第28話 人道に対する罪


 「離しなさいよ! このっ!」


 ザーザーと激しく叩く雨音に紛れて、少女の悲鳴のような怒号が森に響き渡る。


 シャットであった。


 帝国の兵士に連れ去られた女子供たちは、述べ二十人近くにも登り、その中にシャットとリラ、そしてその二人の母親であるエリヤの姿もあった。


 連れ去られた女や子供たちは、兵士の武器に萎縮して大人しく手枷で拘束されている中で、唯一シャットだけが激しく抵抗して、一人だけまるで芋虫のように厳重に縛り上げられていた。


 「シャット……気持ちは分かるけど今は大人しくして! 刺激したら、こいつら何するか分からないから……」


 リラは暴れるシャットを、そう小声で咎める。


 「だって……! こいつら、病み上がりのお母さんまでこんな雨の中連れ出して……!」


 「anurusatabatiz!! agikagosukonok!!」

 

 暴れるシャットに苛ついたのか、兵士の一人が怒鳴り声を上げて、剣の柄でシャットの顔面を殴る。


 「うぐっ!」


 その勢いで、シャットは地面に倒れ込む。


 しかし兵士はまだ気が済まないのか、あろうことか剣をシャットに向かって振りかざした。


 「や、やめてください!」


 一連のやりとりをハラハラしながら見守っていたエリヤだが、自分の娘が殺されそうになっているのを見て、耐えきれずに兵士の腕に縋り付く。


 「お、お願いですから娘には手を出さないで……。私が代わりに何でも致しますから……」


 「otadnan...?」


 言葉が通じないなりに、言っていることはなんとなく理解出来たのか、兵士はエリヤの顔をまじまじと見返す。


 そして、彼女の顎をくい、と指先で持ち上げたあと、ニタリと口元に卑しい笑みを浮かべた。


 「そんな……ちょっと待ってよ! お母さんは関係ないでしょ!」


 「シャット!!」


 そう抗議するシャットに、エリヤは耳をつんざくほどの大声で掻き消す。


 今まで母親に怒鳴られたことなど一度もなかったシャットは、ポカンと口を開けて絶句する。


 「お、お母さん……?」


 「シャット……お願いだから静かにしてて。お母さんは大丈夫だから、兵隊さんの気が変わらないうちに、ね?」


 そう言い聞かせるように言ったあと、エリヤは兵士に膝をついて懇願する。


 「私が代わりに償いますから、どうか娘にだけは手を……きゃっ!」


 兵士はそんな言葉にも耳を貸さず、エリヤをその場に力付くで押し倒す。


 エリヤは元々郷でも評判の器量よしであり、男衆からの人気も非常に高かった。


 そんな彼女だが、やはり人間から見ても美人であるらしく、長い闘病生活で痩せてはいるものの、それでも兵士たちの情欲を煽るには十分な見た目をしていた。


 「ああ、お願いします……娘の前では……」


 「oradnanikus? oyurayetesamihsonat」


 そう言って、兵士は舌なめずりをしながら、エリヤの服に手を掛ける。


 「いやぁっ! やめて! お母さんは関係ないでしょ! 汚い手でお母さんに触らないでッ!」


 「シャット、大丈夫よ。お母さんはこう見えて強いんだから……。リラ、お願い、シャットを!」


 「この……バカシャット! お母さんがどんな思いであんなこと言ってるか分かってるの!? あんたが状況も弁えずに騒いだりするから……!」


 そうシャットを抑えるリラも、瞳に涙を浮かべながら、悔しそうに唇を噛みしめる。


 その妹の顔を見て、シャットは絶望のあまり表情が抜け落ちる。


 「あ……あ、謝るから……。お願いだから、お母さんに酷いことしないで……。ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 「シャット……」


 うわ言のように何度も謝罪を必死に繰り返すシャットに、エリヤは顔を抑えて涙をこらえる。


 しかし兵士は、そんなものは気にもとめずにエリヤの服を破り捨てる。


 それどころか、あえて見せ付けるようにして、下卑た笑みを浮かべながら、エリヤの体に覆い被さった。


 それを横で見ていた他の兵士たちも、ゲラゲラと笑いながら、囃し立てるようなことを口にしていた。


 「やだ……! ねぇ、助けて……誰か、助けてよぉ!」


 シャットがそう涙ながらに叫んだ、その時、


 『――おい、こっちを見ろ』


 「aa?」


 唐突にゴリッ、とこめかみに硬いものを押し付けられ、エリヤに覆い被さっていた兵士は顔を上げる。


 しかし次の瞬間、パン、パン! と連続して甲高い破裂音が鳴り響くと同時に、兵士は声を上げる間もなく頭の中身を撒き散らして絶命した。


 シン、と静まり返ったあと、そこには、ハンドガンの銃口を突き付けたまま、無様な兵士の死体を見下ろすダンの姿があった。


 「ダン!」


 『……間に合った。皆無事か?』


 ダンはスーツのスピーカー越しに、全員に呼びかける。


 「やっぱり、ダンが来てくれた。今日は約束の日だったから……ダンなら助けに来てくれるって信じてた」


 「…………」


 そうホッと胸を撫で下ろすリラを他所に、シャットの方は泥まみれの姿のまま、呆然とダンを見上げている。


 どうやら絶望的な状況から一気に助けられたショックで、まだ思考が追い付いていないらしい。


 完全に茫然自失となっているシャットに、先程まで押し倒されていたエリヤが、半裸のまま泥の上を這いずって抱きついた。


 「ああ、良かった……! シャット……怪我はない? どこか痛いところは!?」


 「おかあ、さん……?」


 母親に抱き締められたことで、ようやく落ち着きを取り戻したのか、シャットはエリヤに抱き着きながら、わんわんと大声を上げて泣いた。


 「ごべんなさい……。あたしのせいで、もう少しでお母さんが……ごめんなさい! ごめんなさいっ!」


 「シャット、私の大事な宝物……。いいのよ、あなたが無事ならお母さんはどうなったって……。可哀想に、こんなに赤く腫れて……」


 そう言って、殴られた顔の部分をさするエリヤに、シャットはもう声も出せぬまま嗚咽を漏らす。


 その光景を見て、ダンは微笑んだあと、残りの兵士たちに銃口を向けたまま近づいて行く。


 『……貴様らには聞こえなかったのか? 子供たちの助けを求める悲痛な叫びが。我が子を守るために、己の身を犠牲にする母親の姿に、何も感じなかったのか?』


 「adnan? ahustayiihsayaonok...」


 「esorok!!」


 「adustayanakab...inetiauuzninonok」


 そうダンが会話を試みても、そもそも言語が違うのか、会話が成立しない。


 しかし、言葉が通じずとも、ニュアンスから相手がダンを嘲っていることは伝わってきた。


 『現地人同士の小競り合いに介入する以上、殺すまでするつもりはなかったが……気が変わった。貴様らはここで殲滅する。また、地球連邦条約においても、ジェノサイドを行った軍の兵士の人権は保証されない』


 「enihs!!」


 「uooooooo!!」


 ダンがそう全て言い終わる前に、兵士たちは剣を構えて襲い掛かってくる。


 "ジェノサイド"とは、一般的には民間人に対する虐殺行為と捉えられているが、その他にも児童に対する暴行、誘拐、洗脳などの非人道的行為も含まれている。


 それらの理屈を抜きにしても、ダンはまだ年端もいかない子供に暴力を振るったことを許すつもりはなかった。


 三人同時にそれぞれ別の方向から斬り掛かってくる敵を――ダンはその場から一歩も動かず、きっかり三発だけ撃って、その全てを兵士一人ひとりの眉間に寸分違わず撃ち込んだ。


 「げっ」


 「ぎゃっ!」


 兵士は、ほとんどうめき声すら上げることもなく、スイッチが切れたかのように力なくその場に崩れ落ちる。


 『私の身体には自動照準オートエイム機能が搭載されている。この距離で私が射撃を外す確率は0.1%もない。私に捕捉された時点で貴様らはもう終わりだ』

 

 「anukogu...u!!」


 そう言うと兵士の一人は、敵わないと見るや、側にいたライカンの子供の首元に剣を突きつけて声を張り上げる。


 当の本人は、まだ5歳ほどで何をされているのかも分かっていないのか、キョトンと首を傾げている。


 それを見たダンは、腰元でハンドガンをくるくる回しながら、大きく溜息をついた。


 『……私の一番嫌いなことをしてくれたな。民間人の、しかも子供を人質に取るとは。楽に死ねると思うなよ』


 そう言うや否や、ダンは躊躇なく発砲する。


 子供を危険に晒した訳ではなく、確実に仕留められる確証があってのことだった。


 そして予定通り――弾丸は兵士の剣の持ち手に突き刺さり、手首から先を吹き飛ばす。


 「がァっ!」


 『踊らせてやる』


 ダンは更に、追撃で何発もハンドガンを連射する。


 急所である体の中心をわざと外して、肩や腕、足などの体の端から切り刻むように、何度も弾丸を撃ち込む。


 後ろに倒れそうになったら太ももを撃って無理やり起き上がらせ、前に倒れそうになったら肩を撃って体を支える。


 その様はまるで、マリオネットが糸で操られているようで、撃たれた衝撃でブンブンと体を振り乱しているさまは、倒れることすら許されずに踊り狂っているように見えた。


 「がっ……」


 しかし、最後には力尽きたのか、兵士はその場にガックリと膝をついて事切れる。


 痛みと失血によるショック死である。


 それを確認したあと、ダンはキョトンとその場に佇んでいる少年に声をかけた。


 『坊や、危ないからそこを離れていなさい。お母さんの側に行くといい』


 「うん!」


 人質にされていた少年は、未だに状況が理解出来ていないのか、ニッコリ笑顔すら浮かべながら、事切れた兵士の側から駆け足で離れる。


 残りの兵士たちは、仲間の"死の舞踊"を見てすっかり萎縮してしまったのか、ダンの方に怯えた表情を向けながら、ジリジリと後ろに下がる。


 ダンはそれにも構わず、ゆっくりと歩を進めていく。


 『どうする? 武器を捨てて投降するなら、この場では殺さないでおいてやる。……まあ、伝わらんか。私もまだ不勉強な身の上でな。君たちの言葉が分からんのだ。すまんな』


 「つ、ああああああッ!」


 ダンの降伏勧告を理解すら出来ないまま、兵士たちは破れかぶれに一斉に襲い掛かってくる。


 最初の兵士の一撃を軽く受け流したあと、ゼロ距離で相手の額に銃口を突き付け、そのまま発砲する。


 「かっ……!」


 頭部を破壊されて崩れ落ちる兵士を押し退けたあと、ダンは拳銃を横向きにして、反動を利用した三連射で薙ぎ払うように敵を撃ち抜いていく。


 「が、げっ……!」


 もはや流れ作業のように、三人同時に額を撃ち抜かれて事切れる様を見て、とうとう敵は恐慌状態になって逃げ出す。


 「う、うわあああああッ!!」


 『逃げるなら殺すまではしない。……だが、戦闘力は奪わせて貰う』


 ダンはそう言うや否や、逃げる兵士たちの足を次々と撃ち抜いていく。


 走りながら逃げ惑う兵士たちの膝裏を、正確無比に撃ち抜きながら、次々と戦闘不能に追いやっていく。


 『……ん? そこの木影に一人隠れているな。君たちの位置は生体センサーで既に把握済みだ。私に"かくれんぼ"は通用しないよ』


 「ひっ…………!」


 言葉が分からずとも、自分のことを言われていることに気付いたのか、木陰の兵士が慌てて逃げ出す。


 『そこだな』


 しかしダンは、物陰に隠れながら逃げ惑う最後の一人を、近くの岩場に跳弾させて、あっさり仕留め切った。


 『任務完了。君たちに森の加護があるなら、その傷でも生き延びることが出来るかもな。さもなくばこの場で死ぬだけだ。雨に打たれながら己の蛮行を悔いるがいい』


 ダンは伝わらないことを承知でそう告げたあと、ハンドガンを腰のホルダーに差し込む。


 そして、未だに震えて小さく蹲っている、捕らえられたライカンの女性や、子供たちに近付いた。


 『全員、無事か?』


 「あ、ああ、ありがとう……。ねえあんた、お願いだから、この枷も外しておくれよ」


 分厚い木の板の枷を差し出してくる女性たちに、ダンは「分かった」と頷く。


 そして、一人ひとり、ベキッと力付くで手枷を破壊して外していく。


 全員開放したあと、ダンは改めて言った。


 『さあ、いつまでもこんなところで雨に打たれている訳にもいかない。すぐに郷に帰還しよう。私のあとに付いてくるといい』


 「で、でも……郷にはまだ、人間の兵士どもが……」


 怯えたように体を震わせる女性たちに、ダンは安心させるような声色で答える。


 『大丈夫だ。郷の方は私の部下が――』


 そこまで言った所で、突如ノアの方から通信が入った。


 『……船長キャプテン、こちらの戦闘の鎮圧は既に完了致しました。なお、捕虜は指揮官級二名、他戦闘員三名を確保しております。現在、獣人ライカン族の戦士に聴取をされている最中であり、本機の代わりに事情の説明を要請します』


 『分かった。私の使いだと言えばそう無下には扱われんだろう。すぐに戻るから、それまで場を保たせてくれるか?』


 『了解しました』


 ダンはそう言って通信を切ったあと、改めてその場の女性たちに向き合った。


 『今はもう郷は安全だそうだ。私の部下が兵士たちを制圧してくれた。すぐに帰還しても問題はないだろう』 


 「部下って……ダンの? あの船にそんな人いた?」


 リラは不思議そうにそう尋ねる。


 『ああ、私の最も信頼する優秀な相棒だ。実は、君たちも一度会ってるはず。帰ったら改めて紹介しよう』


 ダンはその場に兵士たちだけを残して、攫われていた全員を引き連れて郷へと帰還した。


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