第54話 人格矯正


 「起床! 起床ーーッ!」


 そう叫ぶ声が聞こえると同時に、ガンガン、と鐘を叩く音が響き渡る。


 その瞬間集会所に雑魚寝していたオーガ族たちは一斉に飛び起き、血相を変えて慌てて身支度を整える。


 猶予は十五秒以内。


 ここ三日間はずっとこのような慌ただしい目覚めであった。


 あの百鬼将代行を名乗る悪魔のような男が現れて以降、オーガ族の郷の生活は一変していた。


 それまで日々気楽に過ごし、下っ端や女衆に労働は任せて好き勝手に振る舞っていた郷の男衆は、今や奴隷より酷い生活を強いられていた。


 飯は朝夕二回の粗末な食事だけ。酒も飲めず、まだ日も昇らぬ内に叩き起こされ、大雨の中を朝から晩までドロドロになるまでひたすら走らされる。


 口答えすれば殴られ、罵倒され、ことごとく全ての感情を否定される。


 逃げようとしてもあっという間に捕まり、また連れ戻されて殴られる。


 魔性の森を肩で風切って歩いていたオーガ族の自分たちが、まるで犬のように言うことを聞かされるのは甚だ業腹であった。


 ――しかし、それでなお歯向かう気が起きないほどに、あの悪魔は恐ろしかったのだ。


 「整列!!」


 「…………!」


 その号令と同時に、オーガ族の恐怖と苦痛の時間が始まる。


 先日まで会合という名の宴席を開いていたその部屋で、男たちは手を横にして綺麗にピシリと整列していた。


 「これより服装検査を行う!! 全員手を横にし、その場から動くな!」


 そう宣言したあと、ダンはオーガ族の顔を見回してから、手前から一人ずつ服装をチェックしていく。


 服装はダンが事前に決めた粗末な足袋と白装束に統一され、帯の締め方、裾の長さまで厳格に定められている。


 そしてその規定に少しでも違反すると即座に罰が下される。


 そのピリピリとした空気に全員がゴクリと固唾を呑む。


 ――そして、一人の前でピタリと足を止めた。


 「……貴様、これは結び目が逆だぞ」


 「え? いやぁ、そうですかねぇ? へへ」


 へらへらとしたふざけた態度で笑って誤魔化そうとするオーガ族の男に、ダンから容赦のない鉄拳制裁が飛んでくる。


 「うぐっ!!」


 「服装の乱れは規律の乱れだ! 帯すらまともに巻けん無能はそこで結び方の練習でもしていろ!! ……そして一人の失態は他が責任を取れ! 全員腕立て用意ッ!」


 「えっ、なんで俺たちまで……!?」


 「俺らは関係ねえだろッ!」

 

 「おい、あいつ二回目じゃないか?」


 そう不満を口にしながらも、オーガ族の男たちはダンに睨まれて渋々腕立ての体勢を取る。


 もはや怒りの矛先は、ダンからちゃんと規律を守らない同胞へと向けられつつあった。


 「黙れッ!! 一度目の失態は本人の責任だが、二度目の失態は周りの責任だ! こいつの服装の間違いを指摘してやれなかった貴様らが罰を受けるのは当然のことだッ!」


 この男の服装規定の違反は二回目であり、一回目は鉄拳制裁で済んだが、二回目からは悪意ありと見なし、連帯責任へと切り替えられた。


 殴られて痛みを負うより辛い罰があることを知らなかったのが、男の不幸の始まりであった。


 「…………!」


 腕立ての体勢のまま全員が叱責を受けている最中、最初に帯を指摘された男も、痛みから復帰して慌てて腕立てしようとする。


 ――しかし、それをダンが止めた。


 「おい、貴様何をやっている」


 「えっ、い、いや、腕立てを……」


 「私は貴様に帯の結び方を練習しろと言ったんだ。腕立てをするのは他の者の仕事だ。貴様はそこで、結んでは解いてを百回繰り返せ。一回結び終えるごとに大声で数を数えるのを忘れるな」


 「えっ、で、でも……」


 「命令だ。私に同じことを二度言わせるつもりか?」


 「…………」


 その有無を言わせぬ迫力に、男はもごもごと言い淀む。


 やがて、観念したかのように帯を解き始めた。


 「こいつが一回結ぶたびに貴様らは一回腕立てをしろ! 派閥の違いなどない、貴様らは一つの家族だ! 一人足を引っ張る者が居れば、他全員でそれを助けてやらねばならん!」


 「……い、い、いーーーーち!」


 最初に帯を指摘された鬼族の男は、もはや情けないやら皆に申し訳ないやらで、泣きそうになりながら帯を結んで、震える声で回数を読み上げる。


 それに合わせて、全員が腕立てをする。しかしその顔は、原因となった男への怒りと不満で殺気立っていた。


 (頼む、勘弁してくれよォ……!)


 心中で皆にそう必死で詫びる。


 別に本当に結び方が分からなかった訳ではなかった。


 表立って反抗する勇気はないが、殴られた腹いせに、わざと指示に逆らって小馬鹿にしてやるつもりだっただけなのだ。


 それで自分が殴られるならまあいいや、くらいの軽い気持ちだった。


 それがまさか皆を巻き込んだこんな大事になるとは思わず、男は今猛烈な後悔に襲われていた。


 「貴様らのその不貞腐れた態度がこいつに悪影響を与えている! 要は貴様らのせいでこいつが無能のままなのだ! 可哀想だとは思わんのか? 貴様らが苦痛に耐え、汗を流した分だけこいつは正しい帯の結び方を覚える! 一度でも失敗すればまた一から数え直しだ! 貴様らはとことんまでそれに付き合ってやれッ!!」


 「ぐ、ううぅ……! に、にーーい!」


 男はもはや全体から放たれるプレッシャーで吐きそうになりながらも、震える手で帯を結ぶ。


 しかし、動揺した精神では普段なら簡単に出来ることもままならず、その度に数え直しを指摘される。


 肉体的な苦痛を厭わぬ者でも、いくらでも追い詰める方法はある。新兵の教練のプロでもあるダンは、その辺りのことは熟知していた。


 結局、日の出前に起きたにも関わらず、鬼族が朝食にありついたのは、日がすっかり真上に差し掛かったあたりであった。


 

 * * *



 「あ、あの……私も、皆と一緒に走ってもいいですか?」


 「え?」


 朝食の時間、オーガ族の男衆とは別室で食事を摂っていたカイラは、意を決した顔でダンにそう提案する。


 ダンはというと、カイラの向かいで日本食そっくりの鬼族の郷の朝食を食べながら、キョトンとした顔で聞き返す。


 「それはどういう意味ですか? 奴らが走っている横を多少一緒に走るくらいなら構いませんが……」


 「いえその……皆と全く同じことをしたいのです。寝る時間も、起きる時間も、食べるものも全く一緒で、皆と同じ扱いを受けて、首領様に鍛えて欲しいのです……!」


 カイラは真剣な顔で言うが、流石にダンは気が進まなかった。


 「……それは、あまりお勧め出来ませんね。あれはそれまで戦ったことすらない一般人を、冷酷な兵士という生き物に人格ごと作り変える為のもの。カイラ殿が受けられるのは危険です」


 今ダンがオーガ族の男たちに向かって行っているのは、新兵養成を目的とした地獄の人格矯正プログラムである。


 大の大人でも音を上げるようなものを、子供に対して行うのはただの虐待である。ましてや気の弱いカイラでは、とても耐えられるとは思えなかった。


 「そうですなあ。流石にちょっと無謀というか……。どうして急にそんなことを?」


 同じ食卓を囲んだロクジがそう尋ねる。


 「はい……。皆があんなに苦しい思いをして頑張ってるのに、私だけこんなところで守られてていいのかなって。少しでも辛いことを一緒に共有したほうが、皆の気持ちが分かる気がして……」


 「考えはご立派だと思いますよ。……ですが、許可は出来ませんね。あれは子供にさせられるような訓練じゃない。それに奴らはカイラ殿の血筋を自分たちの良いように利用して、鬼族の実権を奪い合っていたような連中です。別に気持ちを理解する必要はありませんよ。そんなものが分からずとも、忠実な兵士に作り変えることは可能ですから」


 ダンは冷徹に言う。


 別にダンからすれば鬼族の男衆は正直どうでも良かった。


 子供を利用して私腹を肥やすような連中である。


 自分とカイラに忠実な兵士を作ることが最優先であり、人格を維持することに関してはさほど重要視してはいなかった。


 しかし、彼女はそうではなかったらしい。


 「お願いしますっ! どうか私も、皆と一緒に鍛えて下さい! 皆と一緒に強くなりたいんですっ! もう、守られて助けられているだけは嫌なんです!」


 「カイラ殿、あなたは子供ですよ? 守られて、助けられるのが当たり前の存在です。しかし、そうですね……」


 ダンはふとある考えが思いつく。


 このまま徹底的にオーガ族の男たちの人格を破壊して、冷徹な兵士に作り替えることもダンになら可能だろう。


 しかし、それも少し後味が悪いと思っていた所であった。


 結局のところ、オーガ族の男たちが改心すれば全て丸く収まるのだ。


 今後カイラを長として認め、よい関係を築くことが出来れば、別に徹底した人格矯正を施す必要もない。


 失敗しても元の方向に切り替えればいいのだから、ダメ元で試してみるのもいいだろう。


 ダンはそう判断した。


 「—―分かりました、なら少し方針を変えましょう。ですがカイラ殿……それをするなら、あなたにも一切容赦はしませんよ。相当辛い思いをすることは覚悟していただきます」


 「!? あ、ありがとうございますっ! 耐えてみせます、どんなことにでも!」

 

 「ええええ!? いや、正気でございますか? 流石にそれはやめておいた方が……」

 

 そう意気込むカイラに、ロクジは慌てて口を挟む。


 あの地獄の中に、実の孫のように可愛がっているカイラを放り込むのは抵抗があるのだろう。


 「お願いします、ロクジ様……。私、これで変われそうな気がするんです。今までの弱い自分から抜け出すために……」


 「いやもっといい方法があると思いますぞ? 何もこんないきなりぬるま湯から地獄の釜の底に飛び込むような真似をせんでも、段階を踏んでから……」


 「女々しいぞロクジ。カイラ殿が自身の成長の為に決めたことだ。……それに私は、案外カイラ殿ほどの覚悟があるのなら耐えられるのではと思っている。上手くいけば、奴らにとっても良い刺激にもなるだろう」


 「本当でございますか? いくら首領様の言うことでもその"耐えられる"は信用できませんぞ。カイラ殿、どうかお考え直しに……」


 そう説得するも、カイラの決意は固く、結局今日の午後から訓練に加わることとなった。


 その後ロクジは、しつこいほど「くれぐれも怪我をさせぬように!」と何度も念押しして、ダンにうっとうしげに追い払われた。


 

 

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