第30話 決意


 家に入ると、既に事態を把握していたのか、全員が神妙な顔で座っていた。


 中には、怪我をして呻くものや、すすり泣く声も聞こえてきていたが、その人々の中心にラースの遺体が、一段高い台の上に安置されていた。


 「!? ダン!」


 その姿を認めて、リラとシャットの二人が駆け寄ってくる。


 二人とも不安げな表情で見上げてくるのを、ダンは微笑みかけながら頭を撫でて安心させる。


 「大丈夫、今からエリシャ殿から、全員に向けて話があるらしい。ひとまずそれを聞こう」


 ダンは台上に近付くエリシャの後に続く。


 エリシャは、台上で安らかに眠る、ラースの元で片膝を付いた。


 「……長い間ご苦労であったな。郷のためと言い聞かせて、お前に苦しみと重責ばかりを押し付けた、この不出来な母を許せ」


 そう言って、エリシャは深く瞑目する。


 それを聞いた郷の住人たちからも、悲しみの声が上がる。


 しかし、当のエリシャはすぐに涙を収めたあと、毅然とした態度で言った。


 「……泣くんじゃない! 見ての通り、ラースは死んだ。だが、残されたわしらがそんな有り様じゃ、こいつだってゆっくり眠りに付けないだろう? 戦士が死んだときは、涙じゃなく勇ましい顔で送り出してやるものさね」


 「…………」


 エリシャがそう言うと、郷の住人たちからもすすり泣く声は徐々に消え始め、今度はピン、と張り詰めた空気が漂い始める。


 そして、完全に静寂が訪れたのを見計らってから、エリシャは口を開いた。


 「見ての通り、族長であるラースは斃れ、他の戦士たちにも大勢犠牲が出た。怪我人も多く出たが……唯一の救いは、ここにいるダン殿が、攫われていた女子供たちを取り返して来てくれたことだ」


 そうダンの方を手で指し示す。


 「今回はどうにか人間どもを撃退することが出来た。だが、依然としてこの郷は狙われておる。今や戦士たちの大半は負傷し、戦える者も数少ない。郷の位置も知られ、先の戦いで外壁も崩れ落ちた。……そこで皆に問いたい」


 エリシャはそう改めて状況を整理すると、両手を広げて呼び掛けた。


 「これから我々はどうすればいいのか、郷の進むべき道を、皆で意見を出し合って考えよう! 今や我らに取れる手段はそう多くはない! ……だが、それが例え苦痛に満ちた決断であっても、皆で決めたことなら納得も出来よう」


 「…………」


 「……エリシャ殿、ちょっといいですか?」


 沈痛な面持ちで静まり返る郷の面々に、ダン一人だけが手を挙げて口を開く。


 「なんでしょう、ダン殿。言い方は悪いですが、あなたは郷の部外者です。我らの行く末にまで気にかける必要はないのですよ」


 「いえ……今回の件、私にも多少の責任はあります。よってこれは、償いの意味も込めて提案させて頂きますが――」


 ダンはそう言うと、部屋の中心に立ち、皆に向かってこう呼び掛ける。


 「皆さん、私の指揮下に入るつもりはありませんか?」


 「…………!」


 その提案に、郷の者たちは一斉にざわめき立つ。


 「静かに! ……ダン殿、それは我々にそちらの配下になれ、と言うことですかな?」


 「平たく言うならそうなります。ただ、私の指揮下に入るのなら、住まいの提供、食料の提供、身の安全の保証、そして怪我の治療はお約束します」


 「賛成!」


 「わたしも……」


 いち早く声を上げたのは、例によってリラとシャットの二人であった。


 しかしダンは、その声を軽く手で抑えながら続ける。


 「まあ待て。話は最後まで聞いてからだ。……ただし、こちらからも条件、というより約束事があります」


 「約束事と言いますと?」


 ダンの言葉を、エリシャがそのまま聞き返す。


 「はい。まず……この郷を放棄して貰います。正直言って、ここは守りに適していません。外壁も建物も半壊してまともに機能していない上に、盆地で攻めやすい地形。おまけに食糧事情も貧弱で、私の拠点からも離れすぎている。ここを維持、防衛するとなると余計な手間が二つも三つも増えてしまう。まず、ここを捨てることが私の庇護を受ける最低条件と思って頂きたい」


 「そんな……」


 「先祖代々から受け継いできた土地を捨てるだなんて……」


 その言葉に、郷の住人たちから不安の声が上がる。


 ――しかし、それをエリシャは一喝した。


 「黙れッ! 今の我らの立場で、思い通りに出来ることなんて一つもないんだ! それにここは、攻め込まれて半壊した時点で放棄するのは半ば決まってたようなもんさ。ダン殿の提案がなくても、もうここに住むのは無理だよ」


 現実を突き付ける言葉に、不満を口にした者たちも沈痛な面持ちで黙り込む。


 本人たちも、ここを維持するのは無理だと理解出来たのだろう。


 ダンは、コホンと咳払いしてから続ける。


 「そして次に……私の指揮下に入る以上、私の命令には必ず従って貰います。もちろん、あなた方に奴隷のように働けとか、身売りをしろだとか、そういった非人道的な命令を下すつもりはありません。ですが、私がしたいことや、やっていただきたいことには優先的に協力していただくことになります」


 「…………」


 それに関しては問題ないのか、特に誰からも異論が出ずに進んでいく。


 ダンはそれを確認してから、こう続けた。


 「最後に……私の庇護を受ける以上、人間との戦闘を禁じます」


 「……!? ちょっと待ってくれ!」


 その言葉は流石に聞き捨てならなかったのか、ロンゾ率いる、戦士たちも殺気立った様子で立ち上がる。


 「なんでだ、兄貴!? 俺たちにこのままやられっぱなしで黙ってろっていうのか!?」


 ロンゾは声を荒げる。


 「そうだ。少なくとも、私の指揮下にある内は今回の弔い合戦のような真似は許さない。これは理由は単純で、"負ける"からだ。頭数が違い過ぎるし、装備も向こうが上だ。君たち一人ひとりがどれほど優れた戦士だろうと、一気に百人二百人に襲い掛かられて撃退することができるのか? 今回の敵ですら、私とノアが居なければ負けていただろう」


 「うぐっ……」


 ダンの指摘に、ロンゾや他の戦士たちも、悔しそうに口を閉ざす。


 「それに、新たな世代は憎しみを継続させたくないと言うのは、ラース殿自身の願いでもある。……この顔を見て、君たちは彼が仇討ちで自分の同胞に血が流れることを望んでいると思うのか?」


 「…………」


 そう言ってダンが、台上の眠っているように穏やかな顔のラースの亡骸を差すと、その場にいた全員が沈痛な面持ちで俯く。


 「もちろん、向こうから攻め込まれて戦うことは必要だ。だが、こちらからの手出しは一切禁じる。私は皆が平和で安定した暮らしを過ごすための援助を申し出ているのであって、殺し合いを継続させるためでは無い。そこは理解して欲しい」


 そう言い終えたあと、ダンは改めて皆に向き合う。


 「以上が、私が皆に求める三つの条件です。これさえ守ってもらえれば、私はあなた達に支援を惜しみません。何か質問などはありますか?」


 「……わたしから聞きたいことがあるけど、いい?」


 ダンがそう呼び掛けると、静まり返った蒸し暑い部屋の中から、ふと涼やかな声が上がる。


 リラであった。ダンは軽く頷いて、先を促す。


 「じゃあ……わたしたちを保護することで、ダンが得られる利益は何なの? ダンはわたしたちを守って、家も提供して、食事も提供してくれるけど、わたしたちからはダンに何も返せていないように思う。一方的に与えて貰うだけって言うのは、お互いによくないと思う……」


 その質問に、ダンは意外そうに片眉を上げる。


 まさか自分たちが生きるか死ぬかのこの状況で、保護してくれる相手の利益のことを尋ねてくるとは思わなかったのだ。


 やはりこの子は賢い子だと、ダンは改めてリラを見直した。


 「とても鋭い質問だね。正直に言うと……君たちを支援することで、私が得られる利益はほぼない。まあ強いて言うなら、情報を得る間口が少し広がることと、この魔性の森に住まう、他の種族たちに顔が利くようになるぐらいだろう。この支援は、どちらかと言えば罪滅ぼしの意味合いの方が大きい。間接的だがラース殿を死に追いやってしまった、その償いのためだ」


 「……そう」


 その言葉に、リラはややガッカリしたように俯く。


 「……しかし例えば、私は君たちに、支援の一環としてまともな教育も施そうとも思っている。読み書きや計算を特に若い世代を中心にね。その中から、私を手伝えるような優秀な人材が出てきたら、それは私にとっての利益と言えるかも知れない」


 「…………!」


 ダンの言葉に、リラはパッと顔を上げて目を輝かせる。


 「わたし、頑張る……頑張って、ダンの手伝いを出来るような人になる」


 そう決意表明するリラに、ダンは微笑ましい気分になりながら、「ああ、期待しているよ」と答えた。


 「ダン殿……あなたは一体、我らをどこに導くおつもりですか? 御身には遠く及ばぬ矮小の身の上なれど、どうかあなたの目指す未来を、我らにお示し下され」


 エリシャの言葉に、ダンは少し考えてから答える。


 「私は文明人として……現状のあなた方異種族への扱いに少なからず憤りを覚えています。人が人を種族を理由に差別し、あまつさえ幼い子供にまで暴力を振るって隷属させる。私たちの世界にもかつて同じようなことが起きた歴史が存在しますが、実際に見ると非常に胸糞が悪い」


 口調は丁寧ながらも、ダンは怒りから語気を強める。


 「――よって私は、あなたたち異種族を人間と同じ地位にまで引き上げようと思います。人間から見てあなたたちが、侮れない、同格の相手として尊敬できる種族となれば、必然的に奴隷として扱ったり迫害するようなことはなくなるでしょう。ゆくゆくはこの魔性の森が、帝国にも対抗し得る巨大な勢力になればいいと思っています」


 ダンの遠大な計画を聞いた郷の住人たちは、そのあまりの現実感のなさにざわめき立つ。


 しかしエリシャは、狼狽えることはなかった。


 ダンが壁画に書かれた、"新しき神"であるなら、それぐらいのことはやってのけるのだろうと思っていたからだ。


 「しかしダン殿……そうするあてはあるのですか? 我らはこの通り……なんの力も知恵も持たぬ矮小な存在です。とても帝国やその他の国に対抗できるようになれるとは……」


 「今のままでは無理でしょうね。知恵は私から与えることが出来る。力もその気になればどうとでも出来ます。……しかし、頭数だけは無理です。流石に私も急に人口を増やすようなことは出来ない。今のこの郷に居るのが、五十人を少し超えた程度の人数でしょうか? これでは私の構想を実現するのにまるで足りない。最低でも抑止力として一万人は欲しい所です」


 「一万!? ……いえ、不可能ではないでしょう。この魔性の森全体で見れば、その倍以上の種族は優に住んでおります故に。わしはこれで他の種族にも顔が効きます、声を掛ければ各種族の代表者も集めることも出来ましょう。……ですが、その前に――」


 エリシャはそう言ったあと、郷の人々に対して呼び掛ける。


 「皆の者、聞いたか!? ダン殿は我々のことをここまでお考え下さっている。もはや行く宛のない我々に手を差し伸べ、新たな未来を提示して下さっているのだ。お前たちはどうする? このまま、先のないここに残るか? それとも、他の郷の親族を頼るか? 誇りを捨てて長らえるなら、人間に身売りしてもわしは何も言わん。……だが、今目の前にある機会を取り逃がすようじゃ、どこに行ったってろくな生活は送れない」


 「……そうよ! 他の選択肢なんて最初からないも同然じゃない! 宛にもならない親戚や、信用出来ない人間を頼るより、ダンの力を借りてあたしたち自身で生活を立て直した方がいいに決まってる!」


 そうエリシャの言葉に続いて、シャットも声を併せる。


 それに感化されたのか、他の住人たちからも、「そうだ、そうだ」という声がポツポツ上がり始める。


 「……だが、ここを去ったとして、一体どこで暮らすんだ?」


 盛り上がる最中、住人の一人から、そうボソリと声が上がる。


 ダンはそれについてこう答える。


 「距離はそれほどではありません。ここから北東の方角に向かって、三十キロ……いえ、丸一日ほど歩いた先にあります。あなた方が、"禁域"と呼ぶ森の中心です」


 その言葉に、郷の人々が再びざわめき立つ。


 やはりというべきか、長年擦り込まれた常識から、禁域に入るという行動に抵抗があるらしい。


 しかし、先にリラとシャットの二人が禁域に入って、特に咎められることもなかったことから、ダンが最初にここに来たときほどの拒否感は見られなかった。


 「静かに! ……もう禁域というものは存在しないよ。あそこはそもそも、いずれご降臨めされる新しき神が降り立つ地だったから、無用に踏み荒らしてはならぬと禁域に指定したんだ。危険だったのもあるけどね……。だが今は、ここにいるダン殿があの土地の主だ。主人がいいと言うんだから、禁域を前に尻込みをする必要はないんだ」

 

 「で、ではやはりダン殿が、あの、"森の主様"なのですか……!?」


 そう驚いたような声が上がる。


 森の主とは、エリシャの言う"新しき神"の別称である。


 元々あった、禁域の森に降り立つ新しき神の伝説が、森林信仰と融合して、長い年月の末俗化して"森の主"と呼ばれ出したのが元である。


 リラやシャットが食事の際に祈りを捧げていた森の主は、目の前のダンのことであったのは、当の本人たちですら預かり知らぬ所であった。


 「そうだ! 皆にはまだ正式に伝えてはいなかったが、ここに居られるダン殿……否、ダン様こそが、我ら森の民全ての主様なのだ! だから、恐れることは何もない。我らには神の加護がついておられる!」


 「おおおおおお!」


 エリシャのその言葉に、郷の人々から一斉に歓声が上がる。


 ダンは、それをあえて強くは否定せず、片手を挙げて歓声に応えた。


 今まで現地の環境や力関係に配慮して、あまり現地人に深入りせぬようにしていたが、今回のことでダンははっきりと介入する決断をした。


 どちらにせよ、この星にかなり長い期間拘束されることは間違いなく、その間に現地人との摩擦は大なり小なり避けられない。


 ならばいっそ神の権威を利用して、住人を完全に自身のコントロール下においたほうが、今回のような被害は少ないと判断した。


 当然、現地人の生活を管理する手間は増えるが、その分現地での確固たる立ち位置も確保できる。


 今は完全な施しでしかないが、いずれはこの行いが自身のリターンに繫がることもあろうと気長に考えた。


 少々遠回りしてもいい。それこそダンには機械パーツの耐久性が許す限り、無限に等しい寿命があるのだから。


 「私が神かどうかなど、実際には重要ではありません。皆がその目で見て考え、なにが正しいかを判断すれば良いことです。……その上で、私に付いてくる人は居ますか?」


 「お、俺は行くぞ! ここにいてもどうにもならん!」


 「わ、私も!」


 そう一人が声を上げたのを皮切りに、全員が口々にそれに賛同し始める。


 ダンはゆっくり両手を広げてその声を抑えたあと、皆に向かって宣言した。


 「では皆で新天地を目指しましょう! これは人間からの逃避行ではなく、楽園を目指す新たな門出です。神の力ではなく、皆の力を合わせることで、どんな困難も乗り越えていきましょう!」


 「おおおお!」


 「ダン様万歳!」


 盛大な歓声と同時に、室内は一斉にダンへの称賛の声に包まれる。


 その光景を見ながら、エリシャは息子の骸を前に感慨にふける。


 「……ラースよ、お前があの方の心を変えたのだ。あの方は元々、予言の通りに我らを導くことに乗り気ではなかった。だがお前の死をきっかけに、決意を固められたのだ」


 エリシャは、喧騒の中で物言わぬ息子にそっと語りかける。


 「母親失格と思おう。……だが、お前が時代を分ける楔となったことに、母は喜びを隠せぬ。これから先、我らは大いに繁栄するだろう。その礎を築いたお前を誇りに思うぞ、愛しき我が子よ……」


 そう言うとエリシャはこれまで一度も見せなかった涙を流し、新たな時代を迎える喜びとともに、息子の死を深く悼んだ。


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