第134話 聖都にて
中央区の街並みを見て分かったことがある。
それはこの街には明確に階級制度が存在することだ。
まず頂点に位置するのが聖職者。
白い僧衣を纏った僧侶らしき人物が近付くと、どんな身なりのいい貴族の子弟らしき者も、跪いて頭を垂れる。
次に聖堂騎士。
白銀の鎧をつけた聖堂騎士は普通の騎士よりも階級が上らしく、鈍色の鎧をつけた軍属の騎士たちを従えていた。
貴族階級はあるらしいが、その立場は微妙であり、神官や聖職者よりは明確に下だが、聖堂騎士とは対等かそれ以上かは、爵位によって決まるそうだ。
最も聖堂騎士のほとんどが既得権益層の貴族階級出身であり、結局は出家の爵位がそのまま身分の差となるらしい。
工商農などの労働者階級は存在しない。
それらの労働は全て亜人と蔑まれる異種族たちの仕事であり、特権階級者たちは自らの荘園を持ち、そこで彼らを奴隷として労働させているそうだ。
つまりここは、貴族と聖職者たちのためだけの街ということだ。
「……まったく吐き気がする街だな。自分たちでは何も出来ないくせに地位にふんぞり返る、無能者の掃き溜めということか」
ダンは間違っても近くの者に聞かれないよう、宇宙公用語で辛辣な愚痴をこぼす。
近くを歩いている者は全て西大陸語で会話しており、ダンでは聞き取れない。
今はノアに町中で聞こえる会話を、全力で解析してもらっているところである。
街のことも、歩きながらドレヴァスが解説してくれていたが故に、ここまで深く理解できたのだ。
「ドレヴァスさんは貴族や聖職者の方たちとも関係が深いんですか? 随分とこの街の中身にお詳しいようですけど」
イーラが観光ガイドよろしく、街のことを詳しく解説してくれるドレヴァスにそう尋ねる。
「俺は少し特別だ。剣闘士や拳闘士は奴隷階級だが、人気が出れば貴族や特権階級どもとも繋がりが出来る。好事家の御婦人の寝所に呼ばれて、そこで色々教わることもある」
「し、寝所に……!?」
イーラはその言葉の意味を察したのか、頬を赤らめる。
「なるほど。ドレヴァスさんは拳闘士としては圧倒的な戦績をお持ちだったとか。それで、この中心街のことも詳しくご存知なんですね」
「ああ。……最も今は若干自信喪失気味だがな。そこのお嬢ちゃんも、出ればかなり人気の闘士になれんじゃないか?」
ドレヴァスはノアの方に向かって言う。
「彼女が出るとただの弱い者いじめになりますよ。下手をすると、勢い余って相手を殺してしまうかも知れません」
ダンの微塵もノアの勝利を疑っていない言葉に、ドレヴァスは苦笑する。
「相変わらず坊っちゃんの入れ込みようは凄いもんだな。まあ、その姉さんがとんでもねえ化けもんだってことは俺もなんとなくは分かるが……だったら嬢ちゃんはどうだ?」
「へ?」
ドレヴァスは今度はイーラに向かって言う。
イーラはと言うと、いきなり自分に話を振られ、キョトンと自身を指差す。
「なるほど……確かに彼女なら、そこそこいい訓練になるかも知れませんね。でも……よく知りませんが奴隷闘士の方々は、負けると悲惨な目に遭うのではありませんか? イーラもこう見えてかなりの実力者ですから、勝ち進んだ陰で何人もの人が奈落に突き落とされるのを見るのは少々胸糞悪いですね」
「確かに……基本奴隷闘士は負けると殺されることになる。賭けが絡んでるからな、負けた側の客が助命を許さん。……だが、それに関しては安心しろ。腕試し目的の自由闘士枠というのもある。それなら負けても殺されはしないし、希望すれば奴隷闘士との戦いは避けることも出来る」
ドレヴァスはそう言うと、なおも続けた。
「……だが、自由闘士として来るやつはそこそこ強いやつが多いぞ。実際に百勝して自由身分になったが、闘技場が忘れられなくて自由闘士を続けてる奴や、中には試合で相手をいたぶって楽しんでるイカレ野郎もいる。奴らはやせっぽっちで装備もろくに与えられない奴隷闘士と違って、装備も充実してるし騎士などの上流階級も多い。闘技場で何勝かしたというのが、奴らにとっちゃ一種の自慢みたいなものだからな」
自身の経験を思い出したのか、ドレヴァスは忌々しそうに言う。
「なるほど……それなら後腐れなく思いっきり叩きのめすことが出来ますね。イーラはどうする?」
「えっ、わ、私ですか?」
イーラはそう訊かれて、困惑しながら聞き返す。
「ああ。別に強制するつもりはないが、お前にとってもいい訓練になると思う。対人戦の経験は余りないだろう?」
「そ、それはそうなんですが、その、私で勝てますかね?」
「問題はない。しっかり近接戦闘の基本は出来ている。あとは油断さえしなければ、身体能力の面で圧倒出来るはずだ。ノアほどではないが、お前も相当な実力者なんだから、これを機にしっかり自信を付けてくるといい」
「……! は、はい!」
ダンがそう言うと、ノアもすっかりその気になったのか、やる気に満ち溢れた顔で頷く。
「なんだか……坊っちゃんとお嬢ちゃん方の関係性がいまいち見えてこねえんだが……いいとこのお坊ちゃんと、その護衛ってことでいいんだよな?」
ドレヴァスは、ダンのまるで指導者のような口ぶりに混乱をきたしながらそう尋ねる。
「そうですね。……とはいえ、僕たちの関係性は少々特殊ですので、あまり詮索するのは勘弁してください。あなたがこれからも、長く僕に仕えてくださるというのなら全てお教えしますけど?」
「いや……やめておこう。俺とお前らはただの一時的な雇い雇われだ。それ以上首を突っ込むつもりはねえ」
「それは残念」
ドレヴァスの言葉に、ダンはそう言って肩を竦める。
そうこうしている内に、ドレヴァスに連れられるまま、大きな教会のような建物の前に行き着いた。
「ここが聖教会本庁の窓口だ。洗礼はここで受付することが出来る。……だが、数日は待たされることになるぞ。洗礼を受けたい人間はそれこそごまんといるからな」
「構いませんよ。今日中に受付して、当日が来るまでゆっくり街を観光することにしますよ」
ダンはそう答えると、その教会の中に足を踏み入れる。
――しかし、ドレヴァスは入り口付近で立ち止まる。
「悪いが……俺はここまでだ。教会の中に亜人は入れないからな。どうも獣混じりの血が汚いからだそうだ」
「なっ……! 随分とひどい言い様ですね。なら、私も駄目なんですか!?」
「そうだな。お嬢ちゃんも入るのは止めたほうがいい。神官どもに目を付けられると面倒だぞ」
そう実感の籠もった口調で言われて、イーラもすごすごと引き下がる。
「しかし……こちらとしてもそれは困りますね。僕たちは西大陸語が話せませんから、意思疎通の手段がなくなってしまいます」
「受付には一応、近隣の大陸語が話せる奴が座っているはずだ。離れた
「分かりました……とりあえず行ってみます。ノア、付き合ってくれ」
「了解しました」
そう言ったあと、今度こそ教会内部に足を踏み入れる。
「おお……」
そして、中を見た瞬間思わず声が出た。
内装はまるでケルンの大聖堂のように色とりどりのステンドグラスが張り巡らされ、極彩色の光を内部に投影している。
恐らく教典の伝承を表しているのだろう、ステンドグラスの文様にはある種のストーリー性があるように見えた。
しかし、ダンはその内容などどうでもよく、技術の方に目が行った。
(これを作った職人を引き抜きたいな……)
ダンがそんな事を考えながら内装を鑑賞していると、奥から一人僧衣を着た聖職者らしき青年が、笑顔でこちらに近付いて来る。
「jgndaupjgnamjmhujnwm?」
(あー……この感じは久しぶりだな。何を言っているのか全く分からんぞ)
何かを咎めるような様子でもないため、ひとまず何の用事か尋ねているような感じなのだろう。
ニュアンスは伝わるのだが、話し掛けられてもそれに応答する言語がないため、ダンはひとまず一礼する。
「……坊ちゃま、本機が代わりに会話してもよろしいでしょうか?」
「何? 出来るのか?」
しかしその時、ノアがそんな事を申し出る。
「はい。未だ西大陸語の解析は10パーセントほどと不十分ではありますが、単語のつなぎ合わせでよろしいのでしたら、一応会話は可能となっております」
「……分かった。多少不安ではあるが、君に任せるよ」
二人でそうヒソヒソ話すのを前に、青年はキョトンとした顔で首を傾げる。
「……!?」
しかしそこでノアが前にぐい、と出ると、青年は顔を赤くしながらのけぞる。
聖職者ながらになんとも分かりやすいことだな、とダンは思った。
「アノ……モウシワケ、アリマセン。ワタシタチ、アウストラシア人、ココノコトバ、ワカラナイ」
「……!? ああ、なるほど、
そうノアがたどたどしい
「これは驚きました……
ダンは驚き混じりにそう尋ねる。
「いえ、私はまだ神学校の学生で、学校で言語学の授業を専攻しているので、休みの日なんかはこうやって窓口の臨時職員をやって小遣いを稼いでるんですよ。それに、
そう言って青年は、人の良さそうな笑みを浮かべる。
この国の状態を見るに、聖職者とやらも随分と腐敗しているのではないかと思ったが、どうやらこの純朴そうな青年に関してはそんなこともないようである。
もっとも、本職の聖職者ではなく、まだ学生だからなのかも知れない。
「はい、今回は僕が洗礼を受けに、はるばる参りました。……申し遅れました。僕は、
「よろしくお願いします」
そうダンが紹介すると、ノアも優雅に一礼する。
その青年は、ノアの姿を見ながら、ボー、っと硬直していた。
「あの……何か?」
「はっ、も、申し訳ありません! 私は神学校四年生の"エリアス"と申します! 今回の洗礼に関しては、私が案内を受け持つことになります。デュラン殿、ノア殿、どうかよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いしますエリアス様。……ところで、洗礼はいつ頃受けられる予定となるのでしょうか?」
ダンの問いに、エリアスはうーん、と冊子のようなものを開きながら、何かを確認している。
「そうですね……一番近いところになると四日後でしょうか? 洗礼を受け持つ司祭様はご多忙なお方ですので、最低でもそれくらいは待つことになりますね」
「分かりました。では四日後にまたこちらに来ればよろしいでしょうか?」
「ええ。それと……その際はいくつかご寄進を頂くことになっておりまして……事前にご用意いただければ……」
そうエリアスは、若干言い辛そうに言う。
「ええ、もちろんです。聖教会は世のため人のために神に仕える崇高な組織。いち人間として、寄進を惜しむようなことなどいたしません」
「そうですか……! そう言って頂けると助かります!」
ダンの心にも無い社交辞令に、エリアスはあからさまにホッとした表情を見せる。
「それで、あと一つ個人的なお願いがありまして……」
「はい? なんでしょう」
エリアスはまたキョトンと首を傾げながら聞き返す。
「ここにいるノアに、西大陸語を手解きして頂けませんでしょうか? もちろん、謝礼はお支払い致します。期間はノアが問題なく日常会話をこなせるようになるまで、業務や学校時間の合間でもよろしいので」
「え、えええ!?」
その申し出に、エリアスは思わず驚きの声を上げる。
ダンたちからすれば、東大陸語と西大陸語を両方流暢に話せて、なおかつ若くて変に世の中に擦れてないエリアスは教師として申し分なかった。
また人にものを教えるというのは、聖職者にはよく来る依頼ではあるので、本来さほど驚くことでもない。
それでもエリアスが声を上げたのは、今しがたその美しさに見惚れたばかりのノアという美少女にお近付きになる機会が、突然降って湧いたように訪れたからである。
(こ、これは……! もしかして、主神が私に、彼女を落としてみせよと、そう仰っているのではないか……!?)
そうエリアスは夢見がちな思考を駆け巡らせながら、ゴクリと唾を飲み込む。
(主神エウロイよ、この出会い感謝します! 彼女はまさに
(……ううむ、分かりやすくのぼせ上がっているな。悪いが君の好意を利用させてもらう。今の処理能力が上がったノアなら、半日も会話すれば西大陸語を習得できるだろう。君に彼女と仲を深めるようなチャンスはやってこない)
顔を真っ赤にするエリアスに、ダンは冷静に思考を巡らせる。
「ぜひ、やらせて下さい! 私も今は授業は休講中ですし、人に教えるというのも良い経験となります!」
「それは良かった! ではさっそく、これからお願い出来ませんか? 謝礼は先払いさせて頂きます」
そう言ってダンは、エリアスに金貨十枚を握らせる。
「これは、こんなに頂くわけには……」
「いえいえ、神学生という将来は神にお仕えするご立派な方に教えて頂くのです。これくらいは当然のことですよ。万が一足りなければまた言って下さい。この程度の額はいつでも用立て出来ますので」
「そ、そうですか。では遠慮なく……」
ダンの子供らしからぬ言動に若干引きつつも、エリアスは金貨を一礼して頂く。
「では、ノア。僕たちは闘技場の方に行ってくるから、エリアス様に教えて貰ってて。夕方頃また迎えに来るから」
「はい、坊ちゃまもどうぞ、お気を付け下さい」
そう言って見送りを受けたあと、ダンはその場を後にする。
その後ノアは、ダンの予測通り三時間で聖教会の教典を諳んじられるほどに上達し、エリアスの度肝を抜いたのであった。
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