第100話 外なる神


 「しかし……あの巨大な人面タコ、あれは一体何だったんだ? エンキが創った巨大生物かと思ったが、どうもそれとも違うような感じがするが……」


 エンキとの面会も済ませたあと、ダンは水路から上がりながらそう尋ねる。


 先程戦った巨大タコは、これまでこの星で戦ってきた生物とは明らかに毛色が違っていた。


 エンキの創った生物は、確かに奇妙なものも多かったが、なんだかんだで生命というものに対するリスペクトがあった。


 不気味で恐ろしい生き物もいたが、それもちゃんと自然の機能美に則った見た目をしていたからだ。


 ――しかし、あの巨大人面タコにはそれがない。


 巨大な人間の顔からうぞうぞと触手が生えている様など、ただただ不快で歪な、制作者のねじ曲がった悪意しか感じ取れなかった。


 「無論だ。我が父祖エンキが、あのようなおぞましい化け物を創り出すはずがない。あれは"幽魔アスラ"の仕業だ」


 「アスラ?」


 ダンはそう聞き返す。


 アスラという名には、ほんの少しだけ聞き覚えがあった。


 確か百年ほど前に人類に侵攻し、とてつもない被害を出したという異形の化け物である。


 ロムールの街の人間や、ダンの庇護下にある異種族の住人たちが酒の席で話す程度で、今は昔の言い伝えのような扱いであったが。


 「ああ。以前に話した、魔法をこの世界に持ち込んだ異界の神……それこそが幽魔アスラだ。かの者たちは肉体を持たず、常に体を乗っ取る宿主を探している。あれも恐らく"人間"の成れの果てだ。幽魔アスラの中には、自身の取り憑いた人間を改造し、あのような見るに耐えない姿に変質させる力を持つ者もいる」


 「元は人間だと……!? あの化け物がか?」


 ダンはウミガメの腹の底にへばり付く、気色の悪い人面タコの姿を思い出して声を上げる。


 「そうだ。恐らくあれは"狂乱の御子"の手によるものだろう。人の肉体を改造し、弄ぶのを楽しみの一つとしている、最も危険な幽冥の主アスラ・ロードの一柱だ」


 アダパは忌々しそうに言う。


 「幽冥の主アスラ・ロード……それに狂乱の御子とは何だ?」


 聞き覚えのない単語が立て続けに出て、ダンは思わず聞き返す。


 「幽冥の主アスラ・ロードとは、幽魔アスラたちを統べる神々の長のことだ。中でも『狂乱の御子ドレポル』は、あらゆる秩序を乱し、面白半分で騒動を引き起こし、人の命を弄ぶ邪悪な神だ。人の体を変形させたり歪につなぎ合わせた化け物を、"芸術品"と称して兵士として使役している」


 「なんというか……話を聞くだけで吐き気を催すような輩だな。しかし、一柱ということは、他にもまだそのような神がいるということか?」


 ダンの質問に、アダパは頷く。


 「そうだ。幽冥の主アスラ・ロードの侵攻はこれまで三度あったが、それぞれが別の神によるものだ。一番古いのは、八百年前の『魔導の御子アストリン』と魔人たちの侵攻だ。軍勢には吸血鬼ヴァンプ牛魔タウラスなどの強力な魔人が多く脅威であったが、聖教会の活躍もあり、それほど被害も出ずに退けている」


 「…………!」


 それを聞いて、ダンは言葉を失う。


 アダパの説明の中に、どこかで聞いたような種族が含まれていたからだ。


 ガイウスは他の種族に比べて、段違いで魔法に長けていたが、そもそも出自自体が全く別の種族ということならどこか腑に落ちるものがあった。


 「次は四百年前に攻めてきた、『荒廃の御子クインサ』と不死者の軍勢だ。これに関しても、聖教会が認定した"聖女"の活躍により、被害は南大陸アウストラリスのみに留まり、異界に押し返すことに成功している」


 話を聞いてみると、幽冥の主アスラ・ロードを撃退するのに、大抵は聖教会というものが関わっているように感じられた。


 「……そして、これまでで最大の規模だったのが、『狂乱の御子ドレポル』率いる混沌の軍勢の侵攻だ。これは後に"アスラ大戦"とも呼ばれ、人類が史上最も壊滅的な被害を受けた出来事とされている。最後は聖教会により選定された、勇者ネルウァと聖女の活躍によりドレポルが倒され、どうにか収まったが、百年経った今でも各地に爪痕が残っている」


 「話を聞くと、聖教会というのは、随分と人にとっては恩恵のある組織なんだな。正直、帝国の侵略の後ろ盾になっている悪い印象しかなかったが……」


 ダンは若干複雑な心境ながらも、その成果を認めざるを得なかった。


 しかし、アダパはそれを首を振って否定する。


 「いや、そうとは言い切れぬ。何故なら聖教会が崇めている"主神"とやらこそが、他ならぬ侵略を企む幽冥の主アスラ・ロードだからだ」


 「何?」


 ダンは思わず聞き返す。


 「一番最初に侵攻を企てた、『魔導の御子アストリン』が、聖教会が崇める"主神"の正体だ。聖教会はアストリンの侵攻に対抗するという名目で、八百年前に結成された組織だが……それまでになかった"魔法"なる力を突然開発して、今や西大陸ネウストリアを中心に絶対的な権力基盤を作り上げている」


 アダパはそう言ったあと、更に続ける。


 「御身が言っている帝国の後ろ盾云々は、恐らく東大陸アウストラシアにある"東方聖教会"のことだろう。あんなものはただの分派で紛い物に過ぎん。本家の西大陸ネウストリアにある聖教会は、王や皇帝などを遥かに凌ぐ権力を持っている。何せ彼らは『魔法を与える』事ができるからな」


 「魔法を与える?」


 その言葉に、ダンはそのまま聞き返す。


 「そうだ。西大陸ネウストリアでは、十歳になった子供には必ず"洗礼"を受けさせる事になっている。"聖水"と呼ばれるものを飲むだけの簡単な儀式らしいが……それによって魔力に目覚めることが出来るのだそうだ」


 「そんな簡単なことで魔法が使えるようになるのか?」


 「ああ。……ただ、その"聖水"が非常に苦痛を伴うものらしくてな。飲んだ瞬間、体の内側から穴を開けられるような激痛が走り、それが三日三晩続くような代物らしい。体の弱い子供なら死ぬことすらあるらしいが……それを乗り越える事ができれば、晴れて魔法遣いの仲間入りが出来るのだそうだ」


 「……随分とたちの悪い改造手術のようだな。それを十歳の子供に受けさせるなど、正気とは思えん」


 文明人であるダンにとっては、子供が未開な儀式で死ぬというのは、非常に胸糞の悪い話であった。


 「そもそも、その聖水とやらは一体なんなんだ?」

 

 「私もそれは分からぬ。聖教会でも上層部しか知らぬ秘伝らしいが……。連中曰く、"主神"から賜った恩寵だそうだ」


 「ふむ……つまり君は、そのアストリンとやらが人間社会に『魔法』を浸透させるために、わざと負けたように偽装撤退して、その裏では"主神"として人間たちを操っていた、とそう言いたいんだな?」


 ダンの言葉に、アダパは我が意を得たりとばかりに頷く。


 「そうだ。魔導とは即ち魔法であり、アストリンの領分の中にあるもの。その身に纏えば、何が起きるかなど想像に難くない。恐らくは体よく奴の奴隷にされることだろう」


 「…………」


 見てきたようなアダパの口調に、ダンは考え込む。


 森を開拓していた時に、急に襲ってきたあの体が透ける怪物――あれも確か、魔力や回路がどうなどと言っていたのをダンは思い出す。


 あれは恐らく幽魔アスラなのだろう。


 ダンの体に入り込んで、内から操ろうとしていたのを、体内のナノマシンに阻まれて失敗していた。


 あの時もし、ダンが生身の人間で魔法を使える者だったなら、今頃は自分の体を乗っ取られていたのかも知れない。


 「我ら長命種は、実際に魔法が広がる様をこの目で見てきた。千年前までこの世に影も形も存在しなかった魔法というものが、アストリンの侵攻が始まると同時に急に現れ、人間たちの中に爆発的に広がっていった。わざと負けたふりをして人間たちに魔法を信じさせることなど、彼女からすれば容易いことだっただろう」


 「……しかし、それだと後の二回の侵攻を阻止したのは理由が分からんぞ。その神々は、同じ世界から渡ってこちらに侵略を試みてきた同胞なのだろう?」


 ダンの言葉に、アダパは少し考えたあと言った。


 「神々同士にも利害の衝突があるということなのだろう。クインサは純粋な破壊者であり、この世を自身の過ごしやすい荒廃した暗黒の世界に作り変えることしか頭にない。ドレポルは自分の"芸術品"を作りたいだけの、完全に気が触れた狂神だ。それに対してアストリンはそっくりそのままこの世界を手に入れたいのだろう。でなければ、わざわざ人間社会に溶け込んで、裏からじっくり支配領域を広げるようなことはしない」


 「…………」


 その言葉に、どこか腑に落ちる部分もあった。


 アストリンは聖教会を通じて、他の神々を出し抜きながら、この世界の穏当な完全支配を目論んでいるということなのだろう。


 そう考えるなら、アストリンの遠回りとも言える聖教会を通じた間接的な支配も、理に適ってるように思えた。


 「人間たちは魔法を、悪しき幽魔アスラから身を守るために、善なる"主神"がもたらした奇跡であると信じておる。だが本当は脅かしているのも幽魔アスラなら、撃退しているのも幽魔アスラの力なのだ。同じ幽魔アスラ同士の覇権争いに人間は駒として利用されているに過ぎん」


 「そう考えると哀れな話だが……。しかし、魔法を使うのは人間だけか? 異種族には魔法を使うものはあまり見かけなかったが」


 魔性の森で魔法は、ガイウスら吸血鬼ヴァンプオーガ族の一部のみが使い、他はほとんど使っている者は見かけなかった。


 「どうも我ら異種族は、魔法を使えぬ体質らしい。聖水を飲んでも無駄に体を痛めるだけで、まったく魔法が使えぬのだ。その為に聖教会からは、『主神の寵愛を受けられぬ劣等種』として迫害を受けている。アストリンからしても、自身の手駒にならぬ異物は邪魔でしかなかろう」


 「ふむ……」


 その言葉に、ダンは一人考え込む。


 アダパの言う事を頭から信じた訳では無いが、仮に本当だとしたら聖教会はかなり怪しい組織のように感じられた。


 (今後の対策として魔法のことは解析しておくべきだな……。西大陸ネウストリアに向かった際には、その"洗礼"とやらも受けてみるか)


 ダンはそう結論付ける。


 しかしその心中を読み取ったかのように、アダパは渋い顔をして言った。


 「……イシュベール、以前にも言ったが決して自身で魔法を使おうなどと思うな。あれを身に纏うことは、幽魔アスラの軍門に降るも同然。御身の体にどんな影響があるか分からぬぞ」


 「分かっている。だが、危険を避けてばかりでは、相手の手の内を読むことも出来ん。それに、私自身が魔法を覚えずとも、使えるようにする方法はある。抜け道はどこにでもあるものだ」


 「……?」


 その言葉の意味をよく理解出来ずに、アダパは首を傾げる。


 ダンはそれを他所に、魔法の解析をするための方法を考えを巡らせるのであった。




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