第130話 力比べ
「通常の正門を通って街中に入るのは無謀だな」
ダンは城壁の周りにずらりと連なる、長蛇の列を見てそう判断した。
どうやらこの国は近隣では相当人気があるらしい。
並んでいる人々から無人機で情報を得た結果、"聖都サレルモ"という名の都市国家だそうだ。
上空から偵察した結果でも、周辺にはこの土地に比肩するほど栄えた国はなく、また聖教会の本部があるという宗教的権威も相まって、実質的な
それ故に人と物と金で溢れかえり、売りたい商人買いたい商人、移住したい者や巡礼に行きたい者、またはダンと同じく洗礼を受けたい者が、四方四つの門に大勢押し寄せて、さながらアリの巣のようになっていた。
「夜間に密かに壁を超えて潜入するか。馬車も御者も雇っていない、女子供だけの私たちが、怪しまれずに中に入るのは難しいだろう。それに並ぶのも面倒だ」
そう決定したダンは、日が落ちると同時に、闇に乗じて壁越えを決行する。
ノアは城壁くらい容易く飛び越えてしまうので何の問題もない。
イーラもパワードスーツで身体能力が劇的に上がっているので、壁くらいは難なく飛び越えてしまうだろう。
問題はダンであった。
「なんと情けない……」
そう呟きながら、ダンはノアに横抱きにされながら、暗夜の中城壁を超えていく。
一般人の子供並みの身体能力しかないダンは、ノアの介護なしでは到底壁越えなど出来そうもなかった。
「うう……私もデュラン坊ちゃまを抱っこして登りたいです……ノアさんばっかりズルい……」
「安定性を加味して本機が最も適任であると判断しました。あなたのワイヤーフックを辿っての登頂方は、両手を使用し運搬には適していません」
そう二人してダンを巡って争いながらも、難なく壁を登坂していく。
ちなみにイーラは、ワイヤーショットという壁にフックを挿し込んで、そこから垂れ下がったワイヤーを巻き取って壁を直登するという、特殊部隊のようなことをしていた。
イーラは意外と工作兵としてのセンスがいいのか、大抵の道具は説明すればある程度使いこなせるようになっていた。
「おんぶ紐があれば私だって運べますよう……」
「何を訳のわからんことで争ってるんだ……。誰が運ぼうがどうでもいいだろうが」
そう呆れながら言うも、二人は一切ダンの言葉を聞かずにあれやこれやと言葉の応酬を繰り返す。
何故かこの姿になってから著しく発言力が低下したような気がするのが、ダンにとって悩ましい所であった。
そのまま城壁を守る衛兵たちの目を盗んで城壁をあっさり超え、貧民街の端のほうに潜入する。
そこには上空から見た派手で綺羅びやかな街並みと違って、不潔でどろりとした陰惨な空気が漂う、この国の闇を投影したかのような光景が広がっていた。
ボロボロに崩れたあばら家からは時折うめき声のようなものも聞こえており、到底近付きたいと思える場所ではなかった。
「これはなんとも酷いな……治安も悪そうだし、早く抜けるか」
「そうですね、でも……こんな場所で暮らさなきゃいけないなんて。かつての私たちもそうでしたけど、なんだか可哀想です……」
イーラはそう言って、かつて砂漠で追い詰められていた自分たちの境遇と重ね合わせて同情する。
「ここに住まう人たちもなんとかしてやる必要があるな。希望者を募って夜に紛れて連れ出して、移住先を見つけてやってもいい。ここに居るよりは遥かにマシなはずだ。……だがまあ、今はまず洗礼のことが優先だな」
ダンはそう言うと、貧民街の更に先に進もうとする。
「今日は内側の壁により近いところに宿を取って休もう。明日日が昇ってから衛兵に金でも握らせて教会まで案内させればいいだろう。幸い金なら腐る程持ってきてるからな」
「あっあっ、ダメですよ坊ちゃま! 私が先を歩きますから! 私の後ろに隠れて下さい!」
「うぐぐ……」
何故か妙に張り切っているイーラに押されて、ダンは渋々前列を譲る。
そのまま若い少女二人に保護されるという、軍人としては極めて屈辱的なシチュエーションを噛み締めながらも、一行は宿屋らしき建物の前にたどり着いた。
「この辺りは中間層が住むエリアなのか、そこそこ整理されているな。それでも教会周辺とは比ぶるべくもないが……」
「ここに致しますか?」
ノアの問いかけに、ダンは少し考えたあと、ドアに顔を引っ付けて、中から聞こえてくる会話に耳を傾ける。
「……中から
「了解しました」
そう指示すると同時に、ノアが先導してガチャリと扉を開ける。
ダンが色々な種族と触れ合って学んだことは、人間の言語は
ある意味一番話者が多い言語かも知れないとダンは思う。
便宜的に
一番最初にこの言語を覚えたのは、ダンにとって非常に幸運と言えた。
ドアを開けてノアが宿屋の中に足を踏み入れると、その場が静まり返り視線が一斉にダンたちに向かう。
無理もなかった。下町のうらぶれた宿屋に、いきなり上流階級を思わせる異質な出で立ちの一団が現れたのだ。
ちなみに今は、イーラも黒いスーツにサングラスと皮手袋という、まるでエージェント・スミスのような出で立ちとなっている。
元々スタイルが良かったことも相まって、意外なほどに様になっているとダンは感心した。
「私たちを代表して、君が宿側と交渉してくれ。見た目が人間の私やノアがいきなり異種族の言葉を話すと驚かせてしまう」
「わ、分かりました」
イーラにそう小声で耳打ちすると、彼女はガチガチになりながら、カウンターで胡散臭そうにこちらを見る女将さんに近付いていく。
ちなみに女将は普通の人間らしく、一階の食堂を切り盛りしつつ、客の相手もこなしているらしい。
客の顔ぶれは人間も異種族も入り混じっており、ある意味ではここは異種族と人が対等に過ごす、ダンの目標とする環境が揃っているように見えた。
多少柄が悪いのがダンには気になったが。
「失礼します。こちらにおられますのは、
そうイーラは流暢な異種族の言葉で話し掛ける。
通じるか賭けだったが、女将は厄介そうな口調で、異種族語で返した。
「悪いけど……うちには上流階級のお坊ちゃんが泊まれるような立派な部屋はないよ。それも女子供だけでこんなところに泊まるだなんて……うちはわざわざ面倒事の種を抱え込みたくないんだ。悪いけど他所をあたっておくれ!」
「そ、そんな! しかしこちらの他に宿屋なんて……」
そう交渉に難儀するイーラの袖をチョイチョイ、と引っ張ったあと、ダンは彼女の耳元に口を寄せる。
「金なら多めに払う。それと……お前たち二人は、見た目はか弱い女性だがここにいるゴロツキ共の誰よりも圧倒的に強いんだ。そのことを主張して面倒事は起きないと言えばいい」
「わ、分かりました……!」
その言葉に頷いたあと、イーラは再び言う。
「お金なら相場の倍以上払います。それと、ここにいるノアさんも、私も坊ちゃまの護衛としてここにいる男性が束になっても相手にならない使い手です。なので、ご迷惑をお掛けすることはないと思います」
「ぐ、はははは!」
イーラがそう言うと、食堂の方からバカにしたような野太い笑い声が響く。
どうやら
イーラの言葉が癇に障ったようで、威圧的な雰囲気を纏いながら、酒瓶片手にこちらに近付いてくる。
「ちょいとあんた、やめなよ娘っ子の言うことだろう!? いちいち真に受けんじゃないよっ!」
「俺はこういう世の中を舐め腐ったガキどもが一番嫌いなんだ。いっぺん痛い目見せてやんなきゃ分からねえらしいな」
そう言って、顔に蛇の入れ墨を入れた二メートルを超す大男は、好戦的にダンたちを見下ろす。
一見人間のように見えたが、その首筋から下には鱗のようなものが見えており、恐らく爬虫類系の異種族であると見て取れた。
その強面は幼い子供なら泣き出すほどの迫力だろうが、ダンやノアは元より、死線を二度も超えて度胸も付いたイーラも、全く怯える様子がなかった。
「ふむ……」
ともすれば揉め事は面倒なだけだが、ダンはこの展開を利用できればと考えた。
そしてイーラに再び耳打ちする。
「ふむふむ……分かりました! じゃあこうしましょう! こちらにいるノアさんに、腕相撲で勝てた方は、こちらの坊ちゃまより金貨三十枚の報酬が支払われるそうです! 腕に覚えのある方、どうぞ奮ってご参加下さい!」
「うおおおお!?」
イーラの宣言に、酒場で管を巻いていた男たちがにわかにいきり立つ。
それもそのはずである。パッと見では可憐で細腕の美少女にしか見えないノアに、力比べで勝てば半年は遊んで暮らせる大金が手に入るのだ。
目の色が変わるのも当然であった。
「ちょいとあんたたち、勝手なことをされると困るよ! うちはそういうバカ騒ぎもお断りなんだ!」
「まあまあ……それならどうでしょう? この催しに参加する人は、必ずこの宿で一品お酒か料理を頼むということで」
「む、それならまあ……」
イーラのその説得に、女将も納得したのか引き下がる。
空いているテーブルの一つを真ん中に寄せ、その上にノアが金貨三十枚の実物を積み上げる。
ちなみにこれはロムール金貨だが、金の含有量は確かなので、両替すればこちらでも問題なく使うことができる。
そしてノアが、そのテーブルの対面に立った。
「20パーセント程度の出力で相手してやれ。全力を出したら相手の手が潰れてしまう」
「了解しました」
ノアはそう答えると、テーブルの上に肘をついて、無表情のままわきわきと指を動かす。
「さあ、どなたか挑戦する方はいらっしゃいませんか!? 挑戦する方は、必ずこの食堂で料理かお酒を一品頼んでくださいね!」
「おっしゃあ! 俺がいくぞ! 女将、エールを一杯くれ!」
「あいよ」
そう宣言したあと、如何にも力自慢といった風情の
「どんだけ自身があるか知らねえが……ぐふふ、相手が悪かったなあ! このボッツ様は界隈じゃちと名の知れた……ぐおおっ!!」
そう相手が言い終わる前に、ノアが秒殺して、勢い余って相手の男の体ごとひっくり返す。
「ありがとうございました」
唖然とするその場の空気を余所に、ノアが涼し気な様子で頭を下げた。
20パーセントでこれなのだ。
普段ノアは、数百キロから数トンにもなる大型の重火器を片手で振り回している。
その腕力はもはや生き物の範疇になく、怪獣でもなければ勝負にもならないだろう。
「お、おい、あいつ名前はあんま知らねえけど、結構強いほうじゃなかったか……?」
「あのガタイだし、弱かねえだろうけど……」
「ただの見掛け倒しだろ? 次は俺がいくぞ!」
「なんたって金貨三十枚だ。あの女が強かろうと、何人も相手してりゃいずれ疲れて負けるさ!」
そう言って、男たちはそれぞれ一品食堂で注文しながら、ノアの方に群がっていく。
その後は、誰一人としてノアを苦戦すらさせられないまま、自称力自慢たちがバタバタとひとまとめになぎ倒されていくのであった。
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