第33話 発端


 少女たちは透明の器に盛られた氷山を前に、目を輝かせる。


 冷たい氷の横に添えられた色とりどりのベリーと、そして鮮やかな果実の色をしたソース。

 

 —―どんな味がするんだろう?


 激しく興味をそそられる見た目に、ワクワクと好奇心を抑えきれず、スプーンをその氷山の中にくぐらせ口へと運ぶ。


 そして次の瞬間—―


 「……つめたい!」


 「キラキラおいしい!」


 「あま~い」


 少女たちは軽いサクサクとした食感と不思議な冷たさに身を震わせた。


 三人にお礼として供したのは"かき氷"だった。


 ダンが簡単に用意出来そうで、なおかつ女性に受けそうなおいしいモノ、という条件で一番最初に思い付いたのがこれだったのだ。


 北国ならいざ知らず、熱帯のジャングルおいて、氷などとても手に入らない貴重品の一つだろう。


 しかしダンにとってはただの飲み水の延長に過ぎない。船内の冷凍室を使えば、氷などいくらでも作れるからだ。


 それにコーヒーシロップを掛けて、トースト用のいちごジャムやブルーベリージャムを乗せてやれば、なんちゃってだが一応のスイーツの出来上がりである。


 しかしそれだとお礼としては余りに粗末なので、練乳と船内のバイオプラントで育てたフルーツを添えて、見た目にも華やかな一品に仕上げていた。


 「おお、なんと美しい……! まさかこのような場所で、氷を使った菓子などを口にすることになるとは……!」


 「うっ……なんか頭がキーン、ってしてきた……」


 「ねえ、ダン……これ、お母さんに持ち帰れない?」


 そしてその場には、当然のようにリラとシャット、そして新たにエリシャの姿もあった。


 最初は鳥人の少女三人だけのつもりだったが、一応この付近の状況を知る有識者として、エリシャにも同席してもらったのだ。


 彼女自身、"暗黒の海を渡る船"の内部に非常に興味があったらしく、喜び勇んで引き受けてくれた。


 そこに何故か、当たり前のようにリラとシャットの二人が同行してきたのである。


 「持ち帰りは無理だが……これは後で郷の全員に振る舞ってやるつもりだ。気にせず全部食べてしまいなさい。それと、一気に食べると頭の血の巡りが悪くなって頭痛がする。ゆっくり食べるといい」


 ダンはそう二人に忠告したあと、エリシャに尋ねる。


 「エリシャ殿は以前にも氷を見たことがおありなのですか? 私の思い違いかも知れませんが……この付近では気候的に雪が降ったり氷が張るようなことはないと思うのですが」


 地球における熱帯性気候を基準に、ダンはそう推測した。


 アマゾンの熱帯雨林やニューギニアで雪が降ったという話は、ダンも産まれてこの方一度たりとも耳にしたことはない。


 ここらで産まれずっと過ごしてきたのなら、氷を見る機会などなかったはずだ。

 

 「いえ、長くここで暮らすわしでも一度も見たことはありません。ただ、北の寒い地域では、雪や氷なる水が固まったものが存在する、という話を本で読んで存在だけは知っておりましてな。まさか実物を目にするとここまで美しいとは……」


 エリシャはそう言って、目の前のかき氷を前に、ほう、と息を吐いた。


 「ならこの"かき氷"は、この付近ではそれなりに貴重だと考えても良いのでしょうか?」


 「ええ、もちろん。この付近では最上級のご馳走でありましょう。これを使って何かなさろうとお考えで?」


 「そんな高尚な考えがある訳ではありませんが……もしこの土地に重要人物をもてなすような機会があれば、この菓子を提供すれば喜ばれるのではと、そう思っただけですよ。皆の反応も見てね」


 ダンはそう考えを述べたあと、自身の前にほんの味見程度に盛られたかき氷を、ぱくりと一口食べる。


 ナイフで手ずから薄く削った氷は、まるで綿花のようにふわふわとした食感を残しており、ジャムの甘酸っぱい甘みと相まって、十分にスイーツとしての水準は満たしていると思えた。


 「この甘いキラキラ好きー!」


 「宝石みたいで見た目も奇麗……」


 どうやら彼女たちは味もさることながら、キラキラ光っているのが気に入ったらしい。鳥類の遺伝子がそうさせるのか、光物が好きなのかもしれない。


 「喜んでくれて私も嬉しいよ。ところで……君たちの名前をまだ聞いていなかったな。さっきも言ったが、私の名はダン。君たちの名も教えてくれるかな?」


 ダンがそう問い掛けると、少女たちは元気よく応えた。


 「わたし、カーラ!」


 「ナナ!」


 「スゥ」


 そう名乗ったあと、何やら三人は椅子から降りて集まっては、羽を広げてビシッとポーズを決めて言った。


 「「人呼んで、我ら"旋風の三翼士"!」」


 そうババーン、と効果音が聞こえてくるような盛大な名乗りを上げる少女たちに、ダンも「お、おう」と若干引き気味に応える。


 「何よそれ……ちょっといい感じじゃない。ねえ、わたしたちも何かカッコいい名前考えましょうよ!」


 「……恥ずかしいからやだ。シャット一人でやって」


 それに感化されたシャットと、にべもなく却下するリラを他所に、ダンは三人娘にこう尋ねる。


 「えーっと……その、旋風の三翼士って言うのは一体何なんだ? 何か鳥人ハーピィの中では重要な役職なのかな?」


 「そうだよ! わたしたち三翼士は雨の日も風の日も、こうして魔性の森を見回りしてるの!」


 「そう……いわばわたしたちこそ、この森の空の守り手」


 「日々重要な任務に励んでいるの~」


 三人は口々に自分たちの役割を説明する。


 「……ダン様、本気にめされますな。見ればこの娘たち、まだ尻に殻の着いたひよっこ。鳥人は成長が早く、卵から孵って二年もすれば見た目は大人と変わらぬほどになりますが、中身まではそうはいきますまい。大方、郷の大人たちのごっこ遊びをしているのでしょう。"翼士"というのは、鳥人族の中の戦士階級を指す言葉ですし」


 そうエリシャはあっさり切り捨てる。


 きっとエリシャの言う通りなのだろう。三人には失礼だが、そんな大事な仕事を任せられているようには見えなかった。


 しかし、彼女たちが卵生でとてつもなく成長が早いということは分かった。


 地球とはまったく別の生態系なだけに、あちらでは考えられない不思議生物がいっぱいらしい。


 「むー! ごっこ遊びじゃないもん! わたしたちは本当に女王様の"みつめー"を受けて活動してるの!」


 「はん、ガキね! 鳥人ハーピィの女王が、あんたたちみたいな子供にそんな重大な役割任せるわけないでしょ! おおかた勝手に禁域に入ったことを怒られたくなくて、適当なこと言ってるんじゃないの?」


 相手が自分と同じ子供と分かるや否や、シャットは居丈高になってそう言い放つ。


 「なによー! あなただってガキじゃない! それにわたしよりチビなくせに!」

 

 「なっ……あ、あたしはこれから伸びるからいいのよ! これでも郷の子供たちの中では大きい方だし……」


 「でも、今はあなたのほうがチビじゃん! やーい、チビ! ガキ! バーカバーカ!」


 「うぐぐぐ……!」


 まさしく『争いは同レベルの者同士でしか発生しない』、を地で行くやりとりにダンは頭を抱える。


 そんな低レベルな悪口の応酬をリラは冷めた目で見つめていた。


 「シャット……今のは君が悪い。彼女たちは私が招待したお客様だ。失礼なことを言うなら外に出てもらうよ?」


 「うっ、だ、だってこいつらが……!」


 「シャット」


 「……はい、ごめんなさい」


 そうダンが咎めると、シャットはシュン、と耳を萎れさせて謝った。


 今のところダンやエリシャ、エリヤなどのごく一部に対しては素直だが、その他の者たちに対して生意気なのは相変わらずだった。


 やれやれとため息をつきながら、ダンはショボンと尻尾と耳を垂れ下げて落ち込むシャットの頭に手を置く。


 「この子が悪かったね。ところで……君たち鳥人族の郷はどの辺りにあるんだ? ここから遠いのか?」


 「うーん、分かんない! わたしたち鳥人からしたら大した距離じゃないけど、歩いて行くと遠いかも! とりあえず、あっちのお山の中にわたしたちの巣があるよ!」


 そう言って、少女たちの一人、カーラが北東の方角を指差した。


 確かにあちらの方角には、現地から二十キロほど離れた先に、標高千メートルほどのそこそこに高い山がそびえ立っていたはずだ。


 歩けば地形的にも優に半日はかかりそうな場所だが、そんな距離を空のお散歩気分で悠々踏破してしまえるのは、鳥人ならではの優位性であろう。


 「ちょっと前までこの辺りは飛竜が飛び回ってて危なかったの。最近は居なくなったみたいだから、近くまで遊びに来てみたのよ〜」


 「それにさー、なんか最近、ニンゲンたちの国が騒がしくなってるじゃん? そこで、わたしたち三翼士が調査に行ってきたってわけ!」


 そうのんびりした口調のスゥと、勝ち気な口調のナナは、かき氷のスプーンを掲げながら言う。


 (人間の国が……? もしかして、先日の襲撃者たちを撃退したことと関係があるのか?)


 ダンは一瞬そう考えたが、それには少し違和感がある。


 何せ先の郷の襲撃が起きたのは、つい昨日のことだ。


 目撃者や取り逃がした者がいたとしても情報が出回るのが早すぎる。


 別口で何か起きたのかも知れない。


 「人間の国は、具体的にどんな様子だったんだ?」


 「ん? えーとねー、なんか皆いっぱい武器とか持って騒いでたよ? わたしたちが近付いたら矢とか射掛けたりしてきて、怖かったよー」


 「それは帝国のほうね! ロムールもさあ、なんか変な雰囲気じゃなかった? なんか皆暗いっていうか、泣いてる人もいたし。あと、国から出ていく馬車がいっぱい並んでたっぽいよ!」


 「……」


 その情報を聞いて、ダンは顎に手をやりながら深く考え込む。


 両国の暗く物々しい雰囲気に、領地から逃げ出す人々。――明らかに戦争の前触れだった。


 「ノア! ただちにビットアイを百機ずつ、帝国、ロムール両国に向かわせてくれ。出来るだけ見つからないように情報収集を頼む」


 『了解しました』


 ダンの命令を受けて、船の天井からノアの無機質な声が響く。


 「ダン様、もしや……」


 「ええ、ロムール王国と帝国で一戦交えるつもりかも知れません。……しかし、我々にしてみればむしろ好都合では? 帝国の目がそちらに向かうのなら、しばらくはこちらに手を出してくることはありませんから」


 その言葉に、エリシャは渋い顔を見せる。


 「……それが、そうも言えぬのです。ロムールは我らが獲った毛皮や森の恵みを換金したり、小麦などの食料を買い込むのに欠かせぬ国。あの国なら、少なくともまともな価格で取引できますからな。帝国ではそもそも入国すら出来ませんし、亜人と見るや財産を奪われて売り飛ばされることもあります」


 「ロムールではわたしたちは歓迎はされてないけど、まだ人として扱われる。……でも、帝国ではそれすらない。家畜同然」


 そうリラが補足する。


 「……ということは、もしあの国が倒れたら、魔性の森は孤立して、帝国の脅威に晒されるということか? それは不味いな」


 「そういうことになりますな……。故に、我らとしても彼の国には踏ん張って貰いたいのです。我らに出来ることなどたかが知れておりますが……」


 「…………」


 その言葉に、ダンは考え込む。


 本当に出来ることが何もないのだろうか?


 森の民たちのポテンシャルと、ダンの持つ近代知識を合わせれば、撃退まではいかなくとも効果的な破壊工作サボタージュくらいはできそうではある。


 しかし、出来る限りダン自身が直接介入はしたくないし、せっかく保護した獣人ライカン族たちにも被害は出したくない。


 皆、先の襲撃で傷付いてボロボロなのだ。とても今は動かせる状態にない。


 可能なら、他の場所から協力を募るのが最善であった。


 「……ダン様、一つ提案があるのですが」


 「ん? なんでしょう?」


 深く考え込むダンに、エリシャがそう声をかける。


 「実は……以前から考えておったのですが、ここ付近の有力種族の代表者を一度に集めて、会合を開いては如何でしょう? 人の国同士の戦にどう対応するかなど、我らの一存だけで決めるにはことが大きすぎます。また、"新しき神"であるダン様のお披露目や、我が息子ラースの死により、新たな族長としてロンゾが立ったことなど、報告すべき事柄も溜まっております。これを機に大々的に知らしめた方がよろしいかと」


 「……確かにそれは一理ありますね。ここ禁域に入ったことだって、成り行きとはいえ私たちの独断です。もめごとを避けるためにも一度しっかりと周辺住民と話し合った方が良いかも知れません」


 ダンは同意する。


 実際、いつまでもこの状態は不味いのも確かだった。


 ダンにとってはただの密林だが、この付近の森の民にとっては決して侵してはいけない禁域なのだ。


 地球で例えるなら、メッカやヴァチカンのような宗教的聖地かも知れない。


 根回しもなく図々しく居座っていたら、トラブルになるのは目に見えていた。


 「ええ。それに雨期の間は森の危険な生き物たちもさほどは出て来ません。特に竜虫などは湿った時期には飛べませんので、護衛の心配もないかと」


 「なるほど……開催するとしたら、場所はどこにしましょう? また、誰をどうやって招待するかも問題になってきますね」


 「先程の塔でするのがよろしいのではないですか? 今頃、あの塔が突然現れたことで各種族の郷では色々騒ぎになっているはずです。それらの説明も兼ねて、いっそ招待してやればよいかと。あれなら周囲の郷全てから見える目印となりますし、何よりダン様のお力を知らしめる良きしるべになります」


 エリシャはそう提案する。


 「それと……招待する者の選別に関してはこの婆に一任して下され。わしはこう見えて、この付近の郷には顔が効きます。招待状に関しても、この婆の名前で出せば、それなりの人数は集められるでしょう」


 「分かりました。ならば、出来るだけ早く開催する方向で話を固めていきましょう。私たちが結論を出すまでに、情勢は待ってはくれませんから」


 ダンはそう言ったあと、船体に向かって呼びかける。


 「ノア、気象衛星を飛ばすことは可能か? 直近で一番天気のいい日を調べたい」


 『可能です。本機の船体上部に搭載された"飛翔体発射装置"により、小型の人工衛星を打ち上げることが出来ます』


 船内のスピーカーから、ノアは淡々と応える。


 「上出来だ。ならすぐに発射してくれ。少々悪天候だが、この程度の風雨なら問題なく飛ばすことが出来るはずだ」


 『了解しました』


 そう答えるや否や、船体の奥からプシュ、と空気の抜ける音がして、プシュゥゥゥ、と上空に何かが飛翔していくくぐもった音が響く。


 どうやら無事発射出来たようだ。


 人工衛星さえあれば、ノアはほぼ百パーセントの精度で天候の予測ができる。


 宇宙の天気は地上のそれとは比べ物にならないくらい過酷である。


 秒速何百キロメートルで宇宙空間を吹き荒れる、太陽風やデブリ群も正確に予測するノアにとって、観測する目さえあれば、地上のゆっくり動く雲の流れを予測することなど造作もないことだった。


 今は雨季とは言え、比較的天候がマシな日もあるだろう。その日に開催すれば、招待客も来やすくなるはずだ。


 ダンはそれに軽く頷いたあと、話に着いていけずポカンとスプーンを咥える、鳥人ハーピィの少女たちの方を見やる。


 「いずれ、こちらからそちらの女王様に招待状を出すことになるだろう。それまでに一応このことを一言でも伝えておいてくれるかい?」


 「うん! いーよー。それじゃあ……もう一皿キラキラ食べてもいい?」


 そう言って、鳥人の少女たちはウルウルとした目をダンに向ける。


 「そうだな……あとで少しだけ頼みたいことがあるから、それを引き受けてくれるなら構わないぞ」


 「やったー!」


 その言葉に、少女たちはその内容を確かめることすらせず、バサッと両翼をはためかせて喜ぶ。


 どうやら何よりも先に食欲が勝ったらしい。


 飛び散る羽毛と溶けかけのかき氷の傍らで、後に森の民たちの命運を左右する部族長会議の開催が決定した。

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