第4話

「私の勘になるので、まぁそんなことあったなぁ程度に留めてくれたらいいのですが。……面倒な上に、結構重めなものの可能性があります。よかったですね、高砂少年。初任務で精神が鍛えられますよ」

「そんな素晴らしい笑顔で言うことじゃないですよね、それって」


 笑顔で不穏なことを平然と告げる馨に対して、思わず表情を引き攣らせては心底いやそうな表情を隠すことなくする理玖。

 そんな彼を視界に入れて、どこか新しいおもちゃを手に入れた子供のような笑みを一瞬浮かべた馨だったがすぐに眠そうなやる気のなさそうな表情に戻る。おそらく、彼の思っている重めな仕事と馨が思っている重めな仕事の基準は違うと思うが理玖基準では表情を歪めるほどにひどい内容だったのだろう。

 二人が少し歩いていると、視界に入ってきたのはそれなりに立派な水車のある一軒家。

 馨は軽く伸びをしながらも迷うことなく、目の前にある一軒家の扉の前まで足を進めて移動する。その様子を、どこか訝しげに見ていた理玖は、おおかたチャイムでも鳴らすのだろうと思っていたが馨のとった行動は彼の思い描いていた想像とは全く違う。彼女は、遠慮もなくドアノブに手をかけて扉を開けて中へと堂々と入ってしまったのだ。


「ちょ、甘羽さん!? それって、不法侵入に入るんじゃないですかね!?」


 いきなり常識はずれも大概なことを平然とし始めた馨に対して、嗜めるようにして声を上げては止める理玖。

 しかし、止めるのはあくまでも口先だけの言葉のみであり彼女の腕を掴んで侵入を止めようとする素振りは一向に見受けられない。まだ彼は、どこまで行えば気まぐれだろう彼女の逆鱗に触れずに済むのかわかっていないのだ。故に、迂闊に土足で彼女の中へと踏み込むようなことは避けたいのだろう。勿論それは、保身のためであり自衛のためでもある。

 そのような事情を知ってか知らずか、馨は中へと入っては周囲を見渡している。

 外で立っていても時間の無駄であると判断したのか申し訳なさそうな表情を雰囲気を一応出しながらも、恐る恐ると中へ入っていく理玖。やましいことをしていないのに、堂々と入った馨よりも理玖の方が怪しく見えてしまう。


「……あれ。ここって、お店だったんですね」


 中に入ると、そこに広がっているのはまるで宿泊施設のようなロビー。

 外からでは、全くと言っていいほどにこの家の中は想像できなかったがどうやら彼女が入った家はただの一軒家ではなく、宿泊施設を営んでいる宿だったらしい。その事実を理解して、安堵の息をこぼした後に理玖は受付カウンターらしき場所に視線を向けるもそこには人はいない。


「でも、人がいませんね。……というか、甘羽さん。ここがお店だったなら先に言ってくださいよ」

「聞かれなかったもので。……それに、最近この店は目には見えない透明人間からの被害に悩まされていて表向きは休業中なんですよね。私には、それらの苦労は全くもって理解もできませんけど」


 馨は理玖の隣へやってきては、カウンター周辺を視界に入れてから周囲を見渡す。

 人の気配さえもないに等しいほどに、静かな空間。その中で思わず出てしまったため息は、やけに重く耳に残る上にひどく静寂な空間には大きく響いてしようがない。

 しばらくして、奥からやってきたのは一人の女性。

 女性は、二人の姿を確認してからどこか驚いたように目をわずかに見開いてからすぐに申し訳なさそうな表情をしてから首を左右に振ってゆっくりと話し始める。


「お客様、かしら。ごめんなさいね。今は……」

「東京都警視庁公安部の、異能取締課に所属している異能官。甘羽馨と申します。上司である、宵宮伊月の指令により姿の見えない透明人間の確保に派遣されました」


 いきなりの登場だった二人に対して、わずかに困惑を見せる女性に対してはっきりと凛とした口調と声色で自己紹介をした後に身分証明書でもある異能官証明書は女性の目の前に出す馨。しかし、女性は差し出されたものを数回瞬きを行って見つめてからさらに困ったように眉を下げてから馨へ視線を戻し口を開く。


「あの、……これ。交通系ICカードのように見えるのですが……」

「……おや」


 女性に指摘されてから、ようやく自身が彼女に見せていたのは異能官証明書ではないことに気づいた馨は何事もなかった花乃ように間違えて見せていた交通系ICカードを鞄の中へしまい込んでから、ガサガサと異能官証明書を探し始める。

 しかし、何度見ても鞄の中に見つからなかったのか隣にいた理玖を無言で何かを訴えるようにして見つめる。

 彼女は決して何もいうことはして来ないが、理玖なりに馨の言いたいことを理解してしまったのだろう。呆れたようにため息をわざとらしくついてから、自身の鞄の中に入っている監視官証明書を取り出して自己紹介を行い始める。


「同じく、異能取締課所属の監視官、高砂理玖です。彼女は僕の担当異能官で間違いありません。……甘羽さん、異能官証明書を忘れるとかありえないんですけど! 出社したけど従業員証を忘れましたと言っているようなものでしょう、これ!」


 彼女たちがもつ、稲生官証明書や監視官証明書というものは理玖のいう通りいわば社員証と同じようなものであり見た目は警察手帳のようなものをしている。恐れ多くも馨は、その大事な証明書を今回は忘れてきてしまっていたのだ。この場が仮に東京であれば、証明書はなくともある程度彼女たちの存在は知られているので多少なりとも融通は効くのだがここは東京ではなく京都である。

 あまりにも反省の色を見せることもなく、馨は言い訳をするようにして少し不機嫌そうな、否。不貞腐れたような表情をして理玖に告げる。


「そういえば、机の上に置きっぱなしだったような。羽風のおもちゃになっていなければいいのですがねぇ」

「何をそんな呑気なことを……」


 本来であれば、慌てふためいてもおかしくはないことであるが特に慌てるようなそぶりを見せずにないならば仕方がない、と気持ちを切り替えてしまったのだろう。

 ぼんやりとしながらも、告げられた言葉に対して理玖はこの場所が任務先であり、かつ他の人の目があるとわかりつつも盛大に頭を抱えて地面に蹲りたくなる衝動に襲われる。当然、その衝動は残ったひとかけらの理性のおかげで再現されることはなかったが、仮に理玖がこの場で人の目を気にせずに頭を抱えて地面に座り込んでしまったとしても馨は罪悪感の一つも感じることなく彼をどこか小馬鹿にしたような表情でほくそ笑む課、腹を抱えて心底愉快そうに笑う程度なのだろう。

 残念ながら、甘羽馨という人物はそういう人物である。

 二人のやりとりを苦笑しながら見ていた女性は、何かを思い出したように「あぁ!」と声を上げてから少しだけ安心したような表情を始めて見せた。


「宵宮さんの部下の方だったんですね。お話は伺っていますよ。本日は、東京からはるばるきていただきありがとうございます。……少し、結びつくまでに時間を要してしまって申し訳ない限りです」


 綺麗に会釈をして、女性は嫋やかに微笑んだ。

 じぃと女性を探るように見つめてから、静かに自身の顎に手を添えて何かを考える素振りをする馨。しかし、それも一瞬の出来事で直ぐに何もなかったようにニコリと人のよさそうな愛想の良い笑みを浮かべてから自身に胸に手を当てて安心させるような柔らかい玲瓏とした声ではっきりと言葉を紡いでいく。


「はい。先ほどもお伝えしましたが、私たちは推定ですが。異能を用いて窃盗を繰り返しているであろうネズミの捕縛にやってきました。もう安心してくださって大丈夫ですよ。この店のものは奪わせません。こちらの高砂監視官が」

「何で僕……?」


 唐突に話を振られた理玖は、まるで理解が出来ないという言葉を表情一つで全て表している。

 それはもう、何かの例題や教科書などに取り上げられても違和感がないほどに絵にかいたような表情だった。二人の何気ないやり取りが何処か面白かったのか、女性は口元に手を添えて上品に静かにクスクスと笑ってしまっている。それを横目で見た馨は、どことなく満足そうに目を三日月に細めていたが女性にそれらの表情一切を悟らせることはしない。


「では、改めまして。形式上確認は必要ですので、確認させてくださいね。貴方は、昨年このクソ田舎も良いところな辺鄙なところに越してきた、一般的に言う「よそ者」である佐倉季楽サクラ キラさんで間違いありませんか?」


 ――クソ田舎もいいところって、それここに越してきた人に面と向かって言う?


 遠回しに、この村を小ばかにしているともとらえることが出来るであろう言葉に対して理玖はそっと内心でごちてから、気まずそうに目を背けてしまうが目の前に居た今回の依頼人ともいえる女性の季楽は馨の言葉に怒ることはなく静かに首を横に振り肯定をしている。

 彼女自身も、多少はこの場所を辺鄙な田舎であるという認識はしているのだろう。

 何せ資料によれば、元々彼女たちは都心に住んでいたとされているのだから。


「はい、間違いありませんよ。こちらこそ、名乗り遅れて申し訳ありません。私は、先ほど確認がありましたが佐倉季楽です。夫婦で民宿とレストランを営んでいるのですが、その。主人は、今は……」


 言いづらそうに、口を噤んでは手を握りしめて視線を馨から床へと落とす。

 理玖と馨は、お互いに顔を見合わせてからすぐに季楽へと視線を戻す。口を開いたのは、意外にも理玖ではなく馨のほうだった。


「事情は既に把握していますので、説明不要ですよ」


 子供をなだめるような、安心させるようなその声色を聞いてゆっくりと顔を上げる季楽。

 わずかに彼女の瞳には、うっすらと膜が張られており今にも何だが零れ落ちてしまうのではないかと思わせるほどだ。現在、季楽の旦那である佐倉智司サクラ サトシは相次ぐ窃盗被害や自身たちよそ者に対する村人からの様々な小言や嫌がらせにより体調を崩してしまっていたのだ。彼女たちが元より、この田舎へとやって来たのは旦那である智司の療養も兼ねていた。

 都会の喧騒や空気よりも、この場所の自然な空気の方が彼の身体によいということだったのだろう。その中で、夫婦は夢であった民宿とレストランを細々と営んでいたのだ。

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