第34話 閑話:コールドブラッド
それから三日ほど経った頃――。
相変わらず雨は降り止まず、それどころかますます雨音が強くなっていく。
ダンは初めて現地での本格的な雨期というものを体験していた。
ジメジメとした天候が続く中、ダンは宇宙船の窓から外を眺めながら、今後のことについて考えていた。
ひとまず住人たちは塔の一階でまともに暮らせてはいるようであった。
塔の内部は雨露こそしのげはするものの、仕切りもない上に硬い床の上での雑魚寝である。
結構な不満が出ることも予想されたが、毒虫や外敵に怯えなくて良い分安全で、しかも涼しい空調が効いていることから意外にも評判は悪くなかった。
中にはずっとここに暮らしても良いという者も居たが、流石にそれでは浮浪者同然なので却下した。
彼らのために新たな住居を建ててやろうにも、この豪雨の中では作業することもままならない。
結果ダンは、今日も宇宙船の中で、いたずらに時を過ごすことになっていた。
「さて……そろそろか」
そう言って、ダンは船内のある場所に向かう。
ここにあの日以来、シャットとリラの二人にはしばらく船に近付くのを禁止していた。
身の回りから遠ざけたのは別に疎ましかった訳では無い。今は子供にはあまり見せたくない光景があるからだった。
ダンはその目的の物が置いてある、船内のとある一室の前に向かう。
――そして、その内部を映すモニターを確認しながら、虚空に向かって問い掛けた。
「奴らの状態はどうだ?」
そう言って、内部の様子を伺うと、そこには――全員全裸のまま後ろ手で支柱に手錠でくくりつけられ、がっくりと項垂れている捕虜たちの姿があった。
どう見ても疲労の限界を迎えているのは明らかだった。
それも当然である。何故なら彼らは、この三日間ほんの一分足らずの睡眠も許されてはいなかったからだ。
彼らはこの三日間、監視カメラで常に状態を監視され、意識が落ちそうになったら、顔に水を噴射して無理やり叩き起こされるということを何度も繰り返していた。
ちなみに、全裸にしているのは衛生的な面もあるが、一番は捕虜に屈辱を与えるためである。
昼も夜も分からない密閉された部屋の中で、全裸で糞尿を垂れ流しながら、眠ることすら許されず拘束される。
人の心が壊れるには十分な環境である。
地球における捕虜に対する人権条約では、捕虜に対する暴力行為や水や食事を与えないこと、また不衛生な環境に置くことは原則禁止となっている。
故に栄養や水分などは点滴で最低限与えているが、睡眠に関してはその限りではない。
衛生面に関しても、排水口から排泄物は流して、スプリンクラーのシャワーで清潔は保っている。
全て合法の上で精神的に追い詰めるのが、地球連邦式の"拷問"であると言えた。
『全体的にバイタルの状態が悪化しています。体温の低下、心拍数の上昇。思考能力の低下、独り言などの意識混濁と言語能力の低下などの症状が見られます。これ以上の続行は脳梗塞などを引き起こす可能性があり、身体的な負担が懸念されます』
ノアがアンドロイド姿ではなく、船内のスピーカーを使ってそう応える。
「ふむ、いよいよ限界となったら十五分だけ睡眠を許可して構わない。……だが一旦、ここで尋問を試みるか。言語サンプルの収集はある程度進んでいるのか?」
『はい。彼ら帝国人の言語は、宇宙公用語――かつては英語と呼ばれていた言語に文法が酷似している部分があります。また、
そう言うとノアは、『解析データを共有します』と言って、ダンの脳内にアクセスしてくる。
しばらく経つと、ダンの電子頭脳にノアが解析した、彼ら帝国人の言語と収集した単語のデータが流れ込んでくる。
ノアは、彼ら捕虜たちを監禁している間も、言語データの収集と解析を続けていた。
捕らえたのはいいが、まず彼らの言語が分からないことには、尋問すらまともに出来ないからだ。
故に予め心身衰弱させておくついでに、簡単な言語の習得も済ませておいた。
捕虜全員をわざわざ同じ部屋に監禁したのも、会話をさせて言語サンプルの収集を早めるためでもあった。
「……よし、これならひとまず会話はできるだろう。発音はまだ不安だが……それは話しながら覚えるしかないな」
ダンはそう言うと、モニター越しに見える室内の様子を伺いながら、声を変えてスピーカーで話しかける。
『どうも、帝国軍人の皆さん。ご機嫌は如何でしょうか?』
「………………!?」
話しかけるや否や、中の捕虜たちはハッと顔を上げて、キョロキョロと周囲を見回す。
この三日間、一言たりとも彼らに話し掛けることはしなかった。
温度も光も一定の場所で、ただただ眠ることだけが許されないまま放置される。
もしかしたら自分たちは忘れられているのではないか――そう言った不安を与えて、精神的に追い詰めるためでもあった。
故に彼らが一番に感じたのは困惑と、そして安堵であった。少なくともこのまま放置されて衰弱死することだけはなくなったからだ。
『おや? どうやら大分お疲れのご様子ですね。どなたか話せる御仁はいらっしゃいますか?』
「……貴様! 我ら帝国軍に、こんな真似をしてただで済むと思っているのかッ!」
どこから聞こえてくるか分からないダンの声に対し、兵士たちはそう凄む。
(おっ、まともに会話が出来ているな。発音もそれほど難しくはなさそうだ)
そう内心でダンはほっと胸を撫で下ろす。
これで、一番心配だった言葉の壁というものはなくなったからだ。
しかし、それをおくびにも出さずにダンは尋ねる。
『ふむ、ただじゃ済まない、とはどういうことでしょう? もしかして、あなた達を拘束すると、帝国軍本隊が出てきて、私たちは皆殺しにされると言うことでしょうか?』
「そうだ! 分かっているならさっさとこの手枷を――」
『なるほど、それは恐ろしい……。で? それは、いつ頃の話になるんです?』
「えっ?」
その問いに、最初に凄んだ帝国兵はキョトンとした顔で聞き返す。
ダンは構わずに続けた。
『あなた方がこの地で全滅して、捕虜として捕まったことが帝国内に伝わるまで、恐らく二週間ほどは掛かるでしょう。そこから、本土まで救援の話が辿り着くまでまた一ヶ月。そこからすぐに援軍を出すとしても、現状把握と軍の再編成まで最低でも二ヶ月は必要でしょうな』
「…………!?」
『そこからここまで進軍してくるとなると……おおう、時間にして、最速でも半年近くの期間が必要でしょう。あなたは援軍が自分たちを救出するまで、そこでじっと耐えて待ち続ける覚悟ということでしょうか? なるほど……凄まじい覚悟だ。私は同じ軍人として、あなた方を尊敬します』
「ま、待て! そうではない!」
ダンの言葉に、兵士の一人が慌ててそう引き止める。
兵士はその場の指揮官であり、名をセザールと言った。
「わ、我らをこのまま解放すれば、上官である鎮東将軍閣下に、魔性の森にこれ以上進軍せぬよう言上しても良い! だから、早くこの枷を解いてここから出せ!」
そう見えすいたことを言うセザールに、ダンは失笑しながらも、それを声色に出さず応える。
『ふむ、それは大変魅力的な話ではありますな。……ただ、そこまで重大な話となると、私一人の一存では決めかねます。仲間と相談して改めて返答させて頂きたい』
「い、いつだ! あまりそう長くは待てんぞ! その前に、この枷を解いてくれ!」
『なあに、そう長くは待たせませんから、しばらくそのままお待ち下さい。……ちなみに、今あなた達が捕らえられて、どれくらい時間が経ったか分かりますか?』
ダンがそう尋ねると、兵士たちは顔を見合わせながら首を振る。
「わ、分からぬ。ここには朝も夜もないからな。一週間くらいか?」
『とんでもない。まだ一日とその半分が過ぎたくらいですよ。皆さんあまりよく休まれてないようなので、時間がとても長く感じられるのでしょう。私たちの話し合いで結論が出るのは三日後です。それまでしばしの間お待ち下さい』
そうあえて時間を過小に申告する。
そうすることで全員の時間感覚を狂わせて、より一層の絶望感を与えるためでもあった。
「み、三日だと!? む、無理だ! 無理に決まっている!」
「もう嫌だ! 出してくれ!」
「た、頼む、ほんの少しでいい! この後ろの枷を外して……」
そう騒ぐ捕虜たちに、ダンはスプリンクラーのスイッチを入れて、冷水を浴びせる。
単純に頭を冷やせというメッセージである。
『……落ち着いてください。何もずっとそのままでいろと言っている訳では無いのです。誇り高い帝国軍人の皆さんのこと、これまでの倍の時間耐える程度、何というほどのこともありますまい』
「お、お前は一体何が望みだ……? こんなことをして……復讐か!?」
追い詰められたセザールは、声だけで姿を見せないダンに対して、そう問い掛ける。
『復讐なんてするつもりはありません。確かに私の友人もあなた方に殺されてしまったが……私が目指すのはそういう後ろ向きなことではなく、この地で自由に生きたいだけなんですよ。その為に、帝国兵の方々から色々お話を聞かせて頂いて、今後の対策を立てようと思ったのですが……』
「ご、拷問する気か……!? 私は何もしゃべらんぞ!」
『拷問だなんて、そんなことをしても精強なる帝国兵の方々が口を割ることはないでしょう。……なので私は、待つことにしましたよ。自主的に皆さんが協力してくれるまでね』
「…………!」
ダンの言葉を測りかねてか、セザールはぎょっとした顔をする。
『仮にここに援軍が来るとしても、私の見立てでは半年……いえ、あるいはもっと掛かるでしょう。なので私は、その時間を利用して、皆さんとゆっくり仲良くなっていこうと思います。そう、一月でも、一年でもね』
「ば、馬鹿な……! で、では我らは……」
『ご安心ください。皆さんには傷一つ付けるつもりはありません。間違っても死なぬよう、健康や衛生にも配慮させて頂きます。……まずは三日、先程言った通り仲間と話し合いをしてくるので、そのまましばらくお待ち下さい。そこで話がまとまらなければ、もしかしたら一月先まで伸びるかも知れませんが……その場合は、申し訳ありませんが、もう少しだけ延長という形になりますね』
「ま、待て! それは駄目だ!」
「う、嘘だろ!? ちょっと待ってくれよ!」
「肩が痛くてたまらないんだ! 頼むからこれをはずしてくれぇ!」
そうダンの絶望的な宣告に大騒ぎするも、五分もすれば騒ぐ元気すらもなくなり、室内はシンと静まりかえる。
そして最後の一言以来、ダンからは何の反応も返ってこなくなってしまった。
それに捕虜たちは、だんだん押し潰されるような不安を感じ始める。
――まさか、本当にこのまま?
捕虜たちはそれに気付き、恐怖のあまりブルリと体を震わせる。
そして、耐えきれなくなった一人が、狂ったように頭を振りながら叫ぶ。
「あ、あああ! 嫌だぁ! もうここにはいたくない! ここから出してくれよお!!」
「ま、待て、落ち着け! そうやって動揺させるのが敵の策だと分からんのか!」
「うるさいッ! 元はと言えばあんたのせいだろうが! あんたが奴と変に駆け引きしようとするから……」
「き、貴様、上官に向かってなんという口の効き方……!」
そうおもむろに仲間割れを始める捕虜たちの様子を、ダンはモニターで無表情に見守る。
敵の指揮官が看破した通り、これは捕虜たちに動揺を与えて、分断させて情報を引き出しやすくする為のブラフだ。
――しかし、そうだと分かっていてもどうすることも出来ない。
何故なら彼ら側に交渉材料がないからだ。
このまま自害すら許されずに、苦しい姿勢のままジワジワ衰弱させられるくらいなら、いっそのこと何もかも話して楽になりたい。
そう言った心理に至るのが、人間として当たり前の感情であった。
「こんな素っ裸で下まで垂れ流しで、上官もクソもあるか! あんた、このままほっとかれたらどうするつもりなんだよ! 助けって、そんなのいつ来るんだよッ!!」
「そ、それは……」
「肩が、外れそうだ……! 頼むからこれを外してくれ……」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……こんなところで死にたくない……」
三日間無理な体勢で不眠不休で放置された上に、解放される希望すら絶たれたことで、捕虜たちの人格に徐々に破綻が見え始める。
その様はいっそ哀れですらあったが、ダンの感情は一切揺れ動かない。
高度に
故に彼らが泣こうが喚こうが、ダンは一切手を緩めるつもりもなければ、なんの感情も抱くことはない。
敵兵なら数百、数千、あるいは数万人でも眉一つ動かさず殺戮できる一方で、保護対象である非武装の民間人の命は、たった一人失われただけで悼み悲しむことも出来る。
我が事ながら非常に歪だとダン自身も自覚はあるが、極度に効率化された兵士というのはそういうものなのだ。
そして三十分ほど待って、捕虜たちの呻く声や、すすり泣きの声だけが聞こえてくるようになったとき、ダンは改めてスピーカーのスイッチを入れてこう言った。
『いやあ、申し訳ありません。お茶を淹れるために、少しだけ席を外していました。……それで? 何の話をしていましたかね?』
「…………!」
ダンはそう言って、しれっと何事もなかったように会話を再開する。
それを受けて、捕虜たちはがっくりと項垂れて何も言えなくなる。
彼らは痛感したのだ。
相手のほんの少しの気まぐれで、自分たちの人生は簡単に闇に閉ざされてしまうことを。
自分たちの苦痛も絶望も、この声の主からすれば、ただお茶の片手間程度に聞き流せるものでしかないのだということを。
それを理解してからは話が早かった。
彼らはダンの質問に競うように答えるようになり、頼むから解放してくれと懇願するようになった。
上官も部下も関係なく、全員が逃れたい一心で口汚く罵り合いながら情報を開示し合う。
ダンはそれらを嘘で口裏を合わせられないよう個別で聞きながら、大した手間もなく情報を纏め終えた。
――――
今回はちょっと本筋から離れた閑話です
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