第131話 腕試し
「か、勝てねえ……」
ノアの前で死屍累々と並ぶ男たちは、ぐったりとしながら椅子にもたれかかる。
それとは裏腹に女将さんはホクホク顔であった。
ノアに挑戦する権利として、最低でも一品頼むという条件を付けたおかげで、酒や肴が飛ぶように売れたおかげだろう。
挑戦者は次々入れ替わり、既に五十人近くにもなったので、その分だけ宿屋が儲かったことになる。
「あんた、凄いじゃないか! 並居る男どもをバッサバッサと、あたしはもう途中から見てて痛快で!」
「恐れ入ります」
「これで、私たちはそこらの男性には負けないっていう証明になりましたかね? このノアさんが護衛としていれば、そこらの男性が押し入って来ても簡単に撃退できますし」
イーラの言葉に、女将は大きく頷く。
「ああ、もちろんだ! あんたなら、少なくともここのロクデナシどもが悪さしようなんて気は起こさないだろう。もしそこの可愛らしいお嬢ちゃんにぶん殴られでもしたら、頭の形が変わっちまうだろうしねえ」
「…………!」
女将の言葉に、そばでぐったりしていた男たちは、ノアの剛腕で殴られる様を想像して顔を青くする。
実際拳を交えずとも、ノアがただ者ではない、ということだけを理解してもらえれば防犯には十分である。
「それじゃあ、私たちに部屋を――」
「いや、まだだ」
しかしその時、横槍を入れてくる男がいた。
他ならぬ、最初にイーラに絡んできた、顔に入れ墨の入った大男であった。
勝負の内容が腕相撲ということで、興が削がれたのか我関せずといった顔で酒をちびちび呑んでいたが、ノアの余りの剛腕っぷりを見て目の色を変えた。
「俺がまだいるぜ。女将、俺にもエールを一杯くれや」
「ちょっとあんた……! これはうちとお客さんの話だよ! 実力は十分に示したんだ。もうこれ以上は――」
「構いません。まだ本機の耐久性には余裕があります」
そう女将が断ろうとしたその時、ノアの涼やかな声が響く。
どうやらこの男は他の酔客とは格が違うらしく、金貨三十枚にも毛ほどの興味も示さなかった。
それだけ稼げてる、名のある男ということだろう。
「ちょっと!」
女将がイーラに向かって首を振る。
「あいつはやめといたほうがいいよ! あれは"竜鱗のドレヴァス"ってやつで、ここらで知らない奴はいない用心棒だ! 元々拳闘士だったんだが、強すぎて試合にならないってんで、途中から剣闘士やら猛獣やらの相手して、それでも素手で百勝して出てきたようなバケモンなんだ!」
「ほう……」
女将のその解説に、ダンがにわかに興味を示す。
普段ならぜひともボクシングで一汗流すところなのだが、残念ながら今のダンが頑張って倒せるのは子犬ぐらいである。
なので、今回はノアに託すことにした。
「どうやら、あいつは少し格が違うらしい。30パーセントまでなら出力の解放を許可する」
「了解しました」
そうノアに耳打ちすると、彼女は「どうぞ」と言って、テーブル上に右手を差し出す。
「おもしれえ」
ドレヴァスなる男は、獰猛に歯を見せて、舌舐めずりしながらその手を取る。
そして、ズシンとテーブルの上に上半身を預けた。
「ああもう、こんなことになっちまって……あたしは知らないよ! テーブル壊さないでおくれよ!」
「うおお! 竜鱗のドレヴァスとあの剛腕姉さんの一騎打ちだぞ! こりゃあ見ものだ!」
「いやいや、さすがにドレヴァスの旦那には敵わねえだろう……」
「いや、俺はあのねーちゃんが勝つと見たね! 大男を片手で投げ飛ばす剛腕は人間のものじゃねえ!」
「よっしゃあ! それじゃあ、あの変な服着た姉さんか、それともドレヴァスの旦那か、どっちが勝つか、一口銀貨一枚からだ! 乗った乗った!」
そう一人の酔客が賭けを持ち出してから、その場にいた全員が一斉に群がり始める。
すっかり場が賭け事で温まったのを余所に、ドレヴァスはノアを獰猛な目で睨みながら、腕の筋肉を軋ませる。
そして、人間離れしたギザギザ歯の大口を開いて言った。
「おい! 誰か合図しやがれ!」
その声に慌ててイーラが近付くと、ガッシリ組まれた二人の上に手を置いて言った。
「それじゃあ行きますよ、私がこの手を離した瞬間に開始ですからね。では、3、2、1……それ!」
「オラァッ!!」
イーラが手を離した瞬間――ドレヴァスが全力で体重を預けて、ノアの腕を押し込む。
片やノアは涼しい顔で、その猛攻に耐え凌いでいた。
(なんだこいつ……!? 全然動じてやがらねえ! 腕も細っこいくせに、めちゃくちゃ重てえぞ……!)
「う、おおお! あのドレヴァスの全力に、姉さんの方が余裕で耐えてるぞ!?」
「いや、どうも微妙に押されているような……?」
そう男たちが興奮した様子で見ているのを余所に、二人の腕相撲は拮抗した様子を見せる。
(これは驚いた……まさかノアの30パーセントに着いてこられる奴がいるとはな)
ダンは内心で驚愕しながら勝負を見守る。
ノアも決して余裕ではないだろう。顔に出ないのはただただ表情に出す機能がないだけで、30パーセントの範囲内では全力であることに変わりない。
片手で数トンを振り回すノアに、フルパワーではないとは言えある程度着いていける猛者がヒト型生物にいることに、ダンは素直に感心していた。
「ぐ、ぐぐ……!」
しかし、そこは生身の限界なのか、スタミナが無尽蔵のノアと違ってドレヴァスは徐々に疲れが見えたのか押され始める。
「おおお! 旦那が押し返されてるぞ!?」
「やっぱあの姉さんただ者じゃねーぞ!」
「とんでもねえ馬鹿力だ……」
そう戦慄する男たちを余所に、ドレヴァスの腕はどんどん角度が深くなり、徐々に押し込まれつつあった。
誰しもが、このまま勝負が決まると思った、その時――
「く、そったれがァッ!!」
「!?」
気合一閃、とばかりにドレヴァスが咆哮を上げると同時に、一気にノアの腕を押し返す。
どうやら限界を超えた力を引き出してしまったらしい。
その勢いは凄まじく、ノアの腕を一気にイーブンまで押し戻して、そのまま押し切らんばかりの勢いであった。
「うおおお!? ドレヴァスの旦那が息を吹き返したぞ!?」
「やっちまえ旦那! 女に舐められて溜まるかってんだ!」
「た、頼む! 俺は姉さんに十口も賭けてんだ! 負けたら飲み代が払えねえよぉ!」
そう悲喜こもごもの悲鳴や歓呼の声が響く中で、ダンは顔を引き攣らせる。
(まずい、まさかこれほどとは……! このままでは負けるぞ! 金はどうでもいいが……)
ダンは苦悩する。
30パーセントで相手をする、というのはダンたちが相手を壊さないために内々で決めた自己ルールに過ぎない。
なので無視しても一行に構わないが、最初接戦を演出しておいて、旗色が悪くなれば制限を解除するというのはなんとなく卑怯に思えたのだ。
(だが……私のノアに土を付けられるのだけは我慢が出来ん! 多少大人げないが構うものか!)
「ノア! 50パーセントまでの解放を許可する!」
「――了解しました」
そう答えた瞬間――ノアの腕内部のギアが切り替わり、出力が一気に解放される。
「なんだとッ!?」
先程まで接戦だったのが嘘のように、圧倒的な力でドレヴァスの腕を押し返し、そのまま机を叩き割るほどの勢いで相手の手の甲を叩き付けた。
それを見て、シン、とその場が一斉に静まり返ったあと、しばらく硬直する。
――しかし次の瞬間、割れるような歓声とともに、盛大な拍手が沸き起こる。
「おおおお! あの姉さん、旦那に勝っちまいやがったぞ!?」
「信じられねえ……あの細っこい腕のどこにそんな力が……」
「よっしゃああ! 勝った! 勝ったぞ! これなら今日どころかこれまでのツケも全部払えるぞ!」
そう男たちが大騒ぎするのを余所に、ドレヴァスはガックリして机の下でへたり込む。
「こ、この俺が……純粋な力比べで女に負けた……!?」
そう呆然と呟く。
実際、ドレヴァスはかなりのものだった。
その腕力は常識外れであり、パワードスーツを着ていたとしてもイーラでは到底敵わなかっただろう。
要は単に、相手が悪かっただけなのだ。
それに対して、ノアは無機質な顔で手を差し伸べる。
「大丈夫ですか? あまり、顔色がよらしくないように見受けられます」
「…………」
ドレヴァスは無言でその手を取ったあと、立ち上がる。
そして、表面上は普通の女性の柔肌にしか見えない、ノアの手をまじまじと眺めた。
「何か?」
「い、いや……何でもねえ」
「あんた、凄いじゃないか! まさかこのデカブツに勝っちまうなんて! まああたしは勝つって信じてたんだけどね!」
そう調子の良いことを言いながら、女将が二人の間に割り込む。
それにちっ、と舌打ちしたあと、ドレヴァスは踵を返し、その場を後にしようとする。
――しかしその腕を掴んで、咄嗟にダンがドレヴァスを呼び止めた。
「ちょっと待った。あなたは、私……いや、僕に雇われる気はありませんか?」
「ああん?」
そう剣呑な眼差しで威嚇するドレヴァスを余所に、ダンは目の前の人材を逃すまいとしっかり狙いを見定めていた。
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