第128話 次なる地へ
「もう行ってしまうのかい?」
離陸する直前の宇宙船の前に、見送りに来たダナイーが若干名残惜しそうに言った。
「あまり長居しても難だしな。それに、ここはもう私がいなくても大丈夫そうだ」
ダンはそう言って、遥か上空までそびえ立つ大樹を見上げる。
雲を突き抜けるほどの大樹は、今や大陸全土から見渡せるほどの存在感を放っており、荘厳さすら感じさせる佇まいをしていた。
これだけ目立てば周辺から人間が押し寄せてくる恐れもあったが、それに関しては問題はないらしい。
「ここはニンフルサグ様の放つ意識の力……"ポジティブエネルギー"に満ち溢れている。ここには邪な存在は近寄ってはこれない。人間は入ってこれるけど、邪心のある者はここに近付くと体調が悪くなってしまうのさ」
「全く……まさに"女神の聖域"だな。一体どうやってるのか知らんが……それでも最小限の護衛は着けてやるようエヴァの方に伝えておこう。直にここを護衛する無人機が何機かたどり着くはずだ」
ダンはそう言う。
結局、ここ
何故かと言うと役に立たないからである。
ノアですら解析出来ない設備を、プログラムで組まれた仮想人格がまともに管理出来るとは到底思えなかったからだ。
「しかし……本当に良かったのかい? この鎧は、あの御方のものだが……今はあなたが継承した物だろう?」
そう言って、ダナイーが指さすのは、あの木の中のコントロールルームで見つけたニンフルサグのスーツであった。
「構わない。それは女性もので私の体には合わないし、他に使いこなせるものもいない。……それにそのスーツは、君たちには必要な物だろう?」
「……ああ」
そう言うと、ダナイーは木の根に立てかけてあるスーツに近付いて、愛おしそうに指を添わせる。
分解して解析することも考えたが、ニンフルサグの遺物はダナイーにとっては掛け替えのない思い出の品でもある。
それを考えると、やはりこれはダンではなく、ダナイーたち
「いざとなれば、それを着て同胞を守ってやるといい。どうやらそのスーツはまだ生きているようだからな。何かしらの防衛機能はあるだろう」
「私が、これを着るのか? 畏れ多いが……もはやこれを着る御方はいない以上、私しか受け継ぐ者がいないのか」
ダナイーはそう言うと、少し嬉しそうに頬を緩ませながら、そのスーツのヘルメットを手に取った。
ニンフルサグによって生み出され、育てられたダナイーにとっては、その遺品であるスーツに対する思い入れもあるだろう。
やはり自分が持つべきものではないな、とダンは再認識した。
「……ところで、ここを解放して、あなたたちは次にどこに向かうつもりだい?」
ダナイーは改めてそう尋ねる。
「ひとまずこの
「エンリル様の館か……気を付けることだ。あの方は、他人のために何かを遺して去るような人ではない。自身と対等の力を持つもの以外は、虫けらのように見ているお方だ。試練というより処刑されてもおかしくはない」
そう言いつつ、ダナイーは苦々しい顔で首を振る。
「そんなに酷いやつなのか? エンリルというのは」
「ああ……あの方は本当に恐ろしい方だった。体の大きさこそ普通の人間と大差なかったが、残虐さは群を抜いていた。私は常にニンフルサグ様の近くに居たからまだ狙われなかったが、ただあの方が目障りだというだけの理由で、殺されたり、面白半分に身体を弄られ、化け物に改造されたような者たちもいた」
その実感の籠もった言葉に、ダンはううむ、と唸る。
これまでのアヌンナキの試練は、何だかんだといってダンにクリアできる程度の難易度に抑えられていた。
しかしエンリルは、そういった遠慮や手心など一切なく、本気で殺しに掛かってくる可能性が高いということだ。
「あの方の暴虐にはニンフルサグ様も何度も苦言を呈したのだがな。残念ながらアヌンナキは互いに不干渉の集団であり、エンリル様はアヌ王の後継者でもあられた。あの方にまともに意見できるのは、同じアヌ王の御子であり兄であるエンキ様くらいだ」
「兄? エンリルは弟なのに後継者なのか?」
「私もそこまで詳しく教えてもらってはいないが、母親の血筋の問題だとは聞かされた。恐らくエンリル様は正妻の御子なのだろう」
ダナイーのその説明に、ダンも納得する。
今のところ、エンリルは自分の立場を傘に着て無茶苦茶をする奴だというイメージしかない。
「よければ他のアヌンナキのことも教えてくれないか?」
「いいとも。私の知っている限りだが……エンキ様はエンリル様の程ではないが、冷たい御方だったよ。私たちのことはただの労働力としか思っていなかった。ただ、それでもエンリル様のように無体は働かなかったし、私たち被造物の体の治療や改良もしてくれていた。あの方はより優れた種族を創り出すことにしか興味がなかったが、少なくとも創造主であり我ら被造物にそれなりの愛着もあったのだろう」
「あ、あの、よければイナンナ様について教えてくれませんか?」
そこでイーラが口を挟む。
イナンナといえば砂漠の遺跡
イーラも砂漠の民である以上、自身のルーツが気になるのだろう。
「イナンナ様か……あの方はその、かなり性に奔放でな。気に入った奴隷を男でも女でも構わず毎晩寝所に連れ込んでは乱痴気騒ぎ、というのは聞いたことがある。美しい御方だったのだが、派手好きでな、いつも香水の匂いを漂わせて、ジャラジャラ金細工や宝石などを身に付けていたのを覚えているよ」
「うっ、そ、そんな人の為に……」
イーラは酷いイメージ損失を受けたのか、がっくりと肩を落とす。
「あ、ああ、だがやはりそこは神々なだけはあって、実力は確かだったぞ。イナンナ様は戦闘においてはアヌンナキでも随一の力を持っていた。それに天文学や建築の知識も優れていた。配下の奴隷たちからも慕われていたことから、優れたお方だったのではないかと思う。君のような砂漠の女戦士が強いのは、そんなイナンナ様の勇敢さを受け継いだからではないか?」
「……お心遣い、感謝します」
ダナイーの必死なフォローに、イーラはどうにか持ち直したのか元気を取り戻す。
その姿にホッとしたあと、ダナイーは続ける。
「最後はウトゥ様だが……あの方はとても寡黙だった。法や道徳に対してとても厳しい方だったが、それを守る民に対しては寛大でお優しい方だったよ。子供に懐かれる方でな。よくその大きな体によじ登られては、困った顔をしていたものだ。私もその時に遊んでいただいた一人だ」
そう言って、ダナイーはその時のことを思い出してくすりと微笑む。
どうやらニンフルサグ同様、ウトゥにもそれほど悪いイメージはないらしい。
実際に見てきたダナイーが言うのなら、それなりに人柄に間違いはないのだろう。
「あとのお二方、アヌ王、ナンナ様に関しては私はお見かけしたことすらない。そのお二方はほぼ隠棲しているような感じだ。地上の統治には関わりがなかったのだろう。……私が知るのはそれくらいだな。他に聞きたいことはあるかい?」
ダンは少し考えたあと、こう尋ねる。
「アヌンナキが、地球――かつて私たちの星にいたことに関しては、何か聞いていないか? また彼らは、自分たちのことを神を名乗っていたのか?」
「さあ? 昔のことはニンフルサグ様もあまり話したがらなかったから、私もその辺りのことはあまり良く知らないんだ。……ただ、あの御方たちは自分のことを神などとは名乗っていなかったよ。私たちが勝手に創造主として崇めているだけさ。ニンフルサグ様に一度そのことを聞いたら、『本当の神様は別にいる』と笑いながらおっしゃっていたよ」
「本当の神様……?」
ダンはそう怪訝な顔で聞き返す。
どちらかと言えば、ダンは無神論者であり、それこそ先進的な考え方であると捉えていた。
『宇宙に神はいない』の言葉通り、居たとしてもそう名乗っているだけの高度文明人だろうと思っていたからだ。
しかし、ダンよりも遥かに高度な文明を持っているアヌンナキが、神などという非科学的なものを信じているという事実に、ダンは奇妙な感覚を抱いた。
「ニンフルサグ様は、神は全ての存在と繋がっており、この宇宙の全ての過去と未来を認識していると仰っていた。あの御方は、その神のことを、『無限の知恵の泉』、あるいは『源』、そして"愛"そのものであるとも言っていた」
「全知全能……アカシックレコードのようなものか。どうやら私はまだ勉強が足りないらしい。その言葉の真意がさっぱり理解出来ないでいる」
ダンは自嘲じみた笑みを浮かべて言った。
恐らくニンフルサグの言葉の中に、大いなる真理が含まれているのであろうということは直感的に理解していた。
しかし、自身の考えの硬さゆえか、その奥に潜む理外の理を未だに受け入れることが出来なかった。
「ニンフルサグ様は、イシュベールはその意味を真に知る者だと仰っていた。それを信じるなら、答えはあなたの中にあるのではないか?」
「…………」
ダナイーの言葉に、ダンは厳しい顔で考え込む。
"答えは己の内に"――。
確か、ニンフルサグの試練を終えたあとの石碑にも、そんな事が書かれていた。
まるで禅問答のようだが、その答えの先に、ニンフルサグが持つような、神秘のエネルギーを操る答えがあるのかも知れないとダンは考えた。
「……なんて、私ごときが神々の意に口を出すことでもないか。イシュベールのこの先の旅路に、より良い出会いがあることを祈っている。あなたは気高き解放者だ。またここに来てくれるなら、いつでも我らのお茶でおもてなししよう」
「ああ、私も定期的にここの様子を見に来るつもりだ。また近い内に会おう」
「いしゅべんべん、またね!」
そう言って言葉を交わす二人に割り込んで、
ダンはその子供たち一人ひとりとハイタッチして、軽く挨拶を交わしたあと、そのまま船に乗り込む。
そして今は穏やかな山岳地帯となった、
――
お久しぶりです
どうにも展開に詰まって悩んでいました
鈍足で申し訳なし
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