第8話

 その表情はあまりにも自然で、彼女の言うことは本当なのだろうと思わせる。残念なことに、彼女が嘘をついていようが本当のことを言っていようが理玖にはそれらを確信するための材料は持っていないのだが。故に彼は、疑い信じることを自身の推測や確信を持って行わなければいけないのだ。


 ――こう言う時は、僕にも異能力があればなぁって思うけど。


 だが、必ずしも毎回人の真意が理解できるのも考えものである。

 少女は、そっと首を傾げては理玖を不思議そうに見ている。


「そっか。それは良いんだけど、でもやっぱり子供がここで一人でフラフラするのは危ないよ。親御さんも心配するんじゃあないのかな」


 あくまでも、一般論から外れぬように当たり前のような質問をする。

 その質問をした刹那、少女の表情はわずかに曇る。一瞬の出来事であったのにも関わらず、理玖はすぐに間違えたなと内心で焦る。もちろん、表情にはそのような焦りの一つも出てはいないのだが。彼も一応は大人なのだ。それも、今では新社会人と言う括りの中に存在している。

 自身よりも幼い子供の前で、表情を変えて子供のようなことをするわけにはいかないのだから。


「それなら大丈夫です。私に両親はいないので、……ああ。でも早く戻らないとおばあちゃんは心配するかも」


 眉を八の字にして、誰が見ても「困っています」という表情をする少女。

 どこか幼いのにも関わらず、幼さを感じることができないそのチグハグな表情と仕草に首を傾げる理玖だったが人の家庭というものは様々なものである。幸せそうに見えていても、存外その中は不幸に満ちているかもしれない。幸せそうに笑って「大丈夫」だなんていっている人でも、その内心にはドロドロとしたものを抱えているのかもしれない。そして彼は、それらに踏み込んで責任を取ることができないことを自覚している。

 だからこそ、それ以上踏み込むことを止めてしまうのだ。


「そっか。じゃあ、おばあちゃんを心配させないようにしないとね」

「うん。……あの、ちょっとだけ良いですか?」

「何かな?」

「あのベンチにいるおじいちゃんと話しているお姉さんって、おじいちゃんの親族ですか?」


 少女の視線は、いまだにベンチに座って話をしている老人と馨へと向けられている。

 わずかに談笑しているようにも見えるので、もしかすると馨の業務質問は終わって理玖が戻ってくるまで雑談をしているのかもしれない。あまりにもすんなんりと人の中に入っていく馨に頭を抱えつつも、それが迷惑をかけていることはないのでわずかに口角を上げて笑ってしまう。


 ――他人に興味がないからこそ、優しいんですかね、あの人は。


 あの人こと、人の人生に踏み込んでおきながら責任も取ることはせずに消息不明になるタイプなんだろうなと思う。いって仕舞えば、理玖からしてみれば馨は釣った魚に餌をやらないタイプと見ているのだろう。彼の想像は当たっているが、馨のことを知っている人物からはきっと彼女は自身が釣ったと思っていないから、餌をやらないタイプであると言うのだろうが。


「いえ、親族ではないですよ。もしかして、あのお爺さんに用事が?」

「ううん、なんでもない! じゃあね、お兄さん。あ、お兄さんこそこう言う場所に来ない方がいいよ。だって、お兄さんってすっごい騙されそうな顔してる」

「……あはは」


 騙されそうな顔、ってなんだよ。

 思わず口から出そうになった言葉を必死で飲み込む。今彼女に文句を言ったところで、何も意味はない。騙されやすそうかは不明であるが、彼は何かと無関心になりがちなところもあるので一歩間違えればよく騙される人に部類するのかもしれない。少女がいなくなって肩をすくめてから、理玖は馨たちの元へ戻っていく。


「少女との歓談どうでしたか」

「僕よりも、お二人の方が楽しそうに話していたようですけど」

「ああ、最近私が将棋を始めたと言う話をしていて盛り上がっていました。この方、ずいぶん将棋に詳しいようでして。こつとか教えてもらっていたんですよ。いかんせん、チェスと同じ要領ですると毎回室長にボロ負けするんですよね」


 ――この人、本当に自由すぎないか?


 呆れと感心が半分くらいの気持ちに襲われながら、何度目かわからないため息をついていた。馨は、老人にお礼を言いながら立ち上がりそのままフラフラと歩いていく。まだ時間にしては、十五分ほどしか経っていない。理玖が次は誰に話を聞くのかと話しかけようとしたところ、なぜか馨は鼻歌混じりでこの場所から出ていく。流石のこれには、理玖も焦ったのか少し大きめの声で彼女の名前を呼んで足を止めさせた。


「甘羽さん!」

「……ん? なんですか、高砂少年」

「いや、話を聞いたのって一人だけじゃないですか!? 他の人に話は聞かなくてもいいんですか!?」

「いやぁ、高砂少年の目玉はお飾りなんですか? 周囲を見てくださいよ。どこからどう見ても穏便に話すことができる人がいないんですよね。眠そうにしている人に無理に話しかけても機嫌を損ねるだけでしょうし、今食べ物の持ち合わせもないので釣ることも無理ですからね。……ところで、先ほどの会話をしていた少女ですが。何かわかりましたか?」


 足を止めて周囲を見るようという彼女は呆れている。

 その言葉を聞いて、ようやく周囲を見渡した理玖は思わず口角がひくりと上がり顔を引き攣らせてしまう。彼女のいう通り、他の人は眠そうにしていたり寝ていたり。まともに話ができそうだと思える人がほぼいないのだ。加えて、彼女のいう通り今は食べ物もないので素直に質問に応じてくれる人も少なくなるだろう。

 いっそうのこと、身分を証明して仕舞えばいいのではと理玖は思うがそれをしない馨には何か考えがあるのだろう。

 残念なことに何も理玖は彼女から考えていることを報告されていないのだが。


「ここはすでに莉音さんによりマークされていますし、まぁ。ある程度ここにいる人の顔も確認済みですから何かあれば彼がやってくれるでしょう」

「え、顔を覚えた? 甘羽さん記憶力いいんですか? 物忘れがひどいイメージが……すみません、冗談です!」

「はぁ。カメラですよ。莉音さんの腕前は素晴らしいですからね。監視カメラに潜り込むなんて造作もないことでしょう」


 ――それは、果たして合法なのだろうか、だなんて怖くて聞けないな。


 理玖は、馨の当然といった声色で告げられたその言葉に対して口角をひくつかせて苦笑いをするに止める。これ以上下手に首を突っ込んで仕舞えば、面倒なことになってしまうと本能的に理解したのだろう。深く突っ込むべきである場所と、そうではない時くらい彼もなんとなくだが見分けがつくようになったのかもしれない。ただ、それでも馨は素っ頓狂なことを平然と言ってくることがあるので、内心で突っ込むことはしてしまうのだが。

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