第126話 上天の光

 「おい、しっかりしろ!」


 ダンはペシペシとイーラの頬を叩きながら、身体を揺り起こす。


 見たところ外傷などはないが、頭を打ったり内臓を傷付けたりといった可能性もあるため油断はできない。


 「ん、うう……」


 ダンがしつこく呼び掛けると、イーラの瞼がぴくぴくと動いて、やがてゆっくりと目を開けた。


 「大丈夫か!? どこか痛いところはあるか?」


 「あ、だ、大丈夫です! て、敵は!?」


 ダンの顔を見るや否や、イーラはバッと急いで起き上がり、周囲を見回す。


 それを片手で制しながら、ダンは続けて言った。


 「落ち着け、敵はもう倒した。君が気絶している間に、ノアがやってくれた」


 そう言ってダンが指さした先には、もはや原型も留めないドロドロに溶け落ちたパピルサグの残骸が転がっていた。


 「あ、あの……申し訳ありません!

私、また足手まといに……」


 「……いや、そんなことはない。君が初撃で敵を捉えてくれたお陰で、私たちも随分と助かった。奴に不意打ちを受けて総崩れするのが一番厄介だったからな」


 慌てて頭を下げるイーラに、ダンは宥めつつ言った。


 「私たちではまだ見つけられなかった敵をいち早く見つけたのはお手柄だ。何か兆候があったのか?」


 「はい! お二人のお邪魔にならないよう、ゆっくり足音を消しながら周囲を警戒していたら、誰もいない場所から、微かに弦を引くような音が聞こえてきたので……」


 その言葉にダンはうむと頷く。


 やはりと言うべきか、イーラの反応速度と状況判断は悪くない。


 爆風に巻き込まれて気絶するなどのうかつなところはあるが、戦力として数えられる程度の能力はあるのかも知れない。


 「良くやったな。今回の戦いの一番手柄は君だ。……とはいえ、攻撃を受けた時は肝を冷やしたぞ。どこか痛いところや、具合の悪いところはないのか?」


 「は、あ、あの、大丈夫ですっ! ちょっとふらつきますけど、どこも怪我してません!」


 思わぬところで褒められて、イーラは顔を真っ赤にしながら何度も頷く。


 その様子からもさしたる怪我はしてないと判断して、ダンは改めて部屋の中に目を向ける。


 試練が終わった後に、部屋の中心には最初と同じく、ぼんやりと光を放つ小さな石碑が佇んでいる。


 それを見て互いに頷きあったあと、その場にいた全員で石碑に向かう。


 ――そして、石碑の上にぼんやりと浮かび上がった、緑色の文字を読み上げる。


 "答えは己の内に"


 そう原シュメール語で書かれた地を認識した直後、ガコン、という音と共に石碑が崩れ、中から茶褐色の金属板が出てくる。


 これまでと同じ、これを手に取れば一気にこの施設の情報が流れ込んでくるのだろう。


 「本機が確認します」


 前回と同じように、ノアがそれに手を伸ばす。


 拾い上げた次の瞬間――ノアは目を見開いたまま硬直する。


 一瞬にして流れ込んでくる膨大な情報を処理しているのだろう。


 しかしノアは、手に持った金属板をしげしげと眺めたあと、珍しく困惑したような素振りを見せた。


 「……申し訳ありません。当該設備は本機の解析能力を遥かに超えており、船長キャプテンに有効なインターフェースを提供することが出来ません。解析不能です」


 「何!?」


 ノアのその言葉に、ダンは思わず声を荒げる。


 ダンにとって、ノアの分析能力には全幅の信頼を置いていた。


 アヌンナキの遺跡を解析して、一部不明なブラックボックスが残されていることはこれまでもあったが、今回のようにさっぱり何も分からないということはなかったからだ。


 またノアの頭脳は地球の叡智の結晶であり、それですら何も分からないという。


 「そこまでの代物なのか、この設備は……? だが、起動くらいは出来るんだろう?」


 「……申し訳ありません。本機では起動も不可能です。起動には人の"意思"が必要不可欠であり、単純な電気信号ではアクセス出来ません」


 「人の意思だと??」


 ダンは、その極めてアナログであり、到底科学的とは言い難い条件に困惑する。


 意思などというものは、ただの脳の電気信号のいち状態でしかなく、これが"人の意思"であるという明確なものはないはずだ。


 しかし、もし本当にそうであるなら、機械であるノアには起動できないのも無理はないかも知れない。


 要は生命体しかアクセス出来ないということなのだろう。


 「分かった……。そう言うことなら私が情報を受け取ろう。大半が機械だが、これでもまだ人間のつもりだからな」


 「危険です。もしハッキングを受けた場合、船長キャプテンの電子頭脳に重大なダメージを負う可能性があります」


 「その時は君がデータを復元して私の自我を取り戻してくれ。多少時間が掛かるだろうが、君なら私の人格を再構築することも出来るだろう」


 ダンはそう簡単に答えたあと、金属板を拾う。


 ダンにとっては人格など、ただの記憶という電子データ蓄積からなる学習でしかなく、魂だの意思だの、そう言ったものは信じていなかった。


 故に仮に壊れても、また機械のパーツのように再構築が可能であると考えていた。


 しかし、次の瞬間――


 「なっ……!?」


 ダンはこれまでと違う、流れてくる異質な情報に目を見開く。


 それは"母"であった。


 誰の母親でもなく、ただ漠然と脳裏に浮かび上がってくるのは、子を抱く母親のイメージであった。


 それはまるで聖母マリア像のように崇高に映り、何故かダンの心を打つ。


 自身が何か大いなるものに包まれているような錯覚を起こし、ダンは不思議と大きな安心感を得た。


 「だ、ダン様!?」


 かなり長い間硬直していたらしく、気がつけばダンは、イーラが慌てて揺り起こす声で、白昼夢から目を覚ました。


 「あ、ああ、すまん。少し気が遠くなってな」


 「よ、良かったです……。万が一、ダン様の身に何かあったらと思うと……」


 「念の為、メディカルチェックを実施致しますか?」


 そう詰め寄ってくる二人を、ダンは苦笑しながら手で制した。


 「いや、大丈夫だ。少し予想外のことは起きたが、体にはなんの害もない。それよりも……一応この設備に関してはある程度分かったぞ」


 「……情報共有願えますか?」


 「ああ」


 ダンはそう答えると、ノアと額を突き合わせて施設についての情報をやり取りする。


 一通り情報を提供し終えると、ノアはダンから離れて、困惑したように言った。


 「これは……」


 「よく分からんのは私も同じだ。どうも人の"認識"をエネルギーに変えて物体を作り出すというものらしい。二重スリット実験により、人の認識が世界になんらかの影響を及ぼすことは分かっているが……それでも"無から有を作り出す"なんてことが、本当に出来るとは思えん」


 ダンは流れ込んできた情報を元に解説するが、未だに信じられぬように首を振る。


 「……だが、解放した以上はやらねば話が進まんな。一旦外に出て起動してみるか」


 「分かりました」


 「は、はい!」


 その会話について行けぬまま、イーラは慌てて二人の後を負う。


 外に出るとそこには、最初と同じように薄暗い穴の底の景色が広がっており、しんと辺りが静まり返っていた。


 「では、動かしてみるか」


 ダンはそう言うや否や、こめかみに手を当てて頭の中で「動け」と念じる。


 ――すると、足元からキラキラと光を放ちながら、白い雪のようなものが浮かび上がっていく。


 「……なんだこれは?」


 「綺麗ですね……」


 イーラがそれに感動しながら触れようとするも、その光の粒は、するりと手をすり抜けて地上を目指して飛んでいく。


 「この光は……ホログラムか?」


 「いえ、ホログラムは光の投射装置でしかなく、肉体は透過しません。この光は……」


 ノアですらもその正体を掴むことが出来ず、ただ困惑したまま、立ち昇っていく光の粒を見送っている。


 「ひとまず……光の行先を追いかけよう。このままここに居ても何も分からん。地上では何か起きているはずだ」


 「了解しました」


 ダンはそう言うや否や、ジェットパックで地上に向かって飛び立つ。


 後ろからは、イーラを担いだノアが、同じくジェットで追跡しており、三人は揃って地上を目指す。


 ――そして、その先で信じがたいものを目にした。


 「これは……!?」


 ダンはその光景を目にして、思わず言葉を失う。


 地上では、先程地面から昇っていった小さな光の粒が集まって、巨大な一本の樹を象ろうとしていたからだ。


 その樹は高さ数百メートルから千メートル近くにもなり、いくつもの枝や蔦が絡み合って、複雑な幹の形をしている。


 何万年、下手をすれば何十万年もの間、この地上を見守ってきたかのような風格を持つ大樹は、大きな枝葉を広げて、高く空に浮かんでいた。


 光りに包まれた、そのあまりに現実離れしたファンタジックな光景に、ダンはあれはただの立体映像なのではないかと疑いを持つ。


 ――しかし、それは映像などではなく、確かに実体を伴っていた。


 近くまで伸びた根っこの一つを引っ張ってみても、確かに現実的な手応えが返ってくる。


 先程まで何もなかった場所に、突然こんな現実離れしたものが現れたことに、ダンは自身の認識がおかしくなったのではないかとすら思った。


 「信じられん……なんだこれは、一体」


 「"母なる大樹"だよ。あの御方……ニンフルサグ様の無限の愛の顕れだ」


 そう呟くダンの横で、ダナイーが万感の思いでその大樹を見上げながら言った。


 「母なる大樹、だと? あれは一体、なんなんだ?」


 ダンは、光の粒を纏いながら、未だに宙に浮かぶ大木を指差す。


 「ニンフルサグ様の想像した愛の世界、その一部が実体となって、この地上に顕れたものだ。あの御方は心の中の風景を地上に実体として映し出すという、他の神々ですら出来ない絶大な権能をお持ちであられた。故にあの方は、アヌ神に並ぶほどの尊敬を受けていたんだ」


 「せ、精神世界の実体化だと!? そんなことが……」


 出来るはずがない――そう言おうとしたが、現に目の前で存在する光景を前にダンは口を噤む。


 自身のイマジネーションを実体化させる――そんなことが本当に可能なのだとしたら、それはまさしく、"神の御業"と言っても過言ではない。


 この技術は異質だった。


 これまでのアヌンナキの遺産もその全てが地球の上を行っており、圧倒的な技術力を持つものであった。


 だが、それも言ってしまえば地球の技術の延長線でしかなく、まだダンの理解の及ぶ範囲のものであった。


 ウトゥのビットアイも、エンキのバイオポッドも、現時点でもやろうと思えば地球でも再現が可能だったのだ。


 しかしこれは違う。今のまま地球が文明を極め、技術を突き詰めても、ここにたどり着ける気が全くしない。


 ノアですら解析出来ない通り、この技術は、完全にダンの理解の外側にあった。


 「"実体のあるホログラム"、そう定義することが可能です」


 「……言い得て妙だな。確かにそういう代物なのかも知れん」


 目の前の事象を説明するのに、最適な言葉が見つかったことに少し落ち着きを取り戻す。


 実際にどんな技術が使われているのかはさっぱり分からないが、少なくともどういった現象を起こせるのかは、何とか理解に落とし込むことが出来た。


 「それとこれは推測ですが……現在我々が存在する四次元世界は、四次元以上の世界を投影した"影"であるとする説があります。二次元世界が実体存在の影であるように、それ以上の次元からならば、あるいはこの次元に実体を投影することが可能なのではないでしょうか?」


 ノアのその言葉に、ダンは顎に手をやって考え込む。


 この宇宙そのものが、多次元のスクリーンによって映し出された立体映像に過ぎないとするもの。


 "ホログラフィック宇宙論"と呼ばれるものだ。


 地球では未だに仮説の域を出ない程度のものだが、もしそうだとするなら、この不可思議な力の説明も何とかつく気がした。


 「ニンフルサグは、遥か上位次元から投影された光を操れるのか? ……めちゃくちゃだな。そんなものはもはや"神"と呼んでも差し支えない。私は一応、無神論者のつもりだったんだがな」


 ダンは自分の遥か理解の及ばない領域の力に、頭を抱えながらため息を付く。


 あの金属板から流れ込んできた情報によると、この力は、今後ダンが想像して念じるだけで、植物であればどこでも、どんな種類や形状でも、無限にいくらでも創り出すことが出来る。


 その名も"ニンフルサグの光"。


 三次元の物理法則も質量保存則も何もかもを無視した、まさしく絶対的な神の権能と言えた。


 「この力は"アセンション・レイ"と名付けて私の兵装に組み込むことにする。登録しておいてくれ」


 「了解しました」


 ノアにそう命じたあと、ダンは改めて上空に鎮座する巨大樹を見上げる。


 ニンフルサグはどのようにしてこんな力を手に入れたのか。


 そしてこの力を与えて、一体ダンに何をさせようと言うのか。


 あまりにも存在の次元が違い過ぎて、今のダンでは、その思考を読み取ることなど到底出来そうになかった。

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