第133話 潜入
次の日の朝――。
ダンは寝不足でゲッソリとした顔のまま、上着を羽織って身支度を整える。
やはりと言うべきか、三人一緒のベッドでは熟睡という訳にはいかなかった。
狭苦しいのもさることながら、主にダンの腕や顔に柔らかいものが当たり、気が気ではなかったのだ。
何故かイーラはガッツリ熟睡出来たらしく、ツヤツヤした顔で先に下に降りていった。
ダンがノアに手伝って貰いながら着替えを済ませると、ふと腹がぐぅ、と鳴った。
「……そうか、この身体は腹が減るんだったな。久々に人間らしい感覚を思い出した気分だ」
食事に睡眠、排泄など機械の体となったダンには不要となった習慣が、この子供の体によって久々に思い起こされた。
腹が減る、などという感覚も久しぶりで、ダンはこの感覚を不便だなと思うと同時に懐かしんだ。
「一階の食堂で朝食が摂れるようです。向かいますか?」
「そうだな。昨日から何も食べていないしな」
ダンはそう答えたあと、ノアとともに一緒に向かう。
食堂では既に朝食を摂っていたイーラが、ハンバーガーのようなものを片手にダンに手を振っていた。
「あ、坊ちゃま! こちらです! 席確保しておきましたよ!」
「ああ、ありがとう」
ダンはそう答えると、イーラの対面に腰掛ける。
「美味そうだな。何を食べてるんだ? それは」
「これですか? ここの宿屋の名物らしいですよ! 茹でたパンに野菜と燻製肉を挟んだものらしいです!」
「ふむ、美味そうだな。私もそれを貰おうか」
「そう言うと思って、既に頼んでありますよ! ノアさんは……食べられないですよね。一緒に食べたかったんですが」
「お気遣いなく。本機は全個体電池を持ってきておりますので、活動するエネルギーは足りています」
残念そうに言うイーラに、ノアは淡々と答える。
確かに三人揃った状態で、ノア一人だけ何も食べられないというのはいささか居心地が悪かった。
それと、ノアのこのアンドロイド体は非常に燃費が悪く、長時間起動するには全個体電池をいくつも持ち歩く必要がある。
そういった意味でも、食事からエネルギーを補給して長時間行動できる、ノアの生身のボディを使うことが出来るよう、訓練を進める必要があった。
「はいよ! うちの名物、肉はさみパンさ!」
そうこう考え込んでいる内に、女将さんがダンの前にどんと大きなサンドイッチが皿ごと置かれる。
「坊や、あんたはまだちっこいんだからいっぱい食べなきゃ駄目だよ! 中の肉を大盛りにしといたからね!」
そう言って、女将はダンの背中をバシン、と叩いてさっさと給仕に戻ってしまう。
どうやら子供には優しい人らしい。
だが、目の前の巨大サンドイッチは、到底子供が食べ切れる量とは思えなかった。
「厚意はありがたいが、こ、これは……」
「わー、凄いですねえ! ここのお肉、とっても美味しいんですよ!」
そう言って、イーラは無邪気にそれを羨ましがっている。
ダンは軍人として、いつでも動ける腹八分目にすることが身に付いているが、それと同時に出された食べ物は残さず食べる、という日本人的習慣もあった。
特に、裕福とは言えない宿の女将さんから受けた厚意を無碍にするのは、流石にダンも忍びなかった。
「……いただきます」
ダンは覚悟を決めて、目の前の赤ん坊の頭ほどもあるサンドイッチにかぶりついた。
こんがり焼かれてバリ、と固いパンの奥から、じわりとにじみ出る肉の旨味と、ほのかにヨーグルトのような味がついた、爽やかな野菜の風味が口の中を浄化する。
「む……! これはなかなか、美味いな」
ダンは素直に賛辞を述べる。
正直あまり味は期待していなかったが、思ったより料理のレベルが高い。
料理名で言うなら、アメリカのプルドポークに近いだろうか、とダンは思う。
豚肉に近い風味の燻製肉を細かく解して、コールスローサラダのような野菜と一緒に挟んだサンドイッチだった。
バンズは茹で焼きしたベーグルのような生地であり、バリバリに焼いた中にももっちりとした食感が残っている。
あまり調味料が発達していないこの文明レベルにおいて、この味を作ったのはかなりの腕前と言っていいだろう。
「そうですよね! これ、とっても美味しいですよね! ……女将さーん! 坊ちゃまが、ここの料理美味しいって言ってますよ〜!」
イーラがそう言って厨房に呼び掛けると、女将が顔を出して、「はいよ!」と男前に返事をする。
その後ろに大柄な男性が鍋を振るっているのが見えたので、夫婦で役割分担してこの宿を経営しているのだろう。
建物は古いがサービスはいいし、この宿を選んだのは正解だったな、とダンは思った。
「よう、坊っちゃん。随分とデケェの食ってんじゃねえか」
ダンが必死にサンドイッチに立ち向かっていると、約束通り朝の時刻に、ドレヴァスが姿を表した。
彼は女将に自分も同じものを、と注文したあと、ダンの斜め向かいのイーラの隣に腰を下ろした。
「で? 約束通り来てやった訳だが、今日は何するんだ? 前金貰った以上は、子どものお使いにだって付き合ってやるよ」
「……! 今日は、さっそく洗礼の受付に向かったあとは、国の中心部を散策するつもりです。こちらの国の方々の暮らしぶりを知りたいですしね」
ダンは口の中に詰め込んだパンを、慌てて喉の奥に嚥下しながらそう答える。
「中心部か……なら、内壁を超える必要があるぞ。中央街に何か伝手でもないのか?」
「伝手……ですか。残念ながらそういったものはありませんね。僕たちは全く別の大陸から来たものですから」
その言葉に、ドレヴァスはちっ、と舌を鳴らす。
「……なら、それ相応に金がかかるぞ。普通は親戚の伝手を辿るか、もしくは教会の生臭坊主どもの推薦状でもなければ中々壁の内側には入れねえんだ。それでも入りてえってんなら、衛兵に賄賂を渡して入り込むしかねえ」
「構いませんよ。どれくらい必要ですか?」
「全員で金貨十枚だ。一応衛兵には顔見知りがいる。そいつに金を払えば、ひとまず問題なく中には入れるだろうよ」
「分かりました。ではお任せします」
そう言ってダンは、何の躊躇いもなく金貨をドレヴァスに支払う。
ドレヴァスはそれを受け取ったあと、へっ、と鼻を鳴らす。
「ここらじゃ、十枚どころか金貨一枚の借金でで人が死ぬ、なんてこともしょっちゅうだが、坊っちゃんは金貨十枚もの大金を昨日会ったばかりの俺にポン、と預けちまうのか。生まれが違うとここまで金の価値観が違うもんなんだな」
「僕はただ必要なことにはお金を惜しまないだけですよ。それに、この程度のお金であなたに信頼を示せるなら安いものです。この地に知り合いが誰もいない僕たちは、あなたとの関係性が生命線でもありますからね」
ダンはそう答える。
実際問題、自分で金を作れるダンにとって、誰にいくら払ったかどうかなど大した問題ではない。
それよりも、変に出し渋ってドレヴァスとの関係が険悪になることのほうが面倒なのだ。
お金のことでギクシャクするくらいなら、金だけ出して後は全部お任せくらいのほうが上手くいくだろうと判断した。
「へっ、坊っちゃんは豪胆なのか馬鹿なのかよく分かんねえな。昨日会ったばかりのゴロツキをそこまで信頼してくれるとはな」
ドレヴァスはそう言うと、自分にも配膳されたサンドイッチに豪快に被り付く。
子供の体であるダンと違って、二メートル近くにもなるドレヴァスはたった一口で半分近くまで食べてしまい、指についた汁を舐め取りながら言う。
「……まあ、こちらも金を貰っている以上はきっちり仕事はやらせてもらう。この後すぐに内門に向かうが、あんたたちは何も言わずに、衛兵との交渉は俺に任せてくれればいい」
「分かりました」
ダンはそう答えたあと、再びサンドイッチに齧り付く。
今ようやく三分の一に到達したところであり、完食まではまだしばらくかかりそうであった。
* * *
「うっぷ……苦しい……」
ダンは、無理やり詰め込んだサンドイッチをどうにか腹の中に収めたまま、青い顔で街を歩く。
完食したのを見て女将は上機嫌でダンたちを送り出してくれたが、あれは明らかに子供が食べる分量ではなかった。
子供にたくさん食べさせることを生きがいとする人は、どこにでもいるのだろう。
その出処は厚意なだけに、ダンとしても拒否することが出来なかった。
「ここだ」
そして、それを余所に一行を先導していたドレヴァスが、内壁を守る大門の前で足を止める。
そこは堅牢な門で衛兵がガッチリと固めており、意地でもこちら側の者を、壁の向こう側に入れまいとする意思が感じ取れた。
「何者だ、貴様ら!」
衛兵の一人が高圧的に呼び掛ける。
「少しここで待ってろ。……『竜鱗のドレヴァス』だ。衛兵長に少し頼みがあると伝えてくれ」
「り、竜鱗の……!? わ、分かった、そこを動くんじゃないぞ!」
衛兵はドレヴァスのことを知っていたのか、そう名乗ると顔を引き攣らせて、慌てて詰め所に駆け込む。
やはりこういう時、名前が売れている人間が一人いるだけで対応の早さが段違いである。
これがダンたちだけだったなら、あれこれ質問されて最悪揉め事に発展してもおかしくはなかっただろう。
ダンはあの食堂で、ドレヴァスを雇い入れたのは正解だったと改めて思った。
「……スラムのゴロツキが何の用だ?」
しばらくすると、他の衛兵たちよりも少し上等な鎧を身に着けた、不機嫌そうな壮年の兵士が現れた。
ドレヴァスはその男に近付くと、耳元に近付いて密談を始める。
「俺含めて、あそこにいる三人を中に入れてくれ。金は払う」
そう言って、ドレヴァスは男に金貨を握らせる。
「……へっ、あの闘技場の帝王様が、今や女子供のお守りとはな。だが、あの女二人の見た目は最高だな。別室に連れ込んで特別に取調べしてやりたいくらいにな」
衛兵長の男は、手の中の金貨を見てニヤニヤとしながら、今度はノアやイーラにも下卑た視線を向ける。
「やめとけよ。あの女どもはああ見えてかなりの食わせもんだ。下手すると、
ドレヴァスがそう耳打ちすると、衛兵長の男は震え上がるように股間を抑える。
そして、他の部下たちに向かって言った。
「おい! 開けてやれ!」
「えっ!? し、しかし、今日の開門は三組だけでは……」
「俺がいいと言っているんだ! なんだ貴様は、上官に逆らうつもりか!?」
「も、申し訳ありません! 直ちに!」
最初反論した若い兵士は、そう凄まれると慌てて門を開く。
ダンはそれを見て、随分と腐敗しているな、と呆れながらも何も言わずにおいた。
ひとまず通してくれるなら一般兵がどれだけ腐敗していようと不都合はない。
「話は通しといた。通行手形も人数分貰っておいたから、今から二週間の間は自由に両側を行き来できる。……だが、問題を起こすと没収されるからな。おかしなことをするんじゃないぞ」
「そんなつもりはありませんよ」
ダンはそう答えつつ、ドレヴァスから木札のような物を受け取る。
言うなればこれは滞在ビザのようなものでもあるらしく、公的施設を使用しようとすると事あるごとに提示を求められるので、絶対になくすなとのことであった。
ダンは了承してそれをお供の二人にも配ったあと、大きく開かれた門の方に目を向ける。
その先には、今いる雑多な街並みと違って、タイル貼りで整理された洗練された都市が広がっていた。
白亜の建築物が立ち並び、住人たちは皆上等な服を着て、豊かな暮らしをしているのが見て取れる。
しかしその横では、ボロ切れのような服を着て、道端の掃除をさせられている異種族の労働者も見える。
まともな暮らしをしているのは人間だけなのだろう。
ダンはそのあまりに露骨な格差に嫌悪を抱きつつも、ひとまず目的を果たすため、中心街に足を踏み入れた。
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