第40話
屋上では、馨が暇そうにあくびをして椅子に座って地面に倒れ伏している男を視界に入れては興味もなさそうに船を漕いでいた。こくりこくり、と首が動いており。時折、ガクンと大袈裟に首が動いている。よほど彼女は眠くて仕方がないのだろうということは、誰がみてもわかる光景だ。
『馨くんくらいだよ。僕を使って遊ぶのは』
「まさか。莉音さんを使って遊ぶだなんて。だった、高砂少年からは物理的に殺すな、二酸化炭素を吐いていれば不問とするって言われたのだから試すしかなくないですか? 莉音さんの遠隔お願いでどこまで精神を壊すことができるのか、とか」
床に転がっている男の目は空になっており、どこをみているのかはわからない。
時折体がぴくぴく、と動いており胸が上下しているのでしっかり生命的には生きている部類に入るのだろう。果たして、この状態を生きていると言ってもいいのかは定かではないが。理玖の言いつけ通り、男はしっかり二酸化炭素を吐いて酸素を吸っているので物理的には死んでいない。
誰になんと言われようとも、馨は言いつけを守った結果がこれなのだ。
「それにしても、お願いの効果ってかなり広範囲なんですね。漫画とかゲームでよく見る、暗示みたいなやつですかね」
『部類的には暗示、というよりも催眠というのが近いかもしれないね。まぁ、僕はあくまでもお願いをしているだけさ。みんながそれを叶えてくれるから、ありがたい話だよ』
くつくつ、と楽しそうに喉を器用に鳴らしては笑っている莉音の声を聞きながら馨は鞄の中からお菓子を取り出して静かに座って食べ始める。
理玖が日葵とともに屋上から落ちたとき。
馨は、彼に頼まれなかったが瞬時に指を鳴らして二人が大怪我をしないようにという計らいをしていた。そして、意味のない押し問答を男としていた。
「井の中の蛙、とはまさしくこのことなのかもしれませんね」
空な目で、どこか遠くを見つめてぶつぶつと呟いている男の姿をみては感想を告げる。
結果、馨は物理的に殺す許可は出なかったが故に。精神的にどこまで莉音の「お願い」が耐えれるのかを検証しようという結果になったのだ。それからの彼女の行動は早かった。すぐさま通信機越しに莉音へ要件を簡潔に告げてから電話を繋げる。電話はあえてスピーカーにして自身は耳栓をつけて莉音の「お願い」が効かないようにする。
男からしてみれば、何をしているのか分からなかったことだろう。
ましては彼は、自身の目の前にいる女がかつて日本のとある研究施設を壊し多くの人を殺した凶悪犯であるということさえも気づいていなかったのだ。だからこそ、彼女が何をしようとしているのか、などとわかるわけもなかった。
『彼の命運は、馨くんと出会った時点で終わっていたも同然だったろうね』
「正確には、高砂少年を怒らせたことじゃないですかね。彼は私にしっかりと指示をしないと、好き勝手その指示にそれないように壊すことくらい分かりきっていたはずです」
『ああ、だから二酸化炭素を吐いていれば大丈夫って面白い言い方をしたんだね。物理的に殺さない程度って、もはやそれって物理的に生きていれば何をしても良いって言っているようなものだったよ』
数分前の理玖の言葉を思い返しては、楽しそうに笑う莉音。
まだ彼と馨は、そこまで長い付き合いというわけではないが彼はなぜか馨の扱いを心得ている。理玖の親族に、馨と同じようなタイプがいたのかは不明だが。そう思わざるを得ないほどに、彼は数週間程度の時間で彼女の扱いを把握している。意識しているのか、もしくは無意識なのかは本人に聞くしかない。
『確かに、今回の自称英雄くんは馨くんのいうとおりに井の中の蛙だった。高砂監視官も、同じようなものだと思うけど』
「ええ、確かにそうでしょう。高砂少年は、本当に危険な裁かれるべき異能力者を見ていない。だからこそ、彼はいまだにどうして分ける必要があるのかを考える。でも、彼はちゃんとわかっていますよ。今自分が、そう考えることができるのは。ひとえに、庇護されるべきような立場である異能力者しか見ていないからだ、とね」
その意識があるだけでも、決定的に違うのだろう。
理玖はしっかりとわかっていて、それでいて考えているのだ。彼の目の前に、本当に裁かれるべき異能力者と庇護されるべき非異能力者があわれたその時は、きっと彼はどう思うのか。
――でもまぁ、変わらないんでしょうけどね。
「精神鑑定行き、ですかね?」
『さぁ、どうだろう。そういえば、今思い出したことがあったんだけど。……僕たちが捕まえた異能力者や、今回のように犯行に走った非異能力者って。一体どこに消えているんだろうってね』
「奇遇ですね、莉音さん。……私も、思っていましたよ、そのことに関しては、ね」
いまだに地面に蹲っている男を横目に、そっと足を組み直しては口を閉ざす。
このようなことがあったのは、何も今回が初めてというわけではない。今までも、何度も同じようなことが発生しているのだ。その度に、異能課では犯人を捕まえては伊月に報告をしている。だが、捕獲したその人物が一体どうなったのかは彼らは知らない。否、正確には興味がない、だけなのだが。
彼らの目的は、犯人を取り締まることでもない。
各々に、目的がありその手段の一つとして異能官や監視官という役職に収まっているだけの話だ。表向きでは、仲が良い友人同士であっても腹の中は何を考えているのか分からない。ある意味、異能課もそのようなものがあるのだろう。誰も宵宮伊月のことを知らないのだ。
「莉音さんからしても、伊月室長は謎の塊なんですか?」
『悔しいことにね。彼の謎を暴けることがあるのかな、と思うくらいには難しい。どうして宇宙が存在しているのか、という質問に完璧な回答を出すほどには難しいんじゃあないかな』
「え、そんなに?」
莉音の言葉にピタリと手を止めてしまう。
刹那、ガチャリと扉が開いて屋上にやってきたのは当然のように無傷な理玖と日葵の二人の姿。馨は、そっと通信を一時的にオフにしてから立ち上がって手を振る。まるで、何食わぬ顔で。自身が、精神的に人を殺めたといことも思わせないようなにっこりとした綺麗で、不気味な笑顔で。
「遅かったですね、二人とも。……おや、なんだか兄妹みたいですよ? 見た目は全然違いますけど」
「いや、ここまで来るのに普通に時間がかかるんですよ。エレベータに、階段にって。……ところで、先ほどの男の人はどうなりましたか? ちゃんと精神的に殺してくれましたか?」
「……あは、やっぱりそうだったんですね。いやぁ、あの高砂少年があんな言い方をするのは絶対にないなって思っていたんです。莉音さんとも話していたんですけどね。やっぱり、明確な殺意を持って私に指示をしたんですね、あんなふうに」
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