第18話

「本当に。あの御手洗さんは、なんでこんな子を置いて逝ったのかしらねぇ」

「もう死んだのかな、あの女は」


 ――苗字からそうかな、と思っていたけど。あの子はやぱり、御手洗円香ミタライマドカさんの娘さんだったか。


 かつての知り合いを頭に浮かべては、そっと顔を出して村の様子を盗み見する。

 そこにあった光景は、朱鳥の頬を思い切り殴っている複数の大人の姿。頬を殴るものもいれば、役立たずと嘲笑しながら罵るものだって存在している。殴っているのは男が多く、陰で罵っているのは女が多い。


「クズが……」


 刹那、目の色が僅かに濁る。

 拳を痛いと感じるほどに握りしめては、僅かに残った理性の糸が切れないように必死につなぎとめている。ここで糸が切れてしまうようなことがあれば、確実に理玖の実地試験どころではなくなる。なにより彼女が、異能官でありながら村を消すという所業を行ってしまうことになる。

 伊月の面目が崩れてしまう可能性は大いにあれば、それにより自身の行動にさらなる制約がついてしまうことは避けなければいけないことだ。

 様々な犯罪を平然と犯しては、死刑を言い渡された彼女にもそれなりに守るべきことは自身の中でケジメとしてつけているのだ。そしてそれは、彼女自身を縛る信条へと姿を変える。


 ――ともかく、明日。高砂少年がどのような計画を立てるのか次第ですね。あちらから質問があれば、私は答えるだけ。明日から私は、自ら助言をあたえることもないだろうけど。


 複数の大人がいなくなり、その場に残るのは傷だらけの朱鳥が一人。

 その頭を撫でてやりたい気持ちを呑みこんで、馨は何かを指で描く。ふわりと朱鳥の髪の毛がいたずらに舞っては気休め程度に慰める。風を操ることが出来る彼女なりの慰め方の一つだ。横目でそれを確認してから、馨は再び風の通り道を作り出してはその場から消えた。



 目を閉じて思い浮かべる表情は、まだ自身が幼き頃の思い出。かなしくなるほどに、大好きだった母親の顔はかすんでもう見えない。否、はっきりと思い出すことさえもできないでいる。それでも、ただひたすらに。

 大好きだという気持ちだけを。

 そして、母親が言った「いつかきっと、迎えに来るから」という言葉だけを健気に信じて。莫迦みたいにずっと信じ続けて、十年ほどずっと一人でこの場でただずんでいる。


「口元、きれちゃった……」


 殴られことにより、口元が切れてしまったのか流れている血を手の甲で拭っては地面に座り込んで深く息を吸い込む少女、御手洗朱鳥がそこに居た。朱鳥は、ゆっくりと立ち上がっては服に着いた砂埃を手で払う。

 空を見上げると、そこに輝いているのは両手からあふれだしてしまうのではないかと思えるほどの星の金平糖たち。


「今日は、お外で寝ないとなぁ。……そうだ、前に見つけた良い感じの風よけのあそこで寝ておこう!」


 自身の頬を気合をいれるようにして軽く叩いてから、足早にこの場から立ち去っていく。もう夜更けであることもあり、村に光はほんど存在していない。嫌でも、夜目が利くようになってしまった朱鳥は迷うことなくゆっくりと歩いていく。

 時折、何もないところで躓きそうになるも村の外れにある高台までやってくる朱鳥。森に近いこの高台は、村を一望できるほどに障害物がない。そのような中でも、森側に近付けばそれなりに風よけにはなる。それと引き換えに、安全はどうしても低くなってしまうが。


「……あれ、なんだかこれって」


 普段誰も近づくこともない高台にあったのは、誰かが寝ていたのではないかと思わせる形跡。しかしそれ以上は朱鳥でも分からなかったのだろう。首を傾げて、不思議そうにしながらもその場にしゃがみこんでから跡が少し残っているその場に寝転がる。


「なんだか、あったかいような、気がするなぁ」


 決してそのようなことはない。

 だが、それでも朱鳥には暖かいと思える何かを感じ取ったのだろう。少しだけ嬉しそうに口元を緩ませている。そして何かに耐えるように口を一文字にさせてはきゅっと唇を噛みしめる。


「あれ、……なんで」


 ホロホロと流れてくるのは、透明な血。

 ずっと我慢してきた痛みに耐えきれなかった傷口から流れてあふれ出してくるのは、透明で綺麗だと思えてしまう血。


「なんで、今になって涙が、出てくるのかなぁ……」


 嗚咽交じりの声はあまりにも痛々しい。それは、聞いているものがいるとするならば耳を塞いで目を背けてしまいそうになるほどに。

 真っ暗闇の中で、ずっと一人で生きていくのだと誰に言われたわけでもなく朱鳥はそう思えて仕方がなかった。寝転がり、透明な血をたえずに瞳から流し続けては両手を空へと伸ばす。決して届くことはないと分かりながらも、ずっと諦めずに伸ばし続けていればいつか星さえも掴めるのではないかと思いながら。

 誰かが、この伸ばしている手を掴んでくれるのではないか、と。叶うことのないわずかな希望を確かに抱きながら。


「ねぇ、いつになったら迎えに来てくれるの、お母さん」


 もうすっかり霞んでしまった母親に縋るように手を伸ばし続ける。

 それはまるで、迷子の子供のようだ。


「私が、悪い子だからお母さんは、いつまでたっても迎えに来てくれないのですか?」


 朱鳥の助けを求めるような言葉に対して返答をするものは、まだ現れない。

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