第5話 異文化コミュニケーション

 「ん、んぅ……」


 真っ白な光が瞼を突き刺す。


 これまで一度も見たことがない、電気による人工的な光。


 それらを瞼に一気に受けて、シャットの意識は急速に現実へと引き戻された。


 「……! リラ!?」


 シャットは飛び起き――そして勢い余って、ベッドから転がり落ちてしまう。


 「痛っ!」


 ゴツン、と床に頭をぶつけて悶絶する。


 痛みにこらえながらも、頭の中では、憎たらしい妹のバカにするような顔が浮かんでくるが、幸いながら今の醜態を見ていたものは誰もいなかった。


 ようやく落ち着いて周りの状況を確認すると、周囲には見たことのない光景が広がっていた。


 真っ白な壁に、手が沈み込むほどにふかふかな柔らかい寝床。


 ツルツルの平らな床に、突き刺すような強い白い光を放つ天井。


 ピカピカに磨かれた大きな鏡や、向こう側が透けて見える壁など、不思議なもので溢れていた。


 知らない間に、服も清潔で伸び縮みする着心地のいい素材に変わり、体からもふわりと花のようないい香りがする。


 「な、なんなの、ここ……」


 シャットは狼狽えながらも、なんとか状況を理解しようと記憶を掘り起こす。


 自分は確か、密林の中で妹と一緒にあの"竜虫"という恐ろしい生き物に追い掛けられていたはずだった。


 そのあと、銀色の不思議な形の建物を見付けたあと、そこに逃げ込んだ。


 「……! 腕は!?」


 そこまで思い出したところで、シャットは自分が大怪我をしていたことに気付く。


 一時は死を覚悟したほどの大怪我だ。少し休んだからと言って治るようなものとも思えなかった。


 慌てて確認するとそこには――ちょっとしたみみずばれのような痕は残っているものの、命に関わるほどの大怪我の痕跡はまるでない。


 「まさか、夢……? いや、そんな訳は……」


 自分で言って、そんなはずはないと考えを打ち消す。


 あの時感じた、肉を引き裂かれ、骨が砕けるような強烈な痛みと喪失感、あの感触が夢であるはずがない。


 しかし、実際にはそれほどの大怪我だったという痕跡は残ってはいない。


 (……もしかして、私が大騒ぎしていただけで、実際は大したことなかった?)


 シャットは自分を疑い始める。


 だとしたら、死を覚悟して妹に「お母さんをお願い」なんて言ったのが、とんだ猿芝居になってしまうが、妹は妹で「お姉ちゃん」なんて泣いてたので、そこはおあいこというものだ。


 傷口に関しては、多分妹が何かうまいことやってくれたのだろうと結論付けた。シャットはあまり深く考えることが得意ではなかったのだ。


 とりあえず、今はこの奇妙な白一色の部屋から出て、一刻も早く妹を探さなくては。


 ペタペタと壁を触りながら色々調べていると、ふと壁の一部がプシュン、と音を立ててせり上がっていく。


 「わっ、なに!?」


 慌てるシャットとは裏腹に、当初の目的通りドアが開き、外へ出る道が現れる。


 部屋の中と同じ、また真っ白でツルツルな廊下をおっかなびっくり進んでいくと、どこからか声が聞こえてくるのに気付いた。


 (リラ……!?)


 探している、妹の声であった。


 獣の耳の聴力で耳を澄ませても、遮断性が高いのかあまりよく聞こえない。


 だが、どこかの誰かと何か話しているのは聞き取れた。


 (待ってて、今行くから……!)


 シャットはそう意気込んで、声の方に真っ直ぐ進んでいく。


 鬼が出るか蛇が出るか、得体のしれない怪物の腹の中にいるような気分で、シャットは慎重に進む。


 声の先には、さっきと同じ取っ手のないドアのようなもので隔たれており、シャットは中の人物に気付かれないように、そっとドアに近付いていく。


 そして、ドアに手を触れた瞬間――


 プシュン


 と音を立てて、案の定ドアが開かれた。


 「あっ」


 「あっ、起きたんだバカシャット」


 そしてそこには――想像していたような緊迫した状況はなく、何か食べカスのようなものを口の周りに付けて、呑気にお茶を楽しんでいる妹の姿があった。


 テーブルを挟んだ向かい側には、ニコニコと微笑む怪しい男が、カップ片手に座っていた。


 「……!? 誰、あなた! 妹から離れなさいッ!」


 そう言って、シャットは片手で妹をかばうようにして割って入る。


 それを見ながら、当のリラは呆れたような声を上げた。


 「シャット……何やってるの? ダンは私たちの命の恩人。この人がいなければ、私たち二人とも死んで、お母さんに二度と会えなくなってたのよ? ひどい態度取るのはやめてあげて」


 ジト目で抗議するリラとは裏腹に、ダンはそんなこと全く気にした様子もなく、ニコニコとした表情を崩さぬまま、コーヒーを啜っている。


 「命の恩人って……何が?」


 「……覚えてないの? ついさっきまで死ぬような大怪我してたのを、ダンが治療してくれてなんとか助かったんじゃないの。それに、ここはダンの家。彼が匿ってくれなければ、私たちは今頃外の化け物にズタズタにされて生きてはいなかった」


 「え? あれって、あんたが何かうまいことやってくれたんじゃないの?」

 

 「そんなこと出来るわけ無いでしょ、バカ! あれは、ダンが不思議な力を使って、なんとかしてくれたの。無茶ばっかりして、ホントに死んだと思ったんだから……」


 その時のことを思い出して涙ぐむリラに、シャットは慌てて謝罪する。


 「わ、ご、ごめんって! でも……ホントにそんな酷い怪我だったんだの? あまりに綺麗に治ってるから、大したことなかったのかと思ってたけど……」


 「片腕千切れかけてたのよ? 大したことないわけない。助かったのは奇跡みたいなもの。ダンには感謝したほうがいい」


 「うぐぐ……」


 リラに言われて、シャットは納得いかなそうにしながらも、ダンの方を見やる。


 その時彼女は意識がなかったので、助けてもらったという実感に乏しいのと、そもそも彼女は人間というものを根本的に信用していなかった。


 「その……助かったわよ。これでいいでしょ?」


 「?」


 そうお礼と言えるか微妙なラインの言葉に、ダンはよく話についていけないまま首を傾げる。


 二人の間で微妙な空気が流れたその時、先程までニコニコしながら黙っていたダンが、ようやく口を開いた。


 「あー……こん、にちは、シャット。わたしの名前、ダンいいます。どうぞ、よろしく、です」


 そう片言で喋りかけるダンに、シャットはびっくりしながら後ずさる。


 「に、人間が? 私たちの言葉喋ってる!?」


 「そう、さっき私が教えた。ダンは凄い。さっきまで、私たち"亜人"の言葉なんて全く喋れなかったのに……私と少しずつ会話して、いくつか単語教えてあげたら、もうこれだけ喋れるようになった」


 たどたどしくも、ある程度会話が成立しつつあるダンに、リラは心底感心する。


 普通、一つの言語を習得するのに最低でも一年か、違和感なく喋れるレベルになるまでなら、それこそ十年単位の時間がかかる。


 しかしダンは、ほんの三十分ほどリラと会話しながら、お菓子と引き換えにあれはなんだ、これはなんだと色々尋ねただけで、既に簡単な日常会話ならこなせるレベルに達していた。


 ダンの軍事用の電子頭脳には、各国での戦闘行為を想定して、最初から128カ国のありとあらゆる国の言語の文法や単語が最初からインストールされている。


 その中からリラたちが話している言葉と似ている言語を見つけ出し、単語を当てはめてパターン化して覚えていくだけで、ほんの短時間でも劇的な学習効果を上げていた。


 幸いなことに、亜人の言葉はダンが使い慣れた故郷の日本語に文法が似ており、主語・目的語・動詞のSOVの言語だった為、分析は容易だった。


 一度聞いたことはデータ化して半永久的に保存できる上に、ナチュラルの人間の数倍の分析能力を持つ、強化人間ならではの学習法であった。

 

 「まだまだ、全然、喋る、上手くないです。知らない、言葉いっぱい。覚える、します」


 「なんだか、ますます怪しいわね……。人間が私たちの言葉なんて覚えてどうするつもりなの? 前にも、そんな感じで私たちにニコニコ近付いてきて、郷の子どもたちを何人か攫っていった人買いがいたわよね?」


 シャットはますます胡散臭そうに眉をひそめる。


 「シャット! これ以上ダンに対する侮辱は許さない。大体、人買いだったら、私たちを治療して、起きるまでわざわざ待って、こうしてもてなす必要はあるの? 私たちを売りさばくことが目的なら、シャットが寝ている間に二人とも縛り上げるだけでよかったでしょ」


 「そ、それはそうかも知れないけど……」


 そう正論で詰められて、シャットはばつが悪そうに口をへの字に曲げる。


 「あー……シャット、お菓子、食べる? 飲み物、ある」


 ダンは皿に乗った焼き菓子をシャットに差し出す。


 先程から、会話はあまり聞き取れないが、なにやら自分のせいで二人が険悪な雰囲気になっているのはなんとなく感じ取れた。


 甘いお菓子で場を和ませようと試みる。


 しかしシャットは、皿に盛られた焼き菓子を、胡散臭そうに見るだけで手を出そうとはしない。


 「……疑うくらいなら食べないでいい。ダンのお菓子はすごくおいしいから、私一人で食べる」


 「わ、分かったわよ。食べるから」

 

 妹の圧に負けて、シャットは渋々焼き菓子をつまんだあと、口に運ぶ。


 あむ、と小さな口で焼き菓子を頬張り、しばらくもぐもぐと口を動かしたあと――シャットは突然、ぱあっ、と目を輝かせ、こくこくと頷いた。


 「……甘い!」


 美味しいなどの味の感想ではなく、単なる事実を口にした。


 「甘いって……お菓子なんだから、それはそうでしょ」


 「え、いやだって、こんな砂糖いっぱい使ったお菓子、すっごく高いんじゃないの!? 前に人里に降りたときに甘いお菓子食べたときは、これの半分くらいの量で、毛皮一枚分のお金取られたわよ!」


 シャットは言いながらも、先程まで警戒していたのもどこへやら、目を輝かせながらもぐもぐと口いっぱいにお菓子を頬張る。


 今回ダンが提供したのは、戦闘糧食として軍から支給された、パウンドケーキやクッキーなどの焼き菓子である。


 保存食としてフリーズドライにされていたものを、スチームオーブンで焼き立ての状態に戻したものである。


 基本的にコーヒーを飲むときに付け合せを必要としないダンは、支給品の甘い菓子類などはかなりの数余らせていたので、在庫が掃けてむしろありがたいくらいであった。


 「お茶、どうぞ」


 「……ありがと」


 ダンがそう言ってティーカップを勧めると、シャットは大して確かめもせず、ずずっ、と勢いよく中身を啜る。


 そして、「あちっ」と言って慌ててカップを戻した。


 「おバカ……これはゆっくり冷ましながら飲む物。こうやって口で……」


 そう言って、リラは両手でカップを抱えたままふーふーと息を吹きかける。


 それはそれで乳幼児のようだが、ツッコむのも野暮なので何も言わないでおいた。


 そもそもこの二人は、種族の見た目的に猫舌なのかも知れない。


 次からは常温で冷ましたのを出してやろうと、ダンはそんなことを考えていた。


 「ところで……あんたホントに何者? この銀色の変な形の建物とか、この不思議な部屋とか、今まで見たことないものばかりだけど。もしかして……高名な魔法使いなの?」


 「?」


 一通りお菓子を楽しんで落ち着いたのか、シャットは改めて問いかける。


 しかしダンはと言うと、未だに言語の習得が追いついておらず、何を聞かれているのか分からずキョトンと首を傾げていた。


 「うぐぐ……言葉が通じないのってもどかしいわね。聞きたいことが山ほどあるんだけど……」


 「ダンならすぐに覚えて会話できるようになる。……でも、確かに正体は気になる。魔法使いって感じはあまりしないけど」


 「あー、私、その……困ってます。ここ、場所、道、分からない」


 恐らく自分のことを言っているのだろうと思ったダンは、とりあえず今の自分の置かれた状況を伝えてみる。


 もしかしたら、この二人から何か有用な情報が得られるかも知れないからだ。


 「えっと……つまりダンは、迷い人ってこと? ここがどこかも分からないってこと?」


 「はい。気づいたら、ここ、いた、ました」


 「そんなことありえるのかしら……。まあいいわ。教えてあげるけど……ここは東方大陸の更に東の果てにある"魔性の森"よ。その中でも、最も危険な"禁域"。今私たちが居るのは、そういう場所なのよ」


 「魔性の森……禁域……」


 ダンは、今教えられた地名を、即座に頭の中に焼き付ける。


 そして少し考えたあと、何を思ったか、ダンは休憩室の隅においてあった、星の見取り図を描くための大きめの方眼紙をテーブルの上に広げる。


 全てが電子化した最新鋭の宇宙船の中であっても、こういった前時代的なアナログの星図用具もしっかり揃えてある。


 そうでなければ、万が一観測機器が故障した際に、船の方向を見失い、宇宙を漂流する羽目になるからだ。


 もっとも今は、そんなことをしなくても完全に漂流者になっているので、この星図用具は意味をなさない。


 ダンは、その上に鉛筆を置いたあと、二人に向かって言った。


 「……ここ、大陸の形、森の形、場所の形、描けますか?」


 「えっ?」


 「…………! 私、描ける。昔大婆様の家で、大陸の地図見たことあるから」


 シャットはピンときていないようだが、リラの方はその意図を察したのか、ダンから鉛筆を受け取る。


 その書き心地の良さに驚きながらも、スラスラと地図を描きはじめた。


 リラの記憶力は相当にいいのか、その地図は詳細で、特徴的な地形の部分まで事細かく描かれていた。


 これが本当である保証はどこにもないが、少なくともリラがここで嘘を描く意味もないので、ある程度は信じて問題なさそうであった。


 「できた……!」


 リラは自信があるのか、お手製の地図を前に、フンスと鼻息荒くしながら胸を張った。


 「……素晴らしい、です。とてもよく、分かりました。森はこれで、この隣の枠は、なんですか?」


 「そこはロムール王国の領地。私たち魔性の森の住人が、よく毛皮や肉を売りに行くところ。それで、こっちの大きいのが――」


 「帝国ね……! あいつら、こんな大きかったなんて……。私たちとは、切っても切れない因縁がある国よ」


 そうシャットは憎たらしいげに地図の領地を眺める。


 「ほう、帝国……名前はないのですか?」


 「この大陸に、帝国と呼ばれる覇権国は一つだけ……。だから、名前なんかなくても皆分かる。だけど、あえて呼ぶなら、この大陸と同じ名前"アウストラシア帝国"、だったはず」


 「あいつら……私たちのこと、"奴隷種族"だとか、"人間もどき"とか呼んで、奴隷にしたり見世物にしたり好き勝手してるのよ……! うちのお父さんが殺されたのも、帝国の兵士にだし、許せない……!」


 淡々と無感情に話すリラとは裏腹に、シャットは憎悪を露わにしながら机を叩く。


 ダンは、これ以上深掘りするのは得策ではないと判断し、ニコニコと笑顔を崩さぬままこう続ける。


 「……なるほど、大体分かりました。今日はもう外が暗くなってしまったので、この船に泊まっていって下さい。明日朝一番に、あなた方の家までお送りします」


 「…………」


 その言葉に、二人は無言のままコクリと頷くのであった。

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