正確には、"イボシシ汁"である。


 「お、美味しいです、イシュベール! この脂の甘味と、この不思議な塩辛いスープの相性が最高で……!」


 イーラは器を手に取りながら、キラキラとした目で言った。


 彼女以外も、皆そのスープを口にしながら、口々にうまいうまいとかきこんでいる。


 中にはよほど美味かったのか、泣きながら口にしている者もいるほどだった。


 基本的に彼らの食生活は、オアシスの水を求めて近付いてきたフラミンゴのような野鳥を狩るか、自生しているデーツナツメヤシのような果物を生か干して食べるしかなく、到底美食とは言い難いものだった。


 生きるため最低限の栄養補給をする中で、いきなりこんな旨味の強い現代食を食べたことから、相当に舌が驚いたことは想像に難くなかった。


 「皆砂漠を歩いて汗をかいていただろうから、少し塩気を強くしておいたんだ。とん汁は色んな栄養が取れるしな」


 そう言うとダンも自身の器でスープを啜る。


 口に入れた瞬間、イボシシの上質な脂と、汁に溶け出した野菜の甘味が混ざり、なんとも滋味深い味わいとなっていく。


 体の奥底からほっこりと温まるさまは、疲れた体になんとも言えぬ幸福感をもたらすだろう。


 「それに……この白い穀物もとても美味しいです! ふんわり甘くて……それに中に入っているのは、魚?」


 「"シャケ"だな。おにぎりにはシャケの塩味がよく合うんだ」


 「シャケ……?」


 ダンの言葉に、イーラは聞き覚えがなかったのかキョトンと首を傾げる。


 実は魚に関しては、水の館エアブズを解放したあと、海の異種族たちから、お礼だと言わんばかりに大量に海産物が贈られたのだ。


 しかも、こちらの世界の海は栄養が豊かなのか、どれも地球のものより1.5倍はデカい大物ばかりだった。


 血と内臓だけ抜いて冷凍庫の肥やしにしていたのだが、早くも消費できる機会が訪れてダンとしてはむしろ助かっていた。


 「魚だよ。海の魚だ。赤い身が特徴で、脂が乗ってて美味いんだ」


 「海……見たことがありません。話には聞いたことがあるのですが……一体どんな場所なのでしょう」


 イーラはそうボソリと零す。


 ここは周辺数百キロを熱砂の砂漠に覆われた陸の孤島である。


 彼女たちは出たくともここから出らず、オアシスに縋って生きる他なかったのだ。


 それを考えると、彼女たちの境遇がなんとも哀れに思えた。


 「そうだな……なら、北にある山の麓から、南の海まで真っ直ぐ"カナート"を掘るか」


 「カナート? とはなんですか?」


 聞き慣れない単語に、イーラはそう聞き返す。


 「山の裾野から伸びる人工の地下水路のことだ。水だけじゃなく、隣に歩道を整備すれば、涼しく安全な地下道にもなる。荷車が通れるくらいの広さにしておけば、海沿に港も作れるし、人の国とも安全に交易が出来るようになるはずだ」


 「そ、そんなものが……!? でも、聞くだけでとんでもなく作るのが大変なもののように思えるのですが……」


 「問題ない。マルチプルワーカーを使えば、一日中全自動で指定した位置まで掘り続けてくれるからな。恐らく一ヶ月もあれば開通はするだろう。ただ……水路を補強したり細かな整備は君たちにやってもらうことになるぞ」


 「も、もちろんそれは致します! でも、南の海まで繋げる必要はあるんですか?」


 イーラはそう疑問を口にする。


 「南の海側に港湾を作れば、そこを起点に漁業や海上交易が発展するだろう? そしてカナートを通じて人間の国と安全な通り道を築けば、この地は中継地ハブとして大いに栄えるはずだ。幸い、私の拠点としている東の果ての地と、南大陸アウストラリスの南端は海を隔ててそれほど離れていない。海路を繋ぐのはさほど難しいことではないだろう」


 「…………!」


 その途方もない計画を聞いて、イーラは目を見開く。


 かつて"悪魔の海路"と呼ばれた魔性の森の南西の海も、ダンが巨大海蛇を倒したことで問題なく通じるようになっている。


 今の時点ではイーラの頭ではとても想像が付かないが、ダンの中では既に明確な絵図が描かれつつあった。


 「ひとまず、本格的に作業するのは明日からだ。今日はしっかり食べてゆっくり休みなさい」


 「はい……!」


 「皆も、おかわりはたくさんあるからしっかり食べてくれ! 明日からは皆にも本格的に仕事を手伝ってもらう! 今日のところはここでゆっくり休んで、明日からしっかり頼むぞ!」


 「おおーっ!」


 ダンの言葉に、黒妖ダークエルフの男たちは威勢よく声を上げる。


 その後も、まだまだ食べたりなかったのか、おにぎりととん汁に次々と人が殺到した。

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