第29話

 玄関まで急いで向かった理玖は、どこか緊張をしながらも自身の胸に手を添えて息を整えている。


「何にそんな緊張しているのだか……」

「初対面な時って、緊張するんですよ。しかも、仕事で会うってなると余計に。ほら、変なことをしないか、とか。そういうやつです」

「それは大丈夫じゃないかな。高砂くん以上に変な人がここには僕を含めて三人いるのだからね!」


 ――それは誇れるようなことではないと思うのだけど。


 どこか目をキラキラと輝かせて、自慢げに。誇らしく告げた鳴無に対して、ツッコミを入れるべきかを考えた結果そっと口を閉ざすことを決めた理玖。ここで、何をいえば馨か夏鈴が何かを言ってきそうだと本能的に察知したのだろう。

 呼び鈴を鳴らして数分、ガチャリと開く扉。

 そこから出てきたのは、先日異能課にやってきた蝶梨ではなく長身でそこそこ体躯のいい一人の男。この屋敷にいる使用人か、蝶梨の護衛人か何かだろうかと思った理玖は思わずジィ、とその男を見てしまう。


「随分と大人数で来られたようで?」

「おや。増えたのは一人だけだと思うのだけど? まぁ、それはいいじゃないか。今日は、君と腹の探り合いをしに来ているわけじゃあないんだ。運ばれてきたという死体の確認と、ちょっと彼女と雑談しにきたんだから」


 理玖の視線に気づいた男は、一瞬彼を視界に入れるもすぐに一番前にいた鳴無を視界に入れて皮肉混じりに言葉を発する。

 どこか言葉の裏側に人を挑発する何かを感じる。もっと端的にいれば、理玖からしてみれば第一印象はお世辞にも良いとは言い難い対応をする男だ。


「まぁ、それもそうだな。ほら、入ってくれ。おっと、突然きたお客さんは夏鈴ちゃんだったか」

「お久しぶりです、灯牙さん!」

「ああ、久しぶり。それにしても随分とタイミングがいい。実は昨日新しい紅茶と焼き菓子を仕入れてね。是非とも振る舞わせてほしい」

「わぁい! あ、でも夏鈴もご遺体の確認はしたいのでそれからお茶会をしましょう!」


 夏鈴の姿を確認した瞬間、鳴無へと向けていたどこか冷たく探るような雰囲気はガラリと変わる。

 女性相手にはこのような態度なのか、と考えた理玖だったがそれにしても馨への態度はどちらかというと鳴無への対応に近いものを感じる。つまるところ、この男は何かしらの基準で人を選別しているのだろう。もしくは、幼い子供には優しいだけなのかという考えも過ぎるが、それだけではないような気がした。

 思考を振り払うように、軽く首を横に振ってはそっと伺うように目の前にいる男改め菰是灯牙を見る。


「そして、そこの監視官さんは初めまして。馨ちゃんの飼い犬なんだろう? 狂犬の手綱を握るのは、なかなかに骨がいる作業だろう。お察しするよ」

「私には挨拶をしないだなんて、私に対して失礼じゃないですかね? まぁ、いいでしょう。とにかく、時間は有限なんです。確認することはしっかりと確認してさっさとお茶会をしましょう。菰是さんが気にいるかわからないんですけど、私イチオシの焼き菓子も持参しているので」

「お、馨ちゃんイチオシかい。それは、期待はできそうだ。じゃあ、どうぞ?」


 ――え、あの人いつの間に手土産を用意していたんだ!?


 馨は、そっとどこから取り出したのか不明だが手土産の焼き菓子が入った袋を目の前にいる灯牙に押し付ける。彼も、馨が選ぶ焼き菓子の美味しさは一定の信頼があるのか本当に嬉しそうに目元を緩めている。

 理玖がこの数秒で感じた灯牙の印象が、ただ一つ。よくわからない食えない人、だった。

 四人は灯牙に案内されながら、リビングと思われる場所に通される。外から見てもわかっていたことであるが、中はとても広く屋敷といっても差し支えがないほどだ。一軒家、という言葉で終わらせてしまうには、あまりにも広すぎる。興味深そうに、周囲を見渡していた理玖を見て少しだけ目を丸くさせていた灯牙だったがすぐに面白いものを見つけたような目で笑った。


「興味深いかい?」

「へッ!? あ、いや、まぁ。はい。僕が見たこともないような、あと雰囲気が。物珍しいな、と思います。あとは、広いなぁと単純に思ったくらい、ですかね」


 いきなり話しかけられては、素っ頓狂な声を出すもすぐに質問に対しての答えを告げる。最初は、少し否定をするような素振りを見せるも、すぐに何かを諦めたのか素直に話す。この場所において、腹の探り合いは不要なのだ。理玖は元よりも、そのようなものは苦手だ。単純に自分が疲れるから、という当たり前の理由で嫌っている。

 それに、そのような腹の探り合いは自分がしなくとも問題ないだろうという謎の確信がある。


「ふむ。確かにここは広すぎるほどだな。ああ、紹介がまだだったか? 知っているかもしれんが、俺は菰是灯牙。あんたらが蛾と言っている人物で間違いない。あんたのことは、室長殿から聞いているよ。これから、よろしく。高砂くん」

「よ、よろしくしないようがいいような気が、するんですけどね、あまり」


 差し出された手を素直に握り返すことが憚れるのか、恐る恐るといった具合で手を伸ばして握手をする。

 彼に限らず、異能課絡みであればあまりよろしくしないほうがいい付き合いというものも当然存在している。まだ入って日が浅い理玖からしてみれば、想像することもできないかもしれないが彼らはさまざまな場所に根を張り巡らしているのだから当たり前、といえば当たり前のことである。

 知らない方がいいこともある、とはきっとこのことを指しているのかもしれない。

 軽く握手をしてから、静かに開いた扉へと視線を向ける灯牙。この屋敷には、広い割には彼と蝶梨の二人しか住んでいないため必然的に扉を開けたのは彼女ということになる。


「鳴無先生、今日はありがとうございます! こっちの安置室に例のものはおいているので!」

「じゃあ、行ってくるよ。ああ、そうだ。今日は、檜扇ちゃんも一緒に見たいと言っていてね。構わないかな」

「勿論! じゃあ、夏鈴ちゃんも一緒にどうぞ!」


 扉を開けて入ってきた蝶梨は、手袋と白衣。先ほどまではマスクもつけていたのか今は顎下まで下げられている姿でやってきた。彼女が入ってきた瞬間に、鼻に掠めた死臭を感じて思わず眉を顰めてしまう理玖。この場にいる理玖以外の人物は、表情一つ変えることもなく話をしている。

 彼らにとって、死臭というものは隣にあるほど当たり前のことなのか。

 もしくは慣れるまで鼻を掠めてきたのか、本当に臭っていないのか。蝶梨は、理玖と馨に向かって軽く会釈をしてから二人を案内するように扉の奥へと消えていった。

 三人がいなくなった部屋で漂うのは、どこか気まずい雰囲気一つだ。


「……え、っと」

「蝶梨ちゃんは今日もお仕事なんですか?」

「ああ。今日は、明日の講義で使う死骸の軽い処理をしているらしい。血抜きから、まぁ。色々だろうな。今回のは事前に内容と同意書をもらっての講義になるらしいから血抜きなどして保存をしてそのまま使うらしい」

「へぇ。剥製と骨格標本どっちで?」

「骨格標本」

「そうなれば、皮を剥いで肉を溶かす工程からするんですね。そのお肉はみんなでいただくのですか? あ、でも死後結構経過しているならば食べないほうがよさそうですね」


 馨の言葉から、二人にもしっかりと死臭は臭っていたことが証明される。

 自身の鼻がおかしくなったわけではなかった、ということにどこか安心したような表情を見せた理玖は二人の会話を聞いて首を傾げている。

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