第57話 始動の時


 「起床! 起床ーーッ!」


 前日までと同じく、ダンは鐘を鳴らしながら大声を上げて、集会所の大部屋へと入っていく。


 だが、前日までの時間より幾分遅く、しっかり日が昇っている程度の常識的な時間であった。


 ふすまを開けて大部屋へと入ると、そこには慌てて身支度を整えるオーガ族の男たちの姿はなかった。


 代わりに、何かを決意したような顔で、ずらりと正座して並ぶ、オーガ族の男たちの姿があった。


 そして彼らは、ダンの姿を認めると一斉に頭を下げた。


 「「おはようございます!!」」


 「……ん? 一体何をやっている」


 予想外の行動に、ダンはそう聞き返す。


 どうやら鬼族の男たちはとっくの昔に起きていたらしく、身支度も完璧に整えられていた。


 「……へい、この度我ら、これまで反抗していたことを心よりお詫びし、百鬼将代行であるダン・タカナシ様に盃を頂こうかと」


 そう正座した者たちの中心にいる男が口を開く。


 まるで任侠映画のようだが、どうやら盃を頂くというのは忠誠を誓うというニュアンスの言葉であるらしい。


 「一体どういう風の吹き回しだ? 貴様らは私を敵視していただろう? 口先だけで忠義を示したところで信用に値するとは思えんな」


 「へい、おっしゃる通りで。……ですが本来、我らオーガは武を重んじ、強きものに従う種族。我ら誰一人としてダン様に敵わぬどころか、全員で掛かっても無理でしょう。である以上、強者に付き従うのが道理というもの」


 「それはただのオーガとしての原則でしかない。全員がそれに従うとも限らん。変な腹の探り合いはやめろ。貴様らは私に忠誠を誓うのと引き換えに、一体何を望む?」 


 ダンがそうズバリと切り込むと、その男は、「へい」と言って頭を下げたあと、こう言った。


 「お嬢に、これ以上酷いことしないんで欲しいんです。あの方を解放して頂きたい。代わりに俺らがどんな命令でもお聞きしますので」


 「……ほう? 今更仁義に目覚めたとでも言うつもりか?」


 ダンはそう尋ねる。


 「へい。これ以上……俺らの後始末にあの方を巻き込みたくないんです。あの方は先代の宝物でございました。俺らはそれを粗末な扱いしていいように利用していましたが……これ以上不幸にするのだけは避けたいんです。あの子は血筋だの長だの、そういうのと無関係な場所で幸せになった方がいい」


 代表で話すオーガ族の男は、苦渋を滲ませた顔で語る。


 「もっと早くその気持ちになっていれば、ここまでこじれることはなかっただろうに。……だが、その事については私からも話がある」


 「え?」


 ダンはそう言うと、踵を返してオーガ族の男たちをいざなった。


 「全員付いてこい。貴様らに見せたいものがある」


 「?」


 そう言ってダンが歩き出すと、鬼族たちも首を傾げながらその後ろに付き従う。


 そして廊下を進むと、ほんのりとどこからか朝食のいい匂いが漂ってくる。


 ダンはその匂いの先にある襖の前に立ち止まり、顎をしゃくった。


 「入れ」


 「は、はあ……」 


 命令されるまま中に入ると、そこには全員が入れる広い食堂と、壁際に沿って人数分の料理が並べられていた。


 その内容は普段よりも豪華であり、"ササホ"を炊いた山盛りの飯と具だくさんの汁物、そして大ぶりの揚げ魚という、朝から贅沢で手の込んだものとなっていた。


 「座れ」


 「え、ですが……」


 「いいから座れ。話はそれからだ」


 ダンに命令されるまま、鬼族の男たちはそれぞれ席に座っていく。


 そしてダンは、先日と変わらず、奥座敷の一番上にある、百鬼将の席に腰掛けた。


 ――そして、全員が席に付いたのを見計らってから、口を開いた。


 「……先に言っておく。私は貴様らが嫌いだ。幼い子供を道具のように利用して、自分たちの傀儡にするために長に据えたやり口。先代からの恩義を受けておりながら、その孫娘にした仕打ちと考えると許し難いものがある」


 「…………」


 その言葉に、オーガ族の男たちは何も言い返せず黙り込む。


 「だから私は、懲罰として貴様らを虐め倒して人格を徹底的に破壊し、新たに命令に従うだけの人形に作り変えようとしていた。私はそういう洗脳教育の専門家でもある。貴様ら相手にもやろうと思えば出来た」


 「…………!」


 オーガ族の男たちは、自分たちが受けた壮絶な仕打ちを思い出してゾッとする。


 あれはそういうものだったのか、と今更ながらにその意図を知って恐怖を覚えた。


 「だが、カイラ殿がそれを良しとしなかった」


 「お嬢が?」


 「そうだ。彼女はあろうことか、貴様らと同じ苦しみを分かち合って、その気持ちを理解したいと言い出してな。罪人でもない、しかもまだ子供なカイラ殿が受けるような訓練じゃないと説得したが、どうしてもと意志は固いのでやむなく参加を許可した。結果は見ての通りだ」


 ダンは全員を見回しながらさらに続ける。


 「彼女は貴様らに寄り添い、必死に耐える姿を見せることで見事改心させた。まさかここまで上手くいくとは思わなかったが……お前らはカイラ殿に感謝すべきだな。あのまま改心の見込みがなかったら、私は貴様らを徹底的に破壊するまで追い詰めていた」


 「では……あれは全て演技だったと?」


 男はそう尋ねる。


 「私はな。だが、カイラ殿はほとんど何も知らん。訓練内容も本物だ。私はカイラ殿だからといって一切手は抜いていない。むしろ、貴様らより当たりは強かったくらいだ」


 ダンの言葉に、オーガ族の男たちは納得する。


 カイラの訓練中の仕打ちを見ていれば、誰しもがあれは嘘ではないと分かった。


 あの虐めが演技だったと言うのなら、世の中の苦しみ全てが演技で片付いてしまうだろう。


 「この料理は、そんなカイラ殿が早起きして貴様らのために作ったものだ。頑張ってくれた貴様らを労いたいそうだが……勘違いするなよ。貴様らは何かを成し遂げた訳じゃない。悪党がようやく普通に戻れただけの話だ。これから、やらかしてしまったことの後始末や、迷惑をかけた者たちへの償いが待っている」


 ダンはそう釘を刺したあと、更に低い声で続ける。


 「もし今後……ここまでしてくれたカイラ殿の温情を再び裏切るようなことがあれば、今度は再教育などという生温い真似はしない。カイラ殿がどれだけ庇おうとも貴様ら全員死ぬような目にあわせてやる。肝に銘じておけ」


 「…………!」


 そう凄むダンの圧力に、オーガ族の男たちはゴクリと息を呑む。


 脅しではなく、冗談抜きでそれが可能なのが目の前の男であった。


 しかし、その時――


 『大丈夫ですよ、首領様。そんなことになりませんから』


 そう壁越しに聞こえると同時に、厨房に繋がるふすまがそっと開き、中からカイラが顔を出す。


 「お嬢……!」


 オーガ族たちは、渦中の人物の出現に騒然として、慌てて居住まいを正す。


 しかしカイラは、それにニコリと微笑んだあと、視線の中を堂々とした足取りで進み、ダンの前に跪く。


 ――そして、深々と頭を下げて言った。


 「この度は……我らオーガ族の郷をお救い頂き、本当にありがとうございました。皆もこれで悪い夢から覚めたでしょう。もう、この先郷が再び乱れることはないと思います」


 「いえ……私はただ手伝っただけで、実際にやり遂げたのはカイラ殿ですよ。あなたはたった二日でこの連中の腐った性根を変えてしまいました。あなたの力がなければ、ここまで綺麗に大団円とは行かなかったでしょう」


 ダンはそう言ったあと、更に続ける。


 「それにしても……随分とご立派になられました。今までの自信なさげにオドオドと人の顔色を伺っていたのが、今は見違えるほどです。はっきり言って、十歳の子供には見えません」


 そう手放しで称賛する。


 今やカイラからは年相応の幼さは消え失せ、長の風格すら漂わせていた。


 男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが彼女は一日でここまで変わってしまった。


 早熟過ぎて心配になるほどだが、少なくとも自分に自信が持てたのは良いことだと思えた。


 「本当でございます。じぃじは少し寂しく思いますぞ。前まで何かとわしを頼られておったのが、今後は少なくなるでしょう。もう少し孫として愛でていたかったのですが……」


 「いえ、私など何も知らぬ子供です。まだまだロクジ様や首領様のご指導を賜りたく思います。特にロクジ様は私が最も苦しい時に、先代への恩義だけで献身的に支えて頂きました。私は本当の御爺様のように思っております」


 その言葉と同時に、カイラはロクジに向かって洗練された美しい所作で礼をする。


 「おお、この爺……その言葉だけで報われましたぞ。これであの世でゲンラ様に胸を張れましょう」


 「――お嬢!」


 そう言葉を交わす最中、突如列席したオーガ族の男たちから、声が上がる。


 名を呼ばれたカイラが振り向くと、オーガ族の男たちが姿勢を正し、正座したまま一斉に頭を下げた。


 「「本当に申し訳ありませんでした!」」


 「……いいんです。皆、おかしくなっていただけなんです。私の父も、伯父も、皆が少しずつ間違えて、オーガ族の郷は二つに分裂してしまいました。だけどこれからは、また皆仲良く暮らせるんですから」


 カイラの言葉に、オーガ族の男たちは、頭を下げたままむせび泣く。


 きっと万感の思いがあるのだろう。男たちは顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き腫らしていた。


 しかしその時—―


 「あーもう辛気臭い! せっかく郷が元の姿に戻ろうって時に、何べそべそ泣いてんだか。これだから男ってのは……」


 「そう言うものではありませんよ。お嬢様の成長を見届けて感無量なのでしょう。私も少し泣きそうになってしまいましたから」


 バン、と乱暴にふすまを蹴り開ける音と共に、お盆を持った女中姿の二人が入ってくる。


 アヤメとカエデの二人であった。


 前日の時点でロクジが気を利かせて呼び戻していたらしく、今日の朝食にもカイラだけではなく、彼女たち女衆の力も借りていた。


 そのお盆の上には、とっくりとお猪口が載せられていた。


 「お、おめえら……!」


 「言っとくけど……アタシが女中なんかやるのはこれで最後だ。今日はお嬢に手伝い頼まれたからやってやるが、今後は実力主義で行かせてもらうよ。大体なんであんたらより強いアタシが給仕なんかやらなきゃいけないんだ……」


 カエデはぶつくさと不満を垂れ流しながらも、片手で雑にドボドボと酒を注いでいく。


 「俺らに、怒ってねえのか……?」


 「うふふ……怒ってますよ。すぅ〜っごく。今まではお嬢様の身の安全の為に黙って言うことを聞いていましたが、本当はズタズタに引き裂いてやりたいほどです」


 笑顔で丁寧に酒を注ぎながらも、アヤメはなんとも物騒なことを口にする。


 「……ですがまあ、他ならぬお嬢様が許すと仰ってるのだから、この場では許して差し上げます。代わりに、今後の働きには期待させていただきますね?」


 「ハ、ハイ……」


 ゴゴゴ、と背後から擬音が付きそうな黒い笑顔を向けられ、男は萎縮しながら頷く。


 どうやら本来の力関係では、あの双子の姉妹のほうが男たちより上らしい。


 しばらく男衆は女衆に馬車馬の如くこき使われることになるだろうが、それも自業自得というものだった。


 「……ところでさっき、私にカイラ殿を解放しろと、血筋や長とは関係ない場所で幸せになって欲しいと言っていた者が居たな?」


 「……俺です」


 ダンがそう呼び掛けると、一人の男が名乗り出た。


 男衆の中でも地位が高い者なのだろう。長の座に近い、ダンのすぐ傍の席に座っていた。


 「今でもその言葉は変わらんか? カイラ殿は幼いが十分に将の器は兼ね備えて来ているように見える。努力家で責任感もあり、皆に対する愛情もある。カイラ殿ならきっと理想的な長になるだろうと私は確信しているが」


 「……いえ、あれは忘れて下さい。今のお嬢なら、郷を導く重圧に押しつぶされることはなさそうだ。差し出がましい口をききました」


 男はそう言って頭を下げる。


 「そうだな。今のカイラ殿ならオーガ族の郷もうまく纏められるかも知れんな。なにより、私よりも人望がある」


 ダンは苦笑をこぼしながらそう自虐する。


 「……では、このままお嬢がすぐに長になられるのですかい?」


 「いや、それはない。早熟とは言え、カイラ殿はまだ子供だ。成人するまでは、同年代の子供と自由に遊んだり、一つのことに没頭したり、恋愛したり年相応に人生を楽しむ権利がある。子供の頃から他人の人生を背負わされて、重責に追われる毎日など、私の下でそんな不幸な生き方の子供を作るわけには行かない」


 「れ、恋愛……」


 何故かその言葉だけ拾い上げて、カイラは頬を赤らめる。


 「……ゴホン、まあそういうことなので、カイラ殿が十八歳になられるまでは、私が代行としてこの郷を治める。そして、その際の実務は全てここにいるロクジに任せる。以降、奴の言葉は私の言葉と思え。種族を理由に軽んじる者がいれば、私が直々に制裁を与える」


 「やはりわしでございますか……これでも北の獣人ライカンの郷も抱えて結構忙しいのでございますが……」


 「やりがいがあって良いじゃないか。北の獣人の郷からここは近いし、先代のゲンラ殿とカイラ殿両方から信任が厚いお前以上の適任がいない」


 ダンはそう言うと、ニヤリと口角を上げる。


 「年寄はやることがなくなってボケっとしていると、すぐにあの世に逝ってしまうらしいぞ? お前の寿命が少なくともあと八年伸びたと考えればいい」


 「なんという無体な物言い……! わしは今あなた様に忠誠を誓ったことを猛烈に後悔しておりますわい!」


 ロクジは怒りで顔を真っ赤にしながら抗議する。


 「郷のことをどうかお願いいたします。ロクジ様なら安心して任せられますので……」


 「……はあ、仕方ありません。カイラ殿がそう仰られるなら是非もありませんな」


 そう言ってガックリ項垂れたあと、ロクジはダンの命令を受け入れた。


 それを確認してから、ダンは改めて全員の顔を見回して宣言した。


 「今後は正式にオーガ族の郷は私の配下となる。以降はロクジの言葉を私の言葉として聞き、郷の復興に注力すること。……また、近々人間の国と戦を行う予定がある。貴様らにはそれに参戦することを命じる」


 「…………!」


 ダンの言葉に、オーガ族の者たちから一斉にざわめきの声が上がる。


 会合に出席していた者たちにとっては既知の事実でも、鬼族にとっては寝耳に水だったようだ。


 「……人間の国ってのは、帝国のことですかい?」


 「そうだ。近々、帝国がロムールと一戦交える。私たちはそれに参戦し、ロムール王国と連携を取って帝国を撃退する。貴様たちオーガ族が上げた戦果が、そのままカイラ殿の手柄となり、種族全体からの尊敬を勝ち取ることに繋がる。鬼族の名誉のために、貴様らの奮戦を期待する」


 「……おおおお!」


 戦と聞いて士気が上がったのか、鬼族の者たちから歓声が上がる。


 「とうとうここまで来やがったのか、帝国の野郎ども!」


 「人間どもめ、ブッ殺してやるッ!」


 オーガ族はどうもかなりの戦好きらしく、分かりやすく猛りながら咆哮を上げている。


 今回は同族同士の内戦ではなく、明確な外敵との戦いなので、どれだけ猛って貰っても不都合はなかった。


 「お嬢様は……その戦に参加されるのですか?」


 カイラが矢面に立つことを心配したのか、アヤメがそう尋ねる。


 「いや、カイラ殿は私とともに後方で観戦する。まだ指揮を執ってもらうつもりはないから安心しろ」


 「そうですか……」


 アヤメはそれにホッとした顔を見せる。


 「お嬢が見てるならやりがいもあるってなもんさ! お前ら、情けない姿を見せたら承知しないよ! 分かってんだろうね!?」


 「「おう!」」


 そのカエデの檄に、オーガ族の男たちは一斉に声を併せた。


 「皆、どうか怪我だけはしないでくださいね……」


 俄然盛り上がるオーガ族たちとは裏腹に、カイラだけは不安げに小さくそう呟いた。



 * * *



 あの後、朝食を済ませて、オーガ族たちの見送りを背にダンは船へと戻った。


 今の状態なら白き館エバッバルに戻っても大丈夫だろう。


 ロクジは近いのでこのまま北の獣人ライカンの郷に帰るらしく、ダンは一人で帰還することとなった。


 SACスーツを脱ぎ、身支度を整えようとしていた、その時――


 『船長キャプテン、報告があります』


 「聞こう。大体予測はつくがな」


 スピーカーを通してノアの声が聞こえてくる。


 ダンは軍服のファスナーを胸元まで閉めたあと、操縦席に座って報告を受ける。


 『帝国、ロムール王国双方で出兵の準備が成されているようです。両国とも二国の間に流れる川を挟んで陣地を築いており、そこの突破を巡っての争いになると予想されます』


 「こんな豪雨の時期に川べりで戦うとは随分と無茶をするな。……だが、ナイスタイミングだ。ちょうどこちらも全ての手札が揃った所だ」


 ダンはそう言うと、ノアに指示を下す。


 「――直ちに全ての傘下の種族にビットアイを通じて招集をかけろ。声明はシンプルに、『兵を伴って塔に集合せよ。巨悪を退ける時が来た』だ」


 『了解しました』


 返事を聞きながら、ダンは改めてどのタイミングで参戦すべきか考え始める。


 目指すは圧倒的な勝利。


 ビットアイを通じた船内モニターで地形を把握しながら、ダンはノアに命じて実戦のシミュレートを開始させた。


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