第9話

「本当にですね。……パスワードが設定されているだなんて、正直思いもしなかったですね。なんだか、不良品をつかまされた気分です。ちなみに、何か入力をしましたか?」

「いえ、何も……。間違えたらどうなるのかも分からなかったですし」

「賢明な判断ですね。もしこれで何かを入力して、ロックが掛かって使い物にならなくなったと事後報告を受けて居たら高砂少年の首を物理的に胴体から切り離そうかなと目論むところでした」

「……ひぇ」


 ニコリと微笑んで、自身の首を左右に親指で横切らせる。その行動は、首を斬るという行動そのものだ。理玖は一瞬だけ、仕事がクビになることを想像するも彼女の言葉と行動で下手をすると死んでいたかもしれないと思ったのか顔を真っ青にする。

 しかしそれだけで、特に恐怖に染まっているわけでもなく震えているというわけでもない。


「普通は、こういうものは事前に済ませて出荷するものです。もしも、本体に乗り込む必要があるのであれば手順書としてまとめるべきでしょう」

「まぁ、そうですね」

「よって、これを開発した部署へクレームを入れることをお勧めします。今度、紹介がてらにクレームを入れに行きましょうかね」


 ふふん、と何処か上機嫌で鼻歌交じりで慣れた手つきでパスワードを入力していく。勿論、馨自身もこのブラックボックスに掛けられているパスワードが分かるわけではない。ただ、これを作成した五島の性格を考えたうえでそこから導き出されるパスワードを入力しているだけに過ぎない。

 運がいいことに、馨と五島はそこまで付き合いが短いわけではないのだ。


「甘羽さん、パスワードを知っているんですか?」

「そんなわけないじゃないですか。パスワード……まぁ、考えられるとするならば、これくらいですかね」


 入力された文字は、皇帝の意味を持つ「emperor」という文字。理玖はいつの間にか、馨の隣に移動しておりブラックボックスに入力されていた英単語を見て首を傾げていた。彼の疑問に対して、珍しくも馨は説明をするように話し出す。


「簡単な話ですよ。……五島さんが昔面倒を見ていた異能官が一人いましてね。その子の異名が、亡者の皇帝なんです。だから、皇帝」

「へぇ。……ということは、甘羽さんにも何か異名があるのですか?」

「さて、どうでしょうか。はい、これで問題ないでしょう」


 机の上に置かれていた全てのブラックボックスの正常起動を確認してから、馨は机の上にあるブラックボックスを手にして立ち上がる。流石に彼女の突然の行動が理解できなかったのか、首を傾げて座りながら不思議そうに彼女を見つめる理玖。

 馨は少し呆れた表情をしながら、鼻で笑って言葉を紡ぐ。


「何座ってんですか。ほら、設置に行くんでしょう?」

「あ、そうか。……ですが、甘羽さん。別に僕一人でも設置くらいはできますよ?」

「別にいいでしょう。ほら、つべこべ言っていないで行きますよ」


 聞く耳も持たない。

 馨はブラックボックスを抱えて玄関まで移動しては、ブーツを履く。理玖も急いで立ち上がり、靴を履いては既に扉を開けて外で待機している馨の元へ急いで向かっていく。

 彼としては、勝手にしろといったりついてきたりとしている馨の行動に対してまるで猫のようだなと思い始めてしまっている。その単純な思考が馨に知られているということも、すっかりと忘れてしまって、だ。


 ――高砂少年は、莫迦なのか?


 ブラックボックスを設置する場所は、理玖に任せているのか馨は彼の後ろに静かについて行くだけだ。まるで、珍しく主人に従っている静かな狂犬のようだ。否、彼女の場合は嵐の前の静けさのような従順ぶりである。この光景を、異能課の面子が見ていれば唖然と口を開けてはまるで化け物を見るような目で凝視していたことだろう。


「うーん、あまり範囲を広げすぎるのも。ギリギリに設置して、見えないように隠したほうがよさそうですね」

「私はブラックボックス持ちかかりなので、他のことはお任せします。私は口出しをしないわんちゃんなので」

「何ですか、それ」


 困ったように眉を下げては、馨の腕の中にあったブラックボックスの一つを手に取り地面に置いては起動させてゆっくりと支障が出ない程度に土をかぶせて草に紛らわせていく。


「思ったんですけど」

「はい?」

「何で高砂少年は、この場に居るんですか?」

「僕、何か甘羽さんの気に障るようなことしましたっけ……?」


 何も脈絡もない言葉に対して、どう返答するべきなのか分からず理玖は思わず馨の機嫌を損ねてしまったのであろう原因を本人に聞く。確かに、機嫌を損ねている本人に何に対して機嫌を損ねてしまったのかを聞くのが一番手っ取り早い行動であるがそれを実行するのは少ないだろう。

 だが、残念ながら馨は機嫌を損ねているわけではなく純粋に何も脈絡もなく疑問に思ったから聞いただけに過ぎない。本当に意味があったのか、と聞かれr葉それは無意味に近いだろう。

 ただ、本当に。

 何となく、そう思ったから聞いてみただけに過ぎない。そこに、深い意味もなければ正解も不正解も存在しない。


「いえ、別に。純粋に疑問に思ったんですよね」

「はぁ……。なんでと言われましても、宵宮さんからスカウトされたからで」

「スカウトされれば、高砂少年はどのような職業でも就職する決意をするのですか?」

「なんか、言い方にとげを感じるのは気のせいではないですよね、きっと」


 伊月がとりまとめを行っている、東京の異能取締課は完全スカウト制である。いくら、異能取締課へ配属を望んで試験を受けたところで絶対に配属されることはない。配属されることはないのに試験がある理由は、京都異能課へ配属される可能性もあるからだ。

 この完全スカウト制というものが、東京本部の異能課が一部の人間から目の敵にされて居る理由の一つでもある。伊月曰くは、座学が出来たところで実践や行動が出来ないのであれば不要ということで今のようなスカウト制をとるようにしている。当然であるが、東京本部以外の異能課は全て試験が必要である。


「伊月室長にどのような説明を受けたのか知りませんけど。……監視官は実は、離職率が高い職業でもあります。異能官とそりが合わずに辞める者、そして。この目をそむけたくなるほどの任務に嫌気がさして辞める者など理由は様々です」

「それは、初耳だな……」

「私が言うのもなんですが、監視官や異能官程。クソみたいな仕事はきっとありませんよ」


 彼女の口から告げられることはそれ以上なかったが、他にも居の血の危険がある任務が嫌になったことや実際に任務で殉職をしたものだって多く存在している。一番、死に近い職業と比喩されているほどだ。監視官という職業は、それほどまでに危険な職業なのだ。

 勿論、異能官もそれなりに危険な職業であるが彼らはそもそも異能力者であるために元が強い。簡単なことで死ぬことは滅多なことがない限りないのだ。戦闘地域へ任務へ行き、異能官はかすり傷で済んで監視官は死体となって戻ってくるケースだって存在している。


「僕への、当てつけですか?」

「まぁ。……高砂少年が、一体どれほど持つのか見ものだなって思ったまでですよ」

「良い性格をしていますよね、甘羽さんって。よく、言われませんか?」

「まぁ、結構、それなりには。あと、自覚もしているので別に何か追加で言わなくとも大丈夫ですので」

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