第23話
馨は少しだけ反省しているそぶりを見せながらも、そっと隣にいた理玖へと視線を向ける。彼女が何を言おうとしているのかは、ぼんやりとでも理解をしているがそれに対して頷いて仕舞えば自身の終わりであるということを瞬時に悟った理玖はにこりとあいまいに微笑んでは口にすることなくそっと立ち上がり自席へと戻ってしまう。
その様子を見ながら、どこか感心したような表情をした藍は楽しそうに笑ってから席について話し出す。
「ま、それについては別にどうにかしろっていうことじゃないわ。でも、できることを増やすというのはいいことかもしれないわね。今度話をしてみましょうか」
「えぇ。でもそれだと必然的に、私か羽風に来るじゃないですか。莉音さんのままでいいと思うので、しばらくはこのままにしておきましょう。本格的にやばい、サブが必要だっていうことになればそのときは。うちの高砂少年を喜んで貸し出すので楽しく使い潰してくださいね」
「いや、それだと次は僕が潰れることになるんですが?」
理性な理玖の言葉に聞こえないふりをして、馨もそっと画面を閉じては伸びをして帰る準備をする。
本来であれば、公務員ということになるので基本的に九時から十七時半までが彼らの勤務時間である。だが、それは基本的なものであり部署ごとに異なることもある。夜勤勤務者がいる時点で、ある程度シフト制なところもあるのも実情だ。異能課に限って話せば、監視官も異能官も基本は九時十七時半までであるが各自で調整することも可能である。故に、莉音は昨日の超過分を相殺するように今日は早上がりをしている。
まるで、一般企業のようだなと思いつつも下手なことを言えば飛び火が来る可能性を考慮して理玖は何も言わずに伸びをして少しだけ眠そうに目を擦っていた。
「あれ、灯牙くん。もう探偵ごっこは終わるの?」
「いや、何。探偵ごっこを楽しんでいたが、あっちも探偵の正体を見破った頃合いだろうからな。もう茶番はしなくともいいだろう。あとは勝手にレスでもつけて掲示板が終われば用済みさ」
夕方の蝶屋敷にて、両手のパンの入ったバスケットを抱えた蝶梨とパソコンの前でコーヒーを飲みながら探偵ごっこをしていた男、菰是灯牙が静かに会話を交わしていた。灯牙は、小出しにするようにしてさまざまな情報を提示してきた謎の人物について大体察しがついていたのだろう。お互い様なところがあるかもしれないが、相手が何かを掴んだろうという頃合いになりわざと回線を切断して一時的に離脱をし別回線を使い再度ログインをしたのだ。
もちろん、再度入ってきた際にはレス一つつけることはなく「名無し」として傍観に徹していた。これが、馨たちからみたレスがつかなくなったというときである。
「それにしても……。あの博士が行方不明って大変だねぇ」
「ああ、そりゃあ大変だろうなァ? でもまぁ、こっちとしてが面倒ごとが一つ残っている。さっさと片してやりたいところだが、明日医者先生が来るまではどうすることもできん、だろ」
「うん。でも、楽しみだなぁ。鳴無さんとお話をするのは結構好きなの。こう、どんな質問をしても丁寧に教えてくれるから私にとってはとてもいい先生って感じ。人気な理由もちょっとわかるかも」
「あの人も、随分と器用なことをしているな。まぁ、今の時代は昔に比べると異能力者であることを隠蔽することはさほど難しくもないからできることなのかもしれないが。ところで、蝶梨ちゃん」
「なぁに?」
「どこか焦げ臭い匂いがしているんだが、キッチンは大丈夫なのか?」
灯牙はわざとらしく鼻を抑えるような仕草を見せては、質問をする。その言葉に、ここに来る前にキッチンでデミグラスシチューを温めていたことを思い出した蝶梨はびくりと肩を震わせて机の上に抱えていたパン入りバスケットを乗せては小走りでキッチンまで向かって姿を消した。
その様子を、どこか愛おしげな瞳で見つめていた灯牙だったがすぐに机の上に乗せられている資料とパソコンの画面をどこか険しそうな表情で見ていた。
――たく、室長殿は面倒な仕事ばかり持ってくるのが悩みの種だな。
机の上にある資料は、各務早咲についての個人的な調べられた結果だ。加えて、今回起きた火事についてのニュースで出ている範囲の情報。これらの情報は、先ほどの掲示板でのやり取りである程度はアップデートすることは可能だった。何せ、彼は掲示板で小出しの情報を与えてきたのは異能課の誰かであるということを把握しているのだから。
「焼死体の身元は早くて夜のニュースで出てくるか。明日の朝に出てくると考えるのが筋か。各務早咲については、依然として行方不明。焼死体のうちの一体が損傷が激しく身元特定に時間がかかっているようだが、こいつが各務早咲である可能性は極めて低い、だったか」
紙の資料に、先ほどの掲示板での情報を追記していく。普段はノートパソコンやタブレットを使用し、データはすべて物理的なものとして保存することはない灯牙であるが今回に関してはたまたま紙の情報でまとめていたので記している。本当は今すぐにでも情報機器の中に入れ込みたいところなのかもしれないが、それをするのは今ではなくとも問題ない。
何せ、情報機器にこれらの情報を入れ込むということは彼を雇っている立場にある伊月にどこまで調べがついたのかが筒抜けになるということ、あのこざかしい異能課が勝手に情報を覗き込んでくる可能性だって存在しているのだ。情報というものは、出すそのタイミングが肝心なのだ。
「灯牙くん、ご飯ができたよ!」
「今日の飯は、バゲットに黒焦げのデミグラスシチューかい?」
「失礼な! ちゃんと確認したら焦げてなかったから大丈夫! それに味見もしたけど、焦げ臭いものはなかったからね。多分灯牙くんが教えてくれるのが遅かったら黒焦げのデミグラスシチューになっていたとは思うけど」
「俺はいい仕事をしたみたいで、何よりだな。……そういえば、明日は何時くらいに医者先生は来るんだい?」
「お昼くらいに来るって言ってたよ。手土産何かなぁ。期待しているって話したから、きっと美味しいものを持ってきてくれるよ。鳴無さんってそういうことに詳しいお嫁さんがいるからね」
クフクフ、と楽しそうに口元に手を添えて笑っている蝶梨。灯牙は、彼女の鳴無に嫁がいるという事実に対して初めて知ったのか目を丸くしてしばらく石のように固まってしまっている。あの変わり者で、職場である病院と警視庁を往復し自身の家にはいつ帰っているのかも不明な鳴無にでも嫁がいるのだ。
何度か思考を巡らせるも、やはりそれだけは信じることができないのだろう。首を横に軽く振ってから、肩をすくめてどこか訝しげに目の前にシチューが盛り付けられた皿を置いた蝶梨へと視線を向けて口を開く。
「それは、本当に実在している嫁さんなのか?」
「うん。鳴無先生とは大学からの付き合いなんだって。あ、お嫁さんは薬剤師でこっちもワーカーホリックみたいだからお似合いだねって前に話していたことがあるよ。でもびっくりだよねぇ。あの鳴無先生でもお嫁さんがいるんだもん。なのに、伊月さんにはお嫁さんがいないのがまたびっくり。きっと、女の人なんて選びたい放題だろうにねぇ」
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