第120話 慈母
「さて――改めて自己紹介しようか。私は君たちが"
そう胸に手を当てながら名乗るダンに、ダナイーは大きく頷く。
「"
「
そうして三者三様に挨拶を交わしたあと、ダナイーが最初に口を開いた。
「さて……どこから話したものかな? 確かニンフルサグ様の話だったか。あの時はまだ私は生まれたてで、苗の中でも最も小さかった」
そう話しながら、ダナイーは棚からティーポットと器を二つ取り出し、ダンとイーラの前に並べてコポコポと液体を注ぐ。
「微温くてすまないが我々
「ほう? この辺りではお茶の葉が採れるのか?」
ダンが尋ねると、ダナイーはクスクスと笑いながら答える。
「違うさ。これは私の"髪"から採れた葉だ。季節で生え変わった葉を拾い集めて、乾燥させたものだよ。人間たちには
「なんと、髪の葉か? それは面白いな。是非いただこう」
ダンはそう言って、一口茶をすする。
そして次の瞬間、水出しとは思えない深い味わいと同時に、鼻の中を芳しい花の香が通り抜けていく。
玉露のようにじんわりと広がるクセのない風味は、どことなく高級感のある味わいであった。
「……うむ、美味い。これは珍重されるのも分かるな」
「そうだろう? そのせいで過去に人間に乱獲されてね。私たちは随分と数を減らしてしまった」
そう唐突に重い事実を告げるダナイーに、ダンは驚いて言葉を失う。
しかし彼女は、からからと笑いながら言った。
「あはは! 気にしないでいい。それもかなり昔の話だし、今はこの火山の噴火を恐れて、人間もここに近付いてこないからね。私たちにとっても恐怖の対象だが、痛し痒しといったところかな」
「うーむ……そうか。なんと言ったらいいのか分からんが……」
「あなたが悪いのではないのだから、何も言う必要はないさ。……おっと、変な空気になってしまったね。ごめんごめん。ニンフルサグ様のことだったね?」
ダナイーはそう言ったあと、先を続ける。
「我らはあの方々に労働力として創られたのだ。主にこの遺跡を建造する労働力としてな。我らの根幹を作ったのはエンキ様だが、我らにこのような植物性を与えたのはニンフルサグ様だ」
「ふむ……確かに君は他の守護者に比べると特異なように感じるな」
「ああ。私たちは水を飲んで、日の光を浴びるだけで生きていけるからね。食事の必要性がないんだ。それ故か、私たちの寿命は長命種の中でも特に長い」
ダナイーは自身もお茶を一口啜りながら言う。
「そして私は、あの御方たちから直接お言葉を賜って、今もなお生き残っている唯一の人物と言えるだろう」
「アヌンナキとは一体どういう人物だったのだ?」
ダンは思わずテーブルに身を乗り出しながら尋ねる。
「普通だよ。私たちやあなたとそう変わらない。確かに偉大な知恵を持ち、優れた力を持っていたけど、泣いたり笑ったり、怒ったりもしていた」
ダナイーは懐かしそうに言う。
「私はよくニンフルサグ様のお膝の上で話を聞かせて貰っていた。あの御方たちは皆大柄で、見上げるような身長の方々ばかりだったが、ニンフルサグ様だけはごく普通の、あなたと同じくらいの大きさをしていた」
「ほう」
ダンは興味深げに相槌を打つ。
たしかにこれまで、エンキとウトゥの宇宙服はどちらとも見上げんばかりの大きさだった。
イナンナだけは恐らく宇宙空間にあるブラックホール炉にあるだろうことから、まだ対面はしていないが、恐らくそれほどサイズは変わらないのだろう。
そんな中でニンフルサグだけは人間サイズということは、種族が丸ごと違うのかも知れない。
「あの御方には色々と教えていただいた。この宇宙の始まりから、惑星の記憶、そして時間や空間を歪めて暗黒の海の果てまで、一瞬で飛び越える方法とかね」
「何!?」
ダンは思わず声を上げて椅子から立ち上がる。
宇宙の果てまで一瞬で飛び越える――そんなことが出来るなら、もしかしたら、ダンの帰還も全くの夢物語という訳ではないかも知れない。
「まあ落ち着いて……そんなことを聞かされても、もちろん私はほとんど理解できなかったよ。当時の私はまだ"芽"で、あの子たちより幼かったんだよ? 記憶だってほとんど残ってない」
「……そうか」
ダンはガッカリしながら椅子に座り直す。
有力な手がかりが見つかった、と思ったらすっかり肩透かしを食らってしまったのだ。
しかしこればかりは責める訳にもいかなかった。
「だが、あの方のお言葉の中で、未だにはっきり覚えているものがある」
「なんだ?」
ダンがそう尋ねると、ダナイーは落ち着いた声で言った。
「この世で最も強い力は"愛"だと。最も大事なのは自己への愛。そして隣人や家族、友人への愛、あるいは敵対する者たちや、傷付き力なき者たちへの無償の愛。それに目覚めれば、全ての宇宙が一つになり、時間や距離は限りなく
「愛、だと?」
その言葉に、ダンはよく理解出来ずに首を傾げる。
愛というのは即ち、ただの精神の一状態に過ぎないのではないか?
あるいは、慈母と呼ばれるニンフルサグらしい、比喩的表現なのかも知れない。
ダンはそう結論付けた。
「それと……何千年後かにここに訪れるマルドゥリン――即ちイシュベールは私の遠い血縁だから良くしてやってくれとも言っていたよ」
「何!?」
ダンは今度こそテーブルを叩いて声を荒げる。
自分がアヌンナキの血縁、という話は寝耳に水であった。
そもそもそれが本当かすら分からないが、ニンフルサグが六千年の時を超えて、ダナイーを通じてそんな嘘を言い伝えるとも思わなかった。
しかしダンは強化手術を受ける前は純粋な日本人である。
シュメール文明はイランにあるメソポタミア地方が発祥である。
全く歴史的な繋がりを感じることが出来なかった。
(いや……確かシュメールと日本文明に過去に繋がりがあったというような話もあるな……地球ではオカルトの域を出ないが、アヌンナキの科学力ならあり得るか……?)
「おっと、私は何も知らないよ? ただそう伝えられただけさ」
ダナイーはそう言ったあと、自身のお茶を一口啜る。
「あの方はそうやって、当時赤ん坊同然だった私に色々教えてくれたのさ。私は半分も理解出来なかったが、あの方とお話する時間はかけがえのないものだった。会いたいな……」
そう遠い目をしながら、ダナイーはしみじみと呟いた。
「アヌンナキは皆、どこに行ってしまったんだ?」
「無限の知識の源さ。……とは言っても、私もどこにあるかは知らないよ。だが、巡礼を終えた先にきっとあるだろう。あの方々は、貴方が向かう先にきっと待っている。そんな気がするんだ」
「…………」
その言葉に、ダンは注がれた紅茶の水面に顔を落とす。
そこに映った顔は、紛れもなく純日本人のもの。例え機械化したとはいえ、生身の頃のダンをモデリングしたものだから間違いない。
しかしそんな自分に、どこか見知らぬ古代文明人の血が混じり、そして相手がそれを知っているというのは、なんとも不思議な気分にさせられた。
――――――――――
「ねーねー、ニンフルサグ様〜」
「なぁに、ダナイー」
膝の上に座って、足をプラプラさせる少女に、その銀髪の美しい女性、ニンフルサグはたおやかに微笑む。
「愛ってなんなの? 好きってこととなんか違うの?」
「そうね……それはとっても難しい質問だわ」
ニンフルサグは少し考えたあと、言った。
「例えば……エンリルがいるじゃない? あの乱暴者の」
「うっ……エンリル様きらいっ! すぐ怒るんだもん! それに私たちのこと『おい、奴隷!』って呼ぶし」
そう目を吊り上げてエンリルのモノマネをするダナイーに、ニンフルサグはクスクスと笑った。
「そうね。無理もないわ……。でも、そういう苦手な人や嫌いな人も、自身と同じように大切なものとして慈しみ、存在を受け入れる心、それが"愛"よ」
「えーっ!? 無理だよ! だってエンリル様こわいもん!」
「そうね。でも……エンリルが降らす雨は、あなたたち
「うー……分かんないよ! ニンフルサグ様の言うこと、むつかしいもん!」
そうダナイーはむくれて、足をプラプラさせながらニンフルサグの胸に身を預ける。
彼女はそれを優しく抱きとめながら、髪を撫でつけた。
「そうね。まだダナイーには難しかったかしら? いすれあなたも分かるときが来るでしょう。その話はまた今度にして、一緒にお茶にしましょう」
「うんっ!」
それに満面の笑みを返しながら、ダナイーは幸せだった頃の記憶と共に夢の中で微睡んだ。
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